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Ⅲ.募る想い
21.過去に触れる
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闇兎の「遊ぼうよ」攻撃を躱しながら作業すること半時。
悠里は全面に小麦を植えた畑を見渡して、ホッと息を吐いてからグッと腰を伸ばした。まだ若いから腰に痛みが出るほどではないが、長時間の作業に疲れを感じる。
慣れた悠里ですらそうなのだから、王子として畑仕事なんてしたことがなかっただろう狼泉はより疲れを感じているのではないかと、悠里が心配するのが当然なのだが――。
「――なんでそんなに溌剌としているのかなぁ」
軽快な足取りで近づいてくる狼泉を、悠里は恨めしい気持ちを込めて見据えた。
心配するのが馬鹿らしく思えるほど、狼泉に疲労感は窺えない。むしろ新鮮な体験を心から楽しんでいる雰囲気だ。
悠里の視線に気づいた狼泉が、不思議そうに首を傾げる。
「そうだろうか? これでも、疲れてはいるんだが」
「全然、そうは見えない。もしかして、狼泉って結構鍛えている? って、それは聞くまでもないか……」
悠里は自分から聞いておきながら、狼泉の身体を見てすぐに納得して頷いた。
立派な体格というのは、骨格だけでなく、美しく均整についた筋肉も必要だ。そして狼泉は、見るからに鍛え抜かれた身体をしている。
王子とは、人の上に立ってのんべんだらりと過ごすような立場ではないらしい。狼泉は一族から嫌われていたようだから、例外なのかもしれないが。
「鍛えると言っても、剣や弓矢、乗馬のために多少訓練をしていたというだけだぞ?」
「剣と弓矢と乗馬……」
苦笑しながら答える狼泉と共に、木陰まで歩く。休憩用の準備はあらかじめしてあった。
桶の水で手を洗い、温かいお茶を飲みながら悠里は首を傾げる。
「――狼泉は、剣や弓矢を使えるんだ?」
「剣や弓矢は王侯貴族の嗜みだ。まぁ、俺の場合、戦があれば最前線に立つ可能性が高かったから、意識的に鍛えてはいたが」
「……それは、王子としての義務という意味で?」
躊躇いつつ尋ねた悠里を、狼泉がチラリと見て、口元に小さく笑みを浮かべる。悠里が予想していたより穏やかな表情だった。
「いや。俺は嫌われ者だったからな。戦は処理する場所にちょうどいいだろう? 王子が最前線に立つことで、士気高揚を狙えるという利点もある」
「……あんまり、そういう考え方は好きじゃないなぁ」
狼泉が過去に置かれていた立場について、悠里は理解していたが、納得するかどうかは別の話だ。
むぅ、と唇を尖らせて、悠里は狼泉の一族の者への不満を表す。それを見た狼泉が、くすぐったそうに微笑んだ。
「悠里がそう思ってくれるだけで、嬉しい。それに、もう、過去のことだ」
過去。狼泉の口から出た言葉に、悠里はゆっくりと目を瞬かせる。そして、じわりと心が温まっていくのを感じた。
狼泉がここに来るより前のことを、既に過去のことだと片付けているなら、ここから立ち去る可能性が低くなる気がしたのだ。過去に未練があるようなら、国に戻ろうとする狼泉を止める術を、悠里は持っていないから。
「……うん、それなら、いいんだけど」
微笑みながら呟く悠里を、狼泉が不思議そうに見る。悠里の喜びの理由を、狼泉はよく分かっていないのだろう。
狼泉の孤独を癒やしたのが悠里であるのと同様に、悠里の寂しい心を埋めて喜びで満たしたのも狼泉であるのに。狼泉にその自覚がないのだから、悠里は困ってしまう。既に、悠里にとって狼泉は欠くことのできない存在なのだ。
ため息をついて、一旦問題を棚上げし、悠里はもう一つ気になっていたことを問いかけることにした。
「――乗馬って、さっき言っていたけど、馬に乗るの? つまり、魔獣を従えられる?」
「あぁ、それか……」
悠里の太ももで寝そべっていた闇兎が、狼泉に視線を向ける。白珠も気にした様子で狼泉を窺っていた。
二体の少し警戒した雰囲気を察したのか、狼泉が困ったように口元を歪める。
「――乗馬用の馬は、颯馬という種族で、神獣の従獣と言われている。颯馬は、六大国の王と神獣の契約により、人間に貸与されているんだ」
「人間に、貸与……」
「基本的には王に仕える国軍の武士が颯馬を使うが、民間では手紙や荷物を運ぶ脚夫の一部も颯馬を使うことがある」
「……従獣って、魔獣とは違うの?」
「違う、とはされているが、実際のところは分からない。人間を傷つけた例はないはずだが」
悠里は狼泉と顔を見合わせて首を傾げる。いまいち、従獣の存在を理解できなかった。
「――そもそも、颯馬は、人間が神獣にしたわがままな願いの一つなんだ。移動手段がほしいという、な」
「あ、なんか、慈悲深い神獣に色々ねだって受け入れてもらえたから、人間が傲慢になっていったみたいなこと、前に言ってたね」
「そうだな。……既に神獣が失われた琥泉国でも、まだ颯馬は使えるのだから、神獣というのは本当に慈悲深い」
狼泉がポツリと呟く。その声には神獣に対しての深い愛情と悲しみが籠もっているように聞こえて、悠里は何も言えなくなった。
悠里は全面に小麦を植えた畑を見渡して、ホッと息を吐いてからグッと腰を伸ばした。まだ若いから腰に痛みが出るほどではないが、長時間の作業に疲れを感じる。
慣れた悠里ですらそうなのだから、王子として畑仕事なんてしたことがなかっただろう狼泉はより疲れを感じているのではないかと、悠里が心配するのが当然なのだが――。
「――なんでそんなに溌剌としているのかなぁ」
軽快な足取りで近づいてくる狼泉を、悠里は恨めしい気持ちを込めて見据えた。
心配するのが馬鹿らしく思えるほど、狼泉に疲労感は窺えない。むしろ新鮮な体験を心から楽しんでいる雰囲気だ。
悠里の視線に気づいた狼泉が、不思議そうに首を傾げる。
「そうだろうか? これでも、疲れてはいるんだが」
「全然、そうは見えない。もしかして、狼泉って結構鍛えている? って、それは聞くまでもないか……」
悠里は自分から聞いておきながら、狼泉の身体を見てすぐに納得して頷いた。
立派な体格というのは、骨格だけでなく、美しく均整についた筋肉も必要だ。そして狼泉は、見るからに鍛え抜かれた身体をしている。
王子とは、人の上に立ってのんべんだらりと過ごすような立場ではないらしい。狼泉は一族から嫌われていたようだから、例外なのかもしれないが。
「鍛えると言っても、剣や弓矢、乗馬のために多少訓練をしていたというだけだぞ?」
「剣と弓矢と乗馬……」
苦笑しながら答える狼泉と共に、木陰まで歩く。休憩用の準備はあらかじめしてあった。
桶の水で手を洗い、温かいお茶を飲みながら悠里は首を傾げる。
「――狼泉は、剣や弓矢を使えるんだ?」
「剣や弓矢は王侯貴族の嗜みだ。まぁ、俺の場合、戦があれば最前線に立つ可能性が高かったから、意識的に鍛えてはいたが」
「……それは、王子としての義務という意味で?」
躊躇いつつ尋ねた悠里を、狼泉がチラリと見て、口元に小さく笑みを浮かべる。悠里が予想していたより穏やかな表情だった。
「いや。俺は嫌われ者だったからな。戦は処理する場所にちょうどいいだろう? 王子が最前線に立つことで、士気高揚を狙えるという利点もある」
「……あんまり、そういう考え方は好きじゃないなぁ」
狼泉が過去に置かれていた立場について、悠里は理解していたが、納得するかどうかは別の話だ。
むぅ、と唇を尖らせて、悠里は狼泉の一族の者への不満を表す。それを見た狼泉が、くすぐったそうに微笑んだ。
「悠里がそう思ってくれるだけで、嬉しい。それに、もう、過去のことだ」
過去。狼泉の口から出た言葉に、悠里はゆっくりと目を瞬かせる。そして、じわりと心が温まっていくのを感じた。
狼泉がここに来るより前のことを、既に過去のことだと片付けているなら、ここから立ち去る可能性が低くなる気がしたのだ。過去に未練があるようなら、国に戻ろうとする狼泉を止める術を、悠里は持っていないから。
「……うん、それなら、いいんだけど」
微笑みながら呟く悠里を、狼泉が不思議そうに見る。悠里の喜びの理由を、狼泉はよく分かっていないのだろう。
狼泉の孤独を癒やしたのが悠里であるのと同様に、悠里の寂しい心を埋めて喜びで満たしたのも狼泉であるのに。狼泉にその自覚がないのだから、悠里は困ってしまう。既に、悠里にとって狼泉は欠くことのできない存在なのだ。
ため息をついて、一旦問題を棚上げし、悠里はもう一つ気になっていたことを問いかけることにした。
「――乗馬って、さっき言っていたけど、馬に乗るの? つまり、魔獣を従えられる?」
「あぁ、それか……」
悠里の太ももで寝そべっていた闇兎が、狼泉に視線を向ける。白珠も気にした様子で狼泉を窺っていた。
二体の少し警戒した雰囲気を察したのか、狼泉が困ったように口元を歪める。
「――乗馬用の馬は、颯馬という種族で、神獣の従獣と言われている。颯馬は、六大国の王と神獣の契約により、人間に貸与されているんだ」
「人間に、貸与……」
「基本的には王に仕える国軍の武士が颯馬を使うが、民間では手紙や荷物を運ぶ脚夫の一部も颯馬を使うことがある」
「……従獣って、魔獣とは違うの?」
「違う、とはされているが、実際のところは分からない。人間を傷つけた例はないはずだが」
悠里は狼泉と顔を見合わせて首を傾げる。いまいち、従獣の存在を理解できなかった。
「――そもそも、颯馬は、人間が神獣にしたわがままな願いの一つなんだ。移動手段がほしいという、な」
「あ、なんか、慈悲深い神獣に色々ねだって受け入れてもらえたから、人間が傲慢になっていったみたいなこと、前に言ってたね」
「そうだな。……既に神獣が失われた琥泉国でも、まだ颯馬は使えるのだから、神獣というのは本当に慈悲深い」
狼泉がポツリと呟く。その声には神獣に対しての深い愛情と悲しみが籠もっているように聞こえて、悠里は何も言えなくなった。
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