可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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五章 奏歌くんとの五年目

6.フランス到着

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 飛行機の座席に座ってやっちゃんが震えている。

「ここ、ファーストクラスだろ? 席広い……一体いくらかけてるんだ?」
「安彦さん、怖くなくなった?」
「いや、こ、怖い……」

 ファーストクラスの値段を気にしたり、席の広さに驚いたり、飛行機を怖がったり、やっちゃんは忙しい。離陸するまでは携帯電話の電源を切って、奏歌くんもやっちゃんから借りているタブレット端末の電源を切って、座席を立ててシートベルトを締めた。
 ファーストクラスだからなのか席は少なく、全部の席に劇団員が座っていた。見慣れた顔ばかりなので私も緊張はしない。

「耳が痛くなるかもしれないけど、唾をのみ込んだら治ることがあるよ」
「うん、耳が痛くなったら唾か飲み物を飲んでみる」
「海瑠さん、お隣りの席だからたくさん話ができるね」

 前の席で震えているやっちゃんと対照的に奏歌くんはリラックスして可愛い笑顔を見せてくれていた。その笑顔に私も和む。飛び立つ瞬間には押しつぶされるような感覚があったけれど、飛行機が上空に来て安定して飛び始めると、シートベルトを外して良くなった。
 席にいる間は何が起きるか分からないのでシートベルトは付けているつもりだが、奏歌くんはさっと手を上げてキャビンアテンダントさんを呼んで、毛布を貰ってくれた。

「ちょっと冷房が寒いときはかければいいし、寝るときもかけて寝たらいいよ」

 なんて頼りになるんだろう。
 感動していると、奏歌くんを見習って茉優ちゃんもやっちゃんのために毛布を貰っていた。
 奏歌くんが携帯電話とタブレット端末をWi-Fiに繋いでくれる。

「衛星からのWi-Fiなんだ。飛行機でも使えるってすごいよね」

 イヤホンをタブレット端末に取り付けて、二人で片方ずつ耳に入れて動画を見たりしていると、キャビンアテンダントさんから声をかけられた。

「機内食はお肉とお魚とベジタリアン仕様とありますが、どれにしますか?」

 奏歌くんと顔を見合わせて話し合う。

「海瑠さんと別々のにしよう。半分ずつにすればいいよ」
「うん、分かった」
「お肉とお魚を一つずつ」

 頼むと飲み物も聞かれて、コーヒーと紅茶とスープがあったのでスープを頼んでみた。
 紙コップに入った温かいスープと紙のケースに入っている機内食。お弁当のようだが、オードブルとメインディッシュとデザートがあって、なかなか豪華だ。
 オードブルとデザートは同じで、メインディッシュがお肉かお魚かの違いだった。

「これはお野菜のゼリー寄せみたいだね。こっちは海老を素揚げにしたのかな。これはカレー風味のピラフっぽい」
「ピラフがオードブルなの?」
「海外ではお米はお野菜として扱われることがあるんだ」

 奏歌くんの説明を聞いていると、何を食べているか分かるので安心して食べることができる。お肉のソテーとお魚のソテーは半分に切って奏歌くんと分けた。デザートはベリーソースの乗ったチーズケーキだった。

「凄く美味しかった」
「海瑠さんはお酒は飲むの?」
「ううん、特に飲まないけど」

 奏歌くんが前の座席の背もたれのポケットから出したのは飲み物のメニュー表だった。ワインや紅茶やコーヒーやスープは、頼めば何回でも持ってきてくれるらしい。
 ペットボトルの水は持ち込んでいたが、それだけで十三時間を耐えられるかは分からなかったので、飲み物がもらえるという情報は有難かった。

「安彦さん、少しでも食べた方が良いわ」
「ありがとう、茉優ちゃん」

 前の席では茉優ちゃんがやっちゃんに細々と世話を焼いているようだ。どちらが保護者か分からないが、茉優ちゃんが来てくれて本当に良かった。機内食も食べ終わってお腹がいっぱいになると奏歌くんは眠くなったようだ。
 欠伸をして、お手洗いに歯を磨きに行った。奏歌くんが戻ってくると私もお手洗いに歯を磨きに行く。

「昨日、ワクワクしてあまり眠れなかったんだ」

 可愛い告白に私は笑み崩れてしまった。

「私とのフランス行きが楽しみだったの?」
「父さんと海外に行くのは放っておかれてつまらなかったけど、海瑠さんと一緒で、しかも海瑠さんのパリ公演を見られると思ったら、すごく楽しみで」

 フランスに付いて行って良いという美歌さんの許可がなければ奏歌くんはパリ公演を見ることもなかった。日本のファンの方でフランスまで来てくださる方がいるのかどうか分からないけれど、特に映画館でのライブビューイングの配信もないので、ほとんどの日本のファンの方がフランス公演は見られないで終わるのだろう。
 そんな中で奏歌くんはフランス公演を見られる。それが嬉しかったようだ。
 座席を倒して毛布を被る奏歌くんに私も座席を倒す。

「奏歌くん、先に血を吸っておいた方が良いかもしれない」
「あ、そうだね」

 寝そうになっていた奏歌くんに手首を差し出してこっそりと血を吸ってもらって、奏歌くんと私で眠りについた。先に血を吸っていれば起きたときに蝙蝠の姿ということもないだろう。
 他の劇団員は起きているようだが私は奏歌くんと生活リズムを合わせることにしたのだった。
 目が覚めてもまだまだ飛行機の旅は続く。
 やっちゃんはアイマスクに耳栓をして毛布を被ってなんとかしのいでいるようだった。

「茉優ちゃん、眠れた?」
「はい、私は寝ました。安彦さんは……」

 魘されているのか、怖がっているのか、アイマスクと耳栓でやっちゃんが起きているのかどうかも分からない。
 行きがこうなのだから、帰りもきっと大変だろう。
 やっちゃんのことを心配していたら、奏歌くんがタブレット端末のメディア欄を開いていた。そこにはびっしりと奏歌くんや茉優ちゃんの写真や動画がある。

「え!? 見たい!」
「ダメ! 本物の僕がいるんだから、僕に集中して!」
「えぇー」

 やっちゃんのタブレット端末のメディア欄を見られるなんてことが今後あるとも限らないのに、奏歌くんはビシッと断ってメディア欄を閉じてしまった。あそこにどれだけのお宝映像があったのだろう。
 奏歌くんと二人で赤ちゃんのお世話の仕方の動画を見ながらも、私の気持ちはすっかりとやっちゃんのタブレット端末の奏歌くんのお宝映像を見るためにはどうすればいいかということばかりになっていた。
 集中していないことに気付いたのか奏歌くんが丸い頬をぷっくりと膨らませている。
 機嫌を損ねてしまったかもしれない。
 こういうときに歌ったり踊ったりすれば奏歌くんは機嫌を直してくれるのだが、私は今飛行機の中で周囲には眠っているひともいる。
 無力さに打ちひしがれる私にキャビンアテンダントさんが聞いてきた。

「軽食はいかがなさいますか?」

 サンドイッチとホットドッグとベジタリアン仕様の食事の三つのうちから選べるようなのだが、奏歌くんと相談する。

「サンドイッチとホットドッグは辛子が入ってますか?」
「ホットドッグはマスタードが入っております」
「僕、辛子は苦手だからなぁ」
「それじゃ、サンドイッチにしようよ。サンドイッチでお願いします」

 運ばれてきたサンドイッチは軽くお腹を満たすにはちょうどいい量だった。ハムとチーズのサンドイッチ、キュウリとチーズのサンドイッチ、薄いハンバーグのようなパテの入ったサンドイッチを紅茶と一緒にいただく。
 前の席のやっちゃんも茉優ちゃんに起こされて軽食を食べていた。

「ミルクの入ってない紅茶……初めて」
「今日くらい良いと思うよ」

 奏歌くんは初めてのミルクの入っていない紅茶を興味津々で飲んでいた。
 飛行機の移動も乗ってみたらあっという間で、フランスに着陸するためにシートベルトを付けて座席を起こす。
 降り立ったフランスでは入国審査があって、荷物は先にホテルに送られるということだった。
 手荷物だけで列車に乗って、空港からパリのホテルまで移動する。

「篠田さんとお子さんたちはこちらのコテージです」

 やっちゃんと茉優ちゃんと奏歌くんは津島さんにホテル近くのコテージを教えられてそちらに行くようだった。

「海瑠ちゃんの荷物もあっちに送ってるから」

 そっと教えられて、私は安堵する。
 一応、名目として私のホテルの部屋はとってあるが、やっちゃんたちとコテージで過ごして良いようだ。
 ホテルで一休みする暇もなく有名オペラ座に連れて行かれて挨拶をしなければいけない私たち。
 慌ただしくフランス公演が近付いてきていた。
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