可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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番外編

母として

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 赤ん坊を産むことを決めたとき、私はまだ二十代の始めだった。
 吸血鬼としても、成人女性としても若すぎる。
 私が看護学校に入って、弟の安彦が高校になった年に母は姿を消していた。
 母は吸血鬼で父は人間。
 母は父に自分が吸血鬼だということを告げないままに、私と安彦の二人を産んで、父と別れて自分の家を建てて子どもと暮らし始めた。周囲に人外は主治医の先生くらいで、その方もかなり高齢になっていた。
 母が何を考えていたのかは分からない。私に安彦を押し付けるようにして去って行った母に、反抗心がなかったわけではない。
 安彦が連れて来た相手が吸血鬼だと分かって、私は同類に会えたことに浮かれた。その結果が妊娠というものだった。

 人外は寿命が長いので生殖力が弱い。

 私と安彦も人間と吸血鬼の間に産まれていたし、奏歌の父親の真里まさとさんも吸血鬼と人間との間に産まれた吸血鬼だった。
 吸血鬼と吸血鬼との間に産まれる吸血鬼は、特に血が濃くて強いと言われている。
 生涯に一度、持てるかどうかわからないそんな稀有な存在を私は手放したくなかった。何より、私のお腹に来てくれた赤ん坊を殺すなんて選択肢はなかった。
 まだ高校生の安彦に相談して、私は赤ん坊を産むことを決めた。真里さんは養育費は払うが結婚はできないと言っていて、その条件も仕方のないものだと理解していた。

 生まれた奏歌を安彦は可愛がってくれて、真里さんも日本に帰るたびに可愛がってはくれていた。それでも奏歌を攫うようにして海外に連れて行ってしまうのは許せなくて、パスポートを隠したり、奏歌を守るために真里さんがいる間は会わせなかったりしたのだが、それでも狡猾なあの男は奏歌を度々攫って行った。
 真里さんとはできるだけ触れ合わせないように、人間の中で暮らせる間は平和に過ごさせてあげたい。

 保育園に通うようになった奏歌は、成長して友達と仲良くしていた。まだ自分が吸血鬼だと知らせる時期ではない。大きくなって血を欲しがるようになれば、奏歌にも教えなければいけないのだが。
 期限切れの輸血パックにストローを刺して飲む。口の中に広がる味は、生臭くて薬臭くて冷たくて、とても美味しいとは言えない。
 直に人間から飲むのならまだマシなのだろうが、吸血鬼が軽々しく相手の血を飲んでいたら正体を知られてしまう。真里さんは飲んだ相手に自分のことをわすれさせているようだが、私も安彦もそんなことはできなかった。
 人間を餌扱いするような吸血鬼にはなりたくない。

 奏歌が吸血鬼として目覚めてしまったという話を安彦から聞いて、私は慌てた。

「嘘でしょう? 奏歌はまだ6歳よ?」
「かなくんの運命のひとが現れたみたいなんだ」

 それが全ての始まりだった。

 奏歌の運命のひとは奏歌より18歳年上の女性で、瀬川海瑠さんと言って私の高校の先輩の妹だった。劇団に所属している彼女が、蝙蝠になった奏歌に驚かずに拾って行って、血を分けて奏歌が戻ったことにも大して動揺していないこと、挨拶に来た先輩も私たちが吸血鬼だということをあっさりと受け入れている時点で、何か引っかかりは感じていたのだ。

「奏歌くんの運命のひとが私だって話なんですけど」
「奏歌は海瑠さんからいい匂いがしたって言い張ってるし、吸血鬼にとって運命のひとは生涯会えるかどうかも分からない伝説のようなものなんです。もし本当なら、この関係を大事にしたいと思っているんですが」

 運命のひと。
 吸血鬼ならば憧れる伝説だ。
 世界にたった一人だけ、そのひとの血がどんなものよりも甘美に感じられる相手がいる。その相手の血だけが吸血鬼を潤すことができる。

 夢物語のようだが、本当に奏歌が海瑠さんから甘い匂いを感じ取って、吸血鬼として覚醒したのならば、海瑠さんが運命のひとで間違いがないだろう。
 生涯に会えるかどうか分からない。
 奏歌にとっては一生の相手になるかもしれないひとなのだから大切にしたい。
 私の言葉に海瑠さんは戸惑っている様子はない。

「吸血鬼だというのは内緒なんですよね?」
「はい……瀬川先輩とその妹さんなら大丈夫と思いますが、もし騒ぎ立てるようなら、私たちのことを忘れてもらうことになります」

 忘れてもらうということは、そういう能力が吸血鬼にはあると説明しても海瑠さんの表情にも海香さんの表情にもあまり変化はない気がしていた。
 これは、海瑠さんと海香さんにも秘密があるのかもしれない。

「海瑠は男運が悪いんです。妻子持ちの年上の俳優に借金押し付けられて逃げられてから、食べ物も喉を通らなくなったし」

 海香さんの言葉に私は海瑠さんをじっと見つめていた。
 何か黒いものが見える。私も吸血鬼としての力が弱い方ではないので、海瑠さんがただの人間ではないことは薄々勘付いていた。

「血が、必要なんですか?」

 血くらい上げても良いと海瑠さんは言うが、奏歌はあっさりとそれに反論した。

「みちるさん、ごはんたべないと。みちるさんのち、まずかった」

 甘美に感じられるはずの運命のひとの血がまずくかんじられるなんて、それだけ海瑠さんの健康状態が悪いのだろう。奏歌の運命のひとがそんな状態に陥っているのは放っておけない。

「それにほしいのは、ちじゃなくて、みちるさん」
「え?」
「みちるさんに、げんきになってほしい」

 何より、奏歌は海瑠さんに夢中だった。
 小さな奏歌が胸に抱いた幼い恋心を叶えてやりたい。
 私は恋を知らぬまま、好奇心で真里さんと関係を持って、子どもを作った。
 奏歌にはそんなことがないようにさせたい。

「姉さん、かなくんはこんなに小さいんだよ」
「運命のひとに出会えるなんて奇跡みたいなものなんだから、絶対に手放しちゃダメ。奏歌を海瑠さんのうちにお休みのときに預かってもらいましょう」
「姉さん」
「海瑠は家事ができないだけど」
「お弁当とお惣菜を持たせます。作るのは安彦だけど」
「ちょっと、姉さん!」

 安彦は気付いていないだけなのだ。
 鈍いから安彦はなかなか周囲のことに気付かない。
 海香さんも海瑠さんも人間ではない気配をさせているのに。
 しかし、こういうことは本人から話し出さない限りは口にしてはいけない。
 これから奏歌と海瑠さんのお試しの日々が始まる。
 奏歌と触れ合って海瑠さんはどう変わるのだろう。奏歌はどう成長していくのだろう。
 母として、私は奏歌を全力で応援するつもりだった。
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