可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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二章 奏歌くんとの二年目

13.どうか私を思い出して

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 晩ご飯は奏歌くんが少しでも私を思い出してくれるように手作りしようと決めた。スーパーはカードが使えなくて怖いのでデパートの地下で食材を買い込んで、デザートのミルフィーユも有名菓子店で買って、タクシーで戻ってくる。
 帰って来ると奏歌くんは素早く玉ねぎを剥いてしまって冷凍庫に入れた。

「たまねぎは、れいとうするとなみだがでないんだよ」
「奏歌くん、思い出したの?」
「え?」

 海香の家でカレーを作ったときに玉ねぎに負けて泣いてしまった私に、奏歌くんは冷凍すればいいことを教えてくれていた。思い出したのかと聞いてみたが奏歌くんはきょとんとしている。
 記憶は封じられているけれど、綻びが出始めているのかもしれない。私はカレーを作ることでその綻びを更に大きくしようとしていた。
 奏歌くんがジャガイモと人参を洗ってピーラーで皮を剥く。お肉を切って私はフライパンで炒める。急速冷凍した玉ねぎを取り出して切ると確かに涙は出なかった。

「目が痛くないよ」
「たまねぎにかったね!」
「うん、奏歌くんのおかげだよ!」

 大喜びで玉ねぎと奏歌くんが切ったジャガイモと人参を電子レンジにかけて、炒めたお肉と一緒に鍋の中に入れて水も入れて煮込む。水は奏歌くんがカップで測ってくれた。
 電子レンジでお野菜に火は通してあったので、沸騰したら弱火にしてカレールーを割り入れる。踏み台の上に立った奏歌くんがカレーをお玉でかき混ぜてくれた。

「まぜてないとこげつくんだ」
「私はご飯を炊いてくるね! 早炊きなら三十分」
「はい、よろしく!」

 奏歌くんにお鍋を任せて私は炊飯器でご飯を炊く。出来上がったカレーの火を止めて、奏歌くんがレタスとキュウリとミニトマトを洗って、レタスは千切って、キュウリは切って、ミニトマトはヘタを取ってサラダにする。

「完璧だね!」
「できたね!」

 部屋中にカレーのいい匂いが漂っている。
 お風呂に入ってから、髪を乾かして、私と奏歌くんは晩ご飯の準備に入った。
 カレーを温め直してホカホカのご飯の上にかけようとすると、奏歌くんが私を止める。

「ごうかにしよう!」
「何をするの?」
「ここに、スライスチーズをのせるんだ」

 ご飯の上に乗せたスライスチーズの上にカレーをかけると、スライスチーズが蕩ける。

「美味しそう!」
「いただきます!」
「いただきます!」

 サラダにドレッシングがなかったけれど、そのままで食べるのも美味しかった。カレーはチーズが蕩けて、口の中でカレーの辛さをマイルドにしてとても美味しい。

「美味しいね」
「ものすごくおいしい! みちるさん、おりょうりもできるんだね」

 褒められてしまったけれど、ほとんど作ったのは奏歌くんだし、カレーの作り方だって奏歌くんがいなければ覚えなかった。
 つんと鼻の奥が痛くなって泣きそうになる私に奏歌くんが申し訳なさそうに眉を下げている。そんな悲しそうな顔をさせたいわけではないのだが、私も涙を堪えるので必死だ。

「で、デザートにしよう! 奏歌くん、ミルフィーユを出しておいて。私、紅茶を淹れて来る」

 席を立った私は電気ケトルの前でずっと洟を啜った。泣いてしまってはいけない。奏歌くんが私のことを忘れたのは、茉優ちゃんを守ろうとした勇敢な行為の結果なのだ。
 奏歌くんは褒められても、責められる筋合いはない。
 分かっているが私は奏歌くんが他人になってしまったようで悲しくて堪らない。
 ワーキャットとして生まれて、いつかは周囲を捨ててどこか遠くへ行かなければいけないと孤独を覚悟していた中で、出会えた奏歌くんは奇跡のような存在だった。私にとって奏歌くんは一生を共にしてくれる運命のひとに違いなかったのだ。
 大きくなるまで結婚もできないし、一緒に住むこともできないけれど、奏歌くんが大きくなったらずっと一緒にいてくれる。ずっと胸がすかすかするような空虚な思いに捉われていた私を開放してくれたのが奏歌くんの存在だった。
 涙を拭いてミルクティーを持ってテーブルに戻ると、ミルフィーユをお皿に乗せた奏歌くんが神妙な顔で待っていてくれた。

「みちるさん、きいて」
「なにかな?」
「ぼく、もしかすると、みちるさんのこと、おもいだせないかもしれない」

 実際に言葉にされると拭いた涙がまた出てきそうで私は奥歯を噛み締める。我慢していると奏歌くんが言葉を続ける。

「おもいだすどりょくはするし、おもいだしたい。でも、おもいだせなくても、みちるさんはぼくのうんめいのひとでしょう? ぼくのたったひとりの、だいじなひとなんでしょう? ぼく、おもいだせなくても、みちるさんのこと、すきになる。ううん、もう、すきだよ!」

 7歳の精一杯の熱量を持って発せられた言葉に私は涙を零しながら何度も頷いていた。思い出してもらえないことは悲しいけれど、奏歌くんは忘れても私をまた好きになってくれる。既にもう好きだと言ってくれている。

「ごめんね、奏歌くんは奏歌くんで何も違わないのに、私の方が拘っちゃって」
「あやまらないで。わるいのはとうさんだから」

 慰めてくれる奏歌くんと気を取り直してミルフィーユを食べることにしたのだが、フォークを手に取った私を奏歌くんは真剣な眼差しで止めた。

「みちるさん、ゆだんしないで! ミルフィーユはきょうてきなんだよ!」
「え!? ミルフィーユも強敵なの!?」
「そう! たべかたをまちがうと、パイきじがぼろぼろになって、おさらのうえがだいさんじになるんだ」

 教えてもらって私はミルフィーユを見つめた。何段にも重なったパイ生地の間に美味しそうなふわふわのクリームが挟まっていて、上にはずらりと苺が乗っている。こんな可愛いものが強敵だったなんて。

「ミルフィーユにはいくつかのたべかたがあるんだ。いちばんかんたんなのは、うえからじゅんばんにたべるのだけど、それだとパイきじとクリームをいっしょにあじわえない」
「上から順番に剥がして食べたらダメなのね」

 説明を聞いて私はごくりと唾を飲み込んだ。
 どうやってこの強敵ミルフィーユと対峙すればいいのだろう。

「じょうずにたべるためには、まず、イチゴをひなんさせるの」
「苺は外しちゃうのね」
「そう。それで、ミルフィーユをたおして、ナイフをにぎる」
「ナイフ? ミルフィーユにはナイフまで必要なの?」
「ナイフでざくっておもいきってふかくきれめをいれて、ひとくちのおおきさにきるんだ。こぼれたパイきじは、クリームにつければきれいにたべられるよ」

 なるほど。
 納得してナイフをミルフィーユに入れて私は思い切って切ってみた。すると横に倒したミルフィーユはそれほど崩れずに切ることができる。苺を添えて、断面のクリームで零れたパイ生地をくっ付けながら食べると、お皿の上はほとんど汚れずに食べることができた。

「凄い! 奏歌くん、できたよ! 美味しく綺麗に食べられた!」

 歓声を上げている私の前で奏歌くんは食べる手を止めてハニーブラウンの目を丸くしていた。

「まえにも、みちるさんにおなじようなこと、いった?」
「思い出したの? 奏歌くん、シュークリームの食べ方を教えてくれたんだよ」

 シュークリームの食べ方を三つ教えてくれた奏歌くん。
 その中で私は上の皮を取って中のクリームを掬って食べるやり方を選んだ。
 それを奏歌くんは思い出してくれたのだ。

「ぼく、いったよね? ……みちるさん! あぁ、みちるさんだ! ぼく、おもいだした! きょねんのなつやすみに、やっちゃんとぶたいのおけいこをみて、おかしをあげたみちるさんだ!」

 思い出してくれた。
 奏歌くんが私を思い出してくれた。
 嬉しさに涙が零れる。

「良かった……奏歌くん、嬉しい」

 椅子から立ち上がった私に奏歌くんが飛び付いてくる。

「ごめんなさい、みちるさんをいっぱいなかせちゃって。ぼく、もっとはやくおもいだせてたら」
「ううん、奏歌くんは一生懸命思い出そうとしてくれた。ちゃんと思い出してくれた。嬉しい……大好き」

 コアラのように私にしがみ付く奏歌くんを私はしっかりと抱き締めた。

「つぎからはもう、とうさんにあんなことさせない!」
「私も、奏歌くんを守る!」

 抱き締め合って二人で言い合うと、嬉しくて私は奏歌くんのつむじに頬ずりをしていた。
 落ち着いてミルフィーユを最後まで食べる奏歌くんを見ながら、美歌さんとやっちゃんに報告する。奏歌くんが私のことを思い出してくれたこと。

『奏歌は幼いけど強い吸血鬼だから大丈夫だと思っていました。海瑠さんは大変だったでしょう。あのひとのことは、本当にすみませんでした。奏歌のことありがとうございました』

 美歌さんから丁寧なお礼が返ってきて、明日の朝に奏歌くんを迎えに来ると書いてあった。
 歯磨きをして二人でベッドに入る。昨日はぎこちなく照れた様子の奏歌くんだったが、今日はしっかりと私に抱き付いて「あたためてあげるからね」と冷え性の私を気遣う言葉までくれた。
 私の奏歌くんが戻ってきたことに安心して、私はその夜はぐっすりと眠った。
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