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5.心に生まれた変化
しおりを挟むブラッドからの愛の言葉に戸惑いながらも、躱し続けて一年。
僕が十七歳になると、父上から驚きの手紙が届いた。
「……婚約者?」
「は?」
「こっわ……」
僕が呟いた言葉に、低くてドスの効いた声が返ってきて、思わず身を引いてしまった。
「婚約者を、お父上が用意されたのですか……?」
「う……うん……。と言っても、父上にそういった権限は許可していないからね。法に照らしても勝手に婚約を成立させるのは不可能だし。打診程度の話だよ。……父上は確定みたいに書いてるけど」
説明しながら、ブラッドに手紙を渡す。僕に届いたものだけど、誰かに見せたらいけないなんて書かれていないから構わないだろう。
そもそも、父上から届いた手紙は、裏紙を文字練習に使えるように普段孤児院に渡している。僕と父上の関係は、おそらく領民のほとんどが知っているだろう。今回届いた手紙も孤児院に送る予定だ。
「レイリー子爵家令嬢……」
「僕の従妹だね。父上の姪。うちの財産を少しでもレイリー子爵にもたらしたいんだろうな」
レイリー子爵家からトンプソン伯爵家の一人娘に婿入りした父上。本来はその関係によりレイリー子爵家に富をもたらす予定だったのだろう。
でも、前トンプソン伯爵、つまり僕の祖父は、父上に大きな権限を持たせなかった。トンプソン家を継ぐのは、あくまでも娘である僕の母上だという姿勢を示したのだ。
母上よりも先に祖父が亡くなっていたことで、僕に爵位が継がれる前に父上が繋ぎになることになってしまったけれど。今でもその祖父の決定は生きていて、それが僕の立場を確立させるのに一役買っている。
つまりは、レイリー子爵家は当初の思惑を外した形になっていて、今さらその利益確保に走ったということだろう。
未成年であるがゆえに爵位を正式に継げない貴族は、成年するまでは後見人であっても勝手に婚約者を定められないと法で決まっている。
僕は成年まであと一年に迫った。だから、父上は有耶無耶の内に、レイリー子爵家の者を婚約者の地位に押し込もうとしているのだろう。それで僕が押しきられると思われているのは心外だ。
「貴族院に連絡を取りましょう」
「どうして?」
「アリエル様のお父上が、誰かを買収して婚約の成立をさせないように、釘をささなければなりません」
「ああ……そこまでするのかな……。でも、うん、念のために連絡しておいて」
ブラッドの提案を考えた結果、父上ならしなくもないかと思った。そこまで人として堕ちたと思いたくないけれど。人は欲望のためならなんでもできる生き物だから。
「かしこまりました」
満足そうに微笑んだブラッドが、僕の手を取り、指先に口づける。
心臓がドキッと跳ねた。
最近ブラッドはよくこの仕草をするけれど、どういう意味があるのだろう。僕は緊張して顔が赤くなってしまう。
「――せっかくここまでなびいてきたのです。今さら、どこぞの馬の骨に、アリエル様を渡すつもりはありませんよ」
ボソリと何かを呟いていたようだけれど、上手く聞き取れなかった。
◇◇◇
十八歳の成人まであと少し。爵位を継ぐ根回しで、最近は大忙しだ。主にブラッドが。
「……ブラッド、大丈夫?」
僕は貴族としての社交をこなしていない。それでも爵位を継ぐことが確定しているのは、そのように法が定めているからであり、それなりの根回しをしているからだ。
ブラッドはその根回しのほとんどを担っている。元々、家庭教師以前に男爵家の次男だったらしく、貴族のことについては、領地に引きこもっている僕より詳しい。
どこか疲れた様子も見えるブラッドの肩を叩き、労ってやる。
それを許可と受け取ったのか、僕を抱き締めてくるから困ってしまったけれど。拒否したいと微塵も思わないから、なおさら戸惑ってしまう。
そろそろ自覚を遅らせるのも限界だ。
そう思っている時点で、僕は白旗を上げているのと同然。でも、やっぱりまだ目を逸らしていたい。
「疲れました……」
ブラッドは僕より頭一つ分以上背が高い。それなのに、頑張って身を屈めて、僕の肩に額を擦り付けてくる姿が、なんだか可愛く思えた。
普段はカッコよくて、自信に溢れた立ち振る舞いなのに、不意に見せる弱さが心をくすぐる。抱き締めて撫でてあやしてやりたくなるのだ。
たぶんブラッドの思惑にのせられている。
「お疲れさま。僕のためにありがとう」
「アリエル様のためになっているなら幸せです。愛しています」
「……うん」
軽々しく断る言葉は出てこなかった。
◇◇◇
ブラッドが告白されている姿を見た。相手は屋敷に食材を運ぶ仕事を請け負っている青年。
……青年の方も体格いいんだけど、どちらが抱く側?
思わず浮かんだ疑問を振り払う。一瞬、ブラッドがベッドに押し倒される姿を想像してしまって、それもいい気がすると思ってしまったのは、気のせいということにしておこう。なんだか倒錯的で卑猥な気がするから。
「――アリエル様、覗きですか?」
「っ、気づいてたの……?」
「ええ。私がアリエル様に気づかないわけがないでしょう?」
当然と言いたげなブラッドの顔を見上げる。美しくてカッコいい。誰かに好かれて当然だ。……僕がブラッドの愛を受け入れなかったら、いつか別の誰かのものになるのだろうか。
「――もしかして、妬きましたか?」
「え? あ、さっきの青年に……?」
「……ええ、その反応だと、違うようですね」
何故だかブラッドの機嫌が悪くなった。僕が妬かなかったのが悔しいのだろうか。
でも、ブラッドが青年の告白を素っ気なく断ったのは聞こえていたし、ブラッドの愛を向ける相手が誰かは、僕が一番よく知っているのだ。妬く必要なんてないだろう。
「ふふ……。ブラッドは僕のことを愛してるんでしょ? それとも、今までの言葉は嘘だったの? 諦めた?」
微笑みつつ、ブラッドの胸板を軽く叩いたら、ブラッドが珍しく顔を赤くして固まった。
「……私がアリエル様を愛していることが伝わっていて、嬉しいです」
照れたブラッドの表情に、僕の方こそ恥ずかしくなってきた。
それに……僕は、もうブラッドの気持ちを受け入れているのだと気づいた。そろそろ答えることから逃げてはいけないだろう。
ブラッドの顔を見上げる。不思議そうに首を傾げつつも、愛しげな眼差しを向けてくるブラッドに、口を開きかけて――閉じた。
まだ、答える勇気は出なかった。関係が変わることが怖い。
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