可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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一章 奏歌くんとの出会い

9.初めてのお洗濯

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 秋の公演に向けて舞台稽古も終盤に差し掛かっていた。
 やっととれた休みの日に部屋にやってきた奏歌くんは、銀色の保冷バッグから急いで冷凍庫に何かを入れていた。

「きょうのおやつだよ! みちるさんのぶんもあるからね」
「何かな。楽しみ」

 前回の容器は洗って返して、新しいお惣菜の耐熱ガラスに蓋のついた容器を冷蔵庫に入れる。今回もご馳走の予感だった。

「おひるごはんは、おべんとう。ばんごはんは、ミートローフとラザニアとポテトサラダ」
「奏歌くんがいない間もちゃんと食べてたんだよ」

 マネージャーの津島さんや親友の百合や姉の海香に付き合ってもらって、食事は外食でもできるだけとるようにしていた。奏歌くんと一緒じゃないから何を食べているか分からないし、あまり味も分からなかったけれど、奏歌くんが飲んで美味しい血を作るために努力しようと思ったのだ。

「よかった。あきのこうえんは、だいじょうぶだね」

 血のことなんて全く言わず、私の秋の公演の心配をしてくれる奏歌くん。
 私の身体が目当てだった男性のように、私の血が目当てというわけではない。
 鳥籠のようなハンギングチェアにすっぽりとはまって揺れている奏歌くんを見ていると、可愛さにうずうずする。こういうときに写真を撮るだけの技術が私にあればよかった。

「奏歌くん、写真撮ってもいい?」
「うん、いいよ」

 許可を取って写真を取るのだが、携帯電話のカメラの場所を指で押さえて指が映っていたり、ぶれていたりして、私のカメラ技術の低さが露呈しただけだった。
 がっくりと肩を落としている私に携帯電話を覗き込んだ奏歌くんが言う。

「やっちゃん、ものすごくさつえいじょうずだよ?」

 そうだった。奏歌くんの叔父さんのやっちゃんの本業は写真を撮って加工してポスターや雑誌の特集にすることだった。そのために細かくコンセプトを聞いてインタビューもするやっちゃんは、仕事熱心でその力量も劇団で認められている。

「やっちゃん、私と奏歌くんのこと反対してるから……」
「ちょっとはずかしいけど……やっちゃんにおねがいしたら、ぼくのちいさいころからのデータ、コピーしてくれるかも」

 小さい頃からやっちゃんは奏歌くんの写真や動画を撮りためている。こんなに可愛い甥っ子がいたら写真や動画を撮りたくなる気持ちは分かる。
 どうにかしてやっちゃんの態度を軟化させて、私は奏歌くんの写真や動画のデータを手に入れたかった。
 悪巧みは後にして、奏歌くんに渡すものがあったと私は封筒を取り出す。

「奏歌くん、これ、受け取ってくれる? 美歌さんに日程聞いたから、多分大丈夫だと思うんだけど」
「え? あけていい?」

 驚いた顔で封筒を開けた奏歌くんの表情が見る見るうちに輝いてくる。ハニーブラウンのお目目がきらきらとして私を見上げた。

「みちるさんのげきだんのチケット! ぼく、いきたかったけど、やっちゃんがチケットとるのむりだよっていってて、DVDクリスマスにサンタさんにおねがいしようかとおもってた!」

 飛び跳ねて喜ぶ奏歌くんに、マネージャーの津島さんに相談してチケットを取ってもらって本当に良かったと実感した。

「ファンサービスのファンクラブのお茶会のチケットも上げたかったんだけど、奏歌くんファンクラブに入ってないし、時間が遅いからダメだって言われちゃったんだ」

 こんなに喜んでくれるんだったらお茶会のチケットも準備すれば良かったという私に、奏歌くんはきらきらのお目目でぶんぶんと首を振った。

「チケットだけでうれしい! やっちゃんといっしょにいけばいいんだね!」
「うん、保護者がいないとダメだから二枚準備したんだけど」

 保護者がいないと奏歌くんは劇場に来られないというのを教えてくれたのも津島さんだった。それがなかったら私は奏歌くんの分だけしかチケットを手配しなかっただろう。
 劇団のチケットは競争率が高くて、売り出すと一瞬で売り切れになることは知っていた。手に入れるのは物凄く倍率が高いと言われて、友達だと思っていた男性にチケットを手配したら、転売されたことが後で発覚した事件もあった。
 こんなに喜んでいる奏歌くんは転売するわけがないし、稽古でも拍手してくれていたくらいだから、本番も楽しんでくれるだろう。

「うれしいな……リュックサックのきちょうひんのポケットにいれておこう」

 リュックサックの背中と接する部分にあるポケットは、貴重品入れにしているようだ。奏歌くんは小鳥のがま口を取り出して、その奥にチケットを大事に入れ込んだ。
 お昼ご飯のお弁当は奏歌くんが中身の説明をしてくれる。

「おにぎりはきょうはうめと、たかな。たまごやきと、ぶたにくのしょうがやきと、ほうれんそうのゴマあえと、ベーコンのアスパラまきがおかず」
「どれも美味しそう……」
「みちるさん、むぎちゃ……あぁ!」

 二リットルのペットボトルから麦茶を注ごうとした奏歌くんが手を滑らせてペットボトルを落としてしまう。奏歌くんのハーフパンツを濡らして、ペットボトルは床に落ちた。

「ごめんなさい! おもくて」
「そうだよね。私が注げばよかった」

 ペットボトルを拾って蓋をしたは良いがどうすればいいか分からない私に、奏歌くんはてきぱきと洗面所からタオルをもってきてテーブルと椅子と床を拭く。ハーフパンツも着替えて、気を取り直してお弁当を食べた。
 今度は間違いなく私が奏歌くんに麦茶を注いだ。

「私にもできることがあった……」
「みちるさんのついでくれたむぎちゃ、おいしいよ」

 注いだだけなのに奏歌くんは褒めてくれる。私も奏歌くんの注いでくれた麦茶は美味しい気がするから、お互いにそう思っているのかもしれない。
 食べ終わると奏歌くんが洗面所に行った。

「タオルとハーフパンツをおせんたくしたいんだけど」

 明日のための着替えは持ってきていたので着替えられたが、これでは明日に履くハーフパンツがない。奏歌くんの言葉に私は白状しなければいけなかった。

「洗濯機、使ったことがないの」
「え? おせんたく、どうしてるの?」
「下着以外はクリーニング……」

 下着は洗えないなら買えと海香に言われているのでそうしていると正直に言ったら、奏歌くんは難しい顔をしていた。

「ハーフパンツ買いに行こう!」
「かわなくていいよ!」

 こんなときにまで私にお金を使わなくて良いと言ってくれる奏歌くん。ハーフパンツ一枚なんて、私が買い替えている下着に比べれば安いものだったがそういう問題ではないらしい。

「せんたくき、ぼくがつかえたらいいんだけど……」
「海香に聞いてみる! 使えるかもしれないからね」

 電話すると海香は呆れた様子で『すぐ行く』と答えた。
 三十分もしないうちに海香がうちのインターフォンを押す。部屋に入られるのは正直いい気分ではなかったけれど、奏歌くんのハーフパンツを洗うためなら仕方がない。
 大荷物を持って海香は部屋にやってきた。

「やっと洗濯を覚える気になったのね。本当に奏歌くんの存在は偉大だわ。はい、これ」

 渡されたネットを私は不思議そうに見つめる。

「下着用のネット。下着はこれに入れて洗うのよ。それからこれが洗濯物干しスタンド」

 三段になっているスタンドを広げると、一番上が洗濯ばさみのついた棒、二番目と三番目が中央から棒が広がる形状になっている。
 ハンガーラックも渡された。

「洗濯機には表示された分だけ洗剤を入れて、自動ボタンを押すのよ」
「これで、奏歌くんのハーフパンツが洗える?」
「あんたの服でもなんでも洗えるわよ!」

 洗濯が終わると奏歌くんが干し方を教えてくれる。

「こうやって、パンパンってして、しわをとるの」
「こう?」
「下着はしなくていいからね!」

 海香が律義にツッコミを入れた。
 使っていない部屋にスタンドとハンガーラックを設置して、洗濯物も無事に干せて、私は海香にお礼を言う。

「奏歌くんのハーフパンツが洗えてよかった。ありがとう」
「あくまで、奏歌くんのなのね。いいけど」

 これからは下着も買い替えなくて良くなる。
 奏歌くんのおかげで私はまた成長した気分だった。奏歌くんがいなければ洗濯機を使う考えすら浮かばなかった。

「何にもできないやつでごめんね、奏歌くん」
「できないことは、なにもはずかしくないって、ほいくえんのせんせいもいってたよ。だいじなのは、できないってすなおにいって、ならうことなんだって」
「……本当に男前ね」

 海香も感心する奏歌くんの男前ぶりに私は自分のことのように誇らしかった。
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