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第一部 後天性オメガは美女に抱かれる (雪峻編)

1.運命を確信した日 (艶華視点)

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 アルファやオメガなどは、平凡なベータの夫婦にとっては、雲の上のような存在である。この世界の八割以上はベータなのだから、それぞれ一割以下しかいないアルファやオメガが、そんなに近くに存在するはずはない。
 後天性のオメガとして大学一年の春に覚醒した雪峻の両親は、ごくごく平凡なベータだった。それが世界的に認められた有名画家の美貌のアルファ、園部艶華を結婚相手として連れてきたのである。
 あまりにも世間離れした艶華を心配して、兄の鷹野も一緒に来てくれていたが、その鷹野も長身で美形で、雪峻の両親は完璧に委縮しきっていた。

「雪峻くんのことが大好きなんです。私は日常生活がだらしなくて、雪峻くんにいっぱい迷惑をかけるけど、一生食べるのに困らないようにします!」
「お金で雪峻くんを買うような言い草はやめない、艶華?」
「だって、それ以外できることがないんだもん!」

 後光でも差していそうと言われる美形兄妹が、目の前で喋っている姿に慣れない様子の雪峻の両親。
 深々と頭を下げて、艶華の差し出した絵を、雪峻の両親は押し頂くように受け取った。

「雪峻とわんちゃんが、こんなにきれいに描かれてて」
「本当に雪峻を大事に思ってくれているんですね」

 話すよりも、描くことの方が伝わる艶華は、絵で愛情を汲み取ってもらえて、幸せだった。


 始まりは春。
 ギャラリーに行く途中だった艶華は、近道をしようと抜けた細い道で、蹲っている雪峻を見つけた。くらくらとするほど甘い香りが周囲に漏れ出していて、それだけで艶華は雪峻がオメガだと分かった。
 発情期のオメガは、発熱したようになって、身体がアルファを求めて疼いて、動けなくなることが多い。アルファの方も発情期のフェロモンに誘われて、理性を失って、オメガを襲ってしまう事件も少なくはない。
 普通ならば恋人のいないオメガは発情期にアルファを誘惑しないために、抑制剤を処方してもらっている。
 下着の中でフェロモンに反応して、男性器に相当するものが生える気配はしていたが、艶華はその時点ではまだ、雪峻に何かするつもりはなく、保護して、助けようと思っていた。
 ホテルに連れて行った雪峻は、バスルームに籠ってしまう。水音に混じって、苦しそうな声が聞こえるのは、自分で触れて慰めているからだろう。

「もしかして、抑制剤持ってないの?」
「よくせいざい……なんで、そんなもの……」

 落ち着けば抑制剤を飲んで、フェロモンがおさまるまで休んで、雪峻を家まで送り届ければいい。そう思っていたのに、雪峻はまるで抑制剤を持っているはずがないというようなことを口にする。
 バスルームのガラス戸越しに話しかけていると、雪峻にとって、これが初めての発情期だということが分かって来た。

「たすけて……こんなの、俺じゃない……」
「病院に連れて行ってあげたいけど、その状態で外を連れ回すのは危険すぎる」

 アルファ女性として艶華も力が強い方だが、オメガのフェロモンを浴びて理性を失くしてしまうかもしれないし、そうでなくても、オメガのフェロモンに引き寄せられた連中から雪峻を守れるか分からない。
 一番簡単なのは、艶華が抱いてしまって、アルファの痕跡を付け、他のアルファが寄って来られないように牽制することなのだが、それには雪峻の同意が必要だった。
 自分は好きになるのに、一夜の相手として遊ばれたり、相手に捨てられたりすることが多い艶華は、経験がないわけではないので、雪峻を傷付けずに抱ける自信はあった。けれど、初めての発情期ならば、雪峻は一度も抱かれたことがないのかもしれない。
 まだ若そうだし、大事な初めてを艶華が散らせていいものなのか。
 悩んでいると、バスルームから出て来た雪峻が、冷たい雫を全身から垂らしながら、艶華に縋った。

「たすけて……」
「こんなに冷えて。ダメよ、行きずりの相手となんて……」
「苦しいんだ、頼む、助けてくれ」

 いけないという思いと、助けてあげたいという思いが、複雑に胸の中で混ざり合う。そんな艶華に、雪峻は口付けをした。

「後悔、するよ?」

 自覚があるが、艶華は惚れっぽいのだ。抱いてしまえば、雪峻のことを自分のものにしたくなる。
 そうなっても知らないと抱いた身体は、細く、引き締まっていた。
 オメガである兄の鷹野が長身で体格も良いので、オメガはそんなものかと思っていたら、全然違う、可愛らしい青年。

「体、キツくない?」

 抱いた後で問いかけた艶華に、雪峻は布団にもぐってしまった。初めてで乱れて恥ずかしかったのかもしれない。オメガが欲望に弱いのは普通なので、艶華は気にしていないが、雪峻はきっと慎ましやかなのだ。

「初めてだったみたいだし、優しくしたかったんだけど、私も理性が限界で……ごめんなさいね?」

 謝っても、雪峻は布団から顔を出してくれなかった。

「迷惑をかけてすみませんでした……もう大丈夫です。病院にも行きますから」
「余裕がなくて、避妊具ゴムも付けなかったから、大丈夫じゃないよ。病院に一緒に行きましょう?」
「一人にしてください……」

 このまま雪峻を放っておくことはできない。
 持っていた封筒にタクシー代とホテル代と病院代を入れて、艶華は自分の名刺を添えて、ベッドの枕元に置いた。
 きっと彼は艶華を追いかけて来てくれる、会いに来てくれる。
 そんな気がしていた。
 その日は一日中そわそわとして雪峻が来るのを待っていたが、その時点で艶華は雪峻の名前も聞いていなかったことに気付いて、ギャラリーでへこんでいた。

「今日は家で描かないの?」
「ちょっと、ひとが来るかもしれないの」
「艶華ちゃんを待たせるなんて、罪な奴だねぇ」

 笑いながらギャラリーのオーナーがランチに誘ってくれる。オーナーはベータで結婚しているし、艶華の恋愛遍歴も知っているので、下心はないことは分かっている。近くのお洒落なイタリアンのお店でパスタをご馳走になって、夕方まで待っていたけれど、雪峻は来なかった。

「遊ばれちゃったのかなぁ……」

 恋人だと思っていた相手に車を買ったら、連絡が取れなくなった。
 仕事が立て込んでしばらく会えなかったら、他の相手と浮気していた。
 恋人だと思っていたら、セフレだと言われた。
 そんなことばかり繰り返してきた艶華だったが、恋には人一倍憧れがあった。
 「運命の番」、そう呼ばれる、抱き合っただけで番という、お互いにしかフェロモンが作用しない関係になれる相手。そんな相手との出会いを艶華はずっと求めていた。
 兄の鷹野のフェロモンは香るのに、他のオメガのフェロモンに鈍いのは、何か理由があるのだろう。運命の相手のフェロモンと、鷹野のフェロモンが近いからかもしれない。
 雪峻からは甘く鷹野と似たいい匂いがしていたことを思い出して、艶華ははっと息を飲んだ。
 彼こそが自分の運命の相手ではないのだろうか。
 それならば絶対に逃してはいけない。
 待ち望んだ翌日に、雪峻はギャラリーに来てくれた。
 甘いフェロモンの香りを纏ったままで。抑制剤は飲んでいるのだろうが、若干フェロモンが漏れ出している気がする。

「来てくれたの? ……フェロモン、少し香ってるみたいだけど、大丈夫?」
「ふぁ!?」

 声をかけると驚かれてしまって、艶華は笑ってしまった。耳まで真っ赤になるのも、可愛くてたまらない。

「本当にいい香り……」
「漏れてますか? 知り合いのアルファは気付かなかったから、大丈夫かと思っていました」
「フェロモンに鈍いひとと、鋭いひとがいるみたいだからね。私、鈍いはずなんだけど」

 きっと雪峻が運命なのだ。
 艶華はそう確信しているのに、雪峻は艶華の描いた絵に対して冷ややかだった。

「写真みたいですね。これなら、写真で良いんじゃないですか?」
「よく言われるけど、私が切り取ってるのは、私の世界だから」

 言われ慣れているし、雪峻ならば言われても嫌ではない言葉。
 認められないならば、いつか雪峻に認められる絵を描いてみせればいい。そのときまで雪峻を側にいさせる方法。

「帰ります」
「このまま帰すわけにはいかないよ」

 もう艶華は雪峻を逃がすつもりなどさらさらなかった。
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