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テレビ放映戦国大名総選挙その57 織田信長

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織田信長と朝廷の関係は歴史の表と今存在する資料から見ると友好的で理想的な関係だったようです。



ある意味これは意外と思われた方も多いかもしれません。

織田信長と言えば天下の魔王、相手が朝廷でも遠慮しないイメージの方もいるでしょう。



しかし、歴史の資料を見ると、朝廷というのは信長にとってとても都合のいい存在でした。



豊臣秀吉編でも扱いましたが、便利な存在や道具に対しては極めてご機嫌な態度で接することが行動パターンだったようです。



誤解されるかもしれませんが、武士というより商人という感じですね。

怒る理由がなけれな怒らないというのは信長も同じのようで朝廷はとても安全な位置にあったというべきでしょう。



それと、役割が違うという点でお互いにとってとても幸運だったと言えるでしょう。



さて、前置きはこの辺にして今度は織田信長と室町幕府との関係について見てみましょう。



結論から言えば、足利幕府を滅ぼしたのは織田信長ということになります。

ですが、最初から仲が悪かったわけではありません。



どうも、最初のコンタクトは織田家から会いに行ったようです。

有名な桶狭間の戦いの前年に13代将軍の足利義輝に謁見したことが信長の幕府との最初の接触だったとされてます。



その後桶狭間の戦いで信長が勝利したことで、足利義輝の弟である足利義昭の目にとまるようになりました。



実はこの時、既に将軍の義輝は暗殺されていました。

そしてゴタゴタした中で暗殺した勢力が擁立した将軍がたてられていました。



義昭は危険地帯となった京をはじめとする畿内から脱出しながら自分の味方になりそうな勢力をコツコツと集めていきました。



将軍になるために少しでも味方が欲しい義昭は反対派の強い京周辺ではなく、その東側の勢力全体に味方になるように交渉をします。



この時期の義昭はとにかく各地の戦闘をやめさせて自分の味方にし、そして京都に戻って将軍としての実権を握ることを最優先にしていたようです。



そのため、上杉、武田、北条、斎藤、織田、六角などの争いを止めるように働きかけたりしています。



もし、これが成功していれば室町幕府と諸侯という古い枠組みは維持されたかもしれません。



しかし、若狭の国の武田氏のもとでも越前の朝倉氏の元でも歓迎はされたようですが兵を出して上京するほど協力的ではなかったようです。



この時期最も頼りにしたのは上杉謙信だったようですが、この時期武田信玄の謀略により越後から出ることは困難でした。



こうしてフラフラしながらも成り行きで将軍となった義昭は信長のいる尾張の国に入ります。



長くなりましたので続きは次の章で。
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