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4.みずと、みずじゃないみず
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陸人が重すぎてレタは砂地に押し上げるのがやっとだったのだが、本来ヤジクの周りには岸壁や岩礁もある。普段島に上がることなんてないからレタは特に意識していなかったのだが、辺りを見渡せる岸壁に陸人は陣取っていて、レタを見て水に飛び込んできたらしい。
ただ、陸人が座るには砂地よりは岩のほうが都合がいいらしくて、レタと陸人は岩礁の一つに落ちついた。泳いでいるのはやはり疲れるようで、陸人は水面より上の岩礁に座っている。
「安心してほしい、君を傷つけるつもりはない」
陸人が両手をひらひらして見せてきて、レタはまた小さく頷いた。道具を持っていないのをさっき確認はしたけれど、陸人の体には道具を入れるところがついていることもあるし、油断はできない。
ただ、陸人は水面の上で、レタは岩礁に囲まれてはいるものの水の中だ。いざとなったら潜ってしまえば追ってこられないはずだから、身構えだけしておくことにする。
「君が……私を助けてくれたと思っているんだが、違うか?」
「……間違いじゃ、ないけど」
ツァコには陸人に見つかるなと言われていたのに、話までしてしまっている。レタはもごもごと答え、陸人をじっと見返した。悪いことをしそうな顔には見えないけれど、陸人がどういう生き物なのか、レタはよく知らない。
「……本当にありがとう。君が助けてくれなかったら、きっと私は死んでしまっていたはずだ」
しかしレタのためらいとは関係なく、陸人がにっこりと笑ってお礼を言ってきて、レタはきょとんと目を丸くした。レタが陸人をここまで運んだのは、何となく気がとがめたからくらいの意識であって、助けてあげなくちゃという優しさからではない。
「……うみって、なぁに」
どう答えたらいいかわからなくて、レタはさっき気になった言葉を口にした。お礼を言われたかったわけではないし、陸人とこんなに交流するつもりもなかったのだけれど、何も言わずに去るというのもレタの気持ちが引っかかってしまう。
「海とは、君が今浸かっている、広く水を湛えている場所のことだよ。私たちはそう呼んでいる」
「水のことを、うみって言うの?」
「君たちは海とは呼ばないのか?」
「水は、水だよ」
人魚が住んでいるのは広い水の中だ。陸人は、水から突き出ている島に住んでいる。それがレタの認識で、海というのは知らない言葉だ。陸人の海と人魚の水は違うのだろうか。
少しだけ警戒しつつもそろりと岩礁に近づいて、レタは陸人を見上げた。まだすぐ手が届く距離ではない。
「私たちにとって、水と海は別のものだ」
「水じゃない……水が、あるの?」
レタにとって、水は全て水だ。人魚だけでなく、中でいろんな生き物が暮らしているし、大きな流れもある。けれど全てが一体として水であって、区別できるようなものではない。
「陸地には川も池も湖もあるから、海とは違う水はたくさんある」
「かわと、いけと、みずうみ」
知らない言葉ばかりだ。陸人には水を分ける力があるのだろうか。
「川は、海に注いでいるから、君たちもわかるだろう?」
「……島から水が出てくるところ?」
ツァコには陸人に見つからないようにとは言われているが、島に近づいてはいけないとは言われていない。だからレタは陸人の住んでいない島に近寄ってみたことがあって、島には、普段の水とは質の違う水が出てくるところがあるのは知っている。いつもの水よりはなんだかぴきっとした感じで、少し動きにくくなる場所だ。
「正確には海に注ぐ場所のことは河口と呼ぶんだが、あれが川だよ」
「……陸人にはたくさん名前が必要なんだね」
水をそんなに呼び分けなければいけないなんて、ずいぶんややこしい。どれがどれだかわからなくなりそうだが、陸人は覚えきれるのだろうか。
小首を傾げて返したレタに、陸人は少し目を丸くして、それからふんわりと笑った。
「そうやって呼び分けないと、私たちは困ってしまうんだよ」
覚えるのも大変そうだが、名前が違っていないと困るらしい。今度はレタのほうが驚いて、思わず耳ひれを広げてしまった。
「そうなの?」
「そう。だからできれば、君を他の人魚と呼び分けられるように、名前を教えてくれると嬉しい」
頷いた陸人に言われて、レタはちょっと口を尖らせた。
この陸人は、レタが聞いたことに丁寧に答えてくれたし、今のところレタを捕まえようとする素振りもない。信用させてから捕まえようとしているのかもしれないけれど、陸人と話せる機会なんて今までなかったから、もう少しお喋りもしてみたい。
「……レタだよ」
レタの名前をこの陸人が知っていても、たぶん問題にはならない、はず。他の人魚は陸人なんて見たらすぐ逃げるはずだし、レタが知っている他の人魚と言えばツァコの群れくらいのものだから、例えこの陸人からレタの名前を出されても、レタを知らない人魚ならすぐ逃げてくれるはずだ。
「レタ?」
「うん。あんたは?」
レタが聞き返すとは思っていなかったのか、陸人がぱちぱちと瞬きする。それが少しおかしくて、レタは小さく笑ってちゃぷりと岩礁に近づいた。
「……マルと呼んでくれ」
「マル?」
頷いて手を差し出されて、レタは小首を傾げた。岩礁に上がってこいという誘いなら遠慮したい。けれどマルと名乗った陸人の手がそれ以上近づいてくることはなくて、穏やかに微笑んだまま、レタを待ってくれている。
怖いことはしてこない、ような気もして、レタはおそるおそる手を伸ばした。そろそろと手を出しては引っ込め、少しずつ手を近づけてみる。ちょい、と触っても、マルは辛抱強く動かなかった。
「人魚には、握手の習慣はないかな?」
「あくしゅ?」
「お互いの手を握って軽く振るんだ。友好の証だよ」
そっとレタの手を包んだマルの手は、がっしりしていて温かかった。
ただ、陸人が座るには砂地よりは岩のほうが都合がいいらしくて、レタと陸人は岩礁の一つに落ちついた。泳いでいるのはやはり疲れるようで、陸人は水面より上の岩礁に座っている。
「安心してほしい、君を傷つけるつもりはない」
陸人が両手をひらひらして見せてきて、レタはまた小さく頷いた。道具を持っていないのをさっき確認はしたけれど、陸人の体には道具を入れるところがついていることもあるし、油断はできない。
ただ、陸人は水面の上で、レタは岩礁に囲まれてはいるものの水の中だ。いざとなったら潜ってしまえば追ってこられないはずだから、身構えだけしておくことにする。
「君が……私を助けてくれたと思っているんだが、違うか?」
「……間違いじゃ、ないけど」
ツァコには陸人に見つかるなと言われていたのに、話までしてしまっている。レタはもごもごと答え、陸人をじっと見返した。悪いことをしそうな顔には見えないけれど、陸人がどういう生き物なのか、レタはよく知らない。
「……本当にありがとう。君が助けてくれなかったら、きっと私は死んでしまっていたはずだ」
しかしレタのためらいとは関係なく、陸人がにっこりと笑ってお礼を言ってきて、レタはきょとんと目を丸くした。レタが陸人をここまで運んだのは、何となく気がとがめたからくらいの意識であって、助けてあげなくちゃという優しさからではない。
「……うみって、なぁに」
どう答えたらいいかわからなくて、レタはさっき気になった言葉を口にした。お礼を言われたかったわけではないし、陸人とこんなに交流するつもりもなかったのだけれど、何も言わずに去るというのもレタの気持ちが引っかかってしまう。
「海とは、君が今浸かっている、広く水を湛えている場所のことだよ。私たちはそう呼んでいる」
「水のことを、うみって言うの?」
「君たちは海とは呼ばないのか?」
「水は、水だよ」
人魚が住んでいるのは広い水の中だ。陸人は、水から突き出ている島に住んでいる。それがレタの認識で、海というのは知らない言葉だ。陸人の海と人魚の水は違うのだろうか。
少しだけ警戒しつつもそろりと岩礁に近づいて、レタは陸人を見上げた。まだすぐ手が届く距離ではない。
「私たちにとって、水と海は別のものだ」
「水じゃない……水が、あるの?」
レタにとって、水は全て水だ。人魚だけでなく、中でいろんな生き物が暮らしているし、大きな流れもある。けれど全てが一体として水であって、区別できるようなものではない。
「陸地には川も池も湖もあるから、海とは違う水はたくさんある」
「かわと、いけと、みずうみ」
知らない言葉ばかりだ。陸人には水を分ける力があるのだろうか。
「川は、海に注いでいるから、君たちもわかるだろう?」
「……島から水が出てくるところ?」
ツァコには陸人に見つからないようにとは言われているが、島に近づいてはいけないとは言われていない。だからレタは陸人の住んでいない島に近寄ってみたことがあって、島には、普段の水とは質の違う水が出てくるところがあるのは知っている。いつもの水よりはなんだかぴきっとした感じで、少し動きにくくなる場所だ。
「正確には海に注ぐ場所のことは河口と呼ぶんだが、あれが川だよ」
「……陸人にはたくさん名前が必要なんだね」
水をそんなに呼び分けなければいけないなんて、ずいぶんややこしい。どれがどれだかわからなくなりそうだが、陸人は覚えきれるのだろうか。
小首を傾げて返したレタに、陸人は少し目を丸くして、それからふんわりと笑った。
「そうやって呼び分けないと、私たちは困ってしまうんだよ」
覚えるのも大変そうだが、名前が違っていないと困るらしい。今度はレタのほうが驚いて、思わず耳ひれを広げてしまった。
「そうなの?」
「そう。だからできれば、君を他の人魚と呼び分けられるように、名前を教えてくれると嬉しい」
頷いた陸人に言われて、レタはちょっと口を尖らせた。
この陸人は、レタが聞いたことに丁寧に答えてくれたし、今のところレタを捕まえようとする素振りもない。信用させてから捕まえようとしているのかもしれないけれど、陸人と話せる機会なんて今までなかったから、もう少しお喋りもしてみたい。
「……レタだよ」
レタの名前をこの陸人が知っていても、たぶん問題にはならない、はず。他の人魚は陸人なんて見たらすぐ逃げるはずだし、レタが知っている他の人魚と言えばツァコの群れくらいのものだから、例えこの陸人からレタの名前を出されても、レタを知らない人魚ならすぐ逃げてくれるはずだ。
「レタ?」
「うん。あんたは?」
レタが聞き返すとは思っていなかったのか、陸人がぱちぱちと瞬きする。それが少しおかしくて、レタは小さく笑ってちゃぷりと岩礁に近づいた。
「……マルと呼んでくれ」
「マル?」
頷いて手を差し出されて、レタは小首を傾げた。岩礁に上がってこいという誘いなら遠慮したい。けれどマルと名乗った陸人の手がそれ以上近づいてくることはなくて、穏やかに微笑んだまま、レタを待ってくれている。
怖いことはしてこない、ような気もして、レタはおそるおそる手を伸ばした。そろそろと手を出しては引っ込め、少しずつ手を近づけてみる。ちょい、と触っても、マルは辛抱強く動かなかった。
「人魚には、握手の習慣はないかな?」
「あくしゅ?」
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