可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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十章 奏歌くんとの十年目

5.マーガリンとバターの違い

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 稽古場に行って奏歌くんがラッピングしてくれた薄茶色のアーモンド入りトフィーの包みを取り出す。百合と美鳥さんと真月さんに囲まれてしまった。私が食べ物を持って来ると、百合と美鳥さんと真月さんはテンションが上がるようだ。
 順番に放送されたアーモンド入りトフィーを渡していくと、中身の透けるビニールの中身を見て、百合と美鳥さんと真月さんが問いかける。

「手作りキャラメル?」
「ナッツ入りのキャラメルですか?」
「美味しそう!」

 目を輝かせている百合と美鳥さんと真月さんに、私は胸を張って答えた。

「トフィーよ」
「トフィー?」
「トフィーってなんですか?」

 疑問に思っている百合と美鳥さんに説明しようとしたら、真月さんが「あ」と声を上げた。

「外国のお菓子じゃなかったですか? キャンディーみたいな」
「そう、イギリスのキャンディーなのよ。キャラメルは砂糖と牛乳で作るけど、トフィーはバターで作るの。バターって牛乳から作られてるって知ってる?」

 自信満々で説明したつもりだったが、私の言葉に真月さんと美鳥さんが妙な顔になっている。

「まさか、バターが牛乳から作られていると知らないなんて……」
「海瑠さんはそこまでだったのか」
「そこまでって何!?」

 私はそんなに問題があったのかと驚いていると、百合も驚きの声を上げていた。

「バターって牛乳なの!? マーガリンとかと一緒じゃないの!?」
「そうなのよ、バターって牛乳から作られているらしいのよ。びっくりよね」

 私と百合が意気投合しているのを見て、美鳥さんと真月さんは「海瑠さんと百合さんの世間知らずもここまでだったなんて」と言っている。私と百合はそんな美鳥さんと真月さんを解せぬ顔で見ていた。
 無事にトフィーを渡せた私は楽屋に行って舞台用の衣装に着替えていた。本番用の衣装ではないが、それに近いイメージの普通の服を稽古でも着ている。劇中劇でオペラの場面もあるので、私は女性の衣装を着たり、男性の衣装を着たり、着替えなければいけないようになっている。
 ドレスに見立てたふわふわのロングスカートを履いて、オペラアリアを歌う。高音を出さなければいけない私は、ボイストレーニングの成果かなんとかオペラアリアを歌いあげることができるようになっていた。

「ブラボー!」
「あれが、15歳の少年だって!」
「彼には神から与えられた才能がある!」

 15歳のデビュー時の場面から演目は始まる。それから幼少期に遡って、ファリネッリがボーイソプラノを守るために去勢される回想シーンが入る。はっきりとは見せないのだが、ファリネッリの兄が苦悩しつつもファリネッリの声を惜しんで去勢するという場面は、私ではなく他の団員さんが子ども時代をやってくれる。
 その間に私は衣装を着替えて青年のものに変えておく。
 青年になったファリネッリが成功して行って、恋をするのだが、自分が去勢されていることに悩み苦しむ。
 恋人役の百合はずっと寄り添ってくれているが、ファリネッリといても実りがないと両親に言われて苦しむ場面もある。
 音楽での成功と、恋人との関係の苦悩。
 それがこの演目のテーマだった。
 何度か着替えて午前中の舞台稽古を終えて、食堂でお弁当を食べる。百合も隣りの席でお弁当を食べていた。百合のお弁当以外のタッパーにグレープフルーツが剥いてあるのを見て、私は感動してしまった。

「百合、自分でそんなことまでするようになったのね!」
「え、羨ましかったから、してもら……そう! 自分でしたのよ! あぁ、朝から大変だったわー!」

 最近まで料理をするのを嫌がっていた百合が、自分でグレープフルーツを剥くまでになっている。奏歌くんがピンクグレープフルーツを剥いてくれたのが羨ましくて、自分で剥くようになるなんて、かなりの進歩だ。
 私の方も少しずつ奏歌くんと一緒にお菓子作りをしたりできるようになっているが、百合はそれ以上に努力しているようだ。

「一つ食べる?」
「ありがとう」
「ありがとうございます!」
「いただきます!」

 宝石のように綺麗に剥かれたグレープフルーツを見て、百合はこんな才能があったのだと感心してしまう。グレープフルーツも房のまま食べてしまうような豪快なイメージがあったのだが、それを払拭された気分だった。

「奏歌くんも今頃お弁当食べてるのかなぁ」

 グレープフルーツを見ても、お弁当を見ても、私が思い浮かべるのは奏歌くんだけ。思い出していると、百合がにやにやとしていた。

「海瑠ったらリア充なんだから!」
「リア充?」

 リア充ってなんなんだろう。
 よく分からないでいると、美鳥さんが説明してくれる。

「リアルが充実しているってことですよ」
「リアルじゃないってあるの? 人間ってみんなリアルに生きてるんじゃないの?」
「海瑠さんはそう考えていてください」

 真月さんに宥められてしまったが、私は理解できない気持ちでいっぱいだった。

「そういえば、マーガリンってバターとは違うのよね。何でできてるのかな?」
「え? なにか、油?」

 マーガリンとバターの違いも分からない私に、百合もよく分かっていないようだった。分かっていない私と百合では会話が進まない。奏歌くんがいてくれれば教えてくれるのにと考えてから、奏歌くんも何もかもを知っているわけではなくて分からないことは携帯電話で検索しているのだと思い出した。
 携帯電話を取り出してから検索してみる。

「マーガリンの材料……コーン油や大豆油などの植物油脂。牛乳じゃなかった!」
「なにか油であってるじゃない!」
「なにか油はちょっと大雑把すぎない?」

 苦笑している私に百合は誇らし気な顔をしていた。この顔をしている百合には何を言っても無駄だと分かっている。
 百合とは長い付き合いでひとの話を聞かないところがあるのは理解している。私も大概ひとの話は聞いていないが、百合もひとの話を聞いていないことが多いのだ。

「海瑠さんが疑問に思うことを自分で調べている……」
「成長したんですね、海瑠さん」

 後輩たちに言われてしまう私という人物はなんなんだろう。ちょっと真顔になってしまったが、私はお弁当を片付けて午後の稽古に向かった。食後にトフィーを食べて百合と美鳥さんと真月さんは「美味しい!」と喜んでいた。
 午後の稽古が終わると百合にマンションまで送ってもらう。

「真尋さんの冬の公演は行くの?」
「え? 真尋さん、冬の公演があるの?」

 車に乗っている間に百合に問いかけられて、私は初めて真尋さんの劇団が冬公演をすることを知った。百合は真尋さんのお母様とも交流があるからその繋がりで知ったのだろうか。

「百合はなんで知ってるの?」
「大事なファンだから、劇団のチェックくらいしてるわよ。奏歌くんはお兄さんなのに、チェックしてないの?」

 奏歌くんならばチェックしているかもしれないが、私は全然チェックしていなかった。私の劇団以外の公演は身に行かないように受験勉強に集中するように奏歌くんは考えているのだろう。

「奏歌くんは受験生だからね」
「そっか。ダーリンは行けないのね。代わりに私が応援して来るか」

――百合さんって、お弁当作ってるって言うけど、もしかして、兄さんが作ってたりしないかな?

 ちらりと奏歌くんの言葉が頭を過ったが、夏休みの奏歌くんと違って真尋さんは劇団の仕事を持っている。仕事前に百合にお弁当を届けてから自分の劇団に行っているというのはあまりにも現実的ではない。
 そこまでするのだったら、百合との間に特別な感情があるのではないかと考えてしまうではないか。そうなると百合は劇団の規則を破っていることになる。それだけはないと私は信じていた。
 僅かな疑問が胸に残りつつも、私は奏歌くんの待つマンションに帰った。
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