天翔ける獣の願いごと

asagi

文字の大きさ
上 下
21 / 51
Ⅲ.募る想い

21.過去に触れる

しおりを挟む
 闇兎の「遊ぼうよ」攻撃を躱しながら作業すること半時。
 悠里は全面に小麦を植えた畑を見渡して、ホッと息を吐いてからグッと腰を伸ばした。まだ若いから腰に痛みが出るほどではないが、長時間の作業に疲れを感じる。

 慣れた悠里ですらそうなのだから、王子として畑仕事なんてしたことがなかっただろう狼泉はより疲れを感じているのではないかと、悠里が心配するのが当然なのだが――。

「――なんでそんなに溌剌としているのかなぁ」

 軽快な足取りで近づいてくる狼泉を、悠里は恨めしい気持ちを込めて見据えた。
 心配するのが馬鹿らしく思えるほど、狼泉に疲労感は窺えない。むしろ新鮮な体験を心から楽しんでいる雰囲気だ。
 悠里の視線に気づいた狼泉が、不思議そうに首を傾げる。

「そうだろうか? これでも、疲れてはいるんだが」
「全然、そうは見えない。もしかして、狼泉って結構鍛えている? って、それは聞くまでもないか……」

 悠里は自分から聞いておきながら、狼泉の身体を見てすぐに納得して頷いた。
 立派な体格というのは、骨格だけでなく、美しく均整についた筋肉も必要だ。そして狼泉は、見るからに鍛え抜かれた身体をしている。

 王子とは、人の上に立ってのんべんだらりと過ごすような立場ではないらしい。狼泉は一族から嫌われていたようだから、例外なのかもしれないが。

「鍛えると言っても、剣や弓矢、乗馬のために多少訓練をしていたというだけだぞ?」
「剣と弓矢と乗馬……」

 苦笑しながら答える狼泉と共に、木陰まで歩く。休憩用の準備はあらかじめしてあった。
 桶の水で手を洗い、温かいお茶を飲みながら悠里は首を傾げる。

「――狼泉は、剣や弓矢を使えるんだ?」
「剣や弓矢は王侯貴族の嗜みだ。まぁ、俺の場合、戦があれば最前線に立つ可能性が高かったから、意識的に鍛えてはいたが」
「……それは、王子としての義務という意味で?」

 躊躇いつつ尋ねた悠里を、狼泉がチラリと見て、口元に小さく笑みを浮かべる。悠里が予想していたより穏やかな表情だった。

「いや。俺は嫌われ者だったからな。戦は処理する場所にちょうどいいだろう? 王子が最前線に立つことで、士気高揚を狙えるという利点もある」
「……あんまり、そういう考え方は好きじゃないなぁ」

 狼泉が過去に置かれていた立場について、悠里は理解していたが、納得するかどうかは別の話だ。
 むぅ、と唇を尖らせて、悠里は狼泉の一族の者への不満を表す。それを見た狼泉が、くすぐったそうに微笑んだ。

「悠里がそう思ってくれるだけで、嬉しい。それに、もう、過去のことだ」

 過去。狼泉の口から出た言葉に、悠里はゆっくりと目を瞬かせる。そして、じわりと心が温まっていくのを感じた。

 狼泉がここに来るより前のことを、既に過去のことだと片付けているなら、ここから立ち去る可能性が低くなる気がしたのだ。過去に未練があるようなら、国に戻ろうとする狼泉を止める術を、悠里は持っていないから。

「……うん、それなら、いいんだけど」

 微笑みながら呟く悠里を、狼泉が不思議そうに見る。悠里の喜びの理由を、狼泉はよく分かっていないのだろう。
 狼泉の孤独を癒やしたのが悠里であるのと同様に、悠里の寂しい心を埋めて喜びで満たしたのも狼泉であるのに。狼泉にその自覚がないのだから、悠里は困ってしまう。既に、悠里にとって狼泉は欠くことのできない存在なのだ。

 ため息をついて、一旦問題を棚上げし、悠里はもう一つ気になっていたことを問いかけることにした。

「――乗馬って、さっき言っていたけど、馬に乗るの? つまり、魔獣を従えられる?」
「あぁ、それか……」

 悠里の太ももで寝そべっていた闇兎が、狼泉に視線を向ける。白珠も気にした様子で狼泉を窺っていた。
 二体の少し警戒した雰囲気を察したのか、狼泉が困ったように口元を歪める。

「――乗馬用の馬は、颯馬ソウバという種族で、神獣の従獣と言われている。颯馬は、六大国の王と神獣の契約により、人間に貸与されているんだ」
「人間に、貸与……」
「基本的には王に仕える国軍の武士が颯馬を使うが、民間では手紙や荷物を運ぶ脚夫の一部も颯馬を使うことがある」
「……従獣って、魔獣とは違うの?」
「違う、とはされているが、実際のところは分からない。人間を傷つけた例はないはずだが」

 悠里は狼泉と顔を見合わせて首を傾げる。いまいち、従獣の存在を理解できなかった。

「――そもそも、颯馬は、人間が神獣にしたわがままな願いの一つなんだ。移動手段がほしいという、な」
「あ、なんか、慈悲深い神獣に色々ねだって受け入れてもらえたから、人間が傲慢になっていったみたいなこと、前に言ってたね」
「そうだな。……既に神獣が失われた琥泉国でも、まだ颯馬は使えるのだから、神獣というのは本当に慈悲深い」

 狼泉がポツリと呟く。その声には神獣に対しての深い愛情と悲しみが籠もっているように聞こえて、悠里は何も言えなくなった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

ねえ、番外編

藍白
BL
ねえ、の本編は、kindleさんに出版しました。 イラストはひいろさん(@hiirohonami)に描いて頂きました。 このお話は全体を通して切ない・不憫系です。 残酷描写有/暴力描写有/性描写有/男性妊娠有/オメガバース/吃音障がい描写有/の為、注意してください。 こちらでも活躍されている、高牧まき様のお話『結婚式は箱根エンパイアホテルで』と『続・結婚式は箱根エンパイアホテルで』のコラボ話を番外編として残しています。 (kindleさんには、このシーンはカットしたものを掲載しています)藍白。

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

召喚先は腕の中〜異世界の花嫁〜【完結】

クリム
BL
 僕は毒を飲まされ死の淵にいた。思い出すのは優雅なのに野性味のある獣人の血を引くジーンとの出会い。 「私は君を召喚したことを後悔していない。君はどうだい、アキラ?」  実年齢二十歳、製薬会社勤務している僕は、特殊な体質を持つが故発育不全で、十歳程度の姿形のままだ。  ある日僕は、製薬会社に侵入した男ジーンに異世界へ連れて行かれてしまう。僕はジーンに魅了され、ジーンの為にそばにいることに決めた。  天然主人公視点一人称と、それ以外の神視点三人称が、部分的にあります。スパダリ要素です。全体に甘々ですが、主人公への気の毒な程の残酷シーンあります。 このお話は、拙著 『巨人族の花嫁』 『婚約破棄王子は魔獣の子を孕む』 の続作になります。  主人公の一人ジーンは『巨人族の花嫁』主人公タークの高齢出産の果ての子供になります。  重要な世界観として男女共に平等に子を成すため、宿り木に赤ん坊の実がなります。しかし、一部の王国のみ腹実として、男女平等に出産することも可能です。そんなこんなをご理解いただいた上、お楽しみください。 ★なろう完結後、指摘を受けた部分を変更しました。変更に伴い、若干の内容変化が伴います。こちらではpc作品を削除し、新たにこちらで再構成したものをアップしていきます。

公爵様のプロポーズが何で俺?!

雪那 由多
BL
近衛隊隊長のバスクアル・フォン・ベルトランにバラを差し出されて結婚前提のプロポーズされた俺フラン・フライレですが、何で初対面でプロポーズされなくてはいけないのか誰か是非教えてください! 話しを聞かないベルトラン公爵閣下と天涯孤独のフランによる回避不可のプロポーズを生暖かく距離を取って見守る職場の人達を巻き込みながら 「公爵なら公爵らしく妻を娶って子作りに励みなさい!」 「そんな物他所で産ませて連れてくる!  子作りが義務なら俺は愛しい妻を手に入れるんだ!」 「あんたどれだけ自分勝手なんだ!!!」 恋愛初心者で何とも低次元な主張をする公爵様に振りまわされるフランだが付き合えばそれなりに楽しいしそのうち意識もする……のだろうか?

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました

厘/りん
BL
 ナルン王国の下町に暮らす ルカ。 この国は一部の人だけに使える魔法が神様から贈られる。ルカはその一人で武器や防具、アクセサリーに『加護』を付けて売って生活をしていた。 ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。 国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。 ☆英雄騎士 現在28歳    ルカ 現在18歳 ☆第11回BL小説大賞 21位   皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。    

処理中です...