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テレビ放映戦国大名総選挙その52 織田信長

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織田信長と家臣との関係、これはかなり興味深い話題かと思います。

何しろ最近最終回を迎えた大河ドラマ「麒麟がくる」でもある意味メインテーマと言ってよい内容だったからです。



そして、本能寺の変についての核心を迫る上でもアプローチが出来る点だと思います。

まず、織田信長は短気である、これは間違いない気がします。



根拠としては彼が独裁的であり、家臣から恐れられていたという宣教師ルイス・フロイスの証言をはじめ、彼が行った多くの成敗がそれを裏付けています。



また、彼が家臣を罰するときの行動や、裏切り者が多く現れたことも間接的にそれを裏付けるものかもしれません。



とはいえ、この短気という短所は、決断が早いという最近はやりのフレーズと密接な関係があるのでネガティブには捉えられないかと思います。



少し視点が変わりますが、最近の研究によると、以前の優秀な人物であれば出身を問わず抜擢するという信長の人事について実は人数的には譜代の家臣を多く使っていたという結論があるそうです。



歴史ドラマを見るとつい羽柴秀吉や明智光秀に目が向かいますが、確かに全体で見ると尾張出身者が多く順当に出世している人物が多いと気づきます。



時代は下りますが、封建制度の末期、幕末の徳川家でさえ勝海舟や新選組といった能力本位で大抜擢されたことを考えると信長の人事はそれほど奇抜でもなければ特別なことをしたわけでもない気もしますね。



でも彼が人事に保守的かというとそうでもないと私は思います。

まず、大前提として、彼の父織田信秀は織田三奉行の一人とされていて、守護でもなければ守護代でもありませんでした。



今風に言うなら支社長でもなければ副社長でもない、常務か部長クラスの人物の息子でした。

なので、家柄や門地にこだわる必要もなければ優遇する理由もありませんでした。



むしろ実務的な人物、あるいは使える人物を好むのは当然なことだったと言えます。

信長から見ても自分の部下や同僚はいわば課長以下という感じですから必然的に抜擢という形になります。



つまり、よそから抜擢しなくても自前の人材が豊富であれば問題はないわけです。

そして、信長のいた尾張は比較的都会でしたので教育レベルや教養や実務レベルでは優秀な人物が多かったのかもしれません。



あとで、軍事の話をするときに詳しく説明する予定ですが、尾張は商業が盛んで豊かな代わりに兵が弱いことで有名でした。



言い換えれば、産業や組織といった面では使える人材がそろいやすかったのかと思います。



さて、長くなりましたので人事についての続きは次の章でお話します。
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