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1.漂う陸人
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頭上を何かが横切って、レタは進むのをやめて顔を上げた。
見慣れない形の影が上に浮かんでいる。何か危険な生き物かとも思ったが、しばらく見ていても特に変わった動きはなかった。浮いているだけなのかもしれない。
少し迷ったものの好奇心が勝って、レタはすいすいとそれに近づいていった。水面に出てしまいそうだったが、周囲に船影もないし、この近くには大きな島もない。例え人魚のレタが顔を出したとしても、陸人に見られることはないはずだ。
それでもできるだけ慎重に、そーっと水面から顔を覗かせて、レタは慌てて水面下に潜り直した。本物を間近で見るのは初めてだけれど、間違いなく陸人だ。上半分は人魚のような体なのに、下半分が奇妙に二股に分かれていて、泳ぐのが遅い生き物。水中では息ができないらしく、潜ってくることはあるもののしばらくすると水面に浮いていく。
ただ、やたらと人魚を捕まえようとしてきて、さらわれた人魚は戻ってこないという話はレタも知っている。連れて行かれた先でどうなるのか知らないが、だからといって喜んで捕まりたいという人魚はいないだろう。背びれを忙しなくざわつかせて、レタはもう一度、浮かんでいる陸人に視線を向けた。
これだけ近くに人魚がいるのに、陸人はぴくりとも動く様子がない。彼らが泳ぐときはばしゃばしゃとうるさく水音を立てるものだから、もしかしたら死んでいるのかもしれない。死んでいるならそこまで警戒する必要もない、かもしれない。
再びそろりと水面に顔を出して、レタは陸人をよくよく観察した。何か平らなものにたまたま体が引っかかっていて、沈むこともなくぷかぷか浮いたまま、どこかから流れてきたらしい。ただ、死んでいる、にしては血の通った肌に見える。注意して見れば体も上下しているようで、つまり、この陸人は気を失っているだけだ。
どうしよう、とレタはまた狼狽えて水に潜った。もちろんこのまま放っておいても構わないのだが、そうするとこの陸人は死ぬかもしれない。このまま見過ごした見ず知らずの陸人が、どこかで溺れて死んだところでレタが悪いわけではないのだが、それにしたって、もしそうなったらとっても、後味が悪い。
たっぷり悩んでからようやく、レタは陸人の乗っている何かに近づいた。平らなものは水の中では見たことのない材料でできていて、どうやら水に浮くらしい。レタが陸人に触らなくて済むなら都合がいいし、下手なことをして陸人を起こしてしまう危険もぐっと下がるだろう。
一つ大きめの深呼吸をして、それからゆっくり、平らなものを押して進んでいく。ひとまず一番近い島を目指すことにして、船が見えたら少しそれに近づけて逃げればいい。それまでこの陸人が起きないでいてくれることが前提なのだが、今のところそういう気配もないから大丈夫だろう。たぶん。
一番近い島はヤジクといって、確か、少ないながらも陸人が住んでいたと思う。陸人が水の近くに住んでいるところとそうでないところがあるから、見つからないようにこの陸人を置いてくることもできるはずだ。人魚を捕まえようとする陸人だけれど、同じ種族なら助けてくれるだろうし、危険を冒すのだから、そこまでしたらレタも義理を果たしたと言っていい。
それにしても、あまり近くで陸人を見たことがないからよく知らなかったものの、陸人というのはこうも大きい種族なのだろうか。乗っているものを押すだけなのに、重たすぎる。体が大きいから、もし陸人がずり落ちそうになっても、レタでは押し上げられないかもしれない。
親切心で始めたはずなのに苛立ってきて、レタは少しだけ尾びれを乱暴に動かした。うっかり陸人にも当たってしまったが、起きる様子がないので気にしないことにする。だいたい、水の中を優雅に進むのが人魚の美徳とされているが、機嫌が悪ければ多少荒れたって仕方ないはずだ。いつだって機嫌のいい人魚だなんて、いるわけがない。
そうして自分を宥めているうちに、レタの目にもようやくヤジク島が見えてきた。陸人の棲み処を回り込んで目につきにくい方向から近づき、重たい陸人を何とか砂地に押し上げる。一仕事した気分だ。
息苦しくならないよう仰向けに体をひっくり返してやって、レタは初めて陸人の顔を見た。人魚とほとんど変わらない。目が二つ、鼻が一つ、口が一つ。顔の横にあるのはひれではないけれど、弾力のある小さなひれみたいなものが二つついている。
案外変わらない生き物らしいことに少しだけ親近感を覚え、海藻より濃い茶色をした陸人の髪を、レタはそっとかき上げてやった。
ひとまず、ここまで送ってきてやれば溺れて死ぬことはないだろう。ヤジクの陸人がこちらまで回ってくるのか知らないが、気づいてもらえれば何とかなるはずだ。
「……あんたが元いたところに、帰れるといいね」
それだけ言い残すと、レタはしぶきを立てないよう、静かに水の中に戻った。
見慣れない形の影が上に浮かんでいる。何か危険な生き物かとも思ったが、しばらく見ていても特に変わった動きはなかった。浮いているだけなのかもしれない。
少し迷ったものの好奇心が勝って、レタはすいすいとそれに近づいていった。水面に出てしまいそうだったが、周囲に船影もないし、この近くには大きな島もない。例え人魚のレタが顔を出したとしても、陸人に見られることはないはずだ。
それでもできるだけ慎重に、そーっと水面から顔を覗かせて、レタは慌てて水面下に潜り直した。本物を間近で見るのは初めてだけれど、間違いなく陸人だ。上半分は人魚のような体なのに、下半分が奇妙に二股に分かれていて、泳ぐのが遅い生き物。水中では息ができないらしく、潜ってくることはあるもののしばらくすると水面に浮いていく。
ただ、やたらと人魚を捕まえようとしてきて、さらわれた人魚は戻ってこないという話はレタも知っている。連れて行かれた先でどうなるのか知らないが、だからといって喜んで捕まりたいという人魚はいないだろう。背びれを忙しなくざわつかせて、レタはもう一度、浮かんでいる陸人に視線を向けた。
これだけ近くに人魚がいるのに、陸人はぴくりとも動く様子がない。彼らが泳ぐときはばしゃばしゃとうるさく水音を立てるものだから、もしかしたら死んでいるのかもしれない。死んでいるならそこまで警戒する必要もない、かもしれない。
再びそろりと水面に顔を出して、レタは陸人をよくよく観察した。何か平らなものにたまたま体が引っかかっていて、沈むこともなくぷかぷか浮いたまま、どこかから流れてきたらしい。ただ、死んでいる、にしては血の通った肌に見える。注意して見れば体も上下しているようで、つまり、この陸人は気を失っているだけだ。
どうしよう、とレタはまた狼狽えて水に潜った。もちろんこのまま放っておいても構わないのだが、そうするとこの陸人は死ぬかもしれない。このまま見過ごした見ず知らずの陸人が、どこかで溺れて死んだところでレタが悪いわけではないのだが、それにしたって、もしそうなったらとっても、後味が悪い。
たっぷり悩んでからようやく、レタは陸人の乗っている何かに近づいた。平らなものは水の中では見たことのない材料でできていて、どうやら水に浮くらしい。レタが陸人に触らなくて済むなら都合がいいし、下手なことをして陸人を起こしてしまう危険もぐっと下がるだろう。
一つ大きめの深呼吸をして、それからゆっくり、平らなものを押して進んでいく。ひとまず一番近い島を目指すことにして、船が見えたら少しそれに近づけて逃げればいい。それまでこの陸人が起きないでいてくれることが前提なのだが、今のところそういう気配もないから大丈夫だろう。たぶん。
一番近い島はヤジクといって、確か、少ないながらも陸人が住んでいたと思う。陸人が水の近くに住んでいるところとそうでないところがあるから、見つからないようにこの陸人を置いてくることもできるはずだ。人魚を捕まえようとする陸人だけれど、同じ種族なら助けてくれるだろうし、危険を冒すのだから、そこまでしたらレタも義理を果たしたと言っていい。
それにしても、あまり近くで陸人を見たことがないからよく知らなかったものの、陸人というのはこうも大きい種族なのだろうか。乗っているものを押すだけなのに、重たすぎる。体が大きいから、もし陸人がずり落ちそうになっても、レタでは押し上げられないかもしれない。
親切心で始めたはずなのに苛立ってきて、レタは少しだけ尾びれを乱暴に動かした。うっかり陸人にも当たってしまったが、起きる様子がないので気にしないことにする。だいたい、水の中を優雅に進むのが人魚の美徳とされているが、機嫌が悪ければ多少荒れたって仕方ないはずだ。いつだって機嫌のいい人魚だなんて、いるわけがない。
そうして自分を宥めているうちに、レタの目にもようやくヤジク島が見えてきた。陸人の棲み処を回り込んで目につきにくい方向から近づき、重たい陸人を何とか砂地に押し上げる。一仕事した気分だ。
息苦しくならないよう仰向けに体をひっくり返してやって、レタは初めて陸人の顔を見た。人魚とほとんど変わらない。目が二つ、鼻が一つ、口が一つ。顔の横にあるのはひれではないけれど、弾力のある小さなひれみたいなものが二つついている。
案外変わらない生き物らしいことに少しだけ親近感を覚え、海藻より濃い茶色をした陸人の髪を、レタはそっとかき上げてやった。
ひとまず、ここまで送ってきてやれば溺れて死ぬことはないだろう。ヤジクの陸人がこちらまで回ってくるのか知らないが、気づいてもらえれば何とかなるはずだ。
「……あんたが元いたところに、帰れるといいね」
それだけ言い残すと、レタはしぶきを立てないよう、静かに水の中に戻った。
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