可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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二章 奏歌くんとの二年目

25.奏歌くんの部屋

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「みちるさん……ぼく、しらなくて、ごめんなさい!」

 涙目の奏歌くんが謝っている。
 春公演も絶好調で演じられている私は、なんで奏歌くんに謝られているのかよく分からなかった。
 奏歌くんは震えながら、私に携帯電話であるサイトを開くように教える。緊張しながら開いたサイトには、「猫に絶対食べさせてはいけないもの」という表記があった。

「ぼく、ぜんぜんしらなくて。チョコレートも、たまねぎも、にんにくも、ぶどうも、ぎゅうにゅうも……こんなにいっぱいみちるさんがたべたらきけんなものがあるなんて!」

 私は奏歌くんにとっては本性が子猫ちゃんのワーキャットなのだ。
 吸血鬼の奏歌くんが蝙蝠になっても蝙蝠の食べてはいけないものを食べられないわけではないように、私は猫が食べてはいけないものも食べて平気だった。

「奏歌くん、謝らなくていいよ。私はワーキャットで、人間と同じものを食べて大丈夫だから」
「ほんとう? みちるさん、たおれたりしない?」
「倒れたりしないよ。それどころか、奏歌くんとご飯を食べるようになって、健康になったくらいなんだからね」

 私が手首を差し出すと、奏歌くんは躊躇いながらそこにそっと歯を立てる。血を吸った奏歌くんは血の味で私の健康状態が分かるのだ。

「よかった……おなじいちねんせいで、ねこをかってるこがいて……あ、もうにねんせいだ」
「え? 奏歌くん、もう二年生なの?」
「うん、しがつからは、にねんせいなんだって、せんせいがいってたよ」

 まだ学校は始まっていないけれど、奏歌くんは二年生になっていた。
 学童保育で預かってくれるのは四年生までで、茉優ちゃんも四年生になるが、学童保育には行っていない。

「ぼくも、がくどうほいくにいかないで、おうちですごしたいってかあさんにいったんだけど、しんぱいだからっていわれちゃった」

 茉優ちゃんもいるから家で過ごしても構わないのではないかと思うのだが、美歌さんは心配なようだ。

「にねんせいからは、しょうがっこうのじかんも、ちょっとながくなるし」
「そうなの? 小学校って、みんな一緒に帰るんじゃないの?」
「まゆちゃんはよねんせいで、ぼくとかえるじかんがずれるんだ。ぼくはにねんせいだから、まゆちゃんよりちょっとはやい」

 時間がずれてしまうのならば奏歌くんが一人で家にいる時間があるのはやはり美歌さんも心配だろう。まだ奏歌くんは学童保育から卒業はできない。

「ぼく、じてんしゃにのれるようになったから、がくどうほいくがなくなったら、みちるさんのへやにきたいんだ」
「自転車で来られるの?」
「あるいてはとおいけど、じてんしゃだったらこられるんじゃないかな?」

 学童保育が終わる五年生になったら奏歌くんに部屋の鍵を渡して、部屋で待っていてもらう。想像するだけで幸せな気分になる。

「そうなったらいいね」
「やっちゃんとかあさんをせっとくしないとね」

 頻繁に奏歌くんのくる私の部屋は、すっかり奏歌くんの気配に満ちていた。私の縄張りなのにそれで嫌ではないのは、やはり奏歌くんが私の運命のひとだからだろう。

「奏歌くんにとって私は運命のひとだけど、私にとっても奏歌くんは運命のひとだと思うんだ」
「ぼくも、そうだったらいいなっておもう」

 猫の姿になって奏歌くんと寛ぐのも恒例のことになってしまった。
 ちょっと気が早いけれど、私は奏歌くんの部屋を作ることを考え始めていた。独断でやってしまうのは、奏歌くんに「おかねをつかっちゃダメ」と止められたら怖いからだった。
 私の部屋には、幾つか空き部屋がある。リビングと寝室とウォークインクローゼット以外使っておらず、一部屋は除湿器を入れて洗濯物を干す部屋にしているくらいで、最上階をまるごと買ったので部屋は余っている。
 奏歌くんの学習机、奏歌くんの棚、奏歌くんの本棚、奏歌くんの衣装ケースと準備をしていくのは楽しかった。お泊りのたびに着替えを持って来る奏歌くんも、ここに着替えを置いていれば良いのではないかとワクワクしていた。
 四月の公演が休みの日、遂に仕上がった部屋を奏歌くんに見せたら、案の定すごい顔をされてしまった。

「みちるさん、どうしてぼくにそうだんしてくれないの!」
「反対するかと思ったんだもん」
「はんたいするよ! ぼく、まだ、にねんせいだよ? うちにへやがあるのに、みちるさんのへやにまでへやがあったら、ぜいたくすぎる」
「でもぉ、奏歌くんが毎回お泊りのときに着替えを持って来たりするの、気になってたし……」
「それに……どうせなら、ベッドがほしかったな」

 あれ?
 奏歌くんは意外と怒っていない。
 呆れてはいるようだが、「みちるさんはしかたないな」と理解を示してくれていた。

「奏歌くんと一緒に暮らしてるような気分になりたかったの」
「ぼくもいっしょにくらしたいよ」
「でも、なんでベッド?」

 寝室のベッドに二人で一緒に寝るので問題がないだろうと準備していなかったが、奏歌くんにとってはベッドは必要なもののようだった。

「ぼくもおおきくなるでしょう? みちるさんと、いつまでもいっしょにねてられないからね」
「え!? 一緒に寝てくれないの!?」
「おふろも、ひとりではいれるようにれんしゅうしてるし」

 その後の話はショックのあまりほとんど聞けていなかった。
 あまりのことに奏歌くんが帰った後に海香に電話すると、『当然よ』と言われてしまった。

『奏歌くんは思春期になるのよ。その時期は一人で寝たいし、お風呂だって一人で入りたいもの』
「嘘……可愛い奏歌くんが、もうそんな時期になっちゃうの?」
『すぐにではないと思うけど、将来的に別々に寝るのを考えてベッドがいるって言ったなんて、本当に男前じゃない』
「どういうこと?」

 意味が分かっていない私に海香が説明してくれる。

『劇団は恋愛は禁止だし、奏歌くんも男の子だから、成長してきたらエッチなことも考えるでしょう?』
「か、奏歌くんが、エッチなことを!?」

 6歳から知っている可愛いあどけない奏歌くんがエッチなことを考える日が来る。それは私にとっては衝撃だった。

『普通の成長よ。奏歌くんが成人したら、海瑠は結婚するつもりでしょう? そのときに子どもが欲しいでしょう?』

 子どもが欲しいということは奏歌くんといつかそういう関係になるというわけで。

『海瑠が退団して、自分が成人するまでは海瑠に手を出さないっていう、奏歌くんの男気を見た気がするけどね、私は。海瑠、ベッド、買ってあげなさい』

 あんたは大事にされてるわよ。
 まだ7歳の奏歌くんでも真剣にそんなことを考えてくれるのだ。
 いずれ来る思春期に奏歌くんと同じベッドで寝られなくなってもショックを受けない。私は大事にされているのだと信じて良い。
 奏歌くんは7歳にしてこの上なく紳士で男前だった。
 その話を美歌さんにすると、美歌さんが真剣に私に話してくれた。

「奏歌には運命のひとが早く現れたから、性教育はきっちりしてるんです」
「そ、そうなんですか!?」
「生きる上で大事なことだし、万が一の間違いがあってはいけませんからね」

 まだまだ奏歌くんは子どもを作れるような年ではないけれど、奏歌くんが大きくなるのは私たちの寿命から考えるとあっという間だろう。

「私が早く奏歌を産んだのもあるんですけど、知識がないっていうことは、やっぱり怖いことだし、海瑠さんを傷付けかねないですから」
「私を……」
「海瑠さんは、劇団にできるだけ長くいたいんでしょう?」

 早い子は中学生や高校生から性的なことに興味を持って手を出したりする。私の劇団は恋愛は禁止だし、そういう事態になれば退団を迫られてしまう。
 ただの姉の親友の子で、将来は結婚する約束をしているが、奏歌くんはきちんと自分が大人になって、私が退団するのを待ってくれる気でいてくれた。

「私は幸せ者ですね」
「まだ甘えん坊だし、しばらくは子どもでいるだろうけど、男として自分を意識し始めたら、奏歌が距離を置いても理解してあげてください」

 私のためにしていることなのだと私も寂しさを我慢しなければいけない。

「部屋で会うくらいはいいですよね」
「ベッド買うんだから、奏歌は泊っていくつもりだと思いますよ」

 何もしない誓いのように買う奏歌くんのベッド。
 それを使う日が少しでも遠ければいいと思うと同時に、奏歌くんが大人になったらどうなるのか私は楽しみでもあった。
 今のまま私を好きでいてくれるのならば、それ以上に嬉しいことはない。
 私は奏歌くんのベッドを買う決意をした。
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