君の幸せを祈っている

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17.意中の相手

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 神官として人前に立つことはあるし、じろじろ見られたところで気にするほうでもないと思っていたのだが、これは少々居心地が悪い。

「……見張っていなくても、どこかに逃げたりしませんよ」

 ヴィセオの視線が、ラジレの一挙手一投足を見逃すまいとするかのように、突き刺さってくる。

「逃げられたことがあるからな」

 それは事実。
 肩をすくめるに留め、ラジレは竃にかけたやかんを見守った。

 広場の荷車の傍で腕を掴まれて、そこで話をするわけにもいかず、ラジレはヴィセオを家に連れてくるしかなかった。
 エダッツと一緒にいなければならないのではないかと尋ねたのだが、元々、ヴィセオはエダッツにリリチシャまでの道案内を頼んでいて、代わりにそこまでの護衛を請け負っただけらしい。フードのついたマントの下は、あの時の旅とは違って、王都で売られていそうな軽鎧だった。
 そしてヴィセオの耳には、あの時ラジレが渡したタリスマンが、慎ましく下がっている。

 ラジレの家にはかろうじて椅子は二脚あるが、ベッドは一つだし、人を泊めることなど想定していない。リリチシャに外の人が来ることはほとんどないし、あっても村長の家に泊まるのが普通だ。ヴィセオがどうするつもりなのか、聞くのが躊躇われて、わからない。

 湯気の出てきたやかんから、ハーブの入った布袋を入れてあるコップにお湯を注ぐ。二つ同時に運ぶのは少々不安があるから、テーブルに運ぶコップは一つずつだ。布袋を出すために小皿を用意して、腹をくくってラジレも椅子に座る。

「……すまん、気が逸って不用意に触れた。痛かっただろう?」

 謝罪から始められると、どういう態度を取ったものか決めかねる。
 ラジレはじっとヴィセオを見つめ、コップの中身に視線を落として、手に取った。口に含んでみたハーブティーは、まだ少し薄い。

「……どうして、ここに?」

 人に触れられたり、掴まれたりすると、ラジレの体には痛みが走る。魔王城から帰る時にわかったことだから、ヴィセオもそのことは知っている。
 広場で掴まれたことに対する謝罪を横に置いて、ラジレは別のことを問いかけた。
 気を悪くした様子もなく、ハーブの布袋を小皿に出して、ヴィセオがハーブティーで口を湿らせる。

「お前を探しに来た」
「……糾弾するために?」

 王都についてから報告会まで、ラジレは慎重にヴィセオを避けたし、王都を出ることを伝えもしなかった。
 あんなことをしておきながら、ヴィセオに責められて平静を保つ自信がなかったからだ。今だって、手足の先がかすかに冷たい。

「何のために?」
「……何の、ために……?」
「アキラは死んだ。王家、教団、騎士団の上層部は知っている。俺がお前を責めて、何になる?」

 緑の瞳に見つめられて、ラジレは少し狼狽えた。
 だって、ラジレはアキラを殺したのに、そのことを責められないなんて、おかしい、はずだ。

「ヴィセオ、いったい、何を……」

 ふ、とヴィセオの表情が緩んで、手を伸ばしてくる。触れてくるのかと思ったが、ヴィセオの指がそっと触れたのは、ラジレが持っているコップだ。

「お前に会いたかった。二年間、ずっと」

 直球な言葉に、ラジレはどう返せばいいかわからなかった。
 しかし、もう二年だ。二年もあれば、ヴィセオには騎士団での昇進の話も、貴族との縁談の話も、両方ではないかもしれないが、あったはずだ。

「……将来有望な騎士が、辺境の神官に会いたがる理由がわかりません」

 魔王を直接倒したのが勇者であったとしても、その勇者とともに旅をして、報告に戻ってきた騎士だ。昇進させなければ、騎士団が非難される。騎士の序列には詳しくないが、ラジレから見てある程度の上下関係はあったから、ヴィセオに昇進の話がある、もしくはあっただろうことは、間違いない。
 そして騎士団での昇進が見込めるなら、たとえ生まれが農民だろうが、入り婿にしようとする貴族はいるだろう。さすがに侯爵家はないだろうが、男爵や子爵くらいなら、お互いにとっていい話になるはずだ。

 その騎士が、王都から離れた辺境の村までラジレを探しにきた理由が、わからない。

「騎士なら辞めた」
「な……」

 二の句が継げず、ラジレは呆然とヴィセオを見つめた。
 せっかく、王城に勤める騎士になっていたのに、それを辞めたなどと、信じられない。

「何を、言って、魔王を倒したなら昇進も、貴族との縁談だって」
「そんなものどうでもいいだろ? お前がいないなら、王都にいる理由もない」

 どうでもいいはずがない。言葉を探して視線をさまよわせるラジレの前で、事もなげに言い放った男がハーブティーを飲む。

「俺はお前に会うために騎士になった。お前に会えないなら、騎士でいる必要がないんだ」

 見つめてくる顔が、嘘を言っていないことくらいわかる。わかるが、呑み込めない。

「お前と一緒にいたい、ラジレ」

 ヴィセオが、ラジレを許せるとは、思えない、のに。

「そ、いうのは、意中の相手にでも言え……」

 思わず、神官として身につけてきた言葉遣いを忘れて返し、ラジレはそっと口元を手で押さえた。
 ヴィセオの顔が、嬉しそうに煌めいて、口角を上げている。

「だったら合ってる。俺の意中の相手はお前だ」

 言葉に詰まって、ラジレはふっと顔を逸らした。かと思えば突然耳に触れられて、びくっと肩をすくめる羽目になる。

「な、に、ヴィセオ、やめ」
「タリスマンはどうしたんだ? つけてないのか?」

 首から上には、荊は浮かんでいない。荊のないところは触れられても痛くないようだが、ふにふにと耳たぶをいじられているというのは、痛くなかろうが心理的抵抗はあるに決まっている。

「あ、っれは、祈力回復用のだからっ、じゃない、違う、ヴィセオ、やめろ!」

 首を振って無理やり手を離させると、ヴィセオがにやにや笑っている。

 神官は、穏やかで人々を包み込むような佇まいが理想とされる。それを目指すために丁寧な言葉遣いを心掛けていたのに、ヴィセオに崩されてしまった。
 顔をしかめてラジレがヴィセオを睨むと、表から声がする。

「ラジレ様ー、いらっしゃいますかー」
「っ……はい、今行きます」

 呼びかけに答えて扉を開けると、籠を抱えた男が一人立っていた。

「ラジレ様、メイモ葱が結構取れたんで、お裾分けに」
「すみません……いつもありがとうございます、ヒャタチギ殿」

 ヒャタチギはパルラの夫だ。パルラが朝話してくれた通り、メイモ葱を持ってきてくれたらしい。
 差し出された籠を受け取ろうとして、ヒャタチギの視線がラジレの後ろに向いているのに気がついた。振り返ると、ヴィセオが出てきている。

「えっと……」
「初めまして、ラジレの友人のヴィセオです」
「ああ、エダッツさんと一緒に来たっていう」

 小さな村なので、すでに話は出回っているらしい。
 つまりヴィセオが友人と名乗ってしまったから、今日中にはラジレとヴィセオの関係を村の全員が知ることになるわけだ。

「ええ、しばらくこの家に滞在するつもりです」

 友人関係と言っていいのかとラジレが悩んでいるうちに、ヴィセオとヒャタチギの話が進んでいた。

「ヴィセオ、私の家は……」
「ああ、それなら誰かに言って、使わない布団を持ってきてもらいましょうか」
「ありがとうございます、助かります」
「ヴィセオ!」

 しかも、ラジレの家にヴィセオが泊まるという方向に話が転がっている。
 一応礼儀を失わない範囲で小声で、しかし咎めるように名前を呼んだラジレに、ヴィセオは爽やかな笑みのままだ。

「今日は仕方ないにしても、二階もあるんだろう?」
「……入ったことがないから、どうなっているかわからない」

 ラジレ一人が暮らす分には、一階で事足りてしまっている。この体ではしごを上り下りして暮らすのも難しいので、天井の穴はそのままだ。さすがに足を踏み入れたら床が抜ける、ということはないだろうが、家具が置いてあるのかどうかもわからない。

「修繕かたがた掃除もするさ」
「……どうあっても泊まるつもりか……」
「住む気だが」
「なお悪い」

 言い返してため息を漏らすと、ヒャタチギがにこにこと微笑ましげに笑っている。

「ラジレ様がそんなふうにお話しされてるのを初めて見ました。本当に仲のいいご友人なんですねぇ」

 仲が悪い、とは言い難いが、仲のいい友人とも言い難い関係なのだが、ラジレが躊躇しているうちに、ヴィセオがしゃあしゃあと肯定してしまった。いつのまにか、修正のしようがなくなってきている。

「それじゃ、私はこれで。布団のこと、声かけておきますね」
「はい、ありがとうございます」
「……ありがとうございます、ヒャタチギ殿」

 メイモ葱の籠を受け取って、ラジレはヴィセオを半眼で睨んだ。ヴィセオは余裕のある笑みを浮かべていた。
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