29 / 51
Ⅲ.募る想い
29.尋ねる覚悟
しおりを挟む
日暮れが近くなり、悠里は「いつでも会いに来たらいい」と見送る古龍と別れ、家に帰ってきた。
いろいろと考えることがあり、夕食の支度や湯浴みの間はいつもより口数が少なくなる。それは狼泉も同じで、夕食の席につくまで、深刻そうな表情で考え込んでいる雰囲気だった。
「――悠里の過去について、聞いてもいいだろうか」
狼泉が口火を切ったのは、夕食とその片付けを終えた頃だ。
悠里は『ついに来た……』と思いながら、一度目を瞑る。古龍との話の最中に明らかにした事実を問われる覚悟は既にできていた。
「……うん。僕もいつか話さないといけないと、思っていたんだ」
狼泉を見つめ、淡く微笑む。
隠しごとをするきっかけは、小さな反抗心だった。だが、さらに突き詰めて考えると、悠里自身の諦念と悲しみが、その事実を言葉にすることを拒んでいたからだったようにも思える。
神獣である古龍に否定されて、悠里は思い知った。自分はまだ日本に帰りたいと望んでいて、その可能性がないという事実を突きつけられることを恐れていたのだ、と。
「悠里は、異界の者なのか」
悠里からお茶を受け取りながら、狼泉が静かな声で言う。それは尋ねるというより、確認するような口調で、既に確信を得ていることが伝わってきた。その目は痛ましげに悠里を見つめている。
「……うん。狼泉も、異界というのを知っているんだね」
正座をした膝に視線を落とし、悠里はポツリと呟く。白珠が悠里の背もたれになるように身を横たえる。伝わってくる体温と静かな鼓動が心地良い。
「きゅきゅ」
膝に乗り懐いてくる闇兎を撫でると、心が慰撫されて頬が緩んだ。一心に慕ってくれる相手がいると、一人きりではないと思える。
「……あぁ。異界とは、この世界の外にあるもの。時折、こちらから異界に渡る者や、異界からこちらに渡ってくる者がいることは知っている」
「藍じい様たちさえ知っていたから、常識なんだろうね」
「……いや、あまり広く知られた話ではないと思うが」
「そうなんだ?」
予想外の答えを返す狼泉に、悠里は首を傾げる。狼泉は悩ましげな表情をしていた。そんな表情をする理由が分からない。
「……その話は、今はおいておこう。それより、悠里の異界渡りについて聞きたい」
「うん……」
促されて、悠里は過去を思い出す。
悠里がこの世界に来て、何年が経ったのか。慣れるのに必死すぎて、もう把握していない。それでも、この世界に来た当初のことも、日本でのことも、鮮明に記憶に残っていた。
「――僕がこの世界に来たのは、十六歳のとき」
「十六か。成人の歳だな。……そういえば、悠里は今いくつだ?」
「う~ん……二十は過ぎていると思うけど……正確な年数は……? そもそも元の世界と一年の長さが同じかも分からないし。というか、こっちでは、十六歳が成人なんだ?」
狼泉に言われ、ようやく腑に落ちる。
悠里がこの世界に来た当初、天藍に年齢を尋ねられて答えると、「大人には見えぬな」と返されたのだ。悠里の中では、十六歳はまだ未成年の括りだったので、『そりゃそうだろうな』と思いつつ、少し不思議だった。
その認識の齟齬が今さら解消されたのだ。悠里は思わず苦笑してしまう。
天藍たちに説明をねだらなかったのは自分だが、そういう常識は先に教えてもらいたかったと、文句を言いたい気分だ。
「悠里のところでは、成人の歳が違ったのか?」
「うん。国によって違いがあるけど、僕の国では十八歳が成人。少し前は二十歳が成人だったし、十六歳成人は早い気がするなぁ」
「二十歳……俺の感覚では、遅すぎるな」
思わず顔を見合わせ、笑ってしまう。こんなところで感覚の相違が生まれるとは思わなかった。それがなんだか楽しくなってくる。
「そういえば、狼泉って何歳?」
「二十五」
「……絶妙に、歳上なのか、歳下なのか、判断しづらい」
「え、悠里はどう見ても俺より歳下だろう」
驚いた表情で、当然のように言われて、悠里は唇を尖らせた。
言われた通り、見た目は狼泉の方が歳上だ。だが、悠里の見た目が十六歳当時からほとんど変わっていないことを考えると、あまり見た目はあてにできないと思う。この世界で悠里が何年も暮らしているのは確かなのだから、悠里が歳上である可能性もなくはないのだ。
別に狼泉より歳上でありたいわけではないが、なんとなく心に引っかかるものを感じて、憮然としてしまう。そんな悠里に、狼泉は軽く肩をすくめて見せた。
「――悠里が歳上ということにしてもいいが。なんなら、敬語を使おうか?」
「それはいらないけど。……よく考えると、狼泉みたいな歳下って、なんか嫌味かも」
「おい、何が嫌味なんだ」
「んー、男としての矜持? まぁ、僕が歳下ってことにしよう」
悠里が話をあっさりと片付けたのとは反対に、今度は狼泉の方が不満そうな表情になる。それを見て、悠里は思わず笑ってしまった。
格好よくて完璧な男性に見える狼泉だが、折々に可愛い態度を見せるので、歳下でも不思議ではないかもしれないと、密かに考えた。
雑談をして心が軽くなったところで、悠里はジッと狼泉を見つめて口を開く。
「狼泉。教えてほしいことがあるんだ」
「……なんだろうか?」
狼泉が表情を改める。その真摯な眼差しを見つめ返し、悠里は緊張と恐れで強ばりそうになる唇をゆっくりと動かした。
「狼泉は……異界に渡る方法を――僕が日本に帰る方法を、知っている?」
狼泉が目を伏せる。
小さく首を横に振る仕草が、答えだった。
いろいろと考えることがあり、夕食の支度や湯浴みの間はいつもより口数が少なくなる。それは狼泉も同じで、夕食の席につくまで、深刻そうな表情で考え込んでいる雰囲気だった。
「――悠里の過去について、聞いてもいいだろうか」
狼泉が口火を切ったのは、夕食とその片付けを終えた頃だ。
悠里は『ついに来た……』と思いながら、一度目を瞑る。古龍との話の最中に明らかにした事実を問われる覚悟は既にできていた。
「……うん。僕もいつか話さないといけないと、思っていたんだ」
狼泉を見つめ、淡く微笑む。
隠しごとをするきっかけは、小さな反抗心だった。だが、さらに突き詰めて考えると、悠里自身の諦念と悲しみが、その事実を言葉にすることを拒んでいたからだったようにも思える。
神獣である古龍に否定されて、悠里は思い知った。自分はまだ日本に帰りたいと望んでいて、その可能性がないという事実を突きつけられることを恐れていたのだ、と。
「悠里は、異界の者なのか」
悠里からお茶を受け取りながら、狼泉が静かな声で言う。それは尋ねるというより、確認するような口調で、既に確信を得ていることが伝わってきた。その目は痛ましげに悠里を見つめている。
「……うん。狼泉も、異界というのを知っているんだね」
正座をした膝に視線を落とし、悠里はポツリと呟く。白珠が悠里の背もたれになるように身を横たえる。伝わってくる体温と静かな鼓動が心地良い。
「きゅきゅ」
膝に乗り懐いてくる闇兎を撫でると、心が慰撫されて頬が緩んだ。一心に慕ってくれる相手がいると、一人きりではないと思える。
「……あぁ。異界とは、この世界の外にあるもの。時折、こちらから異界に渡る者や、異界からこちらに渡ってくる者がいることは知っている」
「藍じい様たちさえ知っていたから、常識なんだろうね」
「……いや、あまり広く知られた話ではないと思うが」
「そうなんだ?」
予想外の答えを返す狼泉に、悠里は首を傾げる。狼泉は悩ましげな表情をしていた。そんな表情をする理由が分からない。
「……その話は、今はおいておこう。それより、悠里の異界渡りについて聞きたい」
「うん……」
促されて、悠里は過去を思い出す。
悠里がこの世界に来て、何年が経ったのか。慣れるのに必死すぎて、もう把握していない。それでも、この世界に来た当初のことも、日本でのことも、鮮明に記憶に残っていた。
「――僕がこの世界に来たのは、十六歳のとき」
「十六か。成人の歳だな。……そういえば、悠里は今いくつだ?」
「う~ん……二十は過ぎていると思うけど……正確な年数は……? そもそも元の世界と一年の長さが同じかも分からないし。というか、こっちでは、十六歳が成人なんだ?」
狼泉に言われ、ようやく腑に落ちる。
悠里がこの世界に来た当初、天藍に年齢を尋ねられて答えると、「大人には見えぬな」と返されたのだ。悠里の中では、十六歳はまだ未成年の括りだったので、『そりゃそうだろうな』と思いつつ、少し不思議だった。
その認識の齟齬が今さら解消されたのだ。悠里は思わず苦笑してしまう。
天藍たちに説明をねだらなかったのは自分だが、そういう常識は先に教えてもらいたかったと、文句を言いたい気分だ。
「悠里のところでは、成人の歳が違ったのか?」
「うん。国によって違いがあるけど、僕の国では十八歳が成人。少し前は二十歳が成人だったし、十六歳成人は早い気がするなぁ」
「二十歳……俺の感覚では、遅すぎるな」
思わず顔を見合わせ、笑ってしまう。こんなところで感覚の相違が生まれるとは思わなかった。それがなんだか楽しくなってくる。
「そういえば、狼泉って何歳?」
「二十五」
「……絶妙に、歳上なのか、歳下なのか、判断しづらい」
「え、悠里はどう見ても俺より歳下だろう」
驚いた表情で、当然のように言われて、悠里は唇を尖らせた。
言われた通り、見た目は狼泉の方が歳上だ。だが、悠里の見た目が十六歳当時からほとんど変わっていないことを考えると、あまり見た目はあてにできないと思う。この世界で悠里が何年も暮らしているのは確かなのだから、悠里が歳上である可能性もなくはないのだ。
別に狼泉より歳上でありたいわけではないが、なんとなく心に引っかかるものを感じて、憮然としてしまう。そんな悠里に、狼泉は軽く肩をすくめて見せた。
「――悠里が歳上ということにしてもいいが。なんなら、敬語を使おうか?」
「それはいらないけど。……よく考えると、狼泉みたいな歳下って、なんか嫌味かも」
「おい、何が嫌味なんだ」
「んー、男としての矜持? まぁ、僕が歳下ってことにしよう」
悠里が話をあっさりと片付けたのとは反対に、今度は狼泉の方が不満そうな表情になる。それを見て、悠里は思わず笑ってしまった。
格好よくて完璧な男性に見える狼泉だが、折々に可愛い態度を見せるので、歳下でも不思議ではないかもしれないと、密かに考えた。
雑談をして心が軽くなったところで、悠里はジッと狼泉を見つめて口を開く。
「狼泉。教えてほしいことがあるんだ」
「……なんだろうか?」
狼泉が表情を改める。その真摯な眼差しを見つめ返し、悠里は緊張と恐れで強ばりそうになる唇をゆっくりと動かした。
「狼泉は……異界に渡る方法を――僕が日本に帰る方法を、知っている?」
狼泉が目を伏せる。
小さく首を横に振る仕草が、答えだった。
56
お気に入りに追加
370
あなたにおすすめの小説
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
ねえ、番外編
藍白
BL
ねえ、の本編は、kindleさんに出版しました。
イラストはひいろさん(@hiirohonami)に描いて頂きました。
このお話は全体を通して切ない・不憫系です。
残酷描写有/暴力描写有/性描写有/男性妊娠有/オメガバース/吃音障がい描写有/の為、注意してください。
こちらでも活躍されている、高牧まき様のお話『結婚式は箱根エンパイアホテルで』と『続・結婚式は箱根エンパイアホテルで』のコラボ話を番外編として残しています。
(kindleさんには、このシーンはカットしたものを掲載しています)藍白。
見ぃつけた。
茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは…
他サイトにも公開しています
召喚先は腕の中〜異世界の花嫁〜【完結】
クリム
BL
僕は毒を飲まされ死の淵にいた。思い出すのは優雅なのに野性味のある獣人の血を引くジーンとの出会い。
「私は君を召喚したことを後悔していない。君はどうだい、アキラ?」
実年齢二十歳、製薬会社勤務している僕は、特殊な体質を持つが故発育不全で、十歳程度の姿形のままだ。
ある日僕は、製薬会社に侵入した男ジーンに異世界へ連れて行かれてしまう。僕はジーンに魅了され、ジーンの為にそばにいることに決めた。
天然主人公視点一人称と、それ以外の神視点三人称が、部分的にあります。スパダリ要素です。全体に甘々ですが、主人公への気の毒な程の残酷シーンあります。
このお話は、拙著
『巨人族の花嫁』
『婚約破棄王子は魔獣の子を孕む』
の続作になります。
主人公の一人ジーンは『巨人族の花嫁』主人公タークの高齢出産の果ての子供になります。
重要な世界観として男女共に平等に子を成すため、宿り木に赤ん坊の実がなります。しかし、一部の王国のみ腹実として、男女平等に出産することも可能です。そんなこんなをご理解いただいた上、お楽しみください。
★なろう完結後、指摘を受けた部分を変更しました。変更に伴い、若干の内容変化が伴います。こちらではpc作品を削除し、新たにこちらで再構成したものをアップしていきます。
公爵様のプロポーズが何で俺?!
雪那 由多
BL
近衛隊隊長のバスクアル・フォン・ベルトランにバラを差し出されて結婚前提のプロポーズされた俺フラン・フライレですが、何で初対面でプロポーズされなくてはいけないのか誰か是非教えてください!
話しを聞かないベルトラン公爵閣下と天涯孤独のフランによる回避不可のプロポーズを生暖かく距離を取って見守る職場の人達を巻き込みながら
「公爵なら公爵らしく妻を娶って子作りに励みなさい!」
「そんな物他所で産ませて連れてくる!
子作りが義務なら俺は愛しい妻を手に入れるんだ!」
「あんたどれだけ自分勝手なんだ!!!」
恋愛初心者で何とも低次元な主張をする公爵様に振りまわされるフランだが付き合えばそれなりに楽しいしそのうち意識もする……のだろうか?
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ふしだらオメガ王子の嫁入り
金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか?
お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。
BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました
厘/りん
BL
ナルン王国の下町に暮らす ルカ。
この国は一部の人だけに使える魔法が神様から贈られる。ルカはその一人で武器や防具、アクセサリーに『加護』を付けて売って生活をしていた。
ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。
国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。
☆英雄騎士 現在28歳
ルカ 現在18歳
☆第11回BL小説大賞 21位
皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる