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8.悪役の自覚
しおりを挟む一人での夕食。マシューを避けるために、最近はダイニングルームではなく、自分の部屋で食事をとっている。
最後のデザートまで完食し、ふとある思いが湧き上がった。
(どうして僕がマシューを避けて行動を制限されなくてはいけないの? 自由に生きると決めたなら、さっさとマシューを追い返せばいい。それで使用人や……ブラッドに、どう思われようとも、僕にはもう関係ない)
眉を寄せながら、心に決めた。かつて、使用人たちを解雇した時のように、冷徹に対処しよう、と。
午後から続いていた憂鬱感が少し晴れた気がした。
そうと決まれば行動あるのみ、と立ち上がった。もうそろそろ一日が終わる時間だけれど、遅すぎることはないだろう。
まずは父上にマシューを強制送還することを告げる手紙を書いて、送還するための馬車や人手を手配して――。
今後の手順を考えながら動き出した僕の耳に、扉が叩かれる音が聞こえた。食器類を下げに来たメイドだろう。
「はい、どうぞ――」
「アリエル様。もう夕食はお済みですか?」
「っ! ブラッド……」
予想外の人物の訪れに、勢いよく扉を振り返る。いつもと全く変わらないブラッドの姿があった。
その瞬間に胸に込み上げてきたのは、実に複雑な思いだ。
ブラッドが僕に会いに来てくれて嬉しい。僕は忘れられていなかった。そう安堵すると同時に、苦々しい感情が湧いてくる。庭でブラッドがマシューと寄り添っていた姿を思い出してしまったから。
(心は、ままならないなぁ……)
僕はほとほと自分の未練がましさに呆れ、嘆息し――心を偽ることを諦めた。
何度も言い聞かせてもどうしようもないのだから、もうこのまま受け入れるしかないだろう。それがいくら苦しくとも……。
「――ブラッド、この時間に来るのは久しぶりだね? 僕の爵位継承の準備は進んでいる?」
「はい、後は、アリエル様の成人を待つだけです」
ブラッドが達成感の滲む笑みを浮かべた。
僕は目を見開いてブラッドを凝視してしまう。そこまで準備が済んでいるとは思っていなかったのだ。
「……そう。お疲れさま、ブラッド。ありがとう」
「アリエル様のためですから、疲れなんて感じませんよ」
微笑みを浮かべて労うと、ブラッドが嬉しそうに口元を綻ばせながら近づいて来た。
久しぶりの近い距離に胸の鼓動が早まる。ブラッドに愛しげに見つめられて、ブワッと顔が熱くなった。
(……やっぱり、ブラッドは特別なんだ。他の使用人とは違う。僕の味方で……傍にいてほしい人……)
この想いが何を意味するのか。僕はもう自分の心から目を逸らせないのだと悟った。
逃げてばかりいる間に、この手にあったものがすり抜けていくのは嫌だ。そのためには、勇気を出して足を踏み出し、想いを受け入れなければならない。
(誰かを心の中に迎えるのは、凄く怖い。もし、裏切られたら……? 捨てられたら……?)
かつて領地に追いやられた時の七歳の僕が感じた絶望を思い出した。
もう繰り返したくない。そのためには、どうすればいいだろう。……既に、ブラッドはマシューに心を寄せているかもしれないのに――。
「アリエル様?」
ブラッドが不思議そうな顔で僕に腕を伸ばしていた。僕が考え込んでいたからだ。
心配してくれているのは分かる。それが嬉しいと思う。
それなのに、その腕に触れるマシューの姿を幻視した。
「っ……仕事が済んだなら、今日は早く休むといいよ」
咄嗟に後退りした僕を見て、ブラッドの目が驚愕で見開かれるのが分かる。僕がブラッドを明確に遠ざけたのは初めてだ。
……こんなことをするつもりはなかったのに、身体が拒否してしまった。マシューに触れられたその腕で、僕に触れられたくなかったのだ。
じわりと視界が歪む。目頭が熱い。
ブラッドと想いを分かち合いたい。でも、他の男と寄り添っていたブラッドを受け入れられない。
せめぎ合う気持ちで心が千々に乱れていた。制御できない。
「……アリエル様、私は何か、あなたにしてしまったのでしょうか?」
真剣な眼差しが僕を貫く。僕に伸ばされていた手は、力なく垂れていた。
僕の方から拒否したくせに、触れられなかったことに悲しみが溢れる。目から涙が零れ落ちそうで、僕は両手で顔を覆い俯いた。
冷静に考えれば分かる。
こうしていつも通りに、僕に真摯で愛しげな目を向けるブラッドは、マシューに想いを寄せていないだろう。ブラッドは他の人に想いを寄せながら、僕に愛を告げるような不誠実な人ではない。
そう分かっているのに、僕は受け入れられないでいる。これは、僕がわがままで不甲斐ないせいだ。
(……悪役令息と言われたって、仕方ない。僕は悪いやつだ。自分勝手な思いでブラッドを困らせている。それが分かっているのに、僕は正しい対応をできない。今はただ、マシューにひどいことをしたい気分だ。ブラッドを手に入れるために、この胸に凝る不安をなくすために、マシューをどこかに消し去ってやりたい……)
「――アリエル様……」
不意に空気が揺らいだ気がした。躊躇いがちな腕に抱きしめられる。その体温を感じて、胸に溢れんばかりの愛おしさが込み上げてきた。
(……あぁ……僕は、ブラッドが、好きなんだ……。愛してしまったんだ……。こんな悪いやつに愛されて……ブラッドは、なんて可哀想……)
心に突き動かされるように、ブラッドの背に両手を伸ばした。鎖骨あたりに額をすり寄せながら、縋るようにぎゅっと抱きしめる。
僕以上の力の強さで、ブラッドが抱きしめ返してくれた。僕の全てを包み込むような腕の中で、乱れる心を鎮めるために目を瞑る。
「――何かご不安があったのですね。少しゆっくりしましょうか」
「……うん」
優しい声を掛ける相手が、僕みたいな悪いやつだなんて、やっぱりブラッドは可哀想だ。
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