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二部

第二十三話

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白を基調とした決して広いとは言えない店内に、甘ったるい匂いが満ちている。他にも客は入っているが全員若い女で、殆どが近隣の高校の制服姿だった。
空調の効いた店の端、パステルグリーンの丸いテーブルに肘をついた陽は、初の前に置かれたそこそこ大きなパフェグラスの天辺を陣取る苺と大量の生クリームに目をやって、手元のコーヒーを一口啜る。
甘いものは嫌いではないが、これは見ているだけで胸焼けしそうだ。
初はきらきらと目を輝かせながら数枚の写真を撮ると、満足げに携帯を通学鞄に仕舞い込んだ。


今日の軽音部が休みになると言うことを知らされたのは、昨日の晩のことだった。どうも織と惺に放課後急な用事が入ったらしく、帰りのHRが終わり次第すぐに学校を出なければならないと言う。織は律儀にも、陽と初の二人にそれぞれ電話を掛けてきた。
陽は自室のベッドに寝転がって織と通話をしながら、ふと壁に掛けられたカレンダーを見遣る。可愛らしいサビ柄の子猫の写真の下に、九月と十月の日付が並んで配置されていた。
十月の終わりの土曜日が、大きな赤い丸で囲われている。文化祭自体は前日の金曜日から二日間に渡って行われることになっていて、丸がつけられている土曜日は文化部の発表がある日だった。大体定期公演会と同じようなものだが、保護者や生徒の友人など、校外の人間が入り込むことに加えて、それぞれの持ち時間が比較的長めに設定されると言う。発表の順番や持ち時間はまだ決まっていないようだが、近々教師と生徒会、各部長が話し合いをするらしいと言うことは聞いていた。
あと二ヶ月もある、というよりは、二ヶ月しかない、という感覚の方が近い。本当は一日でも惜しいが、ここで我儘を言っても仕方がないことは分かっていた。

通話を終えた後、ギターを持っていくか持っていくまいか、持っていくとして初と自主練でもしようかとひとり悶々としていると、それを見越したかのように初から電話があった。出てみると初は開口一番に、自分たちも明日は休まないか、と言う。初も用事かと尋ねると、陽に付き合ってほしい場所がある、詳しいことは明日学校でと言うので、気にはなったものの、とりあえずそれを了承して通話終了ボタンを押した。

そして翌日──今日の昼休み、やたらと神妙な顔をした初は昼練に向かった前川の席に腰掛けると、陽にしか頼めないことなんだけど、と言う。初がそんなことを言うということは、余程深刻な話題なのだろうか。
ぐるぐると考えながら身構える陽に、初は自らの携帯を差し出した。その液晶はSNSのアカウントを映している。見る限り、豊永駅付近に新しく開店したスイーツ店のものであるようだった。その最新の投稿には、全体的にパステルカラーの画像が添付されている。
どうも対象のパフェをひとつ頼むごとに、マスコットキャラクターの小さなぬいぐるみが一個貰えるらしい。色と表情違いで全二種類あり、数量限定なのだそうだ。
付き合って欲しい場所、と言うのは、この店のことだった。陽は無理にパフェを食べずとも構わないから、一緒に来るだけ来てほしいと初は言う。お願い、と顔の前で両手を合わせる初に苦笑して、陽はそれを快諾した。

放課後すぐに駅に向かったが、その道中にも駅のホームにも、織と惺の姿は見えない。
豊永駅の東口から出て五分ほど歩いたところにある目的の店に入り、女性客しかいない中で初が唸りながらパフェを選ぶのを見ていた。パフェひとつにつきぬいぐるみ一個と言うことは、二種類欲しいなら二つ食べなければならないと言うことだ。まさかそんな無茶はしないだろうと思ったが、初はその陽の予想を鮮やかに裏切り、注文を取りにやってきた店員に苺のパフェとチョコバナナのパフェを頼んだ。
陽は叫び散らかしたい衝動をどうにか抑え込むとコーヒーを頼んで、店員が去った後に正気か、と尋ねた。写真を見る限り、このパフェはそこそこ大きい。
初はにっこりと笑って、陽の懸念を一蹴した。



「最っ高……」
やたらと柄の長いスプーンで掬い取った苺と生クリームを口に入れた初が、蕩けるような声音で言った。
店員が運んできたチョコバナナのパフェを初が指差して、食べたいとこ食べてもいいよ、と言うので、陽は遠慮なく生クリームの山に添えられている小さなチョコレートケーキにフォークを突き刺した。
「本当、食えんの?これ」
「いや余裕でしょ、二個くらい」
「俺たまにお前のこと怖いわ」
そう言って笑うと、陽は外に目を向けた。時間帯が時間帯であるからか学生が多く行き交い、その中にぽつぽつと菖蒲ヶ崎高校の制服が見える。
「織ちゃん先輩とさとちゃん先輩、用事って何だろうな」
陽がぽつりと呟いたそれに、初がパフェグラスの奥にスプーンを捩じ込みながら首を傾げた。
「進路絡みかなあ」
その言葉に、陽は視線を落とす。一抹の寂しさがふっと通り過ぎるのを、ただ見送った。織と惺がいることが当たり前になりすぎていて、未だに二人がいなくなった第二視聴覚室を想像することも出来ない。
心中を察したらしい初に名前を呼ばれて、陽は顔を上げた。
「僕らの曲、文化祭でやるんでしょ」
「うん」
「もう、顔に出過ぎなんだよなあ」
「お前に言われたくねえよ」
まだ文化祭の曲目は未定だが、陽と初が作った曲を一曲セットリストに組み込むことは決定している。これは織と惺が言い出したことだが、それが決まってから、陽は練習と授業の時間以外は殆どそれに注力した。まだギターとメロディだけではあるものの、良い曲が出来たと思う。
あとは歌詞をつけて微調整をするだけなのだが、それは初の裁量次第だ。
骨組みとなるコードとメロディを吹き込んだボイスレコーダーを横に置いていたリュックから取り出して、ヘッドホンを繋げて初に差し出した。
誰かに聞かせるのは、これが初めてになる。

初はヘッドホンを頭につけて、ボイスレコーダーの簡素な液晶を見ていた。かち、と言うボタンが押される音が、やたらと大きく聞こえる気がする。
ヘッドホンを押さえて、落とされていた初の目線が、ぱっ、と陽を見る。何だか急に照れ臭くなって、陽は肩を竦めた。曲が終わるまでの三分と少しが、酷く長い。
聞き終わったらしい初がヘッドホンを外して、呆然と陽を見た。次に彼がぽつりと漏らした一言が、この曲に関する全てだった。
「すごい、」
陽はピースサインをしてみせて、ボイスレコーダーとヘッドホンを初の手から回収した。後で音源送っとくな、と言い添えて。
手が止まってしまった初の口元に、陽がバナナが乗ったスプーンを差し出す。初はそれを素直に口に入れて咀嚼すると、飲み込んだ後にこう言った。
「やっぱり、先輩たちのこと考えちゃうね」
「良いんじゃね、俺もそんな感じだったし」
やはり、織と惺のことを無しにして歌詞を考えるのは無理であるようだ。軽音部に入ってからと言うもの、他の部活と比べてもかなり突飛な経験をしていることは否めない。何回も泣いたし、それ以上に一生分をこの一年に凝縮しているのかと言うほど笑っている。充実と言う言葉では表しきれないほど、毎日が楽しかった。
織と惺は、どうだろうか。
「あのさあ」
「うん」
「放課後部活行くとさ、織ちゃん先輩とさとちゃん先輩がいるだろ、第二視聴覚室」
「うん」
「あれさあ、すごい安心すんだよね」
「うん、……僕も」
「俺たちさあ、先輩のこと好きすぎる?もしかして」
「前もこんな話したじゃんね」
「そう?」
「そうだよ」
そんな話をしているうちに、二つあったパフェグラスはすっかり空になってしまった。その八割は初の腹に入っているのだが、本人は至って平気そうだ。陽が恐る恐る腹の具合について尋ねると、まだいけるけどね、と初は口角を上げる。その胃袋の容量に恐怖すら抱きつつも、陽は伝票を片手にレジに向かう初の後を追った。
「待って初、コーヒーって幾らだっけ」
「いいよ別に、付き合ってもらったし」
支払いを済ませると、店員が奥から件のぬいぐるみを一つずつ持ってきた。透明な袋に入ったそれを受け取って、ありがとうございました、と言う愛想の良い挨拶に軽い会釈を返して店を出る。通行の妨げにならない路地の端に寄って、初がきらきらと目を輝かせながらそのぬいぐるみを眺めていた。
「見て、すっごいかわいい」
「お前本当そういうの好きな……」
背中に羽を生やした、パステルグリーンとピンク色の猫二匹が、気の抜けた顔で陽の方を見ている。初はその猫を大事そうに通学鞄に仕舞い込むと、陽に向かって首を傾げた。
「どうする?このあと。帰る?」
「ゲーセン行かね?」
「ああ、いいね」
この店を真っ直ぐ行った先に、そこそこ大きな商業施設がある。その中に入っているゲームセンターは音楽ゲームとUFOキャッチャーが豊富で、陽のお気に入りだった。その店の方向へ歩きながら、他愛のない話をする。

通りにあるファミリーレストランの前で、ふと初が立ち止まった。それを追い抜いて数歩進んだ陽は、初の元に後ろ向きのまま戻る。
「初?」
「あれ、」
「ええ?」
大きな硝子窓から見える店内を、初が指差す。窓際の席に、談笑する織と惺の姿が見えた。学校が終わってからすぐ、と言っていた通り、二人とも制服のままだ。陽と初の存在には気付いていない。
反射的に店に入ろうとする陽のリュックを、初が鷲掴みにして連れ戻す。二人で店の前の植え込みに隠れるようにして、再び店内を覗き込んだ。
通行人の訝しげな視線が突き刺さる。
「待ってって!……先輩たちだけじゃない」
「……ほんとだ、」
織と惺の正面に、知らない若い男が一人腰掛けていた。
白いTシャツ姿で、最上が付けているような大きな丸眼鏡を掛けている。黒い髪を横に流したその男は全体として華奢な印象だが、指に嵌ったごつごつとした銀色の指輪と、遠目から見てもそれとわかるほど大きい刺青が入った右腕を視認して、陽は思わず小動物のように震え上がった。
「誰?あの人……」
険しい顔をした初の問いに、陽は首を振って見せた。随分楽しそうに話しているように見えるので、旧知の友人か何かなのだろうか。
陽が徐に立ち上がって行こう、と呟くと、後ろから初の慌てた声が聞こえた。
「待ってよ、入るの!?」
「入る!」
「普通にバレるでしょ!ばか!」
「気になるもんだって!」
「知らないの!?好奇心は猫をも──」
こんこん、とすぐ横の窓が叩かれる音が、陽と初の怒鳴り合いを遮った。あの男が窓枠に手を付いて窓を叩き、陽たちを見てにっこりと笑っている。





椅子に腰掛けた初と陽の前に水の入ったグラスを置いた店員が、ごゆっくりどうぞ、と微笑んで去っていく。陽はおずおずと正面に視線を向けた。目の前のソファ席には、織と惺、そしてあの男が座っている。
あれから陽と初は店内に連れ込まれ、あれよあれよと言う間に三人と同席する羽目になってしまった。
「声掛けてくれたら良かったのに」
そう言った織が隣の惺に同意を求めたが、惺は知らない人と一緒にいたら怖いよねえ、と笑う。その知らない人──刺青とシルバーリングの男は、自らを高山光と名乗った。その名前には覚えがある。菖蒲ヶ崎高校の卒業生で、元軽音部。井塚が書いた日誌にも名前があった、晴の同級生だ。
陽はぺこりと頭を下げて、兄がお世話になりましたと言った。すると高山は悲しそうに笑って、どっちかって言うと俺の方が世話になってたよ、と返してくる。
晴のことは、高山には既に伝わっているらしい。
彼は普段三つほど隣の県で働いているのだが、やっとまとまった休みが取れたらしく、それを利用して帰省中なのだと言った。
「可愛い後輩がどうしてるかなーと思って」
そう言った高山は織と惺の方を見てコーヒーを啜ると、陽たちの方にメニュー表を差し出した。
「腹減ってる?何か頼んでいいよ、全然奢るし」
「いえ、そんな」
初が顔の前で両手を振る。先程パフェ二つを平らげているので、まだいけると言いつつも他のものを食べる気にはならないのだろうか。
それとも単純に、ただ遠慮しているだけかもしれない。
そのやり取りを見ていた惺が、陽の方を見て口を開く。
「何か食べてきたの?」
「こいつパフェ二個食ってて」
「二個」
「はーくんいっぱい食うもんね」
そう言った織は身を乗り出して初の頭を撫でると、そのままコップを持って席を立ち、ドリンクバーの方へと向かった。惺も立ち上がって織を追いかけようとしたが、何かを思い出したように高山を振り返る。
「光先輩、この子たちのこといじめないでくださいね」
「いじめねえっての、良いからさっさと行ってこい」
高山のその言葉に背を向けて、惺がぱたぱたと織の後を追った。陽が椅子から振り返ってそれを目で追うと、二人が遠くのドリンクバーの機械の前で笑い合っているのが見えた。その姿に、先程パフェを食べながら初と話したことが蘇ってくる。
「後輩くん」
不意に高山が喋り出したので、陽は彼の方に視線を向けた。
テーブルに肘をついた高山は陽と初の視線が自分に向いたことに満足げに頷くと、静かに話を続ける。

高山がまず驚いたのは、織と惺の変化だった。
彼の一年後輩の織も、その一年後に入部してきた惺も、どこか陰鬱な雰囲気を纏っていたと言う。惺は父親からの暴力とクラスでの人間関係にずっと苦しんでいたし、織は両親が幼い頃に死んでいることもあってか酷く厭世的で、自暴自棄とも取れる言動が目立った。晴と高山はそんな二人を毎日部室に引き摺って、練習だと称して演奏をした。定期公演会、文化祭、口実はなんでも良い。軽音部にいる時だけは、二人の表情は少しだけ和らいでいるように見えたから。
そしてやっと織と惺が笑うようになってきた頃、晴が失踪した。
高山は晴に対して何も出来なかったことにかなりの負い目を感じているのか、少し目を伏せて深い溜息を吐いた。そして陽の目を真っ直ぐに見て、ごめんね、と言った。
陽はそれに首をぶんぶんと振って、続きを促す。

晴が失踪してから、高山は自らの進路のために殆ど軽音部に顔を出すことが出来なかった。晴のことは気掛かりであったし、織と惺のことを放って卒業してしまうのはどうにも後ろ髪を引かれる思いだったが、卒業式も引越しの日も待ってはくれない。
高山の中の織と惺は、在学中の時のままで止まっていた。
今日会おうと提案したのは二人を心配してのことだったが、それは杞憂に終わる。二人は高山と顔を合わせてから、ずっと軽音部の話しかしていないらしい。
「あ、あの、その軽音部の話って」
陽は恐る恐るその内容について尋ねた。初も若干表情が固まっているように見える。織と惺が隠れてそういうことを言うような人間ではないのは知っているが、実際かなり好き勝手させて貰っている自覚がある分、不安だった。
その不安を吹き飛ばすように、高山が声を上げて笑う。
「そんな緊張しないでいいよ。……悪口とかじゃ全然ないし、寧ろ逆?甘いものが好き、弟がいて猫を飼ってる、時々とんでもなく生意気、すごいうるさい、とか」
「生意気とうるさいは悪口では……?」
陽と初を交互に指差しながら、高山は織と惺の話したことをつらつらと述べた。二人の反応を気にすることなく話は続く。
「卒業するまでずっと二人でいるんだと思ってたのに、そこに飛び込んできたのが君たちだったんだって。いっぱい助けて貰ってて、本当にかわいいし、大事なんだってさ。……初めて見たよ、方保田と和泉って、あんな顔で笑うんだな」
「……」
「俺が心配することじゃあなかったのかも」
高山はそう言うと、何も言えずにいた陽と初を見て微笑む。
「前とは比べ物にならないくらい、良く笑うようになった。それって絶対、君たちのお陰だよ」
だから、ありがとうね。

高山の言葉に陽が返事をしかけた時、やっと戻って来たらしい織が背後から陽の頭に手を乗せた。随分時間が掛かったものだと思ったが、コーヒーにするかジュースにするかで真剣に悩んでいた結果らしい。
後ろから着いてきた惺が、グラスに刺さったストローを咥えながら元いた席に座る。
「何話してたの?光くんと」
陽の頭をぽん、ぽんと極軽く叩きながら、織が首を傾げた。言葉を詰まらせた陽が高山の方を見ると、彼は人差し指を唇に当てて笑っている。陽はそれに頷いて、何でもないっす、と眉を上げながら織を見た。
そんな陽の頬を揉み解すように抓ってから惺の横に座った織は、高山を思い切り睨み付けた。
「ちょっと光くん、遊ばないでよ人の後輩でさあ」
「やっぱりいじめたんでしょう」
「いじめてないし遊んでないって、嘘吐いてる顔してる?俺」
「正直やりかねない」
「おれもそう思います」
「信用ないなあ、ちょっと思い出話してたの!な!」
高山に同意を求められた初は、目を細めてそうですね、と頷く。
その時、店内の時計が童謡を奏でた。十八時を知らせるそれに陽が外を見ると、人が行き交う路地にオレンジ色の夕日が差し込んでいる。それを見た高山が、横に置いていた鞄から車の鍵を取った。
「さて、いつまでも未成年引き摺り回すのも良くないし、そろそろ帰るか……後輩くんも、家どこ?送ってくよ」





それから、軽音部の四人は高山の車でそれぞれの家路に着いた。陽の家の前に着いた時、高山は織と惺を置いて車を下りると、初を見送って陽の案内で玄関へ向かった。陽は扉を開けて母を呼び、兄ちゃんの友達なんだって、と言った。リビングから出てきた母に向かって深々と頭を下げる高山を快く家に上げた母は、高山と二人で少しだけ晴の話をしていた。
飾られた晴の写真にじゃあな、と笑いかけて、高山は見送りに出た母にもう一度頭を下げる。そして母の隣に立つ陽に軽く手を振って、こう言った。
「今度ちゃんとライブ見せてよ、ドラムの子にもよろしく言っといて」
「言っとくっす」
「あと、──方保田と和泉のこと、よろしくね」
「……はい!」
遠ざかる車の音が完全に聞こえなくなるまで、陽は玄関から離れなかった。

夕食と入浴を終えて、明日の授業の時間割を確認しながらリュックの中身を見る。教科書類の殆どは学校に置いてきてしまっているから、課題のプリントがきっちり入っているかどうかを確認した。
今日一日家に置き去りになっていた、ギグバッグに入ったままのギターを取り出す。ベッドの上でギターを抱えて、まだ歌詞がつく前の骨組みだけの曲を口ずさんだ。今日高山の言っていたことがぐるぐると頭の中を回って、勝手に口角が上がっていく。
左手が、別のコードを弾き始める。唇が勝手に知らない旋律を歌い出したので、急いで鞄からボイスレコーダーを取り出した。この歌が記憶と空気に紛れて溶けてしまわないうちに残しておかなければ、あまりにも勿体無い。
そうして一頻りの録音を終えたのと殆ど同時に、横に置いていた携帯が大きく震えた。液晶には初の名前が大きく表示されていて、陽は迷わず通話ボタンを押す。陽が何か言うよりも前に、初が喋り出した。
「陽、どうしよう、僕、……今、幾らでも歌詞書けそうな気がする」
「──俺も!」
日付が変わって他の家族が寝静まった後も、通話は繋いだままだった。深夜だからと気を遣ってか、小さなギターの音と内緒話のような歌が、いつまでも二人の間を往復している。
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