可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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五章 奏歌くんとの五年目

1.さくらの来訪

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 海外公演に向けて忙しくはなっているが、奏歌くんの小学四年生の夏休みは一生に一度のこと。奏歌くんの夏休みもきちんと尊重したい気持ちが私にはあった。私の都合に付き合わせずに小学生らしい夏休みを過ごして欲しい。
 去年は大型のプール施設に行ったが、今年は奏歌くんは何をしたいのだろう。
 奏歌くんは私のパソコンを借りて調べ物をすることがあった。学校の宿題だろうかと興味を持って覗いてみると、赤ちゃんの発達について書いてあるページである。

「海瑠さん、さくらちゃんはもう五か月でしょう? 離乳食を始める頃なんだって。それに首が据わって、寝返りも打ち始める頃って書いてあるよ」

 奏歌くんの関心はさくらにあるようだった。
 さくらを預かりたくて折り畳みのベビーベッドも用意しているが、まだそれが活躍したことはない。そんな矢先に海香から連絡が入った。

『海瑠、さくらを預かってくれない?』

 海香は私たちの思考が読めるエスパーだったのだろうか。驚いていると海香は続ける。

『宙夢さんが夏風邪でダウンしちゃって……私は脚本の締め切りが迫ってて修羅場だし』

 完全にミルクで育てているし、まだ人見知りはしないので大丈夫と言われて、私たちは海香の家にさくらを迎えに行った。宙夢さんは海香に夏風邪をうつさないように隔離されていて、荒れた部屋の中、ベビーベッドにさくらが寝かされて泣いている。
 駆け寄った奏歌くんがさくらの様子を見る。

「オムツかな?」

 ベビーベッドの下にあるオムツを取り出して、奏歌くんが果敢にオムツ替えに挑む。誰も教えていないのだが、動画で何度も見て学んでいただけあって、お尻拭きでお尻を拭いて、お尻を持ち上げて濡れたオムツを替えていく動作に迷いはない。
 見ているだけの私の前で奏歌くんはオムツ替えを終えてさくらを抱っこした。揺らしているとさくらが泣き止んでくる。

「奏歌くんに任せれば大丈夫そうね……これ、宙夢さんのメモ。離乳食はまだほとんど進んでないから、ミルクだけでも大丈夫」

 みっちりとベビー用品の詰まったバッグと宙夢さんのメモを受け取って私は奏歌くんとマンションの部屋に戻った。小さな生き物を奏歌くんが抱っこして私の部屋に入って来る。
 本来ならば奏歌くん以外の人物が入るのは拒否感があるが、奏歌くんがさくらを抱っこしている様子が可愛すぎて不思議と平気だった。
 ベビーベッドを組み立てて寝かせると、さくらが泣きだす。
 時刻は午前十時過ぎ。メモを見ればその時間に離乳食とミルクを二百ミリリットル与えていると書いてある。

「ミルクの作り方……」
「海瑠さん、これ、液体ミルクだよ!」

 ミルクを作るのが難しくないように液体ミルクを準備してくれていたようだ。液体ミルクに飲むための乳首を取り付けて、そのままさくらの口に持って行く奏歌くん。
 鳥籠のソファに座ってさくらにミルクを上げる奏歌くんの姿を、私は思わず写真におさめていた。
 一生懸命ミルクを飲んでさくらは飲み終わる頃には力尽きて寝てしまう。

「ずっと泣いてたんだろうね」

 ベビーベッドに寝かせてタオルケット代わりにバスタオルをかけるとさくらはすやすやと眠っていた。海香の家も荒れていたし、海香は修羅場でとてもさくらの面倒をみられる状態ではなかったのだろう。
 指を吸いながら眠っているさくらは、生まれたときからかなり大きくなっていた。
 ベビーベッドに張り付いて二人でさくらを見つめる。

「海瑠さんに似てる」
「そうかな?」
「可愛いな……僕と海瑠さんの赤ちゃんも、こんなに可愛いのかな」
「私と奏歌くんの赤ちゃん!?」

 驚いて大きな声を出してしまって、奏歌くんに「しー」と唇に指を当てられた。
 いつか奏歌くんが大きくなって結婚したら、二人の間に赤ちゃんが生まれるかもしれない。その子はこんな風に可愛いかもしれない。それを想像して奏歌くんがさくらを可愛がっているのだとしたら、なんだか妙に嬉しくなってしまう。

「海瑠さん、さくらちゃんが寝てる間に僕たちもご飯にしよう」

 まだ十二時前だったけれど、私たちはパンにソーセージとキャベツの千切りを挟んでホットドッグ風にしてお昼ご飯にした。
 紅茶を飲みながら寛いでいると、ベビーベッドから泣き声が聞こえる。奏歌くんが駆け寄ってオムツを見ている。

「オムツが濡れてる。替えなきゃ」
「はい、オムツ。お尻拭き」

 バッグからオムツとお尻拭きを出して奏歌くんに渡すと奏歌くんはオムツを開けて、「あ」と息を飲んだ。

「おしっこだけじゃない! うんちもだ!」
「どどどど、どうしよう?」
「洗ってあげた方がいいかも」

 ミルクしか飲んでいない赤ちゃんのうんちなのでどろどろで背中まで流れている。着替えもしなければいけないと着替えを準備して、奏歌くんと一緒にさくらを裸にしてバスルームに入る。
 脇の下に手を入れてブランと吊り下げるようにした私に、奏歌くんがシャワーでさくらの背中とお尻を洗っていた。気持ちいいのかさくらは泣き止んできゃっきゃと笑っている。

「お風呂が好きみたい」
「さくらはお風呂が好きなんだ」

 バスタオルで拭いて、ベビーベッドに連れて行ってオムツを付けて肌着を着せて、ロンパースを着せる奏歌くん。さくらは動いて逃げようとするが、奏歌くんはしっかりとさくらを捕まえていた。
 無事に着替えが終わるとさくらが泣きだす。

「お腹が空いたのかな? ミルクは二時くらいって書いてあるんだけど」
「まだ眠らないかな」
「海瑠さんが歌ったら眠るかも」

 奏歌くんに進められて私が抱っこして子守唄を歌う。優しく眠くなるように歌っているつもりなのに、なぜかさくらは笑い出した。

「さくら、寝るのよ?」

 声を上げてきゃらきゃらと笑うさくらが寝る気配はない。代わりにソファに座っている奏歌くんがうとうととし始めていた。

「奏歌くん、寝ないみたい……」

 助けを求めると奏歌くんがはっと顔を上げる。

「ちょっと早いけど、ミルクをあげようか」

 液体ミルクのパックに乳首を付けて口元に持って行くと、さくらは意欲満々で吸い付く。飲んでいるととろんとさくらの瞼が眠たそうに落ちて来た。そのまま寝るかと思ったら、飲み終わるとかっと目を見開いている。

「ちょっと運動させてもいいんだって。うつぶせに寝かせたら手足を動かすって書いてある」

 広い鳥籠のソファの真ん中にさくらをうつぶせに寝かせて、落ちないように奏歌くんと私で見張っておく。

「うー、あー」

 声を上げながらじたばたと手足を動かし、頭を持ち上げていたさくらは、しばらくすると力尽きてその場に突っ伏して泣き始めた。
 再び私が抱っこすると、かっと目を見開いて手足をばたつかせる。

「奏歌くん、寝ないよぉ」
「歌は?」

 促されて歌うとさくらは大笑い。
 なぜか私の抱っこでも歌でもさくらは寝てくれない。奏歌くんが受け取ってゆっくり揺らしていると、さくらはうとうとと寝始めた。

「私……本当にプロの歌い手なんだろうか」

 眠ってしまったさくらをベビーベッドに寝かせる奏歌くんに真顔になった私。

「海瑠さんの歌、僕は眠くなるんだけどなぁ」

 初めて出会った頃も奏歌くんは寝るときに歌って欲しいと言ってくれた。その頃は子守唄などほとんど知らなかったから劇中の歌を歌っていたが、それでも奏歌くんは私の歌で眠ってくれた。
 さくらは私の歌で眠らないし、抱っこで揺らすと目を見開いて起きている。
 奏歌くんの抱っこでは眠るのになんでだろう。

「海瑠さんはひょう……えっと、猫ちゃんだから、大きな猫ちゃんにさくらちゃんが本能的に警戒してるのかもしれないね」

 私が大きな猫ちゃんだからさくらは同じ猫科の本性を持つものとして警戒して眠ってくれないのか。それならば私は一生さくらを寝かしつけることはできないかもしれない。
 がっくりと項垂れていると、奏歌くんがさくらを見て目を細めている。

「可愛いなぁ。小さなお手手、小さなあんよ」

 弟か妹が欲しかったという奏歌くん。
 真里さんと美歌さんの関係が微妙だったからそれを望むことはできなかったけれど、さくらの存在が奏歌くんにとって可愛がれる妹のようなものであればいいのに。
 そう思いながらもその後も奏歌くんは甲斐甲斐しくさくらの世話を焼いていて、私はちょっぴり寂しかった。
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