可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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四章 奏歌くんとの四年目

13.私好みの奏歌くん

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「海瑠さんの海外公演に、僕も付いて行っちゃダメ?」
「ダメです!」
「海瑠さんに海外公演の期間のご飯を持たせるのは?」
「無理です!」
「そんなぁ」

 篠田家に帰るや否や、仕事から帰ってきてげっそりとした様子の美歌さんに奏歌くんは迫っていた。ソファに潰れている美歌さんは修羅場明けの海香とよく似ている。
 夜勤明けの美歌さんはかなり疲れていて眠そうだ。

「母さん、海瑠さんが死んじゃうよ」
「母さんも割と死にそうよ?」
「ごめんなさい……でも、海瑠さんが心配で」

 ハニーブラウンの目をうるうるさせる奏歌くんを私は抱き締める。

「大丈夫、私、奏歌くんがいなくても生きて帰って来るわ!」
「海瑠さん!」

 ひしっと抱き合う私と奏歌くんに、やっちゃんが「みっちゃんは戦場にでも赴くの?」と妙な顔をしていた。
 来年の秋に海外公演があるということを美歌さんとやっちゃんに説明すると、なるほどと納得してくれた。

「海外公演はいつ頃なんですか?」
「来年の九月くらいですね」
「それなら祝日があるわね。学校を休ませるにしても、合計で八日間くらいになるのかしら」

 公演期間は長くなくて二週間くらいで、その間に祝日が入るのだと美歌さんが手帳を広げる。

「シルバーウィークがあるから、それほど休まなくてもいいかもしれないわ」
「え? 学校を休んで連れて行ったらダメって仰ってたじゃないですか」
「まぁ、建前上はね。でも、奏歌は吸血鬼だから」

 忘れていたわけではないが、奏歌くんには私の血が必要なのだった。毎日蝙蝠になって朝目覚めるようだから、移動を含めて二週間以上私が血を与えないでいると、奏歌くんも蝙蝠から戻れなくなってしまうかもしれない。

「蝙蝠になって戻れなかったら、結局小学校には行けませんからね。それを考えると、連れて行ってもらった方が、私は安心ですね」
「良いの? ダメって言ったのに」
「一度はダメって言っておかないといけないのよ、保護者としてね」

 奏歌くんを連れての海外公演ならば何も怖いことはない。
 マネージャーの津島さんに確認することもあったがそれも早いうちの方が良いだろう。

「美歌さん、ありがとうございます!」
「いいえ、奏歌のためでもありますから」

 蝙蝠のまま戻れなくなって二週間を過ごすよりも、私と一緒に行動させた方が良いと判断してくれる美歌さんには感謝しかない。
 しかし、海外公演で気になることもあった。

「真里さん……」
「そうね、絶対どこかで情報を仕入れて合流してきそうよね」

 海外に行くとなると海外を飛び回っている真里さんが黙っていない気がする。日本にいる間は沙紀ちゃんで真里さんを追い払うことができるが、海外に沙紀ちゃんまで連れて行くことはできない。

「場所はどこなんですか?」
「フランスって言ってました。多分、パリじゃないかな?」

 まだ決定ではないけれど、ほとんど決定事項になっている来年の秋の海外公演。準備は早い方が良かった。

「パリかぁ……あのひとの好きそうなところだ」

 心配そうなやっちゃんに私はふと気付いた。

「やっちゃんも、行くんじゃない?」
「へ?」
「海外公演の記事、誰が書くの?」

 海外公演に同行して写真を撮って、記録して、記事を書くライター兼デザイナーとしてやっちゃんほどの適任者はいない。劇団の広報誌にも海外公演のことは当然載せられるのだ。

「あぁ、確かに俺もお声がかかりそうだな」
「良かった。安彦が一緒なら、叔父の出張に付いて行くのでって休ませられるわ」

 美歌さんも奏歌くんを休ませる良い口実を得たようだった。
 まだ完全に決定事項となっていないからやっちゃんにオファーが来ていないだけで、パリの劇場と契約が結べたらすぐにでもやっちゃんに連絡が入るだろう。
 来年の秋はやっちゃんと私と奏歌くんの三人でフランスに行く予定が既に立ちつつあった。

「安彦さん、しばらくいないの……」

 そうなると不安になるのは茉優ちゃんだった。

「仕事で行くだけだよ。来年の話だし」
「安彦さんは、血をもらわなくても平気?」

 やっちゃんも吸血鬼で輸血パックで血を補給しているが、海外にいる間は輸血パックが手に入らないこともあるだろう。どれくらいの頻度で血を求めるのかは分からないが、二週間以上となるとかなり長いのではないだろうか。

「多分、平気かな。俺はかなくんほど血は濃くないし」

 最悪、みっちゃんから貰うかも。
 やっちゃんの言葉に奏歌くんが反応する。

「ダメ! 海瑠さんから血を吸って良いのは、僕だけなんだよ!」
「冗談だよ。なくて平気、多分」
「やっちゃん、どうしてもがまんできなくなったら、僕から吸えば良いよ」

 奏歌くんの言葉に驚いたのはやっちゃんである。

「かなくんからとか、無理!」
「蝙蝠になるよりいいでしょう!」
「吸血鬼同士の吸血なんて不毛すぎる!」

 奏歌くんが吸われた分を、私から吸って補給する。奏歌くんの中では完璧な図式ができていたようだが、やっちゃんはそれを拒んだ。
 行きたいと言いたそうだが言えない茉優ちゃん。
 茉優ちゃんは来年には六年生になるし、気軽に小学校を休めないのかもしれない。美歌さんも茉優ちゃんに助け舟を出さないところを見ると、茉優ちゃんには留まって欲しいようだ。
 俯く茉優ちゃんの悲し気な様子が印象に残った話し合いの日だった。
 海外公演まではまだ一年近く時間がある。それよりも先に私たちはしなければいけないことがあった。
 茉優ちゃんのワインレッドのワンピースはもう小さくなっている。

「茉優ちゃん、良いお店があるんだけど、行ってみない?」
「良いお店?」

 私が思い浮かんだのは、奏歌くんが小学校に入学するときにセーラー襟のシャツとクラシックなボタンのついたカーディガンを買ったお店だった。美歌さんも茉優ちゃんのことは気にしていたようで、やっちゃんに車を出させる。

「可愛いお洋服……」

 アンティーク調のワンピースやシャツの売っているお店に入ると、茉優ちゃんはきょろきょろと棚を見て回っていた。葡萄色の腰が編み上げのリボンになっているワンピースを手に取って、鏡を見て合わせてみる茉優ちゃん。

「似合うかな?」

 問いかけに私はやっちゃんの脇腹を肘で突いた。

「やっちゃん!」
「すごく可愛いよ」
「本当に?」
「こっちのベレー帽と合わせてもいいかもしれないね」

 ナイス、やっちゃん!
 ちゃんとやっちゃんから褒められた茉優ちゃんはワンピースとベレー帽を買ってもらうことができた。
 一月に結婚式があるのでコートも選ぶ。
 奏歌くんはコートは普段着ていなくて、もこもこのパーカーばかりなので、一着くらいクラシックなコートを持っていてもいいかもしれない。
 茉優ちゃんと奏歌くんで、シンプルでクラシックな色違いのロングコートを合わせる。茉優ちゃんがキャメル、奏歌くんが紺色だ。

「茉優ちゃん、すごく似合ってる」
「奏歌くん、可愛い!」

 やっちゃんと私で手放しで褒めると、遠慮することなく茉優ちゃんも奏歌くんもコートを買うことを了承してくれた。

「せっかく買ったから、いっぱい着てね」

 包んでもらったコートを紙袋に入れてもらって奏歌くんが持つと、私を上目遣いに見てくる。

「海瑠さん、こういう服が好き?」

 その通りだ。
 私はアンティーク調のクラシックな服が好きなのだ。
 そして、奏歌くんを自分好みに染めたくてたまらない。

「好きだけど」
「それなら、いっぱい着る」

 私好みに染まってくれる奏歌くん。
 ソックスガーターを着けて欲しいとか、可愛いお膝がちらりと見える長さのソックスを履いて欲しいとか、そんなことを口にしたらやっちゃんから「変態?」と言われそうな気がするので、その場では黙っておく。
 二人きりのときにこっそりと伝えれば良いのだ。
 可愛い凛々しい奏歌くん。
 大きめのコートは来年まで着られるだろうから、海外公演のときも持って行くかもしれない。
 美歌さんに相談してよかったと安堵しつつ、マネージャーの津島さんにもきっちりと話をしておかねばと思う私だった。
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