可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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四章 奏歌くんとの四年目

29.10歳のけじめ

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 奏歌くんのためにお肉を焼く。赤身の柔らかいフィレという部分を買うようにやっちゃんは教えてくれた。奏歌くんは脂身があまり好きではないのだそうだ。
 一人でスーパーに行くのは不安だったので、デパートの地下で買ったフィレ肉。それにズッキーニとパプリカとエリンギを焼いて、インスタントのオニオンスープをお湯で溶かせば完璧のはずだった。

「焼けたかな……?」
「海瑠さん、お箸で押してみて。ぶよぶよだったら、生焼け、硬くなってたら火が通ってるよ」

 奏歌くんが教えてくれるのだが私は箸で押してみても感触がいまいち掴めない。分からないままでいる私に奏歌くんが提案した。

「サイコロステーキにしよう!」
「どういうこと?」
「一口大にお肉を切っちゃうんだ」

 フライパンの上のお肉を一度まな板に戻して切ってみると中は真っ赤で血が出ていた。これではいけないと一口大に切って焼けば、火の通りが断面から分かりやすい。

「焼けた?」
「うん、焼けたと思う」

 ソースを作れないと言ったらやっちゃんが進めてくれたのは、おろし焼き肉のたれというもので、大根おろしが入ったちょっと豪勢な焼き肉のたれだった。それをかけて焼き野菜もお皿に並べて、ご飯をお茶碗によそって、オニオンスープもお湯で溶かして作る。
 完璧なディナーが出来上がった。
 奏歌くんと二人で「いただきます」と手を合わせて食べ始める。

「お肉、上手に焼けてるよ。美味しい」
「良かった」

 奏歌くんに褒めてもらえて私も大満足である。デパートのお肉がやっちゃんが想定していたものよりも分厚かったから火の通りが悪かったなんて、そのときの私が知るわけがない。
 一口大に切ってしまう奏歌くんの作戦は大成功だった。

「これを、私が作ったんだ……」

 食べながらしみじみ食卓を見てしまう。
 料理なんて縁のない人生だと思っていた。それが今は奏歌くんを笑顔にさせるためにお肉まで焼くようになっている。

「海瑠さん、マシュマロを焼いたことがある?」

 食べ終わって歯磨きを終えた奏歌くんが寛ぎながら問いかけて来たので、私は素直に「ない」と答えた。マシュマロを焼くだなんて初めて聞いた。そもそもマシュマロ自体ほとんど食べたことがない気がする。
 舞台の差し入れにマシュマロの中にチョコレートとか餡子とかが入ったものを先輩や舞台関係者の方が持ってきてくれたことはあったが、その味も朧気で覚えていない。

「僕もしたことがないんだけど、マシュマロを火であぶると、外はカリッとして中はとろとろで美味しいんだって」

 動画でマシュマロをあぶるのを見たことがあるのだと奏歌くんは話してくれた。
 私と二人きりだと火を使うのは不安がある。

「今度、やっちゃんと茉優ちゃんを部屋に呼ぼうか?」
「やっちゃん、ホットサンドメーカーを持って来るよ、きっと」
「ホットサンドメーカーってなに?」

 私の問いかけに奏歌くんが答えた。

「圧力をかけながらサンドイッチを挟んで焼く道具があんだ。それでバターをたっぷり入れてお饅頭やアンマンやアンパンを焼くととても美味しいんだよ」
「そんな道具があるんだ」

 バターたっぷりのお饅頭やアンマンやアンパン。想像できないが奏歌くんは美味しいと言っているから美味しいのだろう。
 寝室に行こうとしたら奏歌くんから声をかけられた。

「僕、自分の部屋のベッドで寝るよ」

 遂にこの日が来てしまった。
 奏歌くんももう10歳。そろそろ私と一緒に寝てくれなくなるとは思っていたが、この日が来るのが早すぎた。

「奏歌くん、一緒に寝てくれないの!?」

 動揺した私はつい口に出してしまう。

「海瑠さん、僕、もう10歳だからね」

 あぁ、奏歌くんは大人への階段を上り始めてしまったのだ。
 いつまで一緒に寝てくれるか気にかけていただけに、急に来たこの日はショックだった。
 しょんぼりとして寝室に行く私に、奏歌くんは手を引いて私を屈ませてぎゅっと抱き締める。

「お休みなさい」
「奏歌くん……」

 ハグで慰められて、私は奏歌くんのいないベッドで横になった。
 目を閉じても奏歌くんのハニーブラウンの髪がふわふわとして、ハニーブラウンの目がきらきらと輝くところしか浮かんでこない。
 奏歌くんはもう私とは一緒に眠ってくれない。
 寂しさに私はなかなか寝付けなかった。
 早朝に起きて奏歌くんの部屋に行くと、奏歌くんは蝙蝠の姿になっていた。布団が絡んで動けない奏歌くんをベッドから救い出す。

「一人で寝るのはまだ危ないんじゃない?」
「コウモリになっちゃうからだよ。ならないようになれないかな」

 吸血鬼同士の間に産まれた奏歌くんは血が濃いのでどうしても眠って深夜のうちにお腹を空かせて蝙蝠の姿になってしまう。手首から血を飲ませると奏歌くんは人間の男の子の姿になった。

「お家でもいつもこんな感じなの?」

 人間の姿になった奏歌くんとリビングに歩いて行くと、奏歌くんは朝ご飯のためにエプロンをつけながらこくりと頷く。

「朝起きると大体蝙蝠で、母さんがリビングに連れて来てくれて、果物を食べさせてくれる。母さんが夜勤でいないときには、やっちゃんが泊まり込んでくれて、朝には僕をベッドからリビングに運んでくれる」

 果物では足りないのでなかなか元に戻れず、小学校に遅刻しそうになることもあるという奏歌くん。美歌さんが奏歌くんをフランスに連れて行って良いという理由が分かった気がした。

「奏歌くん、フランス行きのことなんだけどね、そろそろ準備を始めないといけないのよ」

 奏歌くんはキッチンで卵焼きを巻いている。私は糠床から糠漬けを出して洗って、食べやすいように切っていた。今日はこれにデパートで買ってきたサラダパックを付けるつもりだった。

「やっちゃん、海外に行ったことないから、キャリーバッグを買ってた。僕の分も買ってくれたんだよ」
「キャリーバッグは用意してるんだ。パスポートは?」
「僕、持ってるんだ」

 小さい頃から真里さんが海外に連れて行っていた奏歌くんは、有効期限が五年のパスポートを更新したばかりだという。更新したら真里さんがまた奏歌くんを海外に連れて行くかもしれないので、有効期限切れにしておこうかと美歌さんが考えたところで、去年、私が奏歌くんにフランス行きを持ちかけたようだ。

「パスポートのコピーを預かっておいてって津島さんが言ってた」

 私がお願いすると奏歌くんは「母さんに伝える」と答えてくれた。劇団の半分近くが同じ飛行機で行って同じホテルに泊まるので、手続きを劇団の事務がしてくれるはずなのだ。
 マネージャーの津島さんも知っているように私はそういうことができるタイプでは全くない。
 個人で手続きをするひともいるようなのだが、私は全部津島さんと劇団の事務のひとにお任せだった。

「多分、やっちゃんと茉優ちゃんの方は、やっちゃんが会社を通してやるって言ってた」

 劇団の専属のライターでありデザイナーであるやっちゃんは、貴重な存在だ。海外公演を見に来られない日本のファンの皆様のために記事を書いて舞台の臨場感を伝えてくれる。
 ミュージカルが理解できないやっちゃんの記事は、分からないからこそ客観的に書かれていて、それが舞台の様子をよく伝えているとファンの方からは人気なのだ。やっちゃんのポスターに至っては、神のような出来だと崇められている。
 芸術的なセンスがやっちゃんにはあるのだろう。
 私にはないものだからこそ、やっちゃんのことは尊敬している。

「やっちゃん、舞台を見ても、『意味が分からん』ばっかり言ってるのに、本当に大丈夫なのかな?」

 やっちゃんや茉優ちゃんと公演に来ている奏歌くんは心配していたが、やっちゃんの記事は本当に人気なのだ。

「やっちゃん、すごいんだよ」
「信じられない」

 ファンの皆様に評価されるやっちゃんでも、可愛い甥っ子の評価は厳しいという現実があるようだった。
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