可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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六章 奏歌くんとの六年目

30.奏歌くん、12歳の憂鬱

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 西京漬けを焼きながらコンサートは難しい。
 最初から分かっていたので、私は今回はコンサートはおやつの時間までにして、その後は奏歌くんにDVDを見ていてもらおうと準備していた。私の部屋には私が出演した公演のDVDは全て揃っている。
 客演したのは子ども劇団の一回だけだったけれど、それもちゃんとDVDにおさめられていた。
 早朝、朝ご飯のお弁当を自転車に乗せてやってきた奏歌くんをマンションの入り口まで迎えに行って、一緒にエレベーターに乗る。自転車で私のマンションに通い出してから、奏歌くんの自転車は私の自転車と共に部屋の前に停めるスペースを空けてある。
 部屋に入った奏歌くんは手を洗って粉茶を淹れた。

「今日はかつ丼だよ」
「かつ丼!」

 食べ物に疎い私でもかつ丼くらいは知っている。とんかつを揚げた後に卵とじにしなければいけない手間のかかっている食べ物だということは、奏歌くんと出会ってから知ったのだが。
 お弁当箱を開けるとまだほんのりと温かいご飯と卵とじにされたとんかつが入っている。粉茶を飲みながら豪華な朝ご飯をいただいた。

「海瑠さんと出会ってから、僕、毎年二回ずつお誕生日を祝ってもらえてすごく贅沢だな」
「これは奏歌くんのお誕生日プレゼントだもの」

 奏歌くんには祝われる権利があると言うとにこにこと嬉しそうに微笑んでいる。
 お昼ご飯のお惣菜は冷蔵庫に入れて、私は奏歌くんを鳥籠のソファに座らせてリクエストを聞くことにした。

「まずは、チャールストンステップのダンス!」

 高級ホテルを題材にした演目のダンスと歌がリクエストされた。歌って踊るのに一人だけでは寂しいので奏歌くんの手を取ると上手にステップを踏む。

「奏歌くん、上手!」
「DVD何度も見て練習したんだ!」

 続いてのリクエストはトーキー映画を主題とした演目の悪声の女優の歌と踊りだった。わざと音を外して酷い声で歌い上げるのに奏歌くんがきゃっきゃと手を叩いて笑って喜んでくれる。

「次はね、源氏物語の頭中将と六条御息所の役変わり!」

 本当にたくさんのリクエストを考えて来ているようで、奏歌くんは次々と私に注文して来た。過去に演じた作品は自分の役でないものまで全部台詞と歌とダンスを覚えている。何を言われても応える私に、奏歌くんは拍手喝さいをしてくれた。

「すごい! 海瑠さんなんでもできちゃうんだね!」
「男役も女役もこなせるトップスターですから!」

 輝くハニーブラウンの視線が心地よい。奏歌くんをもっと夢中にさせたいと私は張り切って歌った。
 昼ご飯を挟んで、コンサートは第二部に入る。
 また奏歌くんがオペラ座の怪人をリクエストしたり、吸血鬼の役をリクエストしたり、男装の美女の役をリクエストしたりするけれど、どれも私はきっちりとこなすことができた。
 最終的には奏歌くんも加わって一緒に歌って踊っていた。
 息を切らして笑っている奏歌くんに、おやつの時間だと告げて、冷蔵庫から笊を持って来る。
 今日のために買っておいた笊レアチーズケーキだ。

「お豆腐?」
「ううん、食べてみて?」

 スプーンで掬って二人分に分けると、笊豆腐そっくりな白い塊の中からベリーのソースが溢れ出て、レアチーズケーキらしくなる。食べると口の中で蕩けて消えてしまう。

「お豆腐じゃない! レアチーズケーキだ!」
「私も、自分の好きなものを奏歌くんに食べさせることにしたの」
「とっても美味しいよ!」

 チーズの好きな私はレアチーズケーキも大好きだった。手作りしても良かったのだが、そこまでは手が回らないだろうと百合に有名店を聞いて買っておいて良かった。奏歌くんの紅茶と一緒におやつを楽しんで、その後で奏歌くんにはDVDを選んでもらって、ソファで見ていてもらう。
 私はキッチンに行って、準備を始めた。お米はといで炊飯器にセットする。フリーズドライのお味噌汁も袋から取り出して器に入れて準備しておく。冷凍庫のほうれん草は解凍して鰹節と白だしをかけてお皿に盛って冷蔵庫に入れた。
 ここからが本番だ。
 ビニールのパックの中の西京漬けを取り出す。
 習った通りにキッチンペーパーで味噌を丁寧に拭い落とす。魚焼きグリルを開けて、西京漬けを置いて、上にアルミホイルをかけて、中火でじっくりと焼く。
 焦げないように見張るのも大事な役目だった。
 失敗しないように、焦げないように何度も見ていた私は、全く気付いていなかった。
 西京漬けが焼き上がったのが、ご飯が炊けてすぐで、まだ夕方の晩ご飯には早い時間だったなんて。
 完全な私のミスだった。
 焼き上がった西京漬けを前に立ち尽くす私に、奏歌くんがキッチンを覗く。

「ごめんなさい……張り切りすぎて、五時にもなってないのに、西京漬けが焼けちゃった」

 焼き加減は最高にできたのに、焼く時間が早すぎたなんて、何と言う大失態。
 落ち込む私に奏歌くんが壁にかけてある時計を見る。

「もうすぐ五時だから、早ご飯にすればいいよ! 西京漬け焼いてくれたんだ。温かいうちに食べた方が美味しいもんね」

 私を攻めたりせずに奏歌くんは炊飯器からご飯をよそって、晩ご飯の準備をしてくれた。二人で食べる早すぎる晩ご飯。西京漬けは完璧に焼き上がっていて、ご飯も炊き立てで、フリーズドライのお味噌汁も温かくて、ほうれん草のお浸しも全部美味しかったけれど、ちょっとだけ失敗してしまったことに私は落ち込んでいた。

「僕は焦がしそうになったけど、海瑠さんは焦がさずに焼けたんだね」
「やっちゃんが、アルミホイルを被せると良いよって教えてくれて……」
「そうか! アルミホイルを被せたら良いんだ!」

 落ち込んでいた気持ちも、奏歌くんと話していると少しずつマシになってくるから不思議だ。

「こんな時間の晩御飯食べちゃったら、夜にお腹が空くかもしれないね」
「お菓子食べちゃお! 良いでしょ、僕の誕生日のコンサートなんだし」

 夜にお腹が空いたら奏歌くんと一緒にお菓子を食べればいい。
 そう言われると私も落ち込みが治って来る。

「食べ終わったらスーパーまでお散歩に行こうか?」
「うん、お菓子いっぱい買っちゃおう!」

 二人で話して、悪巧みをしているような気分になって、私と奏歌くんは笑い合った。
 晩ご飯の後もまだ外は明るくて、二人でスーパーまで歩いて行って、お菓子を籠いっぱい買った。

「全部食べられなくても、海瑠さんの部屋に置いておけば、また来たときに食べられるでしょう?」
「うん、そうだね。いつでも来て食べて良いからね」

 ビスケットにチョコレート、ポテトチップスにお煎餅、キャラメルにグミとたくさん買って、エコバッグに詰めて帰る。帰ったらお風呂の用意をして奏歌くんと順番にお風呂に入った。
 湯上りに髪を乾かして、奏歌くんの髪も乾かして、ソファでゆったりと寛ぐ。
 奏歌くんの膝の上に猫の姿になって頭を乗せて、撫でてもらってうっとりと目を閉じる。

「夏休みには泊まりに来る?」
「母さんが良いって言ったら来るよ」

 返事をした奏歌くんの手が止まる。目を開けて奏歌くんを見上げると、ちょっと眉を下げていた。

「中学になったら、こんなに頻繁には来られなくなるかもしれない」

 中学になると学校の時間が長くなるので、マンションで待っていてくれることもなくなるかもしれないと聞くと寂しくなってしまう。

「テスト期間中は帰りが早くなるけど、勉強しなきゃいけないから行っちゃダメって母さん言うだろうな」
「遊びに来れるのは、休日だけ?」
「うん、多分平日は難しくなると思う」

 今はまだ小学六年生の奏歌くん。
 こんな風にして二人で過ごせる時間も、後一年も経てば減ってしまうというのはちょっとショックだった。

「夏休みとか、長期休みは泊まりに来れると思うよ」
「本当?」
「三年生になると母さんがダメって言うかもしれないけど」

 三年生?
 中学三年生は何かあるのだろうか。
 よく分かっていない私に奏歌くんが説明してくれる。

「中学三年生になると、高校に入学するための受験勉強が始まるんだ」

 高校に入るためには受験勉強をしなければいけない。
 中学を卒業したら演劇の専門学校の試験を受けた私は高校には行っていない。受験とは演劇の専門学校に入るときに受けた試験のようなものだろうか。

「覚えてないもんなぁ」

 その頃の記憶は朧気で私はあまり覚えていない。
 試験会場に行くのも、帰るのも、全部百合に付いて行った記憶しかない。
 今も百合には女役トップスターとして引っ張って行ってもらっているから、私の人生はずっとこんな感じなのかもしれない。

「できるだけ海瑠さんに会えるようにはしたいけど……中学になるの、憂鬱だなぁ」

 呟く奏歌くんに、私は戸惑ってしまう。
 奏歌くんは大人になりたくて自分の成長を喜んでいるイメージしかなかったのだが、中学も近くなると受験勉強のことを考えたり複雑なようだ。

「高校を卒業したら、ずっと一緒にいられるようになるんでしょう?」
「うん、そのためにも、中学と高校時代は試練かもしれないね」

 その試練に打ち勝つためにも、小学校最後の年は私とたっぷり一緒に過ごしたいという奏歌くんに、私も同感だった。
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