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一生の後悔 1

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「最悪だ……」
 ベッドに飛び込み、僕はエステファニア嬢に選んでもらったブレスレットを眺めながら独りごちた。



 最初は、嫌悪感しかなかった。

 それに、商会の顧客拡大のための結婚だった。
 エステファニア・ロルカ伯爵令嬢。貧乏暮らしの貴族令嬢だとは聞かされていたが、ギジェルミーナと無理矢理別れさせられた腹いせのように彼女に対して嫌な女だという偏見を抱いていた。
 多分、貴族だったからというのも大きいと思う。
 貴族というのは意地が悪くて、常にこちらを見下しているような態度をしていた。
 だから彼女も同じなのだと思っていた。

 しかし、式当日に彼女と会ってみると彼女からはまったくそのような気はしなくて、むしろ幸薄そうな儚い女性だった。
 前髪から少し覗く、垂れた眉が気弱そうに見えた。
 彼女の目を引く紫色の瞳に、ときめいてしまった。

 その時は想像と違って驚いただけだと片付けた。


 そして、あろうことか初夜の際にあんな愚かなことを口走ってしまったのだ。


『……君も被害者なのだとわかってはいるが、それでも……僕はまだ、心の整理がついていないんだ。だから、あまり僕に期待しないで欲しい』



 うわあああ!!やり直したいやり直したいやり直したい!


 ベッドの中、過去の黒歴史のフラッシュバックが終わるまで暴れ回った。


 僕があんなことを口走ると、彼女は少しだけ悲しそうな表情を見せた。
 それだけでなく健気にも『一緒に食事をとりたい』と言ってくれた。


 なんで僕はあんなことを言ってしまったんだ?!


 それに加えて、彼女は僕のことが好きだと言ってくれた。
 あまりに突然の事で、僕は驚きすぎて何も言えずに先に寝床へ入った。当然眠れはしなかった。


 まだ彼女は僕のことが好きだろうか。
 面と向かって好きと言われたが、彼女が尽く誘いを断るためその好意を素直に受け取ることが出来なかった。
 でも、食事の際には彼女は穴が開くほどこちらをじっと見つめてきていて、本当に、好かれているのだろうというふうに思ってしまうのだ。


 揺らいでいる。僕はギジェルミーナのことをまだ愛していると、思っていた。彼女のことが気になるのは、ただ好意を向けられて気恥ずかしいだけだと思っていた。
 でも、今日のギジェルミーナを見て僕の心は揺らぎ始めてしまった。
 ――僕と正反対の、何とも男らしい新たな恋人。


 そしてすれ違いざま、彼女はこう言った。


『私、本当は彼のような人がタイプだったの』


 僕はなんて愚かなんだろうか……。

 彼女にそういわれて、今までの愛がすべて冷めてしまったような気がする。
 そして、エステファニア――彼女に惹かれかけているような気も。


 最低だ!

 彼女から向けられた好意に乗じて彼女を好きになるなんて最低だ……。


「どうしよう……」




「入ってもいいかしら?」


 彼女の声とノックされた扉の音に、急いで乱れたベッドを整えた。
 そして何事もなかったようにソファまで移動してわざわざ座った。


「あ、ああ、どうぞ」


 どうして僕はわざわざソファに座ったんだ!?



「夕食のときもぼーっとしてたけど、大丈夫だった?」
「え?う、うん」

 開いた扉から入ってくる彼女は風呂上がりのようだった。
 下された桃色の髪が柔らかくて、歩くたびになびいて、それから目が離せそうになかった。それに、彼女の白らかな頬が火照って紅を差している。
 静かにこちらを見つめてくるアメジストのような彼女の瞳を見るたびに心臓がおかしなくらい跳ね上がる。

 

 ――もしかして?


「それで…………エリヒオ様?聞いてる?」

 急に意識が遠のいたかと思ったら、彼女の呼びかけで現実に戻された。

「ご、ごめん……ぼーっとしてた。 それで何の話?」

「ララサバル公爵様が明日の午後、いらっしゃるそうなの」

「こ、公爵!?なんでまた……」

「結婚する前、ずっと公爵様のお屋敷で働いていたの。それで、結婚祝いだと仰って……断ることもできないし。あのお方はそういうところがあるから困るわ……」


 ため息をつく彼女の様子を見て、どこか公爵と親しいような気がした。


「……昔から屋敷で働いていたの?」

「ええ、貧乏とはいえ伯爵家出身だったから、幼いころから侍女として働いていたわ。よく分かったわね」

「なんだか親しいんじゃないかって気がしたから……」

「まあ、そうね。年が近かったから、よく遊び相手になったわ」

「へえ……そっか。……じゃあ、今日は早く寝ようか」


 もやつく感情を吐露してしまいそうになるのを堪えて、そう絞り出した。
 彼女は僕の言葉を聞くとゆっくりとうなずいた。そして羽織っていたカーディガンを脱いでサイドテーブルの上に置いた。


 彼女は令嬢らしからぬ筋肉なのと言って、あまり露出したがらない。

 でも、彼女は寝るときになると羽織っていたカーディガンを脱いで、使用人たちの気遣いで用意された大胆なネグリジェ姿になる。そして居心地悪そうに眠りにつくのだ。
 張った肩の筋肉や盛り上がった腕の線が真っ白な肌と正反対にあるようだった。

 それでいてこう無防備になるのは自分の前だけなのだと思うと、先ほどまで抱えていた感情が跡形もなく消えていくようだった。
 

「おやすみ、エステファニア」


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