可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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十章 奏歌くんとの十年目

4.英会話とトフィー

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 私は英語が少しだけ喋れる。海外の方向けの完全に英語の劇をしたことがあるので、そのときに習ったのだ。基本的に演劇のために習ったことは忘れないのだが、英語が喋れることを私は奏歌くんには行っていなかった。

「英語のリスニングが難しいんだよね」
「リスニングって何?」
「流れてくる英語の会話を聞いて、問題に答えるんだけど、問題集についてるリスニング問題は覚えちゃうくらい聞いたから、新しい問題で勉強できなくて」

 困っている奏歌くんの前で英語の参考書を借りて私が読んでみせると、奏歌くんは驚いていた。

「海瑠さん、英語が喋れるの?」
「劇のために覚えただけだよ。自分でも喋れることを忘れていたし」

 この夏休みにやっちゃんと茉優ちゃんがイギリスに行って帰って来たのだが、二人はその前に英語の勉強をしっかりとしていったと聞いている。私は劇に使う範囲で勉強したので単語も偏っているし、英語の歌の発音を間違えないように叩き込まれているから少し喋れるのだが、そのことを自分でも忘れていた。
 フランス公演のときに英語で話しかければ良かったのかもしれないが、初めての場所で怖くて奏歌くんの後ろに隠れていた私はそんなことを思い付きもしなかった。

「ってことは、英語を聞きとれる?」
「多分、少しは」
「そうなんだ」

 驚いている奏歌くんに応えると、奏歌くんは次から次に私に単語を読んでと言って来る。単語を読んでいると奏歌くんの目が尊敬を湛えて私を見ているのが分かった。

「これから時々海瑠さんに英語の参考書を読んでもらおうかな。海瑠さんの発音、すごく上手だから。海瑠さんってすごいね」
「すごいのかな?」
「すごいよ! これなら、僕が高校を卒業して海外に行っても平気だね。僕もしっかり勉強しておかなきゃ」

 それから奏歌くんは私に話してくれた。

「日本の英語教育って、少しは変わって来てるらしいんだけど、喋るための英語じゃなくて、書くための英語なんだよね。だから、英会話の授業もあるけど、苦手な子が多いんだ。僕は頑張ってるけど」

 外国人の講師を呼んで英会話の授業をすることがあると教えてくれる奏歌くんに私は驚きながらそれを聞いていた。私が学生の頃のことは朧気にしか覚えていないけれど、英会話の授業があった記憶はない。
 英会話を習ったのも、英語の発音が正しくなるように指導されたのも、全て演劇のためだった。
 私も休みの日で奏歌くんも夏休みだったので、その日は二人でやっちゃんと茉優ちゃんのお土産でおやつにした。
 二階建てバスの缶に入っているお菓子はキャラメルのようなものだった。それを食べながらイギリス土産の紅茶を奏歌くんに淹れてもらって飲む。

「なんだろう、これ、キャラメルと似てるけど、キャラメルじゃない感じ」

 口の中で少しずつ解けていく甘いそのお菓子はキャラメルに似ているけれど、硬いキャンディーのような感じで私は首を傾げる。奏歌くんは缶に書いてある英語を読んでいた。

「toffee……トフィーかな?」
「ちょっと調べてみようか」

 『toffee』という英単語を入れて、『イギリス』と『お菓子』で携帯電話で検索すると、お菓子の説明が出てきた。

「バターと糖蜜や砂糖を加熱して作るハードクラックキャンディ。ナッツやレーズンを混ぜて調理されることもある……」
「海瑠さん、それ、作れそうだね」

 奏歌くんの言葉に作り方を検索しそうになって私はその手を止めた。
 受験勉強中の奏歌くんに作らせるわけにはいかない。

「食べ終わるまでしばらくかかりそうだし、作らなくても良いんじゃないかな」
「そう? 海瑠さんはあまり気に入らなかった?」
「美味しいとは思うけど、キャンディってそんなに食べないからな」

 内心では奏歌くんの作ったトフィーならば食べてみたいと思っているのだが、奏歌くんの受験のために我慢する私に、奏歌くんは別のことを携帯電話で検索し始めた。
 トフィーをもごもごと食べながら奏歌くんは携帯電話を見せてくれる。

「この輸入雑貨店に売ってるみたいだよ」
「なくなったら買いに行けばいいのか」

 答えはしたものの私は特に買いに行きたいとは思っていなかった。私が食べたいのはあくまでも奏歌くんの作ったトフィーであり、買ってきたものではない。

「これにナッツを入れたらフロランタンみたいな感じで美味しいだろうになぁ」

 呟いている奏歌くんはすごく作りたそうだった。
 フロランタンというお菓子はナッツをキャラメルで固めたものの下にタルト生地を敷いたもので、ザクザクとして美味しかった記憶がある。奏歌くんが作っているのは見たことがないが奏歌くんと一緒に食べたことはある。

「作ったら奏歌くんの勉強の邪魔にならない?」

 本当は食べてみたい気持ちを抑えきれない私に、奏歌くんはにこっと笑顔になる。

「勉強の息抜きにはなると思うよ」
「本当? 奏歌くんの作ったのなら食べてみたいけど、奏歌くんの負担になるんじゃないかと思ったの」

 正直に私が言うと奏歌くんはにこにこと笑っていた。

「海瑠さんのために作るならいつでも喜んでやるよ」

 お料理の大好きな奏歌くん。奏歌くんは私のために毎日のお弁当も作ってくれている。

「奏歌くんって本当に何でも作れるし、挑戦しようとするし、すごいよね」
「そうかな? やっちゃんや母さんが結構何でも作るから、普通だと思ってた。すごいって海瑠さんに褒められて嬉しい」

 頬を染める奏歌くんに私は絶賛する気持ちでいっぱいだった。
 毎日のお弁当に帰って来てからの晩ご飯の準備。それを奏歌くんは学業と両立させてやっている。中学三年生にもなればできるのかもしれないが、私がその頃は全くできていなかったし、海香に頼りきりだった記憶しかない。実家を出てからも私は家事というものをほとんどやったことがなかった。

「トフィーはバターとお砂糖で作るけど、キャラメルは砂糖と牛乳で作るから、食感が違うんだって。トフィーの方が高温で作るから硬くなるってかいてあるよ」
「材料から違ったんだ。それで味が違う気がするのね」
「いや、材料は結局同じかな。バターは牛乳から作られてるからね」
「え?」

 瀬川海瑠、33歳、この年にして初めてバターが牛乳から作られていることを知る。

「バターって牛乳から作られてたの!?」
「そうだよ」
「全然形も味わいも違うから気付いてなかった! チーズやヨーグルトが牛乳から作られているのは知ってたけど」
「バターもだよ。牛乳を攪拌して、脂肪分の多い場所だけを取り出したのがバターだよ」

 私が呆れるほど物を知らなくても奏歌くんは絶対に馬鹿にしたりしない。
 奏歌くんに教えられて、私はまた一つ賢くなったのだった。

「ナッツトフィー、作れるかな。アーモンドがあったような気がするんだよね」

 私の家の食材に関しては私よりも奏歌くんの方が詳しい。アーモンドの入った袋を持って来て、奏歌くんがキッチンに立つ。
 アーモンドを包丁で適当な大きさに砕いた奏歌くんが、お砂糖と蜂蜜と水をお鍋に入れて火にかける。薄い茶色になるまで火にかけたら、火から鍋を降ろしてバターを加える。バターがよく溶けたらアーモンドを入れてよく混ぜて クッキングシートを敷いたバットに流し入れて冷蔵庫で冷やした。

「これだけなの?」
「うん、これだけみたい」
「奏歌くんの手際が良いから簡単に思えちゃう」
「実際簡単なんだと思うよ。材料も少ないし」

 お砂糖と蜂蜜とバターとナッツだけでできてしまうシンプルなお菓子、タフィー。
 出来上がったタフィーを食べるとカリカリとしたアーモンドの食感が美味しくて止まらなくなりそうになる。

「これ、百合さんと美鳥さんと真月さんにも」

 ラッピングした奏歌くんは百合と美鳥さんと真月さんのことも考えていてくれていて、私の周囲との関係がよくなるように気を付けてくれる。
 なんてよくできた婚約者なのだろうと私は感動していた。
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