可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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九章 奏歌くんとの九年目

27.15歳の奏歌くんとのキス

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 篠田家での奏歌くんのお誕生日パーティーの数日後の週末、奏歌くんを私のマンションに招いて、「奏歌くんのためのコンサート」を開いた。
 今回はディナーの準備は簡単なものだが、ご飯は炊いておいて、魚の缶詰も用意しておく。お味噌汁はフリーズドライのものだが奏歌くんは気にすることはないだろう。ほうれん草を茹でてめんつゆとすりごまをかけたものも冷蔵庫に入れてある。
 奏歌くんに歌うことに集中したかったので、私は全ての準備を終えて奏歌くんを待っていた。
 水色のシャツにジーンズ姿でやって来た奏歌くんに私はどきりとしてしまう。これまでもこんな格好をしていたことはあったけれど、いつもよりずっと大人に見えたのだ。
 もう15歳。お母さんの美歌さんや姉代わりの茉優ちゃんと距離を置きたくなっている時期でもあるし、大人になりかけているのだろうということはよく分かっていた。

「海瑠さん、アイスティーにしようか?」
「う、うん。お願い」

 濃い目の紅茶を淹れてアイスティーを作ってくれる奏歌くんに、私はドキドキしながら待っていた。舞台の本番でもこんなにはドキドキしない。舞台の本番ではむしろ落ち着くのが私だった。
 舞台に立つことは私の人生の全てだ。歌とダンスにしか私はずっと興味がなかった。それが今の私の人生には奏歌くんという存在がしっかりと入り込んできている。
 からんとアイスティーのグラスの中の氷が鳴る。一口飲んで息を整えてから、グラスを置いて私はソファに座った奏歌くんの前で歌い出した。
 紅ハコベの紋章を使ったフランス革命の物語の歌、武蔵と小次郎の邂逅の場面の歌、シャーロック・ホームズとジョン・ワトソンの歌、ドラァグクィーンの役の歌……踊って歌っていると奏歌くんの視線が私に集まっているのが分かる。
 舞台では距離があるので感じ取れない奏歌くんの表情の一つ一つまで感じ取れるのが新鮮だ。

「海瑠さん、すごく素敵だよ」
「嬉しいな。奏歌くんも踊ろう?」
「僕、上手に踊れないよ?」

 男役トップスターなので私が男役にはなるが、奏歌くんをリードして歌って踊っていると、奏歌くんの白い頬が赤く染まるのが分かる。ハニーブラウンの目が感動に潤んでいた。

「海瑠さん、好きだよ」
「奏歌くん、私も」

 紅ハコベの紋章を使ったフランス革命の物語の演目のときに踊った結婚式の場面のダンスと歌で、私は自然と奏歌くんの頬に手を当てていた。演技ではここで私が観客に背を向ける形で相手役の百合の顔を隠すことでキスシーンを表現するのだが、真っすぐに見上げてくる奏歌くんのハニーブラウンの瞳に私は魅入られていた。
 掬い上げた顎は白くて細い少年のものだが、体付きや顔立ちは少し大人びてきている。
 そっと唇を重ねると、奏歌くんが目を閉じる。私も目を閉じた。長い口付けではなかったが、唇を離したときに奏歌くんも私も真っ赤になっていた。

「海瑠さん、約束守ってくれたね」
「え?」
「去年、15歳の誕生日でもキスをして欲しいってお願いしたよ」
「そ、そうだったね」

 14歳の奏歌くんにキスをしたときにはただ可愛くて、愛しさだけだった。今度のキスは一年前のものと全く違う気がする。何が違うのか正確には表現できないのだが、奏歌くんと心が繋がった気がするのだ。

「好きなの、奏歌くん」
「僕も大好きだよ、海瑠さん」

 はっきりと私と奏歌くんは恋人なのだと理解する。奏歌くんが18歳になって高校から卒業したら結婚を前提にお付き合いするつもりだった九年前。あの頃は奏歌くんが大人にならなければいけないとばかり思っていたが、九年経って奏歌くんが15歳になってしまうと、私たちは恋人同士なのだと強く思う。
 汗をかいたグラスの中で氷が立てる音が妙に大きく聞こえる。
 喉がからからでアイスティーを飲むと、奏歌くんもアイスティーのグラスを手に取っていた。アイスティーを飲み干す私に、奏歌くんが新しく注いでくれる。

「海瑠さん、これから先は気を付けないと」
「え?」
「僕ももう子どもじゃないし、海瑠さんの周囲を騒がせたくないんだ」

 劇団の広報担当であるやっちゃんとの間ですら勘繰られたのだから、毎日のように部屋に通っている奏歌くんとの間を邪推されないとも限らない。邪推ではなく実際に奏歌くんとの関係は恋人同士と言っていいくらいなのだから、尚更気を付けなければいけない。

「奏歌くんと私は恋人?」

 思い切って聞いてみると、奏歌くんが真面目な顔になる。

「僕と海瑠さんは、婚約者だよ」

 恋人を通り越して婚約者だった。私の立ち位置が婚約者であることは嬉しいのだが、将来結婚するつもりではずっといたが、恋人になるというのはちょっと違うのではないだろうか。

「奏歌くんのこと、恋人って思っていいのかな?」
「運命のひとだけど、恋人……なのかな? 照れるけど、お付き合いはしてるよね」
「そうよね、奏歌くんと私は九年前からお付き合いしてるもんね」
「恋人って言ってもらえるの……嬉しい」

 白い肌を赤く染めて言う奏歌くんに私も照れ臭くなってしまう。

「晩ご飯の準備をするね」

 ご飯の炊ける匂いに気付いて動き出した私に、奏歌くんも立ちあがってアイスティーのお代わりを淹れていた。
 炊き立てのご飯と、魚の缶詰と、フリーズドライのお味噌汁と、作り置いていたほうれん草のゴマ和えで晩ご飯を準備する。魚の缶詰をお皿に盛っていると、奏歌くんが呟く。

「今度、スパムを買ってみようか」
「真尋さんのお弁当に入っていたやつね。百合が気に入って自分でお弁当作るようになって、それに入れてることが多いのよ」
「百合さんのお弁当にスパムが?」
「うん、気に入っちゃったみたい」

 真尋さんが原因で百合の食生活が変わったことは私にとっても嬉しいことだった。
 お弁当をずっと欲しがってばかりいたのが、自分で作って持って来るようになったし、家でも食事を作っているようなのだ。

「百合のお弁当のおかず、真尋さんの作ったのに似てるから聞いたんだけど、レシピをもらったんだって」
「真尋兄さんのレシピ……ふぅん?」

 何か不思議そうにしている奏歌くんの心の内は私にはよく分からないが、奏歌くんも百合の食生活が変わったことを一緒に喜んでくれていると私は信じ込んでいた。
 簡単なディナーだったが食べていると、汗をかいてくる。先ほどまで歌って踊っていたし、汗をかいても仕方がない。

「ちょっとシャワーを浴びて来てもいい?」
「あ、それは……僕、帰るから」
「え?」

 顔を赤くしていそいそと帰り支度をしてくる奏歌くんに、私は驚いてしまう。小さな頃は一緒にお風呂に入っていたし、同じベッドで寝ていた。そのうちに一緒にお風呂に入らなくなったし、違うベッドで眠るようになった。中学生になる頃には止まらなくなってしまって寂しかったけれど、奏歌くんにまた変化が訪れていた。

「海瑠さん、ゆっくりお風呂に入って来ていいよ。僕は先に帰るから」
「もう帰らないといけない時間? それなら、奏歌くんが帰るまでは待ってるけど」
「気にしないで入って来て。僕は帰る」

 いつもよりも力強く言われてしまって私は言葉を返すことができなかった。
 奏歌くんが私がお風呂に入ることに何か問題を感じたのだろうか。気軽にお風呂に入るなんていうことを言ってはいけないのだろうか。
 戸惑っている私に奏歌くんはぎゅっとハグをして帰って行った。
 残された部屋で私はぽつんと突っ立っていた。

「奏歌くん、どうしたのかな?」

 よく分からないけれど、奏歌くんが大人になりかけていることは分かる。
 私はそれが私には少し寂しくも感じていた。
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