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ツイッター島津4兄弟総選挙その3
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島津義久、戦国島津4兄弟の長男にして薩摩の総大将です。
総選挙の得票率は28,2%で第二位でした。
ネットの世界では次男で九州はおろか海外まで出陣して名を馳せた次男の義弘と対照的にあまり外に出ないイメージから、「戦国最強の引きこもり」とあだ名されています。
もちろん、このあだ名はイメージをかな~り膨らませたものですが確かに外に出たがらなそうな感じのする人物なので当たらずも遠からずかなと思ったりもします。
実は関ヶ原の戦いの後、再三江戸幕府からお呼びがかかったのですが頑固にも出ていきませんでした。
とはいえ、このことで実は徳川家康から褒めらています。
このような逸話が残っています。
「ある時、義久は家康に合戦での手柄話を乞われた。義久は「弟たちや家臣団を遣わせて合戦し、勝利をおさめたというだけであって、自分の働きなどひとつもない」と答え、家康は「自ら手を砕くことなく勝利を得ることこそ源頼朝に並ぶ大将の道」と感心している。」
また別の機会に家康はドリフターズで有名な義久の甥の島津豊久に話を聞きました。
そのあとの感想として、「いやはや義久はかねて聞いていたより恐ろしい大将である、いにしえの楠木正成に勝るとも劣らない采配ぶりである」と感心したというエピソードも残っています。
次男の島津義弘との関係は人生の終了間際まで兄と弟の関係だったようです。
時に方針の違いで意見の対立もあったようですが、あくまで島津の長男、総大将として勤めを果たしていたようです。
それと、細川幽斎から古今伝授を受けたり、関白・近衛前久との親交が厚かった(古今伝授を受けたという説も)など、教養人でもあったと言われています。
というか、歌を詠むのが好きだったのではないかと思います。
また、自省の塊みたいな人物で、歴史上の悪人の絵を見ては自分はこうはなるまいぞといつも意識していたといいます。
豊臣秀吉は嫌いだったらしく、先ほど触れた細川幽斎に出自の悪さを指摘するなど嫌いオーラが出ていました。
でも、弟たちが秀吉と徹底抗戦を主張する中で、降伏をすることを決断したのはこの義久でした。
名門の長男として生まれながら、門地に関してはこだわらず、むしろ実力でその人を評価するタイプだったようです。
後日紹介しますが3男の島津歳久が母親の身分が低い4男の家久が劣るというような発言をしたときに、義久はこう三男をたしなめました。
「母に似ることもあるだろうが、一概にそうとも言い切れない。父馬に似る馬もあるし、人間も同じようなものとは言っても、人間は獣ではないのだから、心の徳というものがある。
学問をして徳を磨けば、不肖の父母よりも勝れ、また徳を疎かにすれば、父母に劣る人間となるだろう」と言った。
それからというもの家久は、昼夜学問と武芸にのみ心を砕き、片時も無為に日々を過ごすことはなく、数年の内に文武の芸は大いに優れ、知力の深いこと計りがたいほどとなり、四兄弟の能力の優劣もなくなった(『日本戦史 九州陣』)。
名門島津の総大将は人を出自で判断せず、その生き方で評価する、さらには人の可能性を引き出すことの出来る器であったということですね。
次はこの話では悪役(?)でしたが魅力的で頭の切れる三男坊、島津歳久について紹介したいと思います。
総選挙の得票率は28,2%で第二位でした。
ネットの世界では次男で九州はおろか海外まで出陣して名を馳せた次男の義弘と対照的にあまり外に出ないイメージから、「戦国最強の引きこもり」とあだ名されています。
もちろん、このあだ名はイメージをかな~り膨らませたものですが確かに外に出たがらなそうな感じのする人物なので当たらずも遠からずかなと思ったりもします。
実は関ヶ原の戦いの後、再三江戸幕府からお呼びがかかったのですが頑固にも出ていきませんでした。
とはいえ、このことで実は徳川家康から褒めらています。
このような逸話が残っています。
「ある時、義久は家康に合戦での手柄話を乞われた。義久は「弟たちや家臣団を遣わせて合戦し、勝利をおさめたというだけであって、自分の働きなどひとつもない」と答え、家康は「自ら手を砕くことなく勝利を得ることこそ源頼朝に並ぶ大将の道」と感心している。」
また別の機会に家康はドリフターズで有名な義久の甥の島津豊久に話を聞きました。
そのあとの感想として、「いやはや義久はかねて聞いていたより恐ろしい大将である、いにしえの楠木正成に勝るとも劣らない采配ぶりである」と感心したというエピソードも残っています。
次男の島津義弘との関係は人生の終了間際まで兄と弟の関係だったようです。
時に方針の違いで意見の対立もあったようですが、あくまで島津の長男、総大将として勤めを果たしていたようです。
それと、細川幽斎から古今伝授を受けたり、関白・近衛前久との親交が厚かった(古今伝授を受けたという説も)など、教養人でもあったと言われています。
というか、歌を詠むのが好きだったのではないかと思います。
また、自省の塊みたいな人物で、歴史上の悪人の絵を見ては自分はこうはなるまいぞといつも意識していたといいます。
豊臣秀吉は嫌いだったらしく、先ほど触れた細川幽斎に出自の悪さを指摘するなど嫌いオーラが出ていました。
でも、弟たちが秀吉と徹底抗戦を主張する中で、降伏をすることを決断したのはこの義久でした。
名門の長男として生まれながら、門地に関してはこだわらず、むしろ実力でその人を評価するタイプだったようです。
後日紹介しますが3男の島津歳久が母親の身分が低い4男の家久が劣るというような発言をしたときに、義久はこう三男をたしなめました。
「母に似ることもあるだろうが、一概にそうとも言い切れない。父馬に似る馬もあるし、人間も同じようなものとは言っても、人間は獣ではないのだから、心の徳というものがある。
学問をして徳を磨けば、不肖の父母よりも勝れ、また徳を疎かにすれば、父母に劣る人間となるだろう」と言った。
それからというもの家久は、昼夜学問と武芸にのみ心を砕き、片時も無為に日々を過ごすことはなく、数年の内に文武の芸は大いに優れ、知力の深いこと計りがたいほどとなり、四兄弟の能力の優劣もなくなった(『日本戦史 九州陣』)。
名門島津の総大将は人を出自で判断せず、その生き方で評価する、さらには人の可能性を引き出すことの出来る器であったということですね。
次はこの話では悪役(?)でしたが魅力的で頭の切れる三男坊、島津歳久について紹介したいと思います。
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