神と従者

彩茸

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第四部

五分

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―――また呪いを掛け始めた糸繰を、物陰から眺める。
暫くして名前が書いてあった者全員に呪いを掛け終わったのか、糸繰は紙を畳んで
深く深く息を吐く。そして体から力が抜けたように床へ倒れ込むと、小さく丸まり
ながら何度も咳き込んだ。
偶然、糸繰と目が合う。彼は俺をじっと見ると、やり切ったと言いたげな顔で
へにゃりと笑った。

「・・・お疲れ様」

 俺が呟くように言うと、糸繰は自身の手でクシャリと頭を撫でる。そして横に
 なったまま口から血を溢れさせると、ゆっくりと目を閉じた。
 力の抜けた腕が、床に落ちる。思わず飛び出し近付くと、糸繰の口が微かに動いて
 いた。何を言っているのか、必死に読み取ろうとする。口を注視していると、
 かろうじて何を言っているのか分かった気がした。

 千代、あそぼ いっぱい、あそぼ

「いと・・・」

 ある、じ 褒めて、撫でて

「いと、いと!!」

 糸繰を必死に揺するが、彼は目を開けない。何度揺すっても、ただ幸せそうに
 笑みを浮かべているだけだった。
 ・・・やがて、糸繰から表情が消える。もしやと思い彼の胸に耳を当てると、
 心臓の音が聞こえなかった。

「糸繰、早く起きろ・・・早く・・・」

 零れた涙が、糸繰の頬に落ちる。1分経たないうちに彼の心臓は動き始めたが、
 聞こえる鼓動はとても弱々しかった。

「逃げよう、糸繰。何でお前がここに戻ってきたのか分からないけど・・・今は、
 逃げよう」

 糸繰の体を持ち上げ抱きしめながら、俺は彼の耳元で囁くように言う。
 早く糸繰を連れて外へ。そう思った矢先だった。

「おや、君から来るとは意外だねぇ」

 背後から声がする。凍り付く背筋に、糸繰を抱きしめる手に力が入った。

「無視かなぁ?」

 背後の声は、そう言いながら近付いてくる。・・・ああ、絶体絶命だ。

「どうして・・・どうして糸繰を連れ戻したんだ。一体何を餌にして、糸繰を引き
 戻した」

 そう言いながら、逃れられない現状に立ち向かおうと俺は振り向く。
 ほぼ目の前と言ってもいい距離に立っていた呪いの神は、仮面を少し持ち上げて
 口を開いた。

「あぁ、元々使う用事があったんだ、目的は変わったけどね。捨てたのを後悔した
 のは、それが初めてだ」

 それとさぁ・・・と呪いの神は言葉を続ける。

「餌って言うのは人聞きが悪いなぁ。僕はただ、提案しただけさ」

「提案?」

「神事に協力すれば、君達から手を引くってね。それまで嫌そうな顔だったのに、
 言った途端に従順になったのは驚いたなぁ」

「そんな嘘っ」

「嘘じゃないよ?僕は嘘は吐かない。本当に君達から手を引くつもりだったさ」

 もう良いかなぁ?そう言って、呪いの神はニタリと笑う。

「そうだ、一応僕からも質問しておこう。それをどうするつもり?まさか連れて
 帰るなんて・・・」

「連れて帰るさ」

 即答すると、呪いの神は溜息を吐きつつ仮面を被り直す。

「名残惜しそうな顔をするから、折角記憶を消してもらったっていうのに・・・。
 奇跡でも起きない限り、それが君の事を思い出すことはない。元々君には僕の
 実験に付き合ってほしかったんだ、ついでだから僕の元に来るかい?」

「は?嫌に決まってんだろ」

「あーあ、フラれたなぁ。しょうがない・・・糸繰、起きてるんだろう?」

 呪いの神がそう言うと、糸繰が目を開ける。糸繰は呪いの神に折り畳んだ紙を
 渡すと、首を傾げた。

「うん、しっかりできてるねぇ。次は、そこの余所者を殺すんだ。できるよね?」

 その言葉に、糸繰は俺を見る。無垢な瞳に、俺は顔を逸らす。何か言って気を
 逸らせないかなんて馬鹿なことを考えながら、俺は口を開いた。

「糸繰。お前、今いくつだ?」

〈えっと、確か60だったかと。命令なので、殺しますね。〉

 糸繰が渡してきたメモに絶句する。40年分もの記憶が消されている事の衝撃で、
 今から殺されようとしている現状がどうでも良くなっていた。

「なあ糸繰、おかしいと思わないのか?!何でお前は疑わない!40年分の記憶が
 消されてるんだぞ、記憶の齟齬とかさあ!!」

 俺の言葉に、糸繰は困惑した顔で呪いの神を見る。呪いの神は面白そうに笑うと、
 静かに言った。

「これにとっては、何も。毎日僕に指示を仰いで、命令を遂行するか
 人形を作るか・・・まあ、変わり映えのない日々を送っていたからねぇ」

〈主、この神様とお話しした方が良いですか?〉

「そうだなぁ・・・ねぇ、従者。君、前よりも神に近付いてるよね?だったら敬意を
 払ってあげよう」

 糸繰が差し出したメモを見た呪いの神が、楽しそうに言う。何をするつもりだと
 身構えていると、呪いの神は扉へと手を掛けた。

5だ。最後の挨拶くらいなら許してあげるよ」

 僕は今、気分が良いからね。そう付け加えた呪いの神が部屋を出ていく。遠ざかる
 足音が消えると、俺はきょとんとした顔の糸繰を強引に抱きしめた。
 糸繰は途端に怯えた顔になり、腕から抜け出そうと必死にもがく。生き返ってすぐ
 だからか力はとても弱く、簡単に抑え込めてしまう。

〈痛いです。ごめんなさい、やめてください。お願いします。〉

 震える文字で書かれたメモを糸繰が差し出してくる。彼の顔は完全に怯え切って
 おり、体は震えていた。

「あっ、ごめんな・・・」

 そう言って抱きしめるのをやめると、糸繰は小さく震えながらも不思議そうな
 顔をした。
 どうした?と聞くと、糸繰はメモにペンを走らせる。

〈謝られると思ってなくて。ただの道具に謝る神様、初めて見たので。〉

「お前の主が言ってることと違うだろうが、糸繰はそもそも道具じゃない。従者なん
 だろ?神にとって大切な存在である従者が、ただの道具な訳があるか」

 そう言うと、糸繰は意味が分からないと言いたげな顔で首を傾げる。俺は彼の肩を
 掴むと、はっきり言った。

「よく考えろ、思考を止めるな。お前は生きてるんだ、物じゃないんだよ!道具じゃ
 ないんだよ!!」

 糸繰の表情が一瞬変わる。何でと動かされた口に、既視感を覚える。
 ・・・あまり時間がない、畳み掛けてやる。

「悪い、嘘吐いてた。お前は俺のことを知ってるんだよ、記憶を消されている
 だけで。思い出せ、違和感に疑問を持て!お前は、糸繰は俺の家族なんだ!
 大切な、弟なんだよ!!」

 糸繰の目から涙が零れ落ちる。
 思い出したか?と聞くと、糸繰は首を小さく横に振った。

〈ごめんなさい、分からないです。でも、知っている気がするんです。頭の中
 ぐちゃぐちゃで、纏まってなくて。ごめんなさい。〉

 とめどなく溢れ出る涙を拭うこともせず、糸繰は俺の顔をじっと見る。そっと頭に
 手を伸ばすと、彼はびくりと肩を震わせた。
 抵抗する様子がないので、震え続える糸繰の頭を優しく撫でる。彼は俺を真っ直ぐ
 見たまま小さく口を動かした。

 兄様

 思わず、笑みが零れる。俺は糸繰の頭を撫で続けながら頷いた。

「うん、そうだよ。思い出せたか?」

 そう言うと、糸繰は悩ましげな顔で首を傾げた。

「何だよ、も~」

 頭を撫でる手を止めずにいると、糸繰はメモを渡してくる。

〈神様の手、温かいですね。不思議と落ち着きます。〉

「そっか、良かった。・・・なあ糸繰、俺の傍に居るのは嫌か?」

〈多分、嫌じゃないんだと思います。貴方は、他の神様みたいに痛いことや苦しい
 ことを無理矢理してこないので。〉

 いつの間にか震えの止まっていた糸繰は、そう書いたメモを見せて小さく笑みを
 浮かべる。試しにもう一度抱きしめてみたが、今度は抵抗することなく体重を
 預けてきた。

「・・・いと、良い子」

 頭を撫でながら、優しく言う。・・・その時だった。
 ピクリと、糸繰の体が動く。どうしたんだろうと彼を見ると、ハッとした顔で
 俺を見ていた。

「お?」

 パクパクと糸繰は口を動かす。どうやらかなり動揺しているようで、かろうじて
 読み取れた口はこう言っていた。

 蒼汰、ごめん
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