可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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九章 奏歌くんとの九年目

12.明かされる百合との関係

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 海香が無事にかえでと一緒に退院することができて、さくらは美歌さんと涙のお別れをした。ぽろぽろと涙を零して、美歌さんの手を握って、さくらは一生懸命訴えたのだという。

「またくるね! みかたん、またくるね」
「さくらちゃんと過ごせてとても楽しかったわ。また遊びましょうね」
「み、みがだーん!」

 泣き出してしまったさくらを海香と宙夢さんがチャイルドシートに座らせて連れて帰る間中、さくらは大声で泣いて泣き止まなかったという。百合と一緒に海香の家にかえでを見に行ったときにその話になった。新生児も抱えて、4歳で自我がはっきりしているさくらもいて、海香も宙夢さんもげっそりとしていた。

「かえでが泣いて起きるたびに、さくらも起き出してくるのよ」
「『おねえたんがやってあげる』って寝ぼけながらふらふらオムツを持って来たりするから、さくらはいいから寝てって言うんですけどね」

 夜中に起こされるたびにさくらも起きて来てお手伝いをしているせいで、眠くて保育園で日中居眠りをしていると聞いて、お姉ちゃんも大変なのだと思う。私は末っ子で、百合も一人っ子で、奏歌くんも一人っ子なので、そういう経験はなかった。

「海香さんは海瑠さんが生まれたときのこと、覚えてる?」

 一緒に来ていた奏歌くんに問いかけられて、海香が表情を和らげる。

「すごく可愛かったのよ。私、海瑠を大事にしようってずっと思ってたわ」

 海香にとっては私は可愛い存在だったようだ。私にとって海香はほとんど覚えていない小さな頃に私の手を引いて歩いてくれる存在だった。海香に連れられて歌とダンスの教室に行かなければ百合には出会っていないし、歌劇の専門学校に通って劇団に所属することもなかっただろう。
 私にとって海香は私の未来を広げてくれた相手だった。

「海香を『お姉ちゃん』って呼ばなくなったの、いつからだろう」
「それも覚えてないのね、海瑠」

 昔は海香のことを『お姉ちゃん』と呼んでいた気がするのだが、私は気が付けば海香のことは名前で呼んでいた。何かがあった気がするのだが、私は思い出せない。

「両親が『海香はお姉ちゃんなんだから』ってあまりに言うから、『私はお姉ちゃんという立場を選んで生まれて来たんじゃない! 私には海香っていう名前がある!』って反抗したのよね。私が中学のときくらいだったかしら」

 両親に対して反抗する海香を見て、私はショックを受けてクローゼットに閉じこもってしまって、海香が私を引きずり出したのだと、海香は教えてくれた。

「『お姉ちゃんって呼ばれるのは不本意だけど、海瑠のことは大好きよ』って言ったの、海瑠は覚えてないのか」

 海香が中学生ならば私は小学生の低学年だったはずだ。小学校や中学校の頃の記憶があやふやで、その頃に歌とダンスの教室で習った歌やダンスの記憶はあるけれど、私はそれ以外のことをほとんど覚えていなかった。

「中学のときに両親が事故で亡くなったから、ショックで記憶を封印したのかもしれない」
「それ以前に、海瑠はずっとぼーっとした子だったけどね」

 両親との記憶を封印してしまったのかもしれないという私に、海香が苦笑している。小学校低学年の頃は「ウエストサイドストーリー」の「トゥナイト」を歌って踊ったことははっきり覚えているのだが、それ以外は全然思い出せなかった。

「海瑠って、もしかして、小学校が私と同じだったの、気付いてなかったりする?」

 百合の重大な発言に私は驚いてしまった。

「うそっ!? 歌とダンスの教室で百合とは出会ったんだと思ってたわ」
「歌とダンスの教室に行き出したのが5歳だから、先にそっちで出会ってたんだけど、海瑠とは同じクラスにならなかったけど、小学校が同じだったのよ」

 全く気付いていなかった。
 小学校のときには音楽の授業以外は記憶がないし、クラスメイトにどんな子がいたかなんて全く覚えていない。クラスが同じにならなかったのならば尚更百合のことは覚えているはずがなかった。

「中学では引っ越したから別々だったけど、この家に何度も通ってきてたでしょう」
「それは覚えてる。百合のことは歌とダンスの教室で、すごく上手な子だって思ってたから、そっちの方では覚えてるけど、小学校が一緒だったのは初耳」
「私は気付いてたわよ?」

 私と百合は5歳から同じ歌とダンスの教室に通って、小学校も一緒だったなんて、全く知らなかった。どんな風に過ごしたか全く覚えていない中学を卒業して、歌劇の専門学校に入学した頃からは百合との思い出がしっかりとある。
 舞台に立つようになってからはもっとはっきりと思い出せる。

「海瑠はやっぱり海瑠だったわ」
「ですよね、海香さん」

 海香と百合に呆れられても、私は百合との小学校生活など全く思い出せなかった。
 これまでの公演に関しても百合は私に言いたいことがあったようだ。

「今回は私が台詞を忘れたのと、美鳥さんの靴が脱げたのと、真月さんがナイフを落としたハプニングがあったけど、これまでの公演でもこういうことはいっぱいあってたんだからね」
「それは、薄々気付いてたというか……」
「気付いてたけど、海瑠は自分の演技だけで、フォローにまでは回らなかったでしょう」

 図星を突かれて私は黙ってしまう。
 これまでの公演でもおかしいなと思うところはあった。私は役に入り込むタイプなので、幕が開いてからは役に集中している。他のひとの演技は見ていても、役に集中することを優先していたのは確かだった。
 今回、ようやく真月さんのナイフを落としたハプニングで私はフォローする側に回れた。

「海瑠は演技は完璧だけど、周囲への気遣いまではまだまだだったのよね。それがトップスターになってから成長したのかもしれないわ」
「私、成長できてるんだ」
「真月さんや美鳥さんはトップスターじゃないし、ずっと前からできてたことなんだからね。これからも男役トップスターとしてしっかりしないとダメよ」

 長く女役トップスターをやっている百合の言葉は重く私の中に響いた。これからは他のひとの演技もよく見ていつでもフォローに入れるような男役トップスターにならなければいけない。
 そう決意した秋の日だった。
 海香の家からマンションに戻ると、奏歌くんが紅茶を淹れてくれる。秋も深まって温かな紅茶が美味しい季節になっていた。

「今日は奏歌くん退屈じゃなかった?」

 私と百合と海香で思い出話で盛り上がってしまったのだが、奏歌くんを置いてきぼりにしていなかっただろうか。心配になって問いかける私に、カップの中の紅茶を一口飲んで、奏歌くんが笑顔になる。

「海瑠さんの過去を知ることができて良かった」
「私の過去……恥ずかしいことばかりだった気がするけど」
「周囲のことが見られなかった海瑠さんが変わって行けたんだって聞いてたら、すごいなって思ったよ」

 どこまでも奏歌くんは優しい。
 奏歌くんは奏歌くんで考えていることがあるようだった。

「僕、ずっと考えてたんだけど、百合さんはなんで父さんの操る能力が効かなかったのだろう」

 真尋さんを狙って真里さんがやってきた日、百合は真里さんに連れて来られていたが操られてはいなかった。操られないままで、真里さんに連れて来られる百合を想像するとちょっとシュールな気がしていたが、確かに言われてみれば真里さんの能力が効かなかったのは疑問だ。

「百合には何か加護がついてるとかなのかな?」

 神社の娘の沙紀ちゃんはお稲荷さんの加護が付いているので、真里さんが近寄ろうとしても追い払ってしまう力が働いていた。何度も真里さんは沙紀ちゃんに追い払われて、沙紀ちゃんはそのことに気付いてもいなかった。

「百合さんが人間じゃないとか……」
「それは、ないんじゃないかな」

 奏歌くんが吸血鬼で、篠田家の美歌さんとやっちゃんが吸血鬼で、真里さんは吸血鬼、真尋さんも吸血鬼の血を引いている。私はワーキャットで海香もワーキャットで、宙夢さんが犬の獣人で、さくらはワーキャットで、かえでは多分犬の獣人である。沙紀ちゃんは狐の獣人でお稲荷さんの加護がある。
 人外がこんなに集まっている状況がおかしいのであって、そもそも人外というのは人間の中で隠れて暮らしている。こんなに簡単に人外がごろごろ出てくる環境があるわけない。
 これで百合まで人外だったらあまりにも人外が多すぎる。

「それだけはないと思うわ」

 百合から人外らしき気配は感じないと断言する私に、奏歌くんは「そうかなぁ?」と首を傾げていた。
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