可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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五章 奏歌くんとの五年目

29.奏歌くんの11歳の誕生日

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 全国ツアーの準備に舞台稽古に、忙しくはあったが奏歌くんのお誕生日を外すわけにはいかない。稽古期間中なので休みを申請すれば、休暇を取ることができた。
 当日は平日で奏歌くんは小学校に行っているので帰る時間までに私は奏歌くんのお誕生日お祝いの準備をしておく。今年もお誕生日お祝いは「奏歌くんのためのコンサートチケット」だった。
 万年筆を取り出してチケットくらいの大きさに切った紙に、まず「奏歌くんのためのコンサート」と書いてチケットを作る。作ったチケットにカッターで丁寧に切れ目を入れる。ちゃんと切れるようにしておくのだが、これは演出上の問題で、奏歌くんが千切ることを好まなければそのままにしておくつもりだった。
 便箋には奏歌くんへのお手紙を書く。10歳の一年間も私と過ごしてくれて嬉しかったこと、たくさん公演のたびにお手紙をくれて返事を書きたかったこと、奏歌くんの存在に支えられていること。
 先日、茉優ちゃんの件で海香と美歌さんとやっちゃんと話し合いをしたが、茉優ちゃんが引き取られるときにも同じような話し合いをしたはずなのに、私はそこに参加していなかった。それは海香が私がそういう話に加われるようなタイプではないと判断したからだろう。
 しかし、先日の茉優ちゃんの件での話し合いに私は参加することができた。私の意見が何か役に立ったかはともかく、私は海香の中で大人だと認識されたのだ。
 もう29歳になるのだからというのもあるが、やはり茉優ちゃんが引き取られた年と比べて私は成長している。その成長は全て奏歌くんのおかげだという自覚があった。奏歌くんがいたからこそ、年の離れた私をいつまでも子ども扱いする海香が大人として扱ってくれるようになった。
 両親が亡くなってから海香は私の保護者のようにずっと私を支え続けて来てくれた。海香には宙夢さんというパートナーができて、私には奏歌くんという大事なひとができて、ようやく対等になれたのかもしれない。
 奏歌くんのためのコンサートではそのお礼も兼ねてリクエストされた曲を全部歌って踊るつもりだった。
 奏歌くんのお誕生日のために私はもう一つ準備をしておかねばならなかった。
 奏歌くんは毎年私のお誕生日にはスペシャルディナーを作ってくれる。私も奏歌くんのためにスペシャルディナーを作りたい。

「というわけで、やっちゃん、よろしくね」

 誕生日の前にもやっちゃんが休みの日に合わせて休みを取って押しかけると、やっちゃんは呆れ顔で迎えてくれた。茉優ちゃんを部屋に呼んでくれるのは、やっちゃんなりの気遣いなのだと分かる。

「みっちゃんが作れる簡単な料理、なぁ」

 困った様子で言われても、私はやる気満々だった。
 奏歌くんが作れるスペシャルディナーを毎回考えているやっちゃんだ。私が作れるスペシャルディナーもあるはずだ。

「炊き込みご飯とか、どうだ?」
「炊き込みご飯! お惣菜で食べたことがある!」

 炊き込みご飯と豚汁と魚の缶詰。魚を焼くのは、生焼けだったり、焦げたりする可能性があるので、やっちゃんは避けて美味しい缶詰を買って来ることで妥協するように言ってくれた。

「炊き込みご飯って、どうやって作るの?」
「炊飯器に材料を入れるんだよ。みっちゃんにも出来そうな炊き込みご飯……そうだ、トウモロコシはどうだ?」
「トウモロコシご飯!?」

 それは食べたことがない。
 炊き込みご飯といえば、鶏肉や人参やキノコが入っていて茶色いイメージしかないのだが、トウモロコシといえば黄色である。
 まずはスーパーに買い物に行く。茉優ちゃんもついて来てくれた。
 籠の中にやっちゃんは生のトウモロコシを入れていた。生のトウモロコシが外側の緑の葉っぱに包まれているのを私は初めて見たかもしれない。
 他にも細々と買って帰って来ると、やっちゃんはトウモロコシの皮を剥く。それから私に包丁を握らせた。

「芯のギリギリで実を切り落とすんだ」
「ふぇ!?」

 そんな難しいことができるのだろうか。輪切りにしたトウモロコシを立てて芯のギリギリで実を切り落とす。残った芯も一緒にばらしたトウモロコシと炊飯器に入れてバターとお塩を加えて炊き込みご飯のボタンを押した。
 続いて豚汁だが、いりこのお出汁に切ったお野菜を入れていく。ピーラーで人参の皮を剥いたり、大根の皮を剥いたり、包丁の背でゴボウの表面をそぎ落としたりするのは難しかったけれど、なんとか頑張った。
 豚肉とお野菜を煮込んで、火が通ったところで味噌で味付けをする。
 炊飯器のトウモロコシご飯が炊けたら出来上がりだ。炊飯器からはバターとトウモロコシのいい香りが立ち上っている。
 出来上がった豚汁とトウモロコシご飯を少しだけ味見させてもらって、私は満足してやっちゃんにお礼を言って、それを持ち帰って晩ご飯にした。
 奏歌くんの誕生日当日には休みをもらっていたので、篠田家にお祝いに行く。
 インターフォンを鳴らすと美歌さんが出て来てくれた。

「奏歌はまだ帰って来てないんですよ。しばらく家で寛いでいてください」

 コーヒーを淹れてもらってソファに座って飲むが、そわそわして落ち着かない。私のマンションというテリトリーではないし、何よりも奏歌くんがいない。奏歌くんがいればどんな場所でも落ち着くのだが、奏歌くんがいないと私は慣れた篠田家でも少し緊張してしまうようだった。

「ただいまー! 海瑠さん、もう来てたんだ」

 玄関から駆け込んでくる奏歌くんの気配に、私はソファから立ち上がった。思わず駆け寄ってぎゅっとハグしてしまってから、はっとして離れる。

「ごめんね、五年生になったのに」
「う、ううん、嬉しいよ……ちょっと恥ずかしいけど」

 奏歌くんは恥ずかしがってはいるが私のハグをまだ受け入れてくれる。
 キッチンに立つ美歌さんが、奏歌くんに手を洗って来なさいと言っていた。ランドセルも降ろしていない、手も洗っていない奏歌くんについ私は飛び付いてしまったのだ。

「今日は誕生日で晩ご飯の後にケーキがあるから、おやつはないんだよ」
「そっか」
「紅茶だけ一緒に飲もう」

 マグカップに紅茶のティーバッグを入れた奏歌くんが私の隣に座る。ティーバッグのお茶が出るまで三分間、しっかりと待ってから、奏歌くんはティーバッグを外してマグカップにミルクを注いだ。

「海瑠さん、コーヒーにミルクが入ってないよ?」
「あ、本当だ」

 奏歌くんに言われるまで気付きもしなかった。それだけ私はそわそわして上の空だったのだろう。隣りに座った奏歌くんが私のコーヒーにもミルクを入れてくれる。
 コーヒーをゆっくり味わうことができるようになった私の隣りでは、奏歌くんが小学校の宿題をしていた。プリントやドリルを広げて丁寧に解いて見直しをする。
 二人でいると奏歌くんが宿題をしていても私は穏やかな気分でそれを見ていることができた。
 晩ご飯の時間が近くなって茉優ちゃんが帰ってくる。白い夏用のセーラー服に中学校の鞄を背負って、茉優ちゃんは額に汗をかいていた。

「ただいま、美歌お母さん、奏歌くん、海瑠さん! 美歌お母さん、汗だくになっちゃったから、先にシャワー浴びて良い?」
「良いわよ。奏歌もご飯の前にシャワー浴びる?」
「僕はいい。海瑠さんが帰ってから浴びる!」

 荷物を部屋に置いて着替えを持ってバスルームに向かう茉優ちゃん。奏歌くんはシャワーを浴びることよりも私と一緒にいることを選んでくれた。
 宿題を終えた奏歌くんはキッチンで美歌さんの手伝いをする。料理がテーブルに運ばれて、茉優ちゃんが髪を乾かしてバスルームから出てくる頃には、やっちゃんも合流していた。
 全員で晩ご飯を食べる。
 晩ご飯の後には、奏歌くんの前にチーズケーキが置かれた。

「チーズケーキ!」
「海瑠さん、好きでしょう?」

 奏歌くんの誕生日なのに、奏歌くんは私の好きなケーキを選んでくれていた。
 ハッピーバースデーの歌を歌って、奏歌くんが蝋燭を吹き消す。
 その日、奏歌くんは11歳になった。
 私は誕生日お祝いに「奏歌くんのためのコンサートチケット」とお手紙を贈って、来るべき奏歌くんのためのコンサートの日にはスペシャルディナーを作るべく気合を入れるのだった。
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