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Ⅳ.風雲に滲む気配
37.記録を辿る
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――ちょっと待っていてくれ。
そう言って悠里を座布団に座らせた狼泉は、一度寝室の方へ向かってから、何かを持って帰ってきた。
「それ……」
悠里は狼泉の手元にあるものを見つめて、ポツリと呟く。それは、本のように見えた。だが、表紙に題名はなく、記録帳という方が近いかもしれない。
「これは、昨日、部屋を片付けている時に見つけたものだ。冬用に模様替えするついでに、本棚も整理しようと思って、な」
狼泉が悠里の隣に座りながら答える。悠里が差し出された本を受け取って凝視していると、グイッと身体が抱き上げられた。再び、悠里は狼泉の膝上で抱きしめられる体勢になってしまう。
「……狼泉。僕、ぬいぐるみじゃないんだけど」
「ヌイグルミ?」
「そんなにホイホイと、抱っこしないでってこと」
「嫌なのか?」
伝わらなかった言葉の意味を説明するのは簡単だったが、その問いに答えるのは難しい。
狼泉に恋する身としては、恥ずかしくて赤面しそうで困ってしまうのが当然だ。でも、それが嫌なのかと問われると、少し違う。友人という関係でしかなくても、こうして近い距離にいられるのは嬉しいのだから。
複雑な心情を抱えて口籠っていると、狼泉が目を細めて顔を近づけてくる。悠里は思わず息を止めて、その瞳を凝視した。
頬に触れる柔らかな感触。熱い呼吸を肌で感じて、顔にぶわりと熱が上がる。
「――耳まで、真っ赤だ」
「っ、狼泉! 話を、するんでしょ! からかわないでよ!」
「からかっているつもりはないんだが……ただ反応を窺っているだけで」
「……どういう意味?」
悠里が眉を顰めて狼泉を見据えると、曖昧な微笑みが返ってくる。
狼泉はそのまま視線を本の方へと移して、手を伸ばした。ぺらりと表紙がめくられる。その仕草に悠里の視線もつられた。
「――あ、これ、もしかして藍じい様の字……?」
本に綴られていた文字に目を奪われる。既視感を覚えて記憶を探っていたら、この世界に悠里が来た当初に、文字の確認をするために目にした筆跡と似ていると分かった。
「そうなんだろうな。――ここ。悠里が家に来た時のことが書かれている」
ページをめくった先に、悠里という文字が見えた。そこには、過去の出来事が天藍の視点で書かれている。
「……これ、藍じい様の日記?」
「ああ。……悠里のことを可哀想に思いながらも、喜んでいる気持ちが伝わってくる」
狼泉の指先が文章を辿る。悠里はその動きを目で追って、口を開いた。
「『なんと数奇な運命。まさかこのようなことが起こり得ようとは。待ち望みし縁が、末の子の不幸によって繋がれることなど、望みもしなかったというのに。それでも嬉しいと思ってしまう我が身の、なんと浅ましいことよ』……これ、どういう、意味、かな」
天藍が記した文章を読んでも、悠里は自分に対しての天藍の思いだとは思えなかった。だが、一方で、思いがけない真実が明かされようとしているのを予期して、身体が怯え震える。全身が心臓になってしまったかのように、痛いほどの鼓動を感じた。
「……天藍は悠里の異界から渡ってきたという運命を哀れんでいた。同時に、天藍たちが探し求めていた相手と悠里が繋がっているのだと知り、喜ばずにはいられなかったんだろう」
「探し求めていた、相手……」
狼泉の瞳を見つめる。苦しげに細めた目が、悠里を映して瞬いた。
「……彼らの息子だ」
「え……藍じい様たちは、息子さんを探していたの? そんなこと、聞いたことない……」
「悠里と会えたことで、見つける算段をつけられたからだろうな。……いや、彼らの願いの代償が、悠里から未来を奪うことだったから、引け目を感じていたのかもしれないが」
何を言われているのか分からない。
悠里は混乱する頭で、必死に話を整理する。だが、どうしても、答えに至るためのピースが足りない。
(――違う……僕は、知りたくないと、思っている。分からないふりをしていたいって……。だって……藍じい様たちを、恨みたくない……)
現実逃避だと分かっていた。ざわざわと騒ぐ胸を押さえて俯く。様々なことが頭をよぎっていった。そして、不意によみがえってきたのは、古龍の話だ。
落雷と共に姿を消した天琥の族長を探すため、地上に残ったその親たち。彼らは死ぬ前に、子の魂を引き寄せる縁を得られたのだと、古龍は言っていた。
(もう……偶然だなんて、思えない……)
元々、悠里は心のどこかで、天藍と天璃に違和感を覚えていたのだ。
人間を嫌い襲おうとする魔獣に、敬われているように見えた二人。彼らは人里離れたこの山で、何不自由なく生きていた。
狼泉と出会ってから、この地での生活が普通のことではないのだと悠里は実感した。彼らはどうしてここで暮らしていたのか。
(――国を……捨てたからだ……。魔獣に敬われていたのは、人間じゃ、なかった、からっ……)
悠里は辿り着いた真実を直視したくなくて、ぎゅっと目を瞑った。狼泉の肩に顔を押し付け、目から溢れそうになるものを、必死に堪える。
「悠里……」
狼泉の腕が悠里をしっかりと抱きしめる。赤ん坊をあやすように揺らされて、悠里は鼻をすすった。
呼吸が苦しい。もう何も考えたくない。
(――でも、これは、僕が知らないと、いけないこと……)
グッと唾を呑み込んで、悠里は顔を上げた。狼泉の瞳を見つめて、震える唇を動かす。
「狼泉……。藍じい様たちは……っ、天琥、だったの?」
「そうだ」
「消えた息子を、探してた……?」
「ああ」
狼泉が痛ましそうに目を細めながら、悠里の頭を撫でる。その温もりが悠里の乱れた心を少しだけ癒やしてくれた。
「……その、消えた息子は……僕と、関わりが、あるの……?」
固唾を呑んで答えを待つ。視線の先で青い瞳が揺らいだ。
「っああ。……俺が知る、天琥の最後の族長の名は、天瑶という。――おそらく、悠里の、祖父君のことだろう。人間との争いの際、天瑶は落雷の衝撃と共に、異界渡りをしていたのだと思う……」
言われずとも、悟っていた。でも、言葉にされて、より実感が湧いてくる。
悠里の見開いた目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちていった。
そう言って悠里を座布団に座らせた狼泉は、一度寝室の方へ向かってから、何かを持って帰ってきた。
「それ……」
悠里は狼泉の手元にあるものを見つめて、ポツリと呟く。それは、本のように見えた。だが、表紙に題名はなく、記録帳という方が近いかもしれない。
「これは、昨日、部屋を片付けている時に見つけたものだ。冬用に模様替えするついでに、本棚も整理しようと思って、な」
狼泉が悠里の隣に座りながら答える。悠里が差し出された本を受け取って凝視していると、グイッと身体が抱き上げられた。再び、悠里は狼泉の膝上で抱きしめられる体勢になってしまう。
「……狼泉。僕、ぬいぐるみじゃないんだけど」
「ヌイグルミ?」
「そんなにホイホイと、抱っこしないでってこと」
「嫌なのか?」
伝わらなかった言葉の意味を説明するのは簡単だったが、その問いに答えるのは難しい。
狼泉に恋する身としては、恥ずかしくて赤面しそうで困ってしまうのが当然だ。でも、それが嫌なのかと問われると、少し違う。友人という関係でしかなくても、こうして近い距離にいられるのは嬉しいのだから。
複雑な心情を抱えて口籠っていると、狼泉が目を細めて顔を近づけてくる。悠里は思わず息を止めて、その瞳を凝視した。
頬に触れる柔らかな感触。熱い呼吸を肌で感じて、顔にぶわりと熱が上がる。
「――耳まで、真っ赤だ」
「っ、狼泉! 話を、するんでしょ! からかわないでよ!」
「からかっているつもりはないんだが……ただ反応を窺っているだけで」
「……どういう意味?」
悠里が眉を顰めて狼泉を見据えると、曖昧な微笑みが返ってくる。
狼泉はそのまま視線を本の方へと移して、手を伸ばした。ぺらりと表紙がめくられる。その仕草に悠里の視線もつられた。
「――あ、これ、もしかして藍じい様の字……?」
本に綴られていた文字に目を奪われる。既視感を覚えて記憶を探っていたら、この世界に悠里が来た当初に、文字の確認をするために目にした筆跡と似ていると分かった。
「そうなんだろうな。――ここ。悠里が家に来た時のことが書かれている」
ページをめくった先に、悠里という文字が見えた。そこには、過去の出来事が天藍の視点で書かれている。
「……これ、藍じい様の日記?」
「ああ。……悠里のことを可哀想に思いながらも、喜んでいる気持ちが伝わってくる」
狼泉の指先が文章を辿る。悠里はその動きを目で追って、口を開いた。
「『なんと数奇な運命。まさかこのようなことが起こり得ようとは。待ち望みし縁が、末の子の不幸によって繋がれることなど、望みもしなかったというのに。それでも嬉しいと思ってしまう我が身の、なんと浅ましいことよ』……これ、どういう、意味、かな」
天藍が記した文章を読んでも、悠里は自分に対しての天藍の思いだとは思えなかった。だが、一方で、思いがけない真実が明かされようとしているのを予期して、身体が怯え震える。全身が心臓になってしまったかのように、痛いほどの鼓動を感じた。
「……天藍は悠里の異界から渡ってきたという運命を哀れんでいた。同時に、天藍たちが探し求めていた相手と悠里が繋がっているのだと知り、喜ばずにはいられなかったんだろう」
「探し求めていた、相手……」
狼泉の瞳を見つめる。苦しげに細めた目が、悠里を映して瞬いた。
「……彼らの息子だ」
「え……藍じい様たちは、息子さんを探していたの? そんなこと、聞いたことない……」
「悠里と会えたことで、見つける算段をつけられたからだろうな。……いや、彼らの願いの代償が、悠里から未来を奪うことだったから、引け目を感じていたのかもしれないが」
何を言われているのか分からない。
悠里は混乱する頭で、必死に話を整理する。だが、どうしても、答えに至るためのピースが足りない。
(――違う……僕は、知りたくないと、思っている。分からないふりをしていたいって……。だって……藍じい様たちを、恨みたくない……)
現実逃避だと分かっていた。ざわざわと騒ぐ胸を押さえて俯く。様々なことが頭をよぎっていった。そして、不意によみがえってきたのは、古龍の話だ。
落雷と共に姿を消した天琥の族長を探すため、地上に残ったその親たち。彼らは死ぬ前に、子の魂を引き寄せる縁を得られたのだと、古龍は言っていた。
(もう……偶然だなんて、思えない……)
元々、悠里は心のどこかで、天藍と天璃に違和感を覚えていたのだ。
人間を嫌い襲おうとする魔獣に、敬われているように見えた二人。彼らは人里離れたこの山で、何不自由なく生きていた。
狼泉と出会ってから、この地での生活が普通のことではないのだと悠里は実感した。彼らはどうしてここで暮らしていたのか。
(――国を……捨てたからだ……。魔獣に敬われていたのは、人間じゃ、なかった、からっ……)
悠里は辿り着いた真実を直視したくなくて、ぎゅっと目を瞑った。狼泉の肩に顔を押し付け、目から溢れそうになるものを、必死に堪える。
「悠里……」
狼泉の腕が悠里をしっかりと抱きしめる。赤ん坊をあやすように揺らされて、悠里は鼻をすすった。
呼吸が苦しい。もう何も考えたくない。
(――でも、これは、僕が知らないと、いけないこと……)
グッと唾を呑み込んで、悠里は顔を上げた。狼泉の瞳を見つめて、震える唇を動かす。
「狼泉……。藍じい様たちは……っ、天琥、だったの?」
「そうだ」
「消えた息子を、探してた……?」
「ああ」
狼泉が痛ましそうに目を細めながら、悠里の頭を撫でる。その温もりが悠里の乱れた心を少しだけ癒やしてくれた。
「……その、消えた息子は……僕と、関わりが、あるの……?」
固唾を呑んで答えを待つ。視線の先で青い瞳が揺らいだ。
「っああ。……俺が知る、天琥の最後の族長の名は、天瑶という。――おそらく、悠里の、祖父君のことだろう。人間との争いの際、天瑶は落雷の衝撃と共に、異界渡りをしていたのだと思う……」
言われずとも、悟っていた。でも、言葉にされて、より実感が湧いてくる。
悠里の見開いた目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちていった。
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