可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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二章 奏歌くんとの二年目

16.バレンタインフェアに散る

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 一月の終わり、私はデパートのバレンタインフェアに行くために百合とデパートの前で待ち合わせをしていた。その時点からデパートに入って行くひとが多くて嫌な予感はしていたのだ。
 合流した百合はサングラスをかけていて、私もサングラス姿で目立たないようにしているつもりだが、身長176センチの私と劇団トップの女役の百合とでは目立たないはずがない。
 声をかけるのは我慢してくれているようだが、ひそひそと私たちが噂されているのも妙に居心地が悪かった。
 気を取り直して乗ったエレベーター。鉄の箱の中は満員でそれだけで私は鳥肌が立ってくる。

「私、無事にチョコレートを手に入れられるのかな」
「ダーリンのためよ!」

 百合が鼓舞してくれるけれど、最上階の催事場に着く前に私は心折れそうだった。エレベーターが最上階について扉が開くと、ひとの熱気が襲ってくる。圧倒される私に後ろから降りようとするひとが「すみません」と声をかけて来る。
 私も降りなければいけないことを思い出して降りたが、百合とはぐれそうなくらいの人出だった。どの出店スペースもレジにはひとの列ができている。

「こんなので試食して、チョコレートを選んでとか、無理……」
「私、買いたいチョコレートがあるんだから、行くわよ」

 ぐいぐいとひとを押しのけて進んでいく百合が頼もしい。後ろに隠れて付いて行こうとしても私は背が高いし、百合よりも肩幅があるのでどうしてもつっかえてしまう。

「百合、置いて行かないで……」
「海瑠、しっかりしなさい!」

 戦場にでも出たような風情の私たち。百合はお目当てのチョコレートの売っている店を見つけたようだ。そこに立って会計に並んでいる。

「もう、私、百合と同じのにしちゃおうかな」
「ダメよ、これ、貴腐ワインのレーズンチョコだから」
「ワイン!?」

 ワインは小学一年生の奏歌くんには食べさせられない。
 どうしても私はチョコレートを選ばなければいけない運命にあるようだ。
 項垂れながら百合の会計を待って、百合の分を払って会場を歩き出す。

「試食いかがですか?」
「ひゃ!?」

 声をかけられて飛び上がってしまった。
 知らないひとから声をかけられるなんて怖い。デパートも行き慣れているが催事場に行くのは初めてだし、こんなに混んでいるのも初めてだ。警戒心でいっぱいの私は試食のチョコレートを差し出されて百合の後ろに隠れてしまった。
 百合が爪楊枝に刺さった小さなチョコレートの欠片を口に入れて、私にも一つ取ってくれる。食べてみるが甘い気はするもののどんな味かよく分からない。

「お、美味しい?」
「生チョコね。結構美味しいわよ」
「じゃあ、これにしようかな」

 妥協してしまう私を百合が叱責する。

「海瑠、適当に決めるなんて甘いこと言わないで! 海瑠のダーリンへの愛はその程度だったの?」

 チョコレートを受け取ってくれて笑顔で包みを開く奏歌くん。一口食べて笑顔になるその顔が見たい。

「わ、分かった。私、負けない!」
「その意気よ!」

 次の店でも試食が振舞われている。ドキドキしながらも私は受け取ることができた。
 食べてみるが、やはりよく分からない。

「フリーズドライの果物をチョコレートで包んだのね。結構美味しいじゃない」
「そうなの? それじゃあ、これにしようかな」
「海瑠、まだ探索は始まったばかりよ!」
「えぇー?」

 まだまだ私は解放されないようだ。
 次の店ではナッツをコーティングしたチョコレートを試食して、その次の店ではミルクとスイートとビターの食べ比べをする。何が何だか分からないのだが、百合はもぐもぐと食べ続けている。

「もしかして、百合、試食がしたいだけ?」
「そんなわけないじゃない! ダーリンに最高のチョコレートを届けるために海瑠に協力してるのに! あ、これも美味しい」
「やっぱり、食べたいだけじゃないー!」

 味方だと思っていた百合は私の味方ではなかった。ただ単純にチョコレートの試食をたくさんしたいだけだった。
 疲労感に苛まれながら私は元来た道を戻る。ひとに紛れて間違えそうになるが、なんとか店を見つけられた。

「これにする……なんとなく、奏歌くん、好きそう」

 フリーズドライの果物をチョコレートでコーティングしたものを買うことに決めたのだが、その後も大変だった。会計の列がやたらと長いのだ。百合と立っていると後ろからぐいぐいと押されるし、前にはぶつかりそうになるし、揉みくちゃにされる。

「早く部屋に帰りたい……」

 部屋に帰って奏歌くんと二人で寛ぎたい。
 奏歌くんに労ってもらいたい。
 呟く私に、百合が言う。

「もうチョコレートを上げるつもりじゃないでしょうね?」
「え? いけない?」
「チョコレートはバレンタインデーに上げるから意味があるの! 今あげたら普通におやつになっちゃうだけでしょう!」

 そうなのか。
 帰ったら奏歌くんを学童保育に迎えに行って、チョコレートを渡して、ミルクティーを淹れてほっこりと楽しむつもりだったが、そういうわけにもいかないらしい。

「それなら、今日のおやつはどうすれば!?」
「地下でケーキでも買って行けばいいんじゃない?」
「これ以上まだ買い物を続けるの!?」

 チョコレートの会計を終えた時点でヘロヘロになっている私に、百合はまだ買い物を続けろと言う。それでも、奏歌くんと食べるおやつがないのは寂しいので私は仕方なくデパートの地下の食品売り場で苺のタルトを二切れ買った。百合も自分の分を選んで私に会計をさせる。
 百合はいつものことなので良いのだが、奏歌くんが見ていたら「じぶんのぶんしかはらわなくていいんだよ」と言ってくれそうな気がした。妄想の奏歌くんに癒されて、百合と別れ、私はタクシーに乗って学童保育に奏歌くんを迎えに行った。
 劇の稽古よりも疲れることがあるとは思わなかった。人ごみの熱気、自分のテリトリーにひとが入って来る緊張感、密着するひとを掻き分ける恐ろしさ、知らないひとに話しかけられる恐怖。
 疲労感がにじみ出ていたのだろう、学童保育で私を見てランドセルを背負って駆けよって来てくれた奏歌くんが、眉を下げる。

「たいちょうがわるいの?」
「ううん、平気……ちょっと疲れただけ」
「それなら、おやつのあとはハンモックでやすもう」

 労わってくれる奏歌くんの優しさにじんと胸が熱くなる。
 部屋に戻るとラッピングされたチョコレートは冷蔵庫の一番上の棚の奏歌くんが見えにくい場所に隠して、苺のタルトをお皿に出して、ミルクティーを淹れた。
 テーブルに着いた奏歌くんが目を輝かせる。

「デパートにいって、かってきてくれたんだ」
「うん、ちょっと用事があったから」
「そっか。うれしいな」

 にこにことしながらタルトにフォークを立てて切って、食べて行く奏歌くん。私も食べる。タルト生地はバターの香りがして、苺は甘酸っぱく、カスタードクリームは甘すぎずに全体的にあっさりとして美味しい。
 催事場ではあれだけチョコレートを試食したのに味がよく分からなかったが、奏歌くんと食べると苺のタルトの美味しさが口の中に広がってよく分かる。

「ぼく、イチゴだいすき!」
「奏歌くんは果物が好きだよね」
「うん、くだものすきだよ。あまくて、みずみずしいから」

 奏歌くんの話を聞いていると、苺の果汁が口の中に広がって瑞々しく感じられるから不思議だ。
 奏歌くんと食べるものはいつも美味しい。

「バレンタインなんだけどね」
「ふぇ!?」

 なんで私がバレンタインフェアに行ったことがバレてしまったのかと椅子から飛び上がりそうになったが、奏歌くんの話題は全く違うものだった。

「かあさんと、なまチョコをつくるれんしゅうをしてるから、みちるさんにあげてもいいかな?」
「奏歌くんが、くれるの?」

 その可能性は考えていなかった。
 バレンタインデーとは百合から女性が男性にチョコレートを上げる日だと聞いていたが、奏歌くんはその辺は気にしていないようだった。気にしているのは劇団の規則だ。
 ファンからの贈り物は食べ物やお花は受け取らず、お手紙だけを受け取る。

「ぼく、サンタさんにおねがいして、ファンクラブにはいっちゃったから、みちるさんにチョコレートをあげるのは、ぼくだけずるいかなとおもっちゃって」
「奏歌くんはファンだけど、それ以外でも私の運命のひとでしょう? チョコレートすごく楽しみだな。嬉しいな」

 私が言えば奏歌くんの表情が輝く。

「いっしょうけんめいつくるね!」
「うん、楽しみにしてるね」

 どうやらバレンタインデーはチョコレートを交換する日になりそうだ。
 大変なバレンタインフェアで完全に撃沈したが、努力して良かったと私が現金にも思い直していた。
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