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テレビ放映戦国大名総選挙その27 豊臣秀吉

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豊臣秀吉は日本を比較的少ない損害と短い時間で統一した優れた指導者でした。

そして、欧州の野心にいち早く気づき、キリスト教を禁教とし欧州の列強に対抗すべく、大がかりな準備をしました。



統一した後、エネルギーを持て余した武士たちに領土と活躍の場を与えるため、得意の物量作戦と大規模な侵攻計画を立てました。



太閤検地と刀狩りで自分が必要と思うところに資源や人材を集中させる一方、自分と彼の体制に刃向うものは無力化したり滅ぼしたりしました。



大量の物量や優秀な装備や戦略や戦術で強い軍隊を作りながら、決戦の多くは城攻めであり、まるで古代ローマを思わせる土木工事という概念で兵糧攻めや水攻めや大規模包囲戦を行いました。



決め手の時は弓矢によらず、味方の損害を少なくして戦争に勝つという点でまさに戦わずして勝つを体現した人物でした。



また、戦争よりも経済や兵站にその思考を巡らしたために、当時としてはより現代戦に近い感覚で戦争とその下準備、そして戦後の処理をしていたと思います。



およそ、自分の領国、あるいは日本という尺度が限界だった当時の人々と異なり、世界を見渡して日本という国のあるべき立場を意識し構想を実行しました。



それが性急すぎて失敗したり、外敵のため見誤ったり、晩年は思考の冴えがなくなり老害となりました。



彼は多くの他の人物にはできない凄い快挙を成し遂げた一方、日本の歴史を考えたらやるべきでなかったことも行ってしまいました。



これが私なりの豊臣秀吉評です。

島津日新公いろは歌の教えにあるように敵であっても優れた点は学び、良くない点は反面教師として研究するために長期にわたり紹介してきました。



私のように昭和時代の人間にとっては最も目標とされる人生を送った人物として長い間尊敬され愛されてきた人物です。



例えるなら昔のジャイアンツのような存在でした。

そして、私も大河ドラマでは武田鉄矢さんや竹中直人さんなど好きな俳優さんが演じているために好感度の高い人物でした。



しかし、時代が変わり歴史認識も変わり人々の価値観も変化しました。

私自身も今は戦国島津を扱っていて島津側の資料を多く見るようになったために豊臣秀吉に対しての見方は厳しくなったとは思います。



とはいえ、当時の大航海時代、世界史の視点で見ると豊臣秀吉は決して特異な存在ではありません。



世界的な植民地競争の中の一要素であり、たまたまヨーロッパではなく日本を拠点にしていただけという見方もできます。



私としては豊臣秀吉という人物をドラマの主人公ではなく、多面的な研究対象として考察したので矛盾したりする部分もあったかもしれません。



皆様におかれましては良い部分は取り入れていただき、違うなと思うところはご自身の知識や心に応じて補強していただけたらなと思います。



ながくなりましたので島津家の朝鮮出兵については次章で紹介します。
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