可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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二章 奏歌くんとの二年目

6.大きな勘違い

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 学童保育に不審者が出たという情報が流れてから季節が変わって、不審者の姿も見えなくなっていたが、学童保育の先生たちはとても警戒してくれていた。私も可愛い奏歌くんが狙われるのではないかと心配していた。
 7歳になったが奏歌くんはまだまだ小さい。大人が連れて行こうとすれば軽々と抱えて車に乗せてしまうのも簡単だろう。
 警戒を怠りなく、やっちゃんと美歌さんは奏歌くんと茉優ちゃんを小学校まで送って行く。茉優ちゃんは集団下校で近くの家の上級生と一緒に帰ってきて自分で鍵を開けて奏歌くんの家に入るのだが、奏歌くんの方は学童保育の先生が小学校まで迎えに来て学童保育の建物に連れて行ってくれる。
 それだけ気を付けていても現れるのが不審者というものだ。
 一時期ストーカーに悩まされていただけに、私はそれを思い知っていた。
 変態の小児性愛者から奏歌くんを守らなければいけない。
 秋公演も終わって、クリスマス公演の稽古が始まる頃に、奏歌くんを迎えに行った私は、違和感を感じた。昼のまだ明るい公園の木陰に隠れている人物の気配。その人物がカメラを構えている。
 足早に歩み寄って私は木にバンッと手を押し付けた。

「うちの可愛い子を盗撮しようなんて、どういう了見ですかね?」

 警察に連絡をしようと携帯電話を構えると、黒髪に黒い目の私よりも小柄な男性は丸い目を瞬かせていた。

「凄く勇敢なお嬢さんだね」
「お嬢さんと呼ばれる年じゃありません」
「僕にしてみたら、充分お嬢さんなんだけど」

 よく顔を見てみると、どこかで見たことがあるような気がする。
 丸い大きな黒い目にちょっと上向きの鼻、細い眉は凛々しく、小さな唇は淡く色付いている。

「似てる……」
「うん、気付いてくれた?」
「でも行動がどう考えても不審者! 通報しなきゃ!」
「待って待って待って」

 止めるその男性に私の後ろから駆け寄った奏歌くんが「あー!」と大きな声を出した。

「とうさん!」
「えー! やっぱりそうなの!? お義父さん、不審な行為をしていたことを認めて自首しましょう?」
「なんで自首? 僕、昨日日本に戻ってきて、息子に会おうと小学校を訪ねたら、学童保育にいるって言われたんだけど」

 学童保育では例え肉親であろうとも、担当の先生が認識していない保護者に子どもを渡すことはない。離婚家庭などで親権を争っていたりして、複雑な子どももいるからだ。
 奏歌くんのお父さんに関しても学童保育の建物に入れてもらえなかったので、誰か迎えが来るのを待っていたというのだ。

「僕は佐々ささ真里まさと。奏歌は、狙われてたのかな?」

 顔立ちと奏歌くんの態度から確かにこのひとが奏歌くんの父親で間違いはないのだろうけれど、それならばなんで隠れて写真を撮るようなことをしていたのだろう。よく見ると真里さんはとてもごついカメラを首から下げていた。

「とうさん……へんたいなんだ」
「やっぱり、そうなんだ!? 通報しなきゃ!?」

 しょんぼりとした奏歌くんが告げるのに私が携帯電話を取り出すと、真里さんが苦笑する。

「奏歌、もうちょっと言い方があるでしょう?」
「ぼくのしゃしんをとるのがしゅみで、かくれてしゃしんだけとって、かいがいにもどっていくって、へんたいだよ、とうさん!」
「盗撮してるの!?」
「そうなの! ぼくのこと、とうさつするのがしゅみなんだ!」

 私にも奏歌くんにも、盗撮趣味の変態と認識されている真里さん。

「奏歌は僕の息子なんだよ? 写真を撮って何が悪いの?」
「ふつう、しゃしんをとるときには、かくれてとらないんだよ! きょかをとってとるの!」
「それだと自然な表情が撮れないでしょう」

 言ってから真里さんは私を見上げた。じっと見つめられるとちょっと落ち着かない気持ちになる。私よりも背が低いけれど、大人の男性。
 奏歌くんも大きくなったらこんな風になるのかもしれないと考えてしまう。

「僕は写真家なんだ。奏歌の写真集、いっぱいあるよ? 欲しくない?」

 本物の写真家が撮った奏歌くんの写真集。
 そんなものがあるならば欲しいに決まっている。
 けれど、ここでそれに飛び付いてしまったら、やっちゃんからDVDをもらったときに奏歌くんが嫌がったような状況になってしまうかもしれない。
 逡巡する私に奏歌くんが言う。

「みちるさん、そのひとのくちぐるまにのらないでね。そのひとをみかけたら、すぐにかあさんにれんらくするようにいわれてるんだ」

 子ども用の携帯電話を取り出して奏歌くんは美歌さんに連絡する。その間真里さんが逃げないように見張っておくのが私の役目だった。
 美歌さんは車で大急ぎで私たちを迎えに来た。奏歌くんと私が後部座席に乗って、真里さんが助手席に乗る。

「日本に戻って来るなら、連絡くらい入れなさいよ」
「急だったから」
「それで、いつ海外に行くの?」
「十日くらいは日本で撮影するよ」

 気ままに海外と日本を行き来する吸血鬼。それが奏歌くんのお父さんの真里さんだった。
 美歌さんの家に戻ると真里さんが使われていなかった部屋を開けて、本棚から何冊か写真集を持って来る。
 海外の街並み、街角に立つ娼婦、街灯が青白く石畳を照らす様子、市場の喧噪、年老いた女性の皺の刻まれた横顔……全てありのままに撮った写真の群れに私は圧倒された。
 それ以外にも奏歌くんの0歳からの可愛い写真集があるのだが、それは奏歌くんの目が怖いので部屋でこっそり見ることにする。

「海外の有名なコンテストで賞を取っちゃったから、名前が売れて、しばらくは大人しくしておかないといけないかな」

 長いときを生きて来た吸血鬼の真里さんは、一か所に住むことができない。

「ついでだから、可愛い息子に会いに来たんだよ。奏歌、大きくなって。抱っこさせて!」
「いやだ!」
「え!? なんで!?」
「もうそういうとしじゃない!」

 完全に真里さんに対しては反抗して奏歌くんは私の隣りのソファに座った。茉優ちゃんは来客に怯えて自分の部屋に閉じこもっている。

「そういえば、奏歌、僕のお年玉、受け取った? 誕生日お祝いも!」

 能天気に言う真里さんに美歌さんが地を這うような声で告げた。

「どこのアホでしょうね、6歳の息子のお年玉で三百万、7歳の息子の誕生日お祝いで五百万口座に振り込んできたのは」
「お祝いだもん、弾まなきゃ!」
「限度があるでしょう!」

 私も相当金銭感覚がない方だと思っていたが、上には上がいた。
 賞を取るほどの写真家の真里さんは相当稼いでいるようだ。それを気軽に奏歌くんの口座に振り込むのだという。

「みちるさん、ぼくのことしっかりしてるっていってくれたけど、そのりゆう、わかったでしょう?」
「うん、分かった」

 小さいのに奏歌くんは金銭感覚がしっかりしていると常々思っていたが、この父親が原因だったのだ。金銭感覚が破綻した相手が傍にいると、6歳でもしっかりしなければいけないと思うようだった。
 おかげで私も最近は奏歌くんを驚かすような買い物はしなくなった。

「変質者かと思って、通報しかけましたよ」
「ある意味変質者には違いないけどね」
「酷い! 美歌さん、僕のことそんな風に思っているの!?」
「息子を盗撮するのは明らかに変態行為です!」

 はっきりと宣言されて真里さんは「そんなことないのにぃ」と不服そうだった。

「僕が帰って来たから、奏歌を連れてちょっと小旅行に行ってもいいでしょう?」
「いいわけないでしょう! 奏歌はもう小学生よ!」
「小学校くらい休ませてもいいじゃない。父親が帰って来たんだよ」
「小学校は義務教育です! 保護者として行かせる義務があるのよ」

 軽いノリの真里さんを厳しく指導する美歌さん。
 二人の様子に呆気に取られていると、奏歌くんがミルクで溶かすココアを作って来てくれた。奏歌くんと私は喧噪を横にミルクで溶かすココアを飲んで落ち着く。

「ごめんね、へんなとうさんで」
「ううん、びっくりしたけど、平気だよ」
「とうさんのことはきにしないでいいからね。みとめられようとかおもわなくていいよ。うちにとうさんはいないようなものだから」
「ちょっと、奏歌! 酷くない?」
「自分の常日頃の行動を顧みたらどう?」

 途中で真里さんと美歌さんの声が入ったが、私は奏歌くんの声だけを聞いておく。

「私は奏歌くんの運命のひとだもんね」

 その言葉に真里さんがじっと私を見ているのに気付いた。

「君、人間じゃないね」
「そうですけど、何か?」
「豹……黒豹?」

 海香と同じことを言う!?
 っていうか、真里さんには私の正体が見えている?

「豹じゃないです」

 子猫ちゃんだと私の両親は私のことを呼んでいた。
 私も自分のことは猫だと思っている。多分メインクーンか何かの血が入っていて、ちょっと大きいだけなのだ。そう信じている。

「まぁ、何でもいいけど、奏歌に運命のひとが見付かったのはおめでたいよね」

 どうして僕に教えてくれなかったの?
 可愛らしく首を傾げて問いかける真里さんに、美歌さんが顔を歪める。

「あなたに教えても良いことは何もないからよ」
「二人で海外に来るときに案内できるかもしれないよ? イギリスなら16歳で結婚ができる!」
「え?」
「みちるさん、そいつのいうことはきいちゃだめ!」
「父親に向かって、そいつはないと思うんだけどな」

 イギリスならば16歳で結婚ができる。
 日本ならば18歳まで待たなければいけないから、まだ十一年あると思っていたが、イギリスならば残り九年で奏歌くんと結婚ができる。

「みちるさん、まどわされないで」

 口車に乗せられないでと言われていたにも関わらず、心が揺れそうになった私を奏歌くんが正気に返らせてくれた。
 私は日本でできるだけ長く劇団の女優をしていたいのだった。
 劇団の次のトップスターが誰になるかは、もうすぐ発表されるはずだ。それが私でないことに奏歌くんはがっかりするかもしれないが、そのときにはきちんと説明をしようとは考えていた。
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