可愛いあの子は男前

秋月真鳥

文字の大きさ
上 下
126 / 394
五章 奏歌くんとの五年目

2.パリ公演の準備期間

しおりを挟む
 パリの伝統あるオペラ座との交渉が結ばれて、九月のシルバーウィークと呼ばれる連休のある週を入れた二週間、私たちの劇団はフランス公演が決まった。演目は既に稽古も終盤に入ってきて通し稽古をしているし、フランス行きの気合は十分だった。
 やっちゃんも稽古から記事を書くために劇団の稽古場に来ている。
 やっちゃんが来ているということは奏歌くんも見学に来ているということで、私はますます気合が入っていた。
 源氏物語とはとにかく女性関係と不倫の物語なので10歳の奏歌くんに見せるのに適当なのかは分からないが、奏歌くんは稽古場の端にパイプ椅子を置いてそこにちょこんと座って稽古の様子を見つめている。
 ハニーブラウンの目がきらきらと輝きながら私を映しているのを見ると、ますます私は光源氏の美しい正妻、葵上と、かっこいい同僚、頭中将をやり遂げなければと思う。

「女性だけの劇団がパリの伝統的なオペラ座での公演で認められるのか。そこに注目が集まっている」
「やっちゃ……篠田さんの記事ですか?」
「うん、こう書かれると、やるしかないって思うよね!」

 記事の草稿をチェックしている華村先輩に声をかけると、華村先輩も気合十分だった。
 奏歌くんがときどきやっちゃんに連れられて稽古場を見学することに関して、劇団員は特に気にしていない。それどころか、奏歌くんが可愛いと言ってお菓子を上げようとしたりする劇団員もいる。
 今日は茉優ちゃんも一緒で、フランスに行く事務手続きにもやっちゃんは来ているようだった。
 茉優ちゃんはやっちゃんの傍から離れずに、奏歌くんのように稽古を見ていたりしない。演劇はそれほど興味がないのかもしれないし、知らないひとがたくさんのこの場所が怖いのかもしれない。
 奏歌くんを呼んで、茉優ちゃんと二人、マネージャーの津島さんにやっちゃんが挨拶をしている。

「甥の奏歌はご存じかと思いますが、こっちが姉が引き取っている夜宮茉優です」
「二人とも一緒にフランスに行くんですね」
「姉が夜勤の多い仕事なので、家を空けて、小学生二人では心配なので」

 事情を津島さんは知っているが、一応やっちゃんが説明してもう一度確認する。保護者の出張に付いて行くのは、子どもにとっては仕方のないこと。特に奏歌くんや茉優ちゃんのような本当の保護者である美歌さんが看護師という夜勤のある仕事で丸一日以上家を空けることもあって、それをやっちゃんがサポートしていたのならば、やっちゃんが長期の出張になるとなれば、ついて行く以外に選択肢はなかった。
 という建前で、奏歌くんは吸血鬼として私の血が必要なのを補う、茉優ちゃんはやっちゃんが吸血鬼として血が必要になったときに助けるというのが本当の目的だった。
 津島さんは普通の人間なので、その辺の説明はできないが、建前で十分に理解してくれている。

「海瑠ちゃんがご飯食べなくなったら困りますからね。二週間食べないと、公演どころじゃなくなります」
「かなくんのこと、みっちゃん……瀬川さんは可愛がってくれてますからね」

 津島さんの言葉にやっちゃんの表情が柔らかくなる。茉優ちゃんはやっちゃんのシャツの裾を摘まんでずっと後ろに立っていた。
 稽古の休憩になると奏歌くんがお弁当を取り出す。

「海瑠さん、一緒に食べよう!」
「やっちゃんと茉優ちゃんは?」
「二人で食べるみたい」

 一緒に食べても良かったのだが茉優ちゃんとやっちゃんのお邪魔はしたくない。食堂に行ってお弁当箱を広げると、百合と華村先輩が近付いてくる。

「パリ公演は奏歌くんも一緒に行くんでしょ。よろしくね」
「挨拶しながら、唐揚げを取ろうとしないでよ!」
「いいじゃない。これからの友好の証に!」

 素早く箸を伸ばしてくる百合に私はお弁当箱を抱きかかえるようにして守る。やっちゃんが作ってくれた奏歌くんとお揃いのお弁当。これは私のためのものだ。

「唐揚げはやっちゃんが作ったけど、ほうれん草のゴマあえと卵焼きは僕が作ったよ」
「ますます上げられない!」

 お弁当箱を抱きかかえていると食べられない。どうすれば百合からお弁当を守りながら食べられるのか。考えていると奏歌くんが笑顔で自分のお弁当箱を差し出していた。

「海瑠さんはいっぱい動いてるから、栄養が必要なんだ。僕の唐揚げあげるから、海瑠さんのを取らないで」

 なんて優しい男前!
 感激していると、百合がため息をついた。

「成長期のダーリンからもらうわけにはいかないわ。分かった、海瑠のを狙わないから」

 百合が諦めてくれた。
 さすが奏歌くんと私は感動する。
 私の健康を考えて、自分のお弁当を犠牲にしてまで私を守ってくれる小さな男前。四年前に比べたらかなり大きくなったのだけれど、やはり奏歌くんは華奢で小さなイメージが強い。真里さんも小柄なひとだから、似ているのだとすれば奏歌くんはそれほど大きくならないのかもしれない。私の身長を越さなくても奏歌くんは可愛いから良いのだが、奏歌くんは私が大きすぎると気にしてしまうだろうか。
 今まで胸が小さいことも、背が高いことも、男役をやる上で利点としか考えていなかった。奏歌くんを好きになってから、自分の背が高いことや胸が小さいことを奏歌くんがどう思っているか、今は何も考えていないかもしれないけれど将来大きくなったらどう思うかが気になってしまう。

「百合さんと華村さんと海瑠さんで、いつも食堂でお昼ご飯を食べてるんですか?」
「海瑠ちゃんは一人で食べたいオーラを出してるから、私たちしか近付けないのよ」
「え!? 華村先輩、私、そんなオーラ出てますか!?」

 奏歌くんの問いかけに華村先輩が答えて、私は驚きの声を上げてしまった。奏歌くんと出会う前は一人でいたい、それなのに一人は寂しいという相反する感情を持て余していたけれど、奏歌くんと出会ってから私は変わったつもりだった。
 それが華村先輩には周囲を近付けないオーラを出しているように見えるなんて。

「海瑠って、一人が好きなのに孤独が怖い寂しがり屋だからね」

 百合にまで言われてしまった。

「ダーリンと出会ってから、海瑠は変わったと思うわよ。ダーリンのおかげで前よりも近寄りがたくなくなったんじゃないかしら。私はそういうの気にしないでガンガン行くけど。空気なんて読むものじゃなくて吸うものよ」

 百合が私に対して遠慮しているところは見たことがないし、どちらかといえば図々しい方だ。華村先輩は近寄りがたい私を気にかけてわざわざ近付いてきてくれていたのか。

「華村先輩、ありがとうございます」
「そういう言葉が出るようになったのも、海瑠ちゃんの成長だよね」

 自分に気遣われているということを以前は気付くこともできなかったし、理解もできなかったであろう。それを変えてくれたのは奏歌くんの存在だった。
 いつでも奏歌くんは私の心の傍にいて、私を孤独から掬い上げてくれる。孤独ではないと分かっているからこそ、私は低い自己評価を変えることができた。

「ダーリン、これからも海瑠ちゃんのこと、よろしくね。フランスでもしっかり一緒にいてあげてね」
「華村先輩まで、私の奏歌くんをダーリンって言わないでください」

 冗談めかして言う華村先輩に私が言えば、奏歌くんは表情を引き締めていた。

「海瑠さんのことは僕に任せてください!」

 頼りになる言葉に、華村先輩と百合から「おおー!」と歓声が上がる。

「噂通りの男前だ」
「こんなに可愛いのに男前なんてすごいわ」
「6歳のときからなんですよ」

 褒められる奏歌くんが嬉しくて私も惚気てしまう。お弁当を食べながら奏歌くんは照れていたようだった。

「焼き立てのバケット、バターたっぷりのクロワッサン! プリン、エクレア、サントノレ、オペラ……フランスはご飯もお菓子も美味しいんだって」
「パリは芸術の街でもあるって書いてある……。チュイルリー公園にはマイヨールやロダンの彫刻があるし、ルーブル美術館があるし、展覧会が開かれてる……」

 稽古が終わると篠田家にお邪魔したが、奏歌くんと茉優ちゃんは仲良くフランスの観光雑誌を見ていた。奏歌くんが気になるのは食べ物で、茉優ちゃんが気になるのは芸術のようだ。

「公演が休みの日に外出できるかもしれないな」
「安彦さん、連れてってくれる?」
「行きたいところに付箋はっておいてくれるか?」

 茉優ちゃんとやっちゃんのフランス行きも楽しいものになりそうだ。

「海瑠さん、美味しいスイーツ食べに行こうね」
「うん。お店に迷わずに行けるかな」
「やっちゃん、僕が行きたいところも付箋貼っとくからね」

 やっちゃんと茉優ちゃんと奏歌くんと私。
 パリの休日は四人での行動になりそうだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

騎士団寮のシングルマザー

古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。 突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。 しかし、目を覚ますとそこは森の中。 異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる! ……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!? ※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。 ※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

処理中です...