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書籍化作家に推されています ~僕はただの素人物書きなのに~
2.書籍化作家に小説を依頼されます
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ルームシェア二日目、春香と龍己の間に生活のルールが決まった。
まだ大学の入学式までは日にちがあったので、春香は龍己に家事を教えてもらうつもりだった。そのことについて先に申し出たのは龍己だった。
「料理は俺がしよう」
「え!? いいのですか? 僕も覚えたらできると思うのですよ」
専業作家で毎日家にいるとはいえ、龍己は忙しい身だ。料理を全て任せてしまうというのには春香も抵抗があった。遠慮する春香に龍己が言う。
「新しいことを覚えるのは大変だろうし、一人分作るのも二人分作るのも変わらない」
「僕は学生で、龍己さんは働いているのですよ?」
「どうしても作れないときには宅配を頼んだりする」
だから、と龍己は続ける。
「毎日、俺のために小説を書いてくれないか?」
春香の小説ははっきりいってどの投稿サイトに投稿してもほとんど読まれない。感想がつくことなど奇跡でも起きなければないし、ランキングに乗ることなど皆無である。その作品に龍己が執着する意味が、春香にはよく分からない。
「僕は素人の物書きなのですよ。龍己さんはプロじゃないですか」
「俺にはあんなに自分が萌える作品は書けない。俺にとっては毎日仕事の終わりに春香くんの小説を読むことが、唯一の癒しだったんだ。それがなくなるなんてことは考えたくない」
春香が料理を習い始めて忙しくなって書く時間が減るよりも、龍己は春香の分の食事を作ってまで春香の小説を読みたいと言ってくれている。
全く未知の分野だったボーイズラブにも手を付けて、興味を持って萌えて読んでくれている。
「春香くんの小説がどうして書籍化されないかが分からない」
「僕の小説なんて、全然なのですよ。龍己さんはプロだから分かるんじゃないのですか?」
「春香くんの小説には萌えしかない」
龍己の言っていることはよく分からないが春香の小説が龍己にとってピンポイントに刺さる物語であるということは確かなのだろう。一般受けしない作品だが、龍己にだけはなぜか刺さる文章。それが春香には書けている。
できれば一般受けしたいし、書籍化の夢も持っているのだが、今のところは春香は龍己を繋ぎ止めておけるだけの文章が書ければいいと思っていた。
龍己は春香の文章を気に入って求めている。求められる限り書いていれば、龍己は春香の傍から離れない。
暗い思いが春香の中から出て来る。
より龍己の好みの展開に、より龍己がハマる文章に、内容を進めていったら、龍己は春香の虜になるのではないだろうか。
そうなった後で、龍己に迫れば、龍己は拒めなくなるかもしれない。
この十歳年上の不思議な趣味の作家を、春香は落とす方法を考えていた。
大学の入学式が終わって、大学に通い始めても春香はサークルなどには入らなかった。履修届を出して、単位の必要な科目を登録して、授業には真面目に行く。休み時間には小説のネタを練って、帰ってきたら洗濯物を取り入れて、畳んで、風呂の用意をしてから、パソコンの前に座る。
「この主人公の前に現れたライバル、痛快な感じで振られて、主人公は相手の元に行くんだろ? 最高の展開だな!」
昨夜、書き上げた部分を見せたときに龍己は言っていた。分かりやすい龍己は感想を言うときに、自分の求めている展開も口にする。
「それ、いいのです! そうしましょう!」
龍己から提案があった場合には、春香はできる限りそれを取り入れることにしていた。
主人公を誘惑する美女は公衆の面前で振られて、主人公は男性の恋人の元に帰る。荷物を纏めて部屋を出ようとしていた恋人を抱き締め、「彼女とは何もない」と縋るのだ。
大学の課題もあるので春香が一日に小説を書ける時間は二時間ほど。調子がいいときには二話くらい書けるのだが、調子が悪いときには一話と少しで、残りは次の日に持ち越しである。
出来上がった作品のデータを龍己のメッセージに送っておいてから、部屋を出た春香はいい匂いにリビングに引き寄せられていた。
「春香、また風呂のお湯を止め忘れてたぞ?」
「あ、小説を書きに行ったから、忘れちゃったのです。すみません」
「お湯が零れそうになってるから、先に風呂に入ってこい」
「はい! 入って来るのです!」
一緒に暮らすようになってから、龍己は春香に対して遠慮がなくなった。家を出たが弟がいたというので、弟のことを思い出すのだという。春香のことは呼び捨てで呼ぶようになったし、生活態度を注意するときも兄のように叱って来る。
それでもものすごく自分が甘いことに、龍己は恐らく気付いていない。
お風呂で髪と体を洗って、春香は鏡に映った自分を見詰める。茶色の髪の毛に緑がかった瞳。日本人らしくない白い肌も、春香にとってはコンプレックスだった。
龍己は何も聞いてこないが、春香に外国人の血が入っていることには気付いているだろう。
春香は母親が十代の頃に関係を持った一晩だけの男性との子どもで、気付いたときには堕胎できない時期に来ていて、母親は仕方なく春香を産んだ。その後、母親は新しい男性と結婚して、その男性が春香のことも可愛がってくれていたので、春香は今も生きていられる。
それでも、生まれた異父弟と異父妹を母親が春香とは全く違う態度で可愛がる様子に、自分の弟妹とは思えずに距離を置いてしまったり、母親の夫との関係も春香が育つにつれて微妙なものになってしまった。
家を出ることに誰も反対しなかったのも、ネットで知り合った男性とルームシェアするということに納得したのも、春香が家族の中では一人異質な存在だったからだった。
「嫌いなメニューでもあった?」
風呂から出てきた春香の表情が浮かないのを見て、龍己が心配そうに春香を覗き込んできている。龍己の方が頭半分以上背が高いので、春香と視線を合わせるには少し屈まなければいけない。
異国の容貌をしているのに、春香の背はあまり大きくなかった。
「嫌いなメニューはありません。とても美味しそうなのです」
にぱっと笑うと、龍己も表情を緩める。
今日の晩ご飯は、油揚げを焼いてカリッとさせて出汁醤油とネギをかけたものに、具沢山の味噌汁、ポテトサラダ、豚肉の生姜焼きと豪勢だった。食事といえば、パスタが一品とか、焼きそばが一品とか、チャーハンが一品とかいうイメージしかなかった春香にとっては、龍己の作る料理はいつも品数が多くて嬉しくなってしまう。
「こんなに豪勢なご飯は食べたことがないのです」
「俺が毎日食べさせてるだろう?」
「龍己さんが作ってくれないと、食べられないのです」
ご飯を山盛りお茶碗に盛ってもらって、春香は食べ始める。龍己は食べながらちらちらとタブレット端末を気にしていた。
「今日の分、もう送ってくれたんだろう?」
「ご飯中はダメですよ。お行儀が悪いのです」
「分かってるって」
春香は小説を完結まで書き終わって、見直しをしてから投稿するタイプなので、書いている途中の小説は基本的にネット上で見ることができない。完結した作品を毎日一話ずつ公開する形式で投稿していたので、家にいた頃はその感想を毎日SNSで龍己と話し合っていた。
ルームシェアをするようになってから、書いている途中の作品も龍己に見せて、途中で変えた方がいい展開なども聞くのだが、先の展開を予想することはあっても、龍己は基本的に春香の作品にダメ出しをすることはなかった。
「気になるところがあったら教えてください」
「気になるところなぁ……全部が萌えすぎて、誤字まで愛嬌と思えて来るんだよな」
「誤字は指摘して欲しいのです! 恥ずかしいですから!」
確実に龍己は春香の小説に溺れている。
どこがいいのか春香には全く分からないのだが、龍己にとってはものすごく萌える展開ばかりらしい。
「ネットで春香の小説に出会ったとき、世の中にこんなに萌えるものがあったのかと思ったんだよ。実は、あの作品に感想を書く前から、ずっと春香の小説を追いかけてた」
熱っぽく言うのは恋愛のことではなく小説のことなのだが、ここまで言われていい気にならない春香ではない。
もっと龍己の好みの小説を書きたい。もっと龍己がハマる小説を書きたい。
作家という特殊な仕事をしている龍己は、独特の感性をしているのだろう。自分では一般受けするものを書いていても、読みたいものは春香の書いた小説なのだ。
「この続きはどうなると思いますか?」
「恋人が主人公を振り払って、家を出てしまって、主人公が最高に不憫でヘタレて、食事も摂れなくなって、やつれるんだろう?」
「それはいいですね」
「それを噂に聞いた恋人が、主人公の元を訪れる」
「なるほど?」
続きの展開を語る龍己に、春香はしっかりとその内容を記憶に刻んだ。
まだ大学の入学式までは日にちがあったので、春香は龍己に家事を教えてもらうつもりだった。そのことについて先に申し出たのは龍己だった。
「料理は俺がしよう」
「え!? いいのですか? 僕も覚えたらできると思うのですよ」
専業作家で毎日家にいるとはいえ、龍己は忙しい身だ。料理を全て任せてしまうというのには春香も抵抗があった。遠慮する春香に龍己が言う。
「新しいことを覚えるのは大変だろうし、一人分作るのも二人分作るのも変わらない」
「僕は学生で、龍己さんは働いているのですよ?」
「どうしても作れないときには宅配を頼んだりする」
だから、と龍己は続ける。
「毎日、俺のために小説を書いてくれないか?」
春香の小説ははっきりいってどの投稿サイトに投稿してもほとんど読まれない。感想がつくことなど奇跡でも起きなければないし、ランキングに乗ることなど皆無である。その作品に龍己が執着する意味が、春香にはよく分からない。
「僕は素人の物書きなのですよ。龍己さんはプロじゃないですか」
「俺にはあんなに自分が萌える作品は書けない。俺にとっては毎日仕事の終わりに春香くんの小説を読むことが、唯一の癒しだったんだ。それがなくなるなんてことは考えたくない」
春香が料理を習い始めて忙しくなって書く時間が減るよりも、龍己は春香の分の食事を作ってまで春香の小説を読みたいと言ってくれている。
全く未知の分野だったボーイズラブにも手を付けて、興味を持って萌えて読んでくれている。
「春香くんの小説がどうして書籍化されないかが分からない」
「僕の小説なんて、全然なのですよ。龍己さんはプロだから分かるんじゃないのですか?」
「春香くんの小説には萌えしかない」
龍己の言っていることはよく分からないが春香の小説が龍己にとってピンポイントに刺さる物語であるということは確かなのだろう。一般受けしない作品だが、龍己にだけはなぜか刺さる文章。それが春香には書けている。
できれば一般受けしたいし、書籍化の夢も持っているのだが、今のところは春香は龍己を繋ぎ止めておけるだけの文章が書ければいいと思っていた。
龍己は春香の文章を気に入って求めている。求められる限り書いていれば、龍己は春香の傍から離れない。
暗い思いが春香の中から出て来る。
より龍己の好みの展開に、より龍己がハマる文章に、内容を進めていったら、龍己は春香の虜になるのではないだろうか。
そうなった後で、龍己に迫れば、龍己は拒めなくなるかもしれない。
この十歳年上の不思議な趣味の作家を、春香は落とす方法を考えていた。
大学の入学式が終わって、大学に通い始めても春香はサークルなどには入らなかった。履修届を出して、単位の必要な科目を登録して、授業には真面目に行く。休み時間には小説のネタを練って、帰ってきたら洗濯物を取り入れて、畳んで、風呂の用意をしてから、パソコンの前に座る。
「この主人公の前に現れたライバル、痛快な感じで振られて、主人公は相手の元に行くんだろ? 最高の展開だな!」
昨夜、書き上げた部分を見せたときに龍己は言っていた。分かりやすい龍己は感想を言うときに、自分の求めている展開も口にする。
「それ、いいのです! そうしましょう!」
龍己から提案があった場合には、春香はできる限りそれを取り入れることにしていた。
主人公を誘惑する美女は公衆の面前で振られて、主人公は男性の恋人の元に帰る。荷物を纏めて部屋を出ようとしていた恋人を抱き締め、「彼女とは何もない」と縋るのだ。
大学の課題もあるので春香が一日に小説を書ける時間は二時間ほど。調子がいいときには二話くらい書けるのだが、調子が悪いときには一話と少しで、残りは次の日に持ち越しである。
出来上がった作品のデータを龍己のメッセージに送っておいてから、部屋を出た春香はいい匂いにリビングに引き寄せられていた。
「春香、また風呂のお湯を止め忘れてたぞ?」
「あ、小説を書きに行ったから、忘れちゃったのです。すみません」
「お湯が零れそうになってるから、先に風呂に入ってこい」
「はい! 入って来るのです!」
一緒に暮らすようになってから、龍己は春香に対して遠慮がなくなった。家を出たが弟がいたというので、弟のことを思い出すのだという。春香のことは呼び捨てで呼ぶようになったし、生活態度を注意するときも兄のように叱って来る。
それでもものすごく自分が甘いことに、龍己は恐らく気付いていない。
お風呂で髪と体を洗って、春香は鏡に映った自分を見詰める。茶色の髪の毛に緑がかった瞳。日本人らしくない白い肌も、春香にとってはコンプレックスだった。
龍己は何も聞いてこないが、春香に外国人の血が入っていることには気付いているだろう。
春香は母親が十代の頃に関係を持った一晩だけの男性との子どもで、気付いたときには堕胎できない時期に来ていて、母親は仕方なく春香を産んだ。その後、母親は新しい男性と結婚して、その男性が春香のことも可愛がってくれていたので、春香は今も生きていられる。
それでも、生まれた異父弟と異父妹を母親が春香とは全く違う態度で可愛がる様子に、自分の弟妹とは思えずに距離を置いてしまったり、母親の夫との関係も春香が育つにつれて微妙なものになってしまった。
家を出ることに誰も反対しなかったのも、ネットで知り合った男性とルームシェアするということに納得したのも、春香が家族の中では一人異質な存在だったからだった。
「嫌いなメニューでもあった?」
風呂から出てきた春香の表情が浮かないのを見て、龍己が心配そうに春香を覗き込んできている。龍己の方が頭半分以上背が高いので、春香と視線を合わせるには少し屈まなければいけない。
異国の容貌をしているのに、春香の背はあまり大きくなかった。
「嫌いなメニューはありません。とても美味しそうなのです」
にぱっと笑うと、龍己も表情を緩める。
今日の晩ご飯は、油揚げを焼いてカリッとさせて出汁醤油とネギをかけたものに、具沢山の味噌汁、ポテトサラダ、豚肉の生姜焼きと豪勢だった。食事といえば、パスタが一品とか、焼きそばが一品とか、チャーハンが一品とかいうイメージしかなかった春香にとっては、龍己の作る料理はいつも品数が多くて嬉しくなってしまう。
「こんなに豪勢なご飯は食べたことがないのです」
「俺が毎日食べさせてるだろう?」
「龍己さんが作ってくれないと、食べられないのです」
ご飯を山盛りお茶碗に盛ってもらって、春香は食べ始める。龍己は食べながらちらちらとタブレット端末を気にしていた。
「今日の分、もう送ってくれたんだろう?」
「ご飯中はダメですよ。お行儀が悪いのです」
「分かってるって」
春香は小説を完結まで書き終わって、見直しをしてから投稿するタイプなので、書いている途中の小説は基本的にネット上で見ることができない。完結した作品を毎日一話ずつ公開する形式で投稿していたので、家にいた頃はその感想を毎日SNSで龍己と話し合っていた。
ルームシェアをするようになってから、書いている途中の作品も龍己に見せて、途中で変えた方がいい展開なども聞くのだが、先の展開を予想することはあっても、龍己は基本的に春香の作品にダメ出しをすることはなかった。
「気になるところがあったら教えてください」
「気になるところなぁ……全部が萌えすぎて、誤字まで愛嬌と思えて来るんだよな」
「誤字は指摘して欲しいのです! 恥ずかしいですから!」
確実に龍己は春香の小説に溺れている。
どこがいいのか春香には全く分からないのだが、龍己にとってはものすごく萌える展開ばかりらしい。
「ネットで春香の小説に出会ったとき、世の中にこんなに萌えるものがあったのかと思ったんだよ。実は、あの作品に感想を書く前から、ずっと春香の小説を追いかけてた」
熱っぽく言うのは恋愛のことではなく小説のことなのだが、ここまで言われていい気にならない春香ではない。
もっと龍己の好みの小説を書きたい。もっと龍己がハマる小説を書きたい。
作家という特殊な仕事をしている龍己は、独特の感性をしているのだろう。自分では一般受けするものを書いていても、読みたいものは春香の書いた小説なのだ。
「この続きはどうなると思いますか?」
「恋人が主人公を振り払って、家を出てしまって、主人公が最高に不憫でヘタレて、食事も摂れなくなって、やつれるんだろう?」
「それはいいですね」
「それを噂に聞いた恋人が、主人公の元を訪れる」
「なるほど?」
続きの展開を語る龍己に、春香はしっかりとその内容を記憶に刻んだ。
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