15 / 72
【弐】
【弐ノ漆】
しおりを挟む
かなかなかなかな、ひぐらしのなく夕暮れの山。
ゆうはあのお屋敷の、あのバルコニーの中で立っている。
「よく来たね、愛しいきみ」
大好きな、世界でたったひとりだけの女の子が、ほこりまみれの窓を開けた。マスクをしていないほんとの素顔の、そばかすが可愛いベルだ。
「ベル!」
「ゆうくん!」
ゆうは思いっきり愛する吸血鬼を抱きしめた。
「会いたかった。会いたかったんだよ。……もう、どこへ行っちゃってたんだよ」
「あちこちできみを見ていたよ」
……居た。確かに、ベルがたくさん居た。あれは、なんだったんだろう。
「匂いだよ。肉の焼く匂いがしたろ? それにきみが反応した。私は……ここにいたよ、ずっと」
「居なかったよ、ここにも来たもん」
ううん。ベルは少しだけゆうの腕から離れて、ゆうの心臓あたりをとん、と人差し指で押した。
「ここだよ。私はずっときみのここに居る」
死んだ人みたいに言う彼女の言葉が、つらかった。
「私は君の中で、細胞ひとつから血のいってきまで。その中で生きてる」
そういうと、ベルは笑って、心臓からゆっくり人差し指でなぞって、首を通って唇に触れた。そして手を伸ばして、ゆうの首にからめた。
「私は君に力をあげた。今から、それを使うんだ。生き残るために」
「……何から?」
「この村を縛る、呪いから」
呪い……そんな恐ろしいものから生き残れる自信なんて、ゆうのどこにもない。
「ふふ。私はその為にきみにあげたんだよ。……それでも。少しでも気を許すと、殺される。この村の……呪いに」
「あおおぉぉぉぉん──」
「なんの声?」
「もう時間だ。きみに、私があげれる次の力をあげる」
ベルは、キスをした。あの日みたいに、舌を絡ませて。
ベルベッチカ・リリヰの舌の味は。
生き残るための勇気と強さをゆうにあたえた。
「さ、前を向いて。生きて。ゆうくん」
……
ばきっ。
ばきばきっ。
「あおおぉぉぉぉん──」
本堂の中で、人々が変わり始める。骨がひしゃげ、身体がむくむくと膨らみ、黒い毛で覆われていく。
「ゆ、ゆーくん? ゆーくんっ! なにこれ、なんなのよう、これえ!」
美玲が恐怖の表情を浮かべている。ゆうと、そのとなりの美玲、それから沙羅と大祇中学校のお姉さんたちは、変化がない。ゆうは、気がついたら目の前の肉を食べきっていた。
「ぎゃああっ!」
見ると、村人の中でも何人かは「変化」してないらしく、その人たちから襲われていった。
「ひいっ!」
美玲の足を隣に座っていた「スポーツ万能の茜だったおおかみ」が、がしっと掴んだ。
「あかねぇ、ボクだよ美玲だよ、はなしてよう、あかねぇ!」
「きゃあっ! 翔のおじさんっ、はなしてぇっ」
沙羅もまた、押し倒されて襲われている。
『選ぶんだ。時間が無い。どちらもは助けられない』
頭の中でベルの声がした。ゆうは考えるより先に、沙羅の方に駆け出して、足を掴む巨大なおおかみを突き飛ばした。
「ぎああああっ」
後ろで絶叫があがる。茜だったおおかみが、美玲の喉元を食いちぎった。
「美玲!」
ゆうは三メートルの距離を一歩で縮めたが、手遅れだった。
「お……がっ……ごほっ……お……」
「美玲! 美玲! ……くそっ」
口と首を押さえながら噴水みたいに赤黒い血を吐いて、美玲は動かなくなった。……美玲は、大祇小学校の最初の犠牲者となった。
「ぎゃああっ」
「バケモノだあっ」
「いたい、いたいっ」
気がつくと、外では阿鼻叫喚の悲鳴がひびいている。地獄の釜の蓋が開き、おおかみたちが外にあふれ出したのだ。
「こっち!」
ゆうの手を引っ張ったのは沙羅だった。となりでは中学生のお姉さんが、巫女装束のまま腸を引きずり出されている。ゆうは手を引かれるまま、祭壇の奥の扉へ向かった。
「ほんとの本殿の御神体があるお部屋! おじいちゃんが今いる、ぜったい安全な場所があるんだっ!」
かかっ、かかっ、かかっ!
後ろからおおかみが追いかける音が聞こえる。
「早く、はやくっ!」
こども二人は、岩をくり抜いて作られたとても長くて狭い廊下をなんとか走るが、足音はすぐ後ろだ。突き当たりは回廊になっていた。
「こっちだよ!」
沙羅の手がゆうを右に引っ張る。
どがっ、ぎゃいんっ。今しがたゆうたちがいた場所に、おおかみが突っ込んで頭を打って悲鳴をあげた。そのまま回廊を反対側まで走ると、どこかへと続く上に登る階段と、反対側にはふすまが空いた六畳間があった。
「沙羅! 早く!」
「おじいちゃんっ!」
沙羅のおじいちゃん、樫田正夫宮司が六畳間で手まねきしている。沙羅が先に部屋に飛び込んだ。
「ゆうちゃん、早く!」
「今い──」
ぱしーん。ゆうは、雷に打たれたかのように吹き飛び、二メートル先の階段に頭を打った。ゆうはぶつけた後頭部を押さえる。
「……っつ、たた……」
「なんでっ? おじいちゃん、なんで結界を通れないのっ?」
「……ゆう君のお母さんが言ってたことは本当だったか」
「おじいちゃん、なんとかしてよ、ねえ! ……ゆうちゃん、逃げて! ゆうちゃんっ」
「うわぁっ」
どかっ。
……
「いやっ、いやあぁぁぁあああ!」
沙羅の絶叫がひびきわたる中。相原ゆうは幼なじみの「ニンゲンの」少女の目の前で。内蔵を引きずり出され、心臓から腸に至るまで……眼球も、舌も。おおかみに、すべてを食べ尽くされた。……はずだった。
ぴくん。空っぽになったはずのうつろな影が、沙羅の目の前でゆらりと立ち上がった。
「ベルヲ……返セ……ッ!」
ゆうはあのお屋敷の、あのバルコニーの中で立っている。
「よく来たね、愛しいきみ」
大好きな、世界でたったひとりだけの女の子が、ほこりまみれの窓を開けた。マスクをしていないほんとの素顔の、そばかすが可愛いベルだ。
「ベル!」
「ゆうくん!」
ゆうは思いっきり愛する吸血鬼を抱きしめた。
「会いたかった。会いたかったんだよ。……もう、どこへ行っちゃってたんだよ」
「あちこちできみを見ていたよ」
……居た。確かに、ベルがたくさん居た。あれは、なんだったんだろう。
「匂いだよ。肉の焼く匂いがしたろ? それにきみが反応した。私は……ここにいたよ、ずっと」
「居なかったよ、ここにも来たもん」
ううん。ベルは少しだけゆうの腕から離れて、ゆうの心臓あたりをとん、と人差し指で押した。
「ここだよ。私はずっときみのここに居る」
死んだ人みたいに言う彼女の言葉が、つらかった。
「私は君の中で、細胞ひとつから血のいってきまで。その中で生きてる」
そういうと、ベルは笑って、心臓からゆっくり人差し指でなぞって、首を通って唇に触れた。そして手を伸ばして、ゆうの首にからめた。
「私は君に力をあげた。今から、それを使うんだ。生き残るために」
「……何から?」
「この村を縛る、呪いから」
呪い……そんな恐ろしいものから生き残れる自信なんて、ゆうのどこにもない。
「ふふ。私はその為にきみにあげたんだよ。……それでも。少しでも気を許すと、殺される。この村の……呪いに」
「あおおぉぉぉぉん──」
「なんの声?」
「もう時間だ。きみに、私があげれる次の力をあげる」
ベルは、キスをした。あの日みたいに、舌を絡ませて。
ベルベッチカ・リリヰの舌の味は。
生き残るための勇気と強さをゆうにあたえた。
「さ、前を向いて。生きて。ゆうくん」
……
ばきっ。
ばきばきっ。
「あおおぉぉぉぉん──」
本堂の中で、人々が変わり始める。骨がひしゃげ、身体がむくむくと膨らみ、黒い毛で覆われていく。
「ゆ、ゆーくん? ゆーくんっ! なにこれ、なんなのよう、これえ!」
美玲が恐怖の表情を浮かべている。ゆうと、そのとなりの美玲、それから沙羅と大祇中学校のお姉さんたちは、変化がない。ゆうは、気がついたら目の前の肉を食べきっていた。
「ぎゃああっ!」
見ると、村人の中でも何人かは「変化」してないらしく、その人たちから襲われていった。
「ひいっ!」
美玲の足を隣に座っていた「スポーツ万能の茜だったおおかみ」が、がしっと掴んだ。
「あかねぇ、ボクだよ美玲だよ、はなしてよう、あかねぇ!」
「きゃあっ! 翔のおじさんっ、はなしてぇっ」
沙羅もまた、押し倒されて襲われている。
『選ぶんだ。時間が無い。どちらもは助けられない』
頭の中でベルの声がした。ゆうは考えるより先に、沙羅の方に駆け出して、足を掴む巨大なおおかみを突き飛ばした。
「ぎああああっ」
後ろで絶叫があがる。茜だったおおかみが、美玲の喉元を食いちぎった。
「美玲!」
ゆうは三メートルの距離を一歩で縮めたが、手遅れだった。
「お……がっ……ごほっ……お……」
「美玲! 美玲! ……くそっ」
口と首を押さえながら噴水みたいに赤黒い血を吐いて、美玲は動かなくなった。……美玲は、大祇小学校の最初の犠牲者となった。
「ぎゃああっ」
「バケモノだあっ」
「いたい、いたいっ」
気がつくと、外では阿鼻叫喚の悲鳴がひびいている。地獄の釜の蓋が開き、おおかみたちが外にあふれ出したのだ。
「こっち!」
ゆうの手を引っ張ったのは沙羅だった。となりでは中学生のお姉さんが、巫女装束のまま腸を引きずり出されている。ゆうは手を引かれるまま、祭壇の奥の扉へ向かった。
「ほんとの本殿の御神体があるお部屋! おじいちゃんが今いる、ぜったい安全な場所があるんだっ!」
かかっ、かかっ、かかっ!
後ろからおおかみが追いかける音が聞こえる。
「早く、はやくっ!」
こども二人は、岩をくり抜いて作られたとても長くて狭い廊下をなんとか走るが、足音はすぐ後ろだ。突き当たりは回廊になっていた。
「こっちだよ!」
沙羅の手がゆうを右に引っ張る。
どがっ、ぎゃいんっ。今しがたゆうたちがいた場所に、おおかみが突っ込んで頭を打って悲鳴をあげた。そのまま回廊を反対側まで走ると、どこかへと続く上に登る階段と、反対側にはふすまが空いた六畳間があった。
「沙羅! 早く!」
「おじいちゃんっ!」
沙羅のおじいちゃん、樫田正夫宮司が六畳間で手まねきしている。沙羅が先に部屋に飛び込んだ。
「ゆうちゃん、早く!」
「今い──」
ぱしーん。ゆうは、雷に打たれたかのように吹き飛び、二メートル先の階段に頭を打った。ゆうはぶつけた後頭部を押さえる。
「……っつ、たた……」
「なんでっ? おじいちゃん、なんで結界を通れないのっ?」
「……ゆう君のお母さんが言ってたことは本当だったか」
「おじいちゃん、なんとかしてよ、ねえ! ……ゆうちゃん、逃げて! ゆうちゃんっ」
「うわぁっ」
どかっ。
……
「いやっ、いやあぁぁぁあああ!」
沙羅の絶叫がひびきわたる中。相原ゆうは幼なじみの「ニンゲンの」少女の目の前で。内蔵を引きずり出され、心臓から腸に至るまで……眼球も、舌も。おおかみに、すべてを食べ尽くされた。……はずだった。
ぴくん。空っぽになったはずのうつろな影が、沙羅の目の前でゆらりと立ち上がった。
「ベルヲ……返セ……ッ!」
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ゾンビ発生が台風並みの扱いで報道される中、ニートの俺は普通にゾンビ倒して普通に生活する
黄札
ホラー
朝、何気なくテレビを付けると流れる天気予報。お馴染みの花粉や紫外線情報も流してくれるのはありがたいことだが……ゾンビ発生注意報?……いやいや、それも普通よ。いつものこと。
だが、お気に入りのアニメを見ようとしたところ、母親から買い物に行ってくれという電話がかかってきた。
どうする俺? 今、ゾンビ発生してるんですけど? 注意報、発令されてるんですけど??
ニートである立場上、断れずしぶしぶ重い腰を上げ外へ出る事に──
家でアニメを見ていても、同人誌を売りに行っても、バイトへ出ても、ゾンビに襲われる主人公。
何で俺ばかりこんな目に……嘆きつつもだんだん耐性ができてくる。
しまいには、サバゲーフィールドにゾンビを放って遊んだり、ゾンビ災害ボランティアにまで参加する始末。
友人はゾンビをペットにし、効率よくゾンビを倒すためエアガンを改造する。
ゾンビのいることが日常となった世界で、当たり前のようにゾンビと戦う日常的ゾンビアクション。ノベルアッププラス、ツギクル、小説家になろうでも公開中。
表紙絵は姫嶋ヤシコさんからいただきました、
©2020黄札
【完結済】昼と夜〜闇に生きる住人〜
野花マリオ
ホラー
この世の中の人間は昼と夜に分けられる。
昼は我々のことである。
では、夜とは闇に生きる住人達のことであり、彼らは闇社会に生きるモノではなく、異界に棲むモノとして生きる住人達のことだ。
彼らは善悪関係なく夜の時間帯を基本として活動するので、とある街には24時間眠らない街であり、それを可能としてるのは我々昼の住人と闇に溶けこむ夜の住人と分けられて活動するからだ。そりゃあ彼らにも同じムジナ生きる住人だから、生きるためヒト社会に溶け込むのだから……。
迷い家と麗しき怪画〜雨宮健の心霊事件簿〜②
蒼琉璃
ホラー
――――今度の依頼人は幽霊?
行方不明になった高校教師の有村克明を追って、健と梨子の前に現れたのは美しい女性が描かれた絵画だった。そして15年前に島で起こった残酷な未解決事件。点と線を結ぶ時、新たな恐怖の幕開けとなる。
健と梨子、そして強力な守護霊の楓ばぁちゃんと共に心霊事件に挑む!
※雨宮健の心霊事件簿第二弾!
※毎回、2000〜3000前後の文字数で更新します。
※残酷なシーンが入る場合があります。
※Illustration Suico様(@SuiCo_0)
岬ノ村の因習
めにははを
ホラー
某県某所。
山々に囲われた陸の孤島『岬ノ村』では、五年に一度の豊穣の儀が行われようとしていた。
村人達は全国各地から生贄を集めて『みさかえ様』に捧げる。
それは終わらない惨劇の始まりとなった。
シゴ語り
泡沫の
ホラー
治安も土地も悪い地域に建つ
「先端技術高校」
そこに通っている主人公
獅子目 麗と神陵 恵玲斗。
お互い、関わることがないと思っていたが、些細なことがきっかけで
この地域に伝わる都市伝説
「シシ語り」を調べることになる…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる