可愛いあの子は男前

秋月真鳥

文字の大きさ
上 下
137 / 394
五章 奏歌くんとの五年目

13.真里さんと運命

しおりを挟む
 尾行されていた。
 それに気付いたのはさくらを保育園にお迎えに行って、美歌さんの車まで抱っこして連れて行っている途中だった。
 茉優ちゃんの誕生日も終わって季節は冬の兆しを見せ始めている。保育園にさくらをお迎えに行って欲しいと海香から連絡があったのは、早めに稽古が終わって私が篠田家にお邪魔して奏歌くんを迎えに来ているときだった。ちょうど美歌さんの仕事も終わって帰って来たので、美歌さんが保育園に寄って、奏歌くんと私をマンションまで送ってくれると車を出してくれたのだ。
 奏歌くんと私と美歌さんと三人でのお迎えになったけれど、さくらは美歌さんの顔を見ると笑顔で床にお腹を付けたままで手足を動かしてずりばいをしようとして、なぜか後ろに進んで美歌さんの元に到達できずにいた。

「奏歌もあれやってたわ。この時期の子はみんなやるのね」

 美歌さんの方に行きたい気持ちと、ずりばいをしても近付かないもどかしさに泣きだしたさくらを美歌さんが抱き上げる。オムツ交換台に連れて行かれて、布オムツから紙オムツに替えられたさくらは、美歌さんに両手を広げて抱っこを求めている。
 美歌さんは外がかなり寒くなっているので海香のお気に入りの白菜のおくるみでさくらを包んで抱っこした。その間に奏歌くんが汚れ物を纏めて美歌さんの鞄に入れる。

「ご機嫌で離乳食もよく食べていましたよ」
「ありがとうございました」

 担任の先生に挨拶をして保育園の門から出たまでは良かったのだ。
 そこに立っていたのは真里さんだった。

「嘘でしょ。まさか、その子が運命わけ?」

 指を差して嘲笑う真里さんに、さくらが異変を感じて「うー!」と唸る。ここで泣きださないあたり、強いワーキャットだ。

「そんな赤ん坊を本気で育てるつもり? しかも、女の子でしょう? 知ってる、女の子との間には子どもはできないんだよ?」

 完全に馬鹿にした口調の真里さんに美歌さんが冷ややかに告げる。

「女性が好きで何が悪いの?」
「嘘。美歌さん、そういう趣味だったんだ」
「あなたこそ、安彦が好きなくせに!」

 大事に守られているさくらだが、真里さんが本気を出せばひとを操る能力で操られてしまうかもしれない。生後七か月程度の赤ん坊を操ったところで何か問題があるのかと考えて、私は重大な問題に気付いてしまった。

「奏歌くん、さくらを守って!」

 さくらは奏歌くんの暗示の能力で人間の姿を保っているが、それが解けてしまえば猫の姿になってしまうかもしれない。保育園の近くで保育園の保護者もいる中で、猫の姿を見せてしまったら全員の記憶を操らなければいけなくなる。
 それが分かっているのか、真里さんはにやにやとしている。

「僕に対する篠田家の出入り禁止と、今までの暴言を撤回して欲しいな。僕は美歌さんと仲良くしたいんだよ。奏歌とも」

 猫にならないようにかけた暗示の能力が解かれれば、大惨事になるのを真里さんは勘付いている。こんな小さな赤ん坊が猫になる能力を制御できるはずがないのだから。
 警戒していると、奏歌くんが美歌さんと真里さんの間に入った。

「僕だって、父さんと同じことができるんだよ?」
「奏歌、可愛い息子と争いたくない」
「父さんの可愛いは、嘘だ! 本当に可愛いなら、僕の幸せを願ってくれるはずでしょう? 父さんは小さい頃から、自分の都合のいいときだけ僕に構って、それ以外では僕を放置してた」

 真里さんのことをよく知らない時期に写真撮影をしたが、写真が取れると真里さんは奏歌くんのことを忘れたかのようにさっさと消えてしまった。いつもそうだと奏歌くんがため息を吐いていたのを覚えている。

「奏歌、どきなさい。もう一度海瑠さんのことを忘れたくないだろう?」
「僕が可愛いんだったら、そんな脅し文句は絶対に言わない! 父さんなんて信じない!」

 言い争う声に、誰かが近付いてくる。

「どうされたんですか?」

 スーツ姿の男性に真里さんが顔を向けた。

「甘い匂い……」

 え!?
 真里さんの口から漏れた言葉に私は息を飲む。
 真里さんも運命のひとに出会ったのだろうか。

「待って。僕は……あっ!」

 スーツの男性に近寄ろうとした真里さんに、素早く美歌さんが足払いを入れる。倒れた真里さんを助け起こそうとするスーツの男性を、近くにいた保育園の保護者らしきおばさんが止めた。

「このひと、さくらちゃんを誘拐しようとしてたわ。通報しといたから!」

 美歌さんと奏歌くんと真里さんの言い争いが、保育園の保護者のおばさんにはそう聞こえたようだ。立ち上がって縋ろうとする真里さんを、スーツの男性は取り押さえる。

「警察が来るまで、俺が確保しておきます。さくらちゃんたちは、安全な場所に」

 このスーツの男性も保育園の保護者だった。
 無事に警察がやって来て、真里さんを連れて行こうとするが、その警察の男性はスーツ姿の男性にそっくりだった。

「兄さん、うちの保育園に出た不審者だ。よろしく」
「あぁ……こんなに可愛い顔してるのに、不審者だなんて」

 スーツ姿の男性と警察官の男性は兄弟のようだ。

「こっちも甘い香り……どういうこと?」

 困惑した表情のままで真里さんは運命のひとだからなのか抵抗できずに警察官に連れて行かれてしまった。
 安堵で力が抜けた奏歌くんが私に縋り付いてくる。

「海瑠さん、うちの父さんがごめんね」
「ううん、奏歌くん、さくらと美歌さんを守って格好良かったよ」

 抱き締めると奏歌くんが私の背中に手を回す。

「嫌なこといっぱい言っちゃった……」
「奏歌くんにとっては父親だもんね」
「でも、絶対にさくらちゃんを守らなきゃいけなかったから」

 すんっと洟を啜る奏歌くんに私の肩が濡れるのが分かる。泣くくらいにつらくて悲しかったのに奏歌くんは私たちを守ってくれた。その勇気に私は惚れ直してしまった。

「それにしても真里さんの運命のひと……」
「どっちだったんでしょうね」

 スーツ姿の保育園保護者の男性か、警察官の男性か。兄弟だったら血が近いので匂いが似ているということもあるだろう。
 どちらにせよ、真里さんの運命のひとは見付かって、真里さんの興味はそちらに行くに違いない。スーツ姿の男性は既婚者のようだし真里さんになびくことはないだろうが、警察官の男性はどうなのだろう。

「ちょっと、おかしいわ」

 駐車場まで辿り着いてベビーシートにさくらを乗せながら美歌さんが笑っている。

「私とさくらちゃんは女性同士で子どもができないって言ってたあのひとの運命が、男性なんて」

 恐らくはやっちゃんに執着していたように真里さんも本当は男性の方が好きなタイプなのだろう。それを誤魔化して美歌さんに手を出したり、奏歌くんという息子がいることを誇ったりしていたが、運命ははっきりと真里さんの嗜好を見抜いていたということだ。

「うー……」

 それにしても、真里さんがスーツ姿の男性に近寄ろうとしたときに転んだり、通報されたりしたのは、ベビーシートで可愛く声を出しているさくらのせいかもしれないと思ってしまう。

「さくらちゃんには、バステト様のご加護があるんじゃない?」
「奏歌くんもそう思う?」

 お稲荷さんも元はインドの神様だというから、本性が猫のさくらにエジプトの猫の神様であるバステト様のご加護があってもおかしくはない。さくらが美歌さんを守るためにそのご加護を発揮したのだとしたら、まだ七か月なのに末恐ろしい。

「周囲から見たら、おかしかったでしょうね」

 まだくすくすと笑っている美歌さんに私はさくらを抱いて真里さんと対峙していた美歌さんと、そこに割って入る奏歌くんの姿を思い浮かべる。可愛い白菜のおくるみに包まれた七か月の赤ん坊に真剣に立ち向かおうとしている百歳を超えた吸血鬼の真里さん。
 言われてみればその光景は非常にシュールだった。
 涙を拭いた奏歌くんもくすくすと笑いだす。

「父さん、恥ずかしくてもう僕たちの前に顔を出せないんじゃない?」
「そうじゃなくても、自分の運命のひとを追いかけるのに夢中になってるかもしれないわ」

 とりあえずは、真里さんの件はこれで落着したようだった。
 問題はまだあるのだが。

「安彦に、まだ言えてないのよね」

 美歌さんがぽつりと呟く。
 私と奏歌くんの間をなかなか認められなくて、茉優ちゃんが運命のひとだということも受け入れられなかったやっちゃんは、さくらが美歌さんの運命のひとだと知ったら卒倒してしまうのではないだろうか。
 今は生まれたばかりの赤ちゃんに興味がある奏歌くんと、育児経験のある美歌さんがさくらの面倒をみるために海香と宙夢さんを手伝っていると思っているようだが、真実を知らされたらやっちゃんは一体どうなってしまうのか。
 興味があるような、やっちゃんの心臓が心配なような、私は複雑な心境だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

王太子さま、側室さまがご懐妊です

家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。 愛する彼女を妃としたい王太子。 本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。 そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。 あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

処理中です...