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宮崎と島津義弘

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宮崎の皆様、宮崎空港と鹿児島空港の位置を確認していただけますか。

実はこの位置は島津義弘及び島津氏が戦国時代に活躍した地域をよく網羅された場所に位置しています。



ご存じの通り伊東家と島津家は長年争いましたが、その地の多くがこの宮崎空港と鹿児島空港の間に位置しています。

これは幕末大河で主に鹿児島市が取り上げられていたのとは異なる現象です。



島津義弘の行動を見ると若い時は宮崎の南部で活躍し、関ヶ原の時期には義弘の留守の間に都城で内乱が起きています。

また、伊東氏が押されていくにつれ舞台は宮崎の北側に徐々に移っていきます。

その際に宮崎の多くの城が関わってくるので宣伝としては効果があります。



そして、宮崎中部から南部を見れば大分の大友氏と島津氏が競った地域があります。

実はこれが九州大河20年構想の重要な点ですが、大友氏とその家臣であった立花宗茂はどちらも大河ドラマの主役になれるキャラで、しかも大河ドラマ誘致活動をしています。



つまり、20年単位で見たときに大友勢力だけで2回は大河ドラマで宮崎が舞台になることになります。

お察しかと思いますが、島津義弘単発で大河ドラマの恩恵が終わってしまう場合、施設や人員の投資が無駄になります。



しかし、こうしてほかの同時期の大名や武将とコラボレーションするとあらかじめ計画しておけば、4~5年に一回は大河ドラマの宣伝効果が期待できるわけで継続的な観光や宣伝効果を期待できます。



もし1回目を島津義弘で挑戦し、大成功をおさめれば次は大分と協力できるというわけです。

ちなみに少し距離は離れますが、熊本の加藤清正、佐賀の鍋島、竜造寺、福岡の立花、といった大河ドラマの主役候補がいます。



これは提案なんですが、国内、海外の観光客、それも10日前後の長期観光客をターゲットにこうした大河ドラマの舞台を目指す地域と観光、経済、行政、情報の分野で連携する仕組みを各自治体が作ってみてはと思います。



メリットの一例として、その年の大河ドラマが終わった後、展示館や観光名所を徐々に縮小させるとしても、その資材や人員の一部を次の大河ドラマのために流用したり、新しい大河ドラマが放映されたときかつての大河ドラマのシーンを一部取り入れたりすることもできるでしょう。



福岡はともかく、他の九州の各県は深刻な過疎化に襲われ、悩むどころか将来は危急存亡の秋という状態です。

観光を旗印に広域共同体を作り、県の枠を超えた協力関係を築いて共同体として結束すれば新しい展開が開けるかもしれません。
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