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受胎告知
一
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痛い、脳みそが凄まじく。生暖かい汁が顔全体を覆っているので散弾銃で顔を吹き飛ばされたに違いない。人が芸術を嗜んでいる時になんと不躾な連中だろう。逃げ惑う人々の悲鳴や銃声、…目覚めなければよかったと心底思う。
「我々は『王国打倒委員会』会員として王国の芸術を破壊する!」などとネジの外れたセリフが聞こえたかと思えばいきなり殺されるなど誰が思うものか。
「おい、生きてるやつが居ないか確認しろ。」
騒がしい銃声はようやく止んだようだ。こっそりと目を開けると、可哀想に殺された老人と目が合った。その手には『世界の名画展覧会!聖なる―』のパンフレットが握られている。
「見つけたらどうする?」
「馬鹿!殺すに決まってんだろ」
遠ざかった声にようやく体を起こせそうだ、ソレはゆっくりと起き上がる。その老人のパンフレットをそっと貰って、本日の目的に沿って歩き出した。目玉に自分の血液が入って痛い。
「おい!まだここに生きてるヤツいるぞ」
勘弁してくれ、そう思ったが彼らはまたもその銃口を背中に向けて、ズドンと打ち込んだ。また腸がビチビチと床を汚す。ズルズルと穴から中身が出てきて大変だ。ただでさえ穴という穴から血が吹き出しているというのに腹まで穴が空いては収拾がつかない。
「お、おい…こいつなんで…」
「私を撃つのを止めてくれないか?」とブクブクと血の泡を吐きながらゆっくり振り返ると、彼らは怯えたような顔をして銃を乱射してトドメを刺そうと努力するのだ。
また一つ、そしてまた一つ穴が空いていく。体がまたべしゃりと床に叩きつけられ痛い。パンフレットが血の海で泳いで、ソレはほんの少し残念な気持ちになった。記念に持ち帰ろうと考えていたからだ。また入口で貰わなければ。
再び痛みを堪えて壁に手をついて立ち上がった時「ひ、ひぃい!なんだよコイツ!」とまるで人を化け物のような目で見て、銃弾を浪費した。弾切れなのか悲鳴を上げながら逃げる彼らに一先ず安心だ。行くなら今のうちだろうとソレは頑張って前に進む。そしてようやく今日一番見たかった名画の前に辿り着いた。
「ああ、とても綺麗な絵だ」
うっとりとその絵に釘付けだ。闇に浮かび上がる天使の背中、すべて受け入れ跪く女…痛みに耐えて見る価値のある作品である。だからだろう、この絵を見に来た客は多かったようで辺りに死体が転がっている。
「いたぞ!」
しかし、バタバタと踏み鳴らす彼らの雑音で、素晴らしい作品がまたも台無しにされるのだ。
その四角い画面の向こう、監視プログラムがその美術館の一角を鮮明に映し出している。休日だったからか親子連れや年老いた夫婦、美大生と様々な客層が芸術鑑賞していたのだ。それは代わり映えのしない映像だった。突如現れた覆面の集団が、その平穏を奪うまで。
彼らはピストルで無差別に殺戮し始める。逃げ惑う人々の命を容赦なく奪うと、まだ息がある人間を手持ちのナイフで滅多刺しにするのだ。なんの恨みがあるというのか、目を背けたくなるような惨状。
だが問題はそこでは無い。それ以上におかしな事がその中で起きている。
執拗に殺され、地面に倒れたその中の一人。画角の奥の方からすく、と立ち上がったその全身血だらけの男は壁を伝って歩き出した。
…瀕死だがどうにか逃げ出そうとしている?実は他の被害者に隠れて死んだふりをしていた?確かにその可能性もまだあった。
そのノロノロと歩く男に気がついた彼らは直ぐに背中に弾丸を浴びせる。男は腹が裂けて、普通ならば立っていられないだろう。流石に複数の銃弾を受け、べシャリと倒れる。死んでしまった、…映像がそこで終わっていたならそう思うはずである。
「嘘でしょ…」
昼食を取りながら呟いた隣の男は石のように固まった。
再び立ち上がったそのゾンビのような男はユラユラとどこかに向かって歩き出すのだ。腹からは臓物が垂れ下がって、ドボドボと血と一緒に地面を引きずっている。その姿はゾンビが肉を求めて彷徨い歩いているようだ。
「…映像はここで何者かに遮断された。」
打ちっぱなしのコンクリート、窓ひとつない部屋。使い古されたモニターを前に集められた二人はまだ状況が分かっていない。
「あの、ローレン部隊長~…俺らは何を見せられたんです?新作のゾンビ映画か何かですか?」
率直な意見はリク・サコダらしい。落ち着きなくソワソワと足を揺らして、「ね?ノエル先輩もそう思いますよね!」とこちらに同意を求める。
「………同意なら他に求めろ」と冷たくあしらうと、彼は不貞腐れたように「いいじゃないっすか!孤高ぶらないで下さいよ~」と面倒な絡み方をしてくる。
ノエル・アーサーはこの帝国警察、国家秩序維持課機密部隊に所属している一部隊員である。簡潔にすると、我が帝国の国益を侵害するテロリスト共の情報を収集して、捜査部に引き渡すといった内容だ。仕事に関しては誰よりも真面目に取り組み向き合ってきたが、この仕事に"誇り"は持っていない。ノエルは楽しみも喜びも感じることなく淡々と責務をこなしているだけだった。
だが、そんな男が今日初めてこの仕事で高揚感を覚えている。それは見てはいけないものを見た時のような不安と、誰も見た事のない世界を覗いている特別感がそうさせているに違いない。
「でも、なんでこんなグロい映像見せられなきゃいけないんすか?俺繊細だからこういうの見たあとご飯食べれないんすよ」
ソーセージマフィン片手にサコダはそう言った。図太さは部隊の中でも一番だろう。
「黙って最後まで聞きなさいね。…これは先日帝国美術館で起こった無差別殺傷事件の映像よ」
ローレン・クロウリーは部隊長という所もあってか、落ち着きなく騒ぐサコダの足をヒールの踵で踏みつける。そのぽってりとした唇を意地悪く釣り上げれば流石のサコダもしゅんと肩を縮めた。
「…バカにも分かりやすいように説明すると、容疑者は全部で十二人。計画的犯行で死傷者二十八人の戦後最悪のテロ事件よ。最近流行りの『王国打倒委員会』とかいうやつら」
次にモニターに映し出されたのは、風船のように膨らんだ人、らしきものだ。ぶよぶよになった皮膚は赤黒く変色している。
「ゔぇ、これなんすか?」
「DNA鑑定の結果この惨劇を起こした張本人達。全部で七人、纏まって転がってたらしいの。他は逃亡したんじゃないかしら」
「…マジ?なんでこんな化け物見たいになってんの?岸に打ち上げられたクラゲみたい」
「それは調査中ね。そこであなた達二人を呼び出した」
数ある隊員の中から態々休日を狙って呼び出したのにはそれなりに理由があるということだろう。
彼女はモニターの画面を切り替えて、"ゾンビのような男"の映像を再生する。そして彼女が一時停止したのは趣味が悪い、腹からブツが溢れているシーンだ。
「この男を探して欲しいの」
「ちょっと、…この男を探すって…?流石に死んでると思うんすけど…」
「これを見て」
流された映像には、美術館の正面入り口が映し出されていた。そこにはあのゾンビ男が階段をゆっくり降りてくる姿が捉えられている。真ん中あたりで座り込んで、あろう事か自分のはみ出た臓器を両手で中に押し戻しているのだ。そんなことをしても意味など無いはずだが、男は立ち上がると先程までの鈍さなど感じさせぬ足取りで階段を駆け下りた。
「ど、どういうことすか?」
ポロリ、とその口からパンくずが零れる。行儀悪く油でベチャベチャな手をサコダはジャケットで拭った。その様子をノエルは不快に思って顔を顰める。
「見ての通り、このゾンビ男は自分の臓物を戻して何事も無かったかのようにその場から逃げたの」
ローレンは大きなため息をついて、「私も理解できないけどね」と付け加えた。
「不死身ってことすか?…ほんと映画の世界みたいになってるけど…。でもそんなファンタジー、部署違い…いや次元違いも甚だしいすよ。俺普段の任務もいっぱいいっぱいなのに…」
サコダは弱音を吐いて、散らばった食べかすを手でかき集めてテーブルの下に落とす。全くどうしようもないやつだ。
「これは上からのお達し。確かにほかの者より職務内容が多くなるけれど、…昇進には有利になる。部隊内で最低最悪の成績の誰かさんや、…仲間に馴染めず問題ばかり起こす誰かさんにはちょうどいい案件ね」
それぞれ心当たりがあったせいで『やらない』という選択肢は初めから用意されていないのである。
まるで空から星が降り注いだかのようにエレモアシティーは輝いている。どこを見ても派手なライトが隅から隅まで街を照らしているのだ。街全体を覆った円蓋の『スターシールド』が太陽の光を遮り、内側で永遠の夜を作る。
頭の悪い曲が爆音で流され続け、街全体が毎日朝昼関係なくクラブパーティーをしているようだ。
質のいい背広を着て偉そうにふんぞり返る成金、その横には派手に着飾ったドレスで優越感に浸る女達。物乞いの老人で日々の不平不満を当て付ける若者たち。片耳だけ立てて退屈そうに丸まった野良犬は、傷つけられ動けぬ老人の死を待っている。
この街はそういう街なのだ。
その強いネオンに真っ黒の髪は透けることもなく、藍色の瞳はただ焦燥感からか慌ただしく四方八方へ向けられる。
『ゾンビ男』を探すという任務は思いの外難航していた。元々の情報が極めて少なく、顔は映っていたものの血だらけで、
学班から貰った血を取り除いた復元写真はイマイチ信用出来ない。骨格などは一致してはいるだろうが、彼らの作る物はいつも同じような顔になる。
(指紋も血液も帝国民のデータベースに登録されていないということは、他国の人間の可能性が…いや、そもそも致命傷を負って生き返るような化け物に国籍などあるのだろうか)
道端で立ち止まり考え込むノエルを「邪魔だ!」と怒鳴り散らかす人間は一人もいない。それは誰が見てもわかる帝国警察の制服と、襟元に付けられたそのピンバッジのせいだろう。黄金に輝く尾を食らう蛇のシンボルは小さいながらも存在感だけはある。
流石に一ヶ月、なんの足取りも掴めないなどと報告する訳にはいかない。そう思ったノエルは三日前、この街に二時間かけてやって来たのだ。
このエレモアシティーは急速な発展からか様々な反政府組織が活動している。もちろんあの『王国打倒委員会』とかいうイカれた集団も例に漏れずこの街に拠点を置いていて好き勝手やっているようだ。
あの男に関係があるとは思えないが、ひたすらある情報から探るしかないだろう。
(とりあえず交番所に行ってみるか)
気を取り直してノエルは歩き出す。ほんの少し音楽のボリュームが下がったが、目線の先には変わらずごちゃごちゃとした光が主張して、その地味な青色の『西交番所』の看板を見逃すところであった。その開け放たれた扉から漏れる淡い光は人の心をほっと安心させる。そう思ったのも束の間、この街に相応しい怒声が響き渡った。
「お前ら警察官だろ!なんで僕の言うこと信じてくれない!」
「誰がんなもん信じられるか!お前なんか変な薬でもやっとんのか!」
「ざけんな!くそオヤジ!そう思うなら自分の目で確かめてみろよ!」
こっそり顔を覗かせると、この交番の警官と全身薄汚れたボサボサ頭の少年がデスクを挟んで今にも取っ組み合いを始めそうである。体格差はどう見ても明らかだが、声量に二人の差はない。彼らは互いを罵倒するだけで時間を浪費している。
(…こんな所には情報は無いだろう)とノエルはそっとその場を離れる事にした。
「このクソガキ!毎日毎日、俺は忙しいんやぞ!」
「うるせー!こっちだって毎晩寝床で死なれて寝れてねーーーんだ!!」
(……)
その少年の心からの叫びの中に、情報に貪欲になった体を引き止めるワードが入っている。
「またそれか…。あのなあ坊主、確かにこの街は毎日沢山死ぬ。だけど、どの生物も死んだら生き返らへんよ。」
「それはそうなんだけど、その変な男、毎晩来るんだ!そんで―」
彼らが言い争っている中、壁を三回トントンと叩いた。「失礼する」と抑揚のない声で入ってきたノエルに彼らは掴みかかった体制のままこちらに視線を向ける。
「その話詳しく聞きたいのだが」
「はあ!?お前誰だよ!邪魔すんな!」と少年はきゃんきゃんと高い声で食ってかかった。だが交番勤務の警察官はノエルの制服とピンバッジを見るや否やビシッと姿勢を正す。
「お勤めご苦労様です!お見苦しい所を申し訳ありません!…それで…国家秩序維持課の方がどうしてこんな所に?」
「偶然通りかかっただけだ。…それより変な男がどうとか、寝床で死んでる、だとか聞こえたが」
警察官の視線はやはりノエルのピンバッジに注がれている。引き攣った笑顔で自分よりふた周りほど年下のノエルの機嫌を損ねないように努めるのだ。
「ああ、それはこのガ…少年が『怪しい男が夜な夜な裏の公園で自殺を繰り返していて困っている』て言ってましてね」
「…自殺を繰り返している?」
「ガハハ、そんな、けったいな話あるわけないんですがね。どうせホラ吹いて大人を困らせようとしてるだけですわ」
その情報はあの『ゾンビ男』を目の当たりにする前ならば鼻で笑っていたであろう。
どうせ馬鹿な子供の妄想だ、と。
「嘘じゃねーって!」とその場で地団駄を踏み散らかす少年はガリガリに痩せて見るからに不健康そうだ。
「毎日毎日ここへ来てそんなこと言うもんですから、うちとしても困ってましてね。」
ポリ、とその警官は薄くなった頭を掻くと、お手上げ、と言わんばかりに両手を広げる。
「…では、この子供の件はこちらで引き受けよう。」
「え?いやいや、流石にどうせ作り話かと…」
「作り話かどうかは見て決める。」
ノエルはその薄汚い子供に「行くぞ」とだけ言うと、さっさと交番を後にした。
「偉そうに…やっぱりバッジ付きはムカつく連中の集まりや」と呟く声を聞こえないふりをして。
「ねーねー、あんた名前なんてーの?」
「…」
「僕はマイク」
「…そうか。」
「あんたは?」
「……悪いが」
その道は煩いネオンが届かない程左右に背の高い建物が並んでいる。後付けされたような柱やむき出しの鉄筋、ゴミの量も表とは比べ物にならぬほど増えているのだ。道端で座り酒を飲む浮浪者は、ノエルの姿を見てそそくさと建物の中に隠れていった。徐々にきつくなる勾配は足場の悪さもあって異様に疲れる。
「ちぇ、教えてくんねーの?まあなんかあんた凄い警察ぽいもんね」
マイク、と名乗った少年は爪楊枝のような細い足で先を行った。
「それで、…その男の話を聞かせてくれないか」
「僕が住んでる公園に、最近変な男が来て自殺するんだよ。…元々他の人も住んでたけど気味悪がってみんな余所に行っちまった。」
『どうせ信用しないんだろ』とその黒い瞳は言っている。まだ十代前半の子供が一人でこの街で生きるには相当過酷だろう。
「お前も余所に行かないのか?」
「やだよ、だってあの変な奴さえ来なければめちゃくちゃ景色キレーなんだぜ!それに入り組んでて変な武装集団とか来ねぇし」
「…そうなのか」
このゴミ溜めに綺麗なものなどあるのだろうか、と周りを見渡しても今のところ何も無い。
「どれもこれも見たら分かるよ。」
その足が立ち止まり、ごちゃごちゃとした建物の間にスっと一直線に伸びている階段が現れる。
「ここを登ったところ―」とマイクが現れた階段を指さした時、バン!と物騒な音が響き渡った。…それも一回ではない。何回も何回もだ。加えて争うような怒声が複数聞こえてくる。
「いつもこんな感じか?」
「…いや、違う…」
「…ここにいろ」
ノエルは怯える少年の前に立ち、胸元から携帯用の拳銃を取り出してその階段をゆっくり上った。息を殺し、危険と判断した際は退避できるように階段の上のゴミを端に避けながら進む。銃撃戦は決着したようで聞こえるのは何かを引き摺る音と苦しそうな呻き声だ。
「た、…頼むからやめてくれ!」
あと数段、すぐ近くから聞こえた声は、何かに怯えている。ノエルはピタリと足を止め、様子を伺うためその場で屈んだ。そしてその耳を攲て神経を研ぎ澄ますのだ。
「殺さないでくれ!俺はただ頼まれただけなんだ!」
懇願する声の人物の頭のシルエットが揺れる。今にも階段から転げ落ちそうなほど追い詰められているのだろう。どうにかギリギリのところで留まっている。
(これは引き返した方がいい)と頭では理解していた。上に報告し、指示を仰ぐべきだ。しかし、どうせ彼らは壊れたように『他所の案件に首を突っ込むな』と繰り返すのだ。例えそこで重大な事件が起ころうと、『管轄外だ』で済ませる。
まさに自らの地位と名誉を守るため、言われたことを熟すだけのロボット。
(俺は…)
迷いにギュッと握った拳銃がじんわり汗ばんだ頃、到頭恐怖に負けたそれは、階段を這いずるように逃げ出した。しかし「ぎゃぁあっ!」と悲鳴をあげながらその段差をゴロゴロと転がり落ちる。直ぐに避けたのでよかったものの、巻き添えを食らうところであった。
静かになったその時を、きらきらと微かに届いたネオンの色が地面に泳いでいる。まだ引き返せるが、ノエルは何か未知に引き寄せられるように一段、また一段と上っていくのだ。
淡い色を踏むように最後の一段を上りきるとマイクが言ったことが嘘ではなかったと素直に思える景色が広がっていた。
満天の人工星と醜くも美しいエレモアシティーの輝き。
違法建築がくり抜かれたその場所で転がった五人と、美しい夜景を展望する血だらけの男。その左手には図鑑でしか見たことのないような古い拳銃が握られている。
「…銃を捨てて手を上げろ」
ノエルはその背中に銃口を向けた。しかし男は聞こえているのかいないのか、ぼんやりと突っ立っているだけだ。
「おい!銃を捨てて手を上げろ!」と大きくハッキリした声で言い直すとゆっくり男は振り返った。
「…私に言っているのか?」
人間味のない一寸の狂いもない整った左右対称の顔。そのアイスブルーの瞳は血を一滴零したような絶妙な色合いで、微かに揺れた絹糸のような白金の髪は赤い飛沫に汚れている。
ソレは、ノエルの視線を、呼吸を、意識全て奪い去った。心臓を引き絞られるような、それでいて鼓動が跳ねるような、…あの映像を見た時と同じ高揚感。ビリビリと体の血液が沸騰する、癖になる感覚。
「…お前以外誰がいる!」
「…帝国警察か。助けてくれ。襲われたんだ」
「動くな!動けば撃つ!」
男は「…わかった」と拳銃を地面に捨てて膝を突き手を上げ頭の後ろで組んでみせる。
ノエルは男の手に手錠をかけて周りの状況を今一度確認した。
散乱した拳銃、頭や背中から血を流し転がる五つの死体は十~四十歳ほどの幅広い年齢層で見た目も服装もどれも即席で集められたかのような統一感の無さだ。ノエルはその死体の身元を確認するため弄るが、身分証などは見当たらない。
「こいつらに襲われたと言っていたが知り合いか?」
「違う。…だが最近変なカルト集団に付け回されていたから、その類だと思うが」
「カルト集団?」
「巷で流行りのナントカ委員会さ。初めは表で宿を借りていたんだが、執拗な連中でね。ここなら見つからないと思ったら後をつけられたみたいで困ったよ」
(…王国打倒委員会?奴らもこの男を探している?)
男は少し気だるげにため息をついた。その低めで落ち着きのある声色で「だから手錠を外して欲しい」とノエルを見上げる。その目は人を惹き込むような妖しい魅力を揺らしていた。ゴクリと飲み込んだ唾は、緊張からか上手く下らない。まるで催眠をかけられたかのようにぼんやりと周りに靄がかかってその男以外が霞んで見えるのだ。
その靄の奥、ノエルの視線が階段付近で揺れる人影を捉えた時、それは既に引き金に指を掛けていた。
(しまった…!)と意識が引き戻されこちらも拳銃を構えるがどう考えても間に合いそうにない。まっすぐこちらへ向かう銃弾はやけにスローモーションに見える。
その時、横から加わった力にドン!と押し出されノエルは体勢を崩した。
ぶれた視界のその直後、銃弾が男の脇腹を貫き、小さな飛沫がノエルの頬を掠める。どさりと倒れ込んだ男を目の当たりにしてようやく、「この化け物め!」と騒ぎ立てる敵への照準が定まった。その眉間に躊躇うことなく射撃すると、再びそれは階段を転げ落ちていく。それを見送る前に苦しそうに呻く男に駆け寄った。
「お…おい、大丈夫か…?」
「ぅぐ…っ、バッジ付きのくせに油断するな…!」
じわじわとそのワイシャツが赤黒く、腹を抑える指の間にも血が染み出ている。その陶器のように白い肌からどんどん血の気が無くなって本当に人形のようだ。
(…冷静に、冷静に対処するんだ)
ノエルはそう自分に言い聞かせてそのロボットのような無表情に冷や汗を浮かべる。
「とりあえず止血を…」
「いや、いいから触らないでくれ!」
男の言葉を無視してワイシャツを捲りあげる。
その時、ノエルはその超常現象の目撃者となった。
千切れ傷ついた細胞がゆっくりと、だが確実に穴を塞いでいく。噴水のように血を溢れさせながら、蠢いた肉がピッタリと張り付いて、何事も無かったかのように血の筋だけ残した。作り物の映像ではなく、現実で。
「………何がどうなってる」
ゾワゾワと足先から頭皮まで泡立って、言葉を失う。固まったノエルの顔を男は気まずそうに覗き込んだ。
「…私にも説明し兼ねる。ところでいつこの手錠を外してもらえるのだろう」
両腕を掲げ、外せとアピールする男にノエルは非現実感に震える声を絞り出した。
「悪いが…外すことは出来ない。お前を探し出す為こんな所まで足を運んだ」
(見つけた、まさか本当に…?)
「…私を探す?何故?」
「答えられない。…このまま同行願おう」
その言葉に男は大きく肩を落とすと、非難するようにぎっと睨みつける。
「おいおい、私は身を呈してお前を庇ったのにあんまりだ。」
「それに関しては感謝する。…しかし命令に背くことは規律違反だ。」
「命令、規律違反ね、お前達はいつも上の言った通り動くだけの"ロボット"だったな…」
俯いた瞼は、諦めたように瞬きを繰り返す。その男をそのまま本部へ連れていけば、確実に今年の昇進に良い影響を与えるだろう。周りから形だけの祝福をされて、何のやりがいも感じず死んだように生きる。
「……」
ノエルはその両腕の手錠を開けてやった。ぶら下がって落ちたそれに、男は目を丸くして驚いた。まさか開放されるとは思っていなかったのだろう。
「…何故?」
「気が変わった。」
今日、ノエルは子供の嘘に振り回され一日を費やした。そう報告すればいい。
「…いいのか?」
「俺はロボットじゃない。だから多少の融通は利く。」
「…そうみたいだな。」
今までの自分が自分で無くなるような…そのむず痒さに背を向け、ノエルは元来た道を引き返すことにする。
男はその背中に「ありがとう」と単純で、だが最もわかりやすい感謝を伝えた。
長い階段を下る足取りは規律違反をしたというのに驚くほど軽い。
「あ!来た!…大丈夫だったのかよ!」と物陰から現れた少年に『武装集団の溜まり場になったらしいからあそこへは行くな』と伝える。
「…なんであんた笑ってんの?」と不気味がるマイクなどただの靄にしか見えていなかった。
「我々は『王国打倒委員会』会員として王国の芸術を破壊する!」などとネジの外れたセリフが聞こえたかと思えばいきなり殺されるなど誰が思うものか。
「おい、生きてるやつが居ないか確認しろ。」
騒がしい銃声はようやく止んだようだ。こっそりと目を開けると、可哀想に殺された老人と目が合った。その手には『世界の名画展覧会!聖なる―』のパンフレットが握られている。
「見つけたらどうする?」
「馬鹿!殺すに決まってんだろ」
遠ざかった声にようやく体を起こせそうだ、ソレはゆっくりと起き上がる。その老人のパンフレットをそっと貰って、本日の目的に沿って歩き出した。目玉に自分の血液が入って痛い。
「おい!まだここに生きてるヤツいるぞ」
勘弁してくれ、そう思ったが彼らはまたもその銃口を背中に向けて、ズドンと打ち込んだ。また腸がビチビチと床を汚す。ズルズルと穴から中身が出てきて大変だ。ただでさえ穴という穴から血が吹き出しているというのに腹まで穴が空いては収拾がつかない。
「お、おい…こいつなんで…」
「私を撃つのを止めてくれないか?」とブクブクと血の泡を吐きながらゆっくり振り返ると、彼らは怯えたような顔をして銃を乱射してトドメを刺そうと努力するのだ。
また一つ、そしてまた一つ穴が空いていく。体がまたべしゃりと床に叩きつけられ痛い。パンフレットが血の海で泳いで、ソレはほんの少し残念な気持ちになった。記念に持ち帰ろうと考えていたからだ。また入口で貰わなければ。
再び痛みを堪えて壁に手をついて立ち上がった時「ひ、ひぃい!なんだよコイツ!」とまるで人を化け物のような目で見て、銃弾を浪費した。弾切れなのか悲鳴を上げながら逃げる彼らに一先ず安心だ。行くなら今のうちだろうとソレは頑張って前に進む。そしてようやく今日一番見たかった名画の前に辿り着いた。
「ああ、とても綺麗な絵だ」
うっとりとその絵に釘付けだ。闇に浮かび上がる天使の背中、すべて受け入れ跪く女…痛みに耐えて見る価値のある作品である。だからだろう、この絵を見に来た客は多かったようで辺りに死体が転がっている。
「いたぞ!」
しかし、バタバタと踏み鳴らす彼らの雑音で、素晴らしい作品がまたも台無しにされるのだ。
その四角い画面の向こう、監視プログラムがその美術館の一角を鮮明に映し出している。休日だったからか親子連れや年老いた夫婦、美大生と様々な客層が芸術鑑賞していたのだ。それは代わり映えのしない映像だった。突如現れた覆面の集団が、その平穏を奪うまで。
彼らはピストルで無差別に殺戮し始める。逃げ惑う人々の命を容赦なく奪うと、まだ息がある人間を手持ちのナイフで滅多刺しにするのだ。なんの恨みがあるというのか、目を背けたくなるような惨状。
だが問題はそこでは無い。それ以上におかしな事がその中で起きている。
執拗に殺され、地面に倒れたその中の一人。画角の奥の方からすく、と立ち上がったその全身血だらけの男は壁を伝って歩き出した。
…瀕死だがどうにか逃げ出そうとしている?実は他の被害者に隠れて死んだふりをしていた?確かにその可能性もまだあった。
そのノロノロと歩く男に気がついた彼らは直ぐに背中に弾丸を浴びせる。男は腹が裂けて、普通ならば立っていられないだろう。流石に複数の銃弾を受け、べシャリと倒れる。死んでしまった、…映像がそこで終わっていたならそう思うはずである。
「嘘でしょ…」
昼食を取りながら呟いた隣の男は石のように固まった。
再び立ち上がったそのゾンビのような男はユラユラとどこかに向かって歩き出すのだ。腹からは臓物が垂れ下がって、ドボドボと血と一緒に地面を引きずっている。その姿はゾンビが肉を求めて彷徨い歩いているようだ。
「…映像はここで何者かに遮断された。」
打ちっぱなしのコンクリート、窓ひとつない部屋。使い古されたモニターを前に集められた二人はまだ状況が分かっていない。
「あの、ローレン部隊長~…俺らは何を見せられたんです?新作のゾンビ映画か何かですか?」
率直な意見はリク・サコダらしい。落ち着きなくソワソワと足を揺らして、「ね?ノエル先輩もそう思いますよね!」とこちらに同意を求める。
「………同意なら他に求めろ」と冷たくあしらうと、彼は不貞腐れたように「いいじゃないっすか!孤高ぶらないで下さいよ~」と面倒な絡み方をしてくる。
ノエル・アーサーはこの帝国警察、国家秩序維持課機密部隊に所属している一部隊員である。簡潔にすると、我が帝国の国益を侵害するテロリスト共の情報を収集して、捜査部に引き渡すといった内容だ。仕事に関しては誰よりも真面目に取り組み向き合ってきたが、この仕事に"誇り"は持っていない。ノエルは楽しみも喜びも感じることなく淡々と責務をこなしているだけだった。
だが、そんな男が今日初めてこの仕事で高揚感を覚えている。それは見てはいけないものを見た時のような不安と、誰も見た事のない世界を覗いている特別感がそうさせているに違いない。
「でも、なんでこんなグロい映像見せられなきゃいけないんすか?俺繊細だからこういうの見たあとご飯食べれないんすよ」
ソーセージマフィン片手にサコダはそう言った。図太さは部隊の中でも一番だろう。
「黙って最後まで聞きなさいね。…これは先日帝国美術館で起こった無差別殺傷事件の映像よ」
ローレン・クロウリーは部隊長という所もあってか、落ち着きなく騒ぐサコダの足をヒールの踵で踏みつける。そのぽってりとした唇を意地悪く釣り上げれば流石のサコダもしゅんと肩を縮めた。
「…バカにも分かりやすいように説明すると、容疑者は全部で十二人。計画的犯行で死傷者二十八人の戦後最悪のテロ事件よ。最近流行りの『王国打倒委員会』とかいうやつら」
次にモニターに映し出されたのは、風船のように膨らんだ人、らしきものだ。ぶよぶよになった皮膚は赤黒く変色している。
「ゔぇ、これなんすか?」
「DNA鑑定の結果この惨劇を起こした張本人達。全部で七人、纏まって転がってたらしいの。他は逃亡したんじゃないかしら」
「…マジ?なんでこんな化け物見たいになってんの?岸に打ち上げられたクラゲみたい」
「それは調査中ね。そこであなた達二人を呼び出した」
数ある隊員の中から態々休日を狙って呼び出したのにはそれなりに理由があるということだろう。
彼女はモニターの画面を切り替えて、"ゾンビのような男"の映像を再生する。そして彼女が一時停止したのは趣味が悪い、腹からブツが溢れているシーンだ。
「この男を探して欲しいの」
「ちょっと、…この男を探すって…?流石に死んでると思うんすけど…」
「これを見て」
流された映像には、美術館の正面入り口が映し出されていた。そこにはあのゾンビ男が階段をゆっくり降りてくる姿が捉えられている。真ん中あたりで座り込んで、あろう事か自分のはみ出た臓器を両手で中に押し戻しているのだ。そんなことをしても意味など無いはずだが、男は立ち上がると先程までの鈍さなど感じさせぬ足取りで階段を駆け下りた。
「ど、どういうことすか?」
ポロリ、とその口からパンくずが零れる。行儀悪く油でベチャベチャな手をサコダはジャケットで拭った。その様子をノエルは不快に思って顔を顰める。
「見ての通り、このゾンビ男は自分の臓物を戻して何事も無かったかのようにその場から逃げたの」
ローレンは大きなため息をついて、「私も理解できないけどね」と付け加えた。
「不死身ってことすか?…ほんと映画の世界みたいになってるけど…。でもそんなファンタジー、部署違い…いや次元違いも甚だしいすよ。俺普段の任務もいっぱいいっぱいなのに…」
サコダは弱音を吐いて、散らばった食べかすを手でかき集めてテーブルの下に落とす。全くどうしようもないやつだ。
「これは上からのお達し。確かにほかの者より職務内容が多くなるけれど、…昇進には有利になる。部隊内で最低最悪の成績の誰かさんや、…仲間に馴染めず問題ばかり起こす誰かさんにはちょうどいい案件ね」
それぞれ心当たりがあったせいで『やらない』という選択肢は初めから用意されていないのである。
まるで空から星が降り注いだかのようにエレモアシティーは輝いている。どこを見ても派手なライトが隅から隅まで街を照らしているのだ。街全体を覆った円蓋の『スターシールド』が太陽の光を遮り、内側で永遠の夜を作る。
頭の悪い曲が爆音で流され続け、街全体が毎日朝昼関係なくクラブパーティーをしているようだ。
質のいい背広を着て偉そうにふんぞり返る成金、その横には派手に着飾ったドレスで優越感に浸る女達。物乞いの老人で日々の不平不満を当て付ける若者たち。片耳だけ立てて退屈そうに丸まった野良犬は、傷つけられ動けぬ老人の死を待っている。
この街はそういう街なのだ。
その強いネオンに真っ黒の髪は透けることもなく、藍色の瞳はただ焦燥感からか慌ただしく四方八方へ向けられる。
『ゾンビ男』を探すという任務は思いの外難航していた。元々の情報が極めて少なく、顔は映っていたものの血だらけで、
学班から貰った血を取り除いた復元写真はイマイチ信用出来ない。骨格などは一致してはいるだろうが、彼らの作る物はいつも同じような顔になる。
(指紋も血液も帝国民のデータベースに登録されていないということは、他国の人間の可能性が…いや、そもそも致命傷を負って生き返るような化け物に国籍などあるのだろうか)
道端で立ち止まり考え込むノエルを「邪魔だ!」と怒鳴り散らかす人間は一人もいない。それは誰が見てもわかる帝国警察の制服と、襟元に付けられたそのピンバッジのせいだろう。黄金に輝く尾を食らう蛇のシンボルは小さいながらも存在感だけはある。
流石に一ヶ月、なんの足取りも掴めないなどと報告する訳にはいかない。そう思ったノエルは三日前、この街に二時間かけてやって来たのだ。
このエレモアシティーは急速な発展からか様々な反政府組織が活動している。もちろんあの『王国打倒委員会』とかいうイカれた集団も例に漏れずこの街に拠点を置いていて好き勝手やっているようだ。
あの男に関係があるとは思えないが、ひたすらある情報から探るしかないだろう。
(とりあえず交番所に行ってみるか)
気を取り直してノエルは歩き出す。ほんの少し音楽のボリュームが下がったが、目線の先には変わらずごちゃごちゃとした光が主張して、その地味な青色の『西交番所』の看板を見逃すところであった。その開け放たれた扉から漏れる淡い光は人の心をほっと安心させる。そう思ったのも束の間、この街に相応しい怒声が響き渡った。
「お前ら警察官だろ!なんで僕の言うこと信じてくれない!」
「誰がんなもん信じられるか!お前なんか変な薬でもやっとんのか!」
「ざけんな!くそオヤジ!そう思うなら自分の目で確かめてみろよ!」
こっそり顔を覗かせると、この交番の警官と全身薄汚れたボサボサ頭の少年がデスクを挟んで今にも取っ組み合いを始めそうである。体格差はどう見ても明らかだが、声量に二人の差はない。彼らは互いを罵倒するだけで時間を浪費している。
(…こんな所には情報は無いだろう)とノエルはそっとその場を離れる事にした。
「このクソガキ!毎日毎日、俺は忙しいんやぞ!」
「うるせー!こっちだって毎晩寝床で死なれて寝れてねーーーんだ!!」
(……)
その少年の心からの叫びの中に、情報に貪欲になった体を引き止めるワードが入っている。
「またそれか…。あのなあ坊主、確かにこの街は毎日沢山死ぬ。だけど、どの生物も死んだら生き返らへんよ。」
「それはそうなんだけど、その変な男、毎晩来るんだ!そんで―」
彼らが言い争っている中、壁を三回トントンと叩いた。「失礼する」と抑揚のない声で入ってきたノエルに彼らは掴みかかった体制のままこちらに視線を向ける。
「その話詳しく聞きたいのだが」
「はあ!?お前誰だよ!邪魔すんな!」と少年はきゃんきゃんと高い声で食ってかかった。だが交番勤務の警察官はノエルの制服とピンバッジを見るや否やビシッと姿勢を正す。
「お勤めご苦労様です!お見苦しい所を申し訳ありません!…それで…国家秩序維持課の方がどうしてこんな所に?」
「偶然通りかかっただけだ。…それより変な男がどうとか、寝床で死んでる、だとか聞こえたが」
警察官の視線はやはりノエルのピンバッジに注がれている。引き攣った笑顔で自分よりふた周りほど年下のノエルの機嫌を損ねないように努めるのだ。
「ああ、それはこのガ…少年が『怪しい男が夜な夜な裏の公園で自殺を繰り返していて困っている』て言ってましてね」
「…自殺を繰り返している?」
「ガハハ、そんな、けったいな話あるわけないんですがね。どうせホラ吹いて大人を困らせようとしてるだけですわ」
その情報はあの『ゾンビ男』を目の当たりにする前ならば鼻で笑っていたであろう。
どうせ馬鹿な子供の妄想だ、と。
「嘘じゃねーって!」とその場で地団駄を踏み散らかす少年はガリガリに痩せて見るからに不健康そうだ。
「毎日毎日ここへ来てそんなこと言うもんですから、うちとしても困ってましてね。」
ポリ、とその警官は薄くなった頭を掻くと、お手上げ、と言わんばかりに両手を広げる。
「…では、この子供の件はこちらで引き受けよう。」
「え?いやいや、流石にどうせ作り話かと…」
「作り話かどうかは見て決める。」
ノエルはその薄汚い子供に「行くぞ」とだけ言うと、さっさと交番を後にした。
「偉そうに…やっぱりバッジ付きはムカつく連中の集まりや」と呟く声を聞こえないふりをして。
「ねーねー、あんた名前なんてーの?」
「…」
「僕はマイク」
「…そうか。」
「あんたは?」
「……悪いが」
その道は煩いネオンが届かない程左右に背の高い建物が並んでいる。後付けされたような柱やむき出しの鉄筋、ゴミの量も表とは比べ物にならぬほど増えているのだ。道端で座り酒を飲む浮浪者は、ノエルの姿を見てそそくさと建物の中に隠れていった。徐々にきつくなる勾配は足場の悪さもあって異様に疲れる。
「ちぇ、教えてくんねーの?まあなんかあんた凄い警察ぽいもんね」
マイク、と名乗った少年は爪楊枝のような細い足で先を行った。
「それで、…その男の話を聞かせてくれないか」
「僕が住んでる公園に、最近変な男が来て自殺するんだよ。…元々他の人も住んでたけど気味悪がってみんな余所に行っちまった。」
『どうせ信用しないんだろ』とその黒い瞳は言っている。まだ十代前半の子供が一人でこの街で生きるには相当過酷だろう。
「お前も余所に行かないのか?」
「やだよ、だってあの変な奴さえ来なければめちゃくちゃ景色キレーなんだぜ!それに入り組んでて変な武装集団とか来ねぇし」
「…そうなのか」
このゴミ溜めに綺麗なものなどあるのだろうか、と周りを見渡しても今のところ何も無い。
「どれもこれも見たら分かるよ。」
その足が立ち止まり、ごちゃごちゃとした建物の間にスっと一直線に伸びている階段が現れる。
「ここを登ったところ―」とマイクが現れた階段を指さした時、バン!と物騒な音が響き渡った。…それも一回ではない。何回も何回もだ。加えて争うような怒声が複数聞こえてくる。
「いつもこんな感じか?」
「…いや、違う…」
「…ここにいろ」
ノエルは怯える少年の前に立ち、胸元から携帯用の拳銃を取り出してその階段をゆっくり上った。息を殺し、危険と判断した際は退避できるように階段の上のゴミを端に避けながら進む。銃撃戦は決着したようで聞こえるのは何かを引き摺る音と苦しそうな呻き声だ。
「た、…頼むからやめてくれ!」
あと数段、すぐ近くから聞こえた声は、何かに怯えている。ノエルはピタリと足を止め、様子を伺うためその場で屈んだ。そしてその耳を攲て神経を研ぎ澄ますのだ。
「殺さないでくれ!俺はただ頼まれただけなんだ!」
懇願する声の人物の頭のシルエットが揺れる。今にも階段から転げ落ちそうなほど追い詰められているのだろう。どうにかギリギリのところで留まっている。
(これは引き返した方がいい)と頭では理解していた。上に報告し、指示を仰ぐべきだ。しかし、どうせ彼らは壊れたように『他所の案件に首を突っ込むな』と繰り返すのだ。例えそこで重大な事件が起ころうと、『管轄外だ』で済ませる。
まさに自らの地位と名誉を守るため、言われたことを熟すだけのロボット。
(俺は…)
迷いにギュッと握った拳銃がじんわり汗ばんだ頃、到頭恐怖に負けたそれは、階段を這いずるように逃げ出した。しかし「ぎゃぁあっ!」と悲鳴をあげながらその段差をゴロゴロと転がり落ちる。直ぐに避けたのでよかったものの、巻き添えを食らうところであった。
静かになったその時を、きらきらと微かに届いたネオンの色が地面に泳いでいる。まだ引き返せるが、ノエルは何か未知に引き寄せられるように一段、また一段と上っていくのだ。
淡い色を踏むように最後の一段を上りきるとマイクが言ったことが嘘ではなかったと素直に思える景色が広がっていた。
満天の人工星と醜くも美しいエレモアシティーの輝き。
違法建築がくり抜かれたその場所で転がった五人と、美しい夜景を展望する血だらけの男。その左手には図鑑でしか見たことのないような古い拳銃が握られている。
「…銃を捨てて手を上げろ」
ノエルはその背中に銃口を向けた。しかし男は聞こえているのかいないのか、ぼんやりと突っ立っているだけだ。
「おい!銃を捨てて手を上げろ!」と大きくハッキリした声で言い直すとゆっくり男は振り返った。
「…私に言っているのか?」
人間味のない一寸の狂いもない整った左右対称の顔。そのアイスブルーの瞳は血を一滴零したような絶妙な色合いで、微かに揺れた絹糸のような白金の髪は赤い飛沫に汚れている。
ソレは、ノエルの視線を、呼吸を、意識全て奪い去った。心臓を引き絞られるような、それでいて鼓動が跳ねるような、…あの映像を見た時と同じ高揚感。ビリビリと体の血液が沸騰する、癖になる感覚。
「…お前以外誰がいる!」
「…帝国警察か。助けてくれ。襲われたんだ」
「動くな!動けば撃つ!」
男は「…わかった」と拳銃を地面に捨てて膝を突き手を上げ頭の後ろで組んでみせる。
ノエルは男の手に手錠をかけて周りの状況を今一度確認した。
散乱した拳銃、頭や背中から血を流し転がる五つの死体は十~四十歳ほどの幅広い年齢層で見た目も服装もどれも即席で集められたかのような統一感の無さだ。ノエルはその死体の身元を確認するため弄るが、身分証などは見当たらない。
「こいつらに襲われたと言っていたが知り合いか?」
「違う。…だが最近変なカルト集団に付け回されていたから、その類だと思うが」
「カルト集団?」
「巷で流行りのナントカ委員会さ。初めは表で宿を借りていたんだが、執拗な連中でね。ここなら見つからないと思ったら後をつけられたみたいで困ったよ」
(…王国打倒委員会?奴らもこの男を探している?)
男は少し気だるげにため息をついた。その低めで落ち着きのある声色で「だから手錠を外して欲しい」とノエルを見上げる。その目は人を惹き込むような妖しい魅力を揺らしていた。ゴクリと飲み込んだ唾は、緊張からか上手く下らない。まるで催眠をかけられたかのようにぼんやりと周りに靄がかかってその男以外が霞んで見えるのだ。
その靄の奥、ノエルの視線が階段付近で揺れる人影を捉えた時、それは既に引き金に指を掛けていた。
(しまった…!)と意識が引き戻されこちらも拳銃を構えるがどう考えても間に合いそうにない。まっすぐこちらへ向かう銃弾はやけにスローモーションに見える。
その時、横から加わった力にドン!と押し出されノエルは体勢を崩した。
ぶれた視界のその直後、銃弾が男の脇腹を貫き、小さな飛沫がノエルの頬を掠める。どさりと倒れ込んだ男を目の当たりにしてようやく、「この化け物め!」と騒ぎ立てる敵への照準が定まった。その眉間に躊躇うことなく射撃すると、再びそれは階段を転げ落ちていく。それを見送る前に苦しそうに呻く男に駆け寄った。
「お…おい、大丈夫か…?」
「ぅぐ…っ、バッジ付きのくせに油断するな…!」
じわじわとそのワイシャツが赤黒く、腹を抑える指の間にも血が染み出ている。その陶器のように白い肌からどんどん血の気が無くなって本当に人形のようだ。
(…冷静に、冷静に対処するんだ)
ノエルはそう自分に言い聞かせてそのロボットのような無表情に冷や汗を浮かべる。
「とりあえず止血を…」
「いや、いいから触らないでくれ!」
男の言葉を無視してワイシャツを捲りあげる。
その時、ノエルはその超常現象の目撃者となった。
千切れ傷ついた細胞がゆっくりと、だが確実に穴を塞いでいく。噴水のように血を溢れさせながら、蠢いた肉がピッタリと張り付いて、何事も無かったかのように血の筋だけ残した。作り物の映像ではなく、現実で。
「………何がどうなってる」
ゾワゾワと足先から頭皮まで泡立って、言葉を失う。固まったノエルの顔を男は気まずそうに覗き込んだ。
「…私にも説明し兼ねる。ところでいつこの手錠を外してもらえるのだろう」
両腕を掲げ、外せとアピールする男にノエルは非現実感に震える声を絞り出した。
「悪いが…外すことは出来ない。お前を探し出す為こんな所まで足を運んだ」
(見つけた、まさか本当に…?)
「…私を探す?何故?」
「答えられない。…このまま同行願おう」
その言葉に男は大きく肩を落とすと、非難するようにぎっと睨みつける。
「おいおい、私は身を呈してお前を庇ったのにあんまりだ。」
「それに関しては感謝する。…しかし命令に背くことは規律違反だ。」
「命令、規律違反ね、お前達はいつも上の言った通り動くだけの"ロボット"だったな…」
俯いた瞼は、諦めたように瞬きを繰り返す。その男をそのまま本部へ連れていけば、確実に今年の昇進に良い影響を与えるだろう。周りから形だけの祝福をされて、何のやりがいも感じず死んだように生きる。
「……」
ノエルはその両腕の手錠を開けてやった。ぶら下がって落ちたそれに、男は目を丸くして驚いた。まさか開放されるとは思っていなかったのだろう。
「…何故?」
「気が変わった。」
今日、ノエルは子供の嘘に振り回され一日を費やした。そう報告すればいい。
「…いいのか?」
「俺はロボットじゃない。だから多少の融通は利く。」
「…そうみたいだな。」
今までの自分が自分で無くなるような…そのむず痒さに背を向け、ノエルは元来た道を引き返すことにする。
男はその背中に「ありがとう」と単純で、だが最もわかりやすい感謝を伝えた。
長い階段を下る足取りは規律違反をしたというのに驚くほど軽い。
「あ!来た!…大丈夫だったのかよ!」と物陰から現れた少年に『武装集団の溜まり場になったらしいからあそこへは行くな』と伝える。
「…なんであんた笑ってんの?」と不気味がるマイクなどただの靄にしか見えていなかった。
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