馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

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忠犬、馬鹿犬、貴方のために

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 気に入らない。気に入らないけど、師匠にいい子にしてろって言われたから大人しくしてないといけない。ここでは誰にも噛み付くなって言われたから、噛み付いちゃいけない。けど、あまりにも、あまりにもだ。

「ああっ、さすがバルトロウ様ですわ! この首、この肩、この腕、この胸」
「……それくらいにしておいてくれ」
「あら、失礼いたしました。私ったらつい」

 上半身裸になった師匠をあんなにべたべた触られたら、メジャーをびっびっと躍らせて採寸しまくる仕立屋にイライラしても仕方ないと思う。絶対無駄に触ってるあいつ。そんなふうにねちっこく撫でなくていいはずだ。

 イライラするイライラするイライラする。

 イライラしすぎて頭が痛くなってきた気がしたから、せっかくの師匠の体から目を離して、窓の外を眺めた。まだ日は高い。少し遠くに壁があって、その上に立ってる誰かの兜が光って見えた。どうせなら外に行って剣を振り回していた方がマシな気がする。一人で出歩くなって言われてるから、それも出来ないけど。
 ここのところ全然体を動かせてない。朝一でこっそり、部屋の中で型をなぞるくらいしかしてないから、腕も落ちてる気がする。また師匠が遠ざかる。イライラする。

「それにしても、いつもの通り体形がちっとも変わっていらっしゃいませんわね? 何だか張り合いがありませんわ」
「そう言われてもな……」

 確かに仕立屋の言う通り、師匠はほとんど体形が変わらない。俺を拾ってくれた時から、少し背が伸びて、傷跡が増えたくらい、だと思う。お酒は飲むけど暴飲ってほどじゃないし、食事量も多い方じゃない。普段からきちんと基礎的なトレーニングはするし、旅続きの生活だから、動かないという日がない。
 こうやって仕立屋とか、壁際に控えている人たちに肌を見られたりかしずかれたりするのに慣れていて、テーブルマナーとか偉い人相手の礼儀とかも問題ない人が、どうしてそんな生活をしているのか、俺はその理由をまるで知らない。知らなくていいのかと、思わなかったわけじゃないけど、知ったらなんか、師匠に手が届かなくなる気がして黙ってる。
 俺が欲しい人はあの人だけなのに、そのたった一人が遠くなるのは嫌だ。

「……少し待っていてくれるか」
「承知いたしましたわ!」

 師匠の気配が近付いてきたから、顔を上げた。周りの人に椅子を勧められたけどなんか落ちつかなくて、隅っこで床に座ってたから、目の前には師匠しか見えない。しゃがんで、目線を合わせてくれる。

「いい子で待ってろっつっただろ」
「……噛み付いてない。大人しくしてる」
「そんだけ周り威圧してて何言ってやがる」

 威圧してたつもりは、ないけど。たぶんイライラしすぎて、機嫌悪いのを隠せなくなってるせいだ。いい言葉が思い浮かばなくて喉の奥で唸ってたら、やれやれって感じで撫でられた。師匠に撫でてもらえるのは嬉しい。

「俺の採寸と、テメェの採寸が終わったら今日は仕舞いだ。いい子にしてたら、遊んでやる」
「……ほんと?」

 師匠に遊んでもらえる。いい子にしてたら。

 ここにいると部屋から出られなかったり知らない人と話をさせられたりして、全然いつもの通りじゃない。ヒューさんからもらった剣を慣らしたいのに、時間も機会もなくて、寂しくなってきてたから嬉しい。師匠が手合わせしてくれるんだったら全力を出せるし、楽しいし、一瞬で終わってつまらないなんてこともない。
 からかうように鼻を摘ままれたから、頭を振って逃げて、戻っていった師匠の言い付け通りいい子で待つ。遊んでもらえるとわかったからには、いくらでも待てる。

 師匠の周りを飛ぶようにぐるぐる回って、仕立屋が採寸した結果を書き留めていく。

「本当に、本当に理想のお体……」
「……ベティ、俺の分は終わっただろう」

 恍惚とした顔で師匠の体を撫で始めたから、もしかして若干危ない人かと思い始めたところで、師匠が仕立屋を引っぺがした。
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