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星の見えない夜は、空から街の灯を
しおりを挟む「クレア・フライデイ! 貴様との婚約を破棄するッ!」
「──!!」
玉座のある位置で高らかにそう述べる、第一王子殿下。
その下の階、指名されたクレア嬢は気の毒なことに、なにも言えずに震えている。
「隊長、お止めしなくて宜しいのですか」
「止めなくていい。 だが今後、第一王子殿下がなにを言っても従うなと全員に周知させておけ」
「はっ」
陛下ご夫妻が不在の中、第一王子が勝手に決行した王宮での夜会。王宮ホールの玉座のあるフロアの扉を護りつつ、中を見ている俺は嘆息した。
(ああ、とうとうこの日が来てしまった……)
婚約が無効化すること自体は喜ばしいが、彼女の今までの苦労や今後の誹謗中傷を思うと、簡単には喜べない。
ドヤ顔で婚約破棄など宣っている第一王子殿下だが、実は婚約破棄以前にこの婚約自体が壮大な茶番。
この国では家督を継ぐのは第一子(※ただし庶子は別)と決まっており、それは王家とて例外ではない。しかし第一王子殿下に王たる資質はなく、成長してもそれを自覚する気配すら見られなかった。同じ様に育てた筈の第二王子殿下は優秀。要らぬ争いを避けるべく、第一王子に自ら舞台を降りて頂く為に宛てがわれたのが、クレア嬢である。
クレア嬢は忠臣であるフライデイ伯爵の娘で、非常に真面目な才女。そのお姿は清楚で嫋やかだが、悪く言うとお堅く地味。第一王子殿下の好みとは、対極にあるといっていいだろう。
第一王子はそれなりの年齢になると、クレア以外の娘を侍らすようになった。派手な娼婦やあざとい似非清楚令嬢と、タイプこそ定まらないがいずれも男好きする見目。そして自分を立てるのが上手い娘ばかり。
忠臣であるフライデイ伯爵はこうなる可能性も、万が一王子が更生する可能性を考えた上でも、『自分の娘が一番適当だ』と判断したらしい。
──そもそもこの計画自体、密命だ。
一部の者しか知らないし、知られてはならない。
故に真面目で嘘が苦手な彼女に、その事実を伝えることはできなかった。クレア嬢には『王妃教育で腹芸を覚えてから』計画を話す予定だったようだが、結局話されないまま。
『国家機密に関わらない範囲でしか、王妃教育を受けさせない』という決定は不幸中の幸いで、彼女が今後王家との縁に縛られることはない。この茶番劇さえ終われば、晴れて彼女は自由の身だ。
(だが……)
今の状況には胸が痛い。
俺は王国騎士団近衛部隊第二隊隊長、トリスタン・ローナン。本件に於いて承った俺の任務は『クレア嬢の護衛』だ。
酷いことは何度もあった。
王子の尻拭いや押し付けられる課題。気の強い性分ではない彼女が震えながらも苦言を呈すと、浴びせられる罵詈雑言。手を上げようとするだけでなく、「好みではない」と言って憚らないくせに、彼女に無理矢理迫り暴力的に身体を暴こうとしたことすら。
暴力行為は自ら止め、他は裏で手を回して誰かに手伝わせたりと、多少の手助けはできた。しかし本件とは直接的な関係のない、権力志向だけが強い愚かな女子や、王子に擦り寄る男子生徒からの嫌がらせや陰口はどうしようもない。
疲弊していく彼女を見るだけの日々。『私情を挟んではいけない』とは思いつつも、同時にそう思う自分自体が許せなかった。
所詮これは任務──結局俺も、彼女を駒として利用している側と思い知らされて。
いつしか俺は、努力家でひたむきな彼女に惹かれるようになっていたのだ。
だがなにかをしたくても俺にその力はなく、ただ歯噛みをするよりない。家族や親族への累が及ぶだけに非ず。
この計画……クレア嬢の肩には国の安寧がかかっていると言っても過言ではないのだから。
しかし第一王子の言い掛かりは酷い。
「清楚なフリをしているが、毎晩男達と享楽に耽っていたのは知っている!!」
やがて興が乗った様子で、高らかに彼女の冤罪をでっち上げた。自分は横にいる女の腰を抱きながら──ちなみに女も勿論、ハニートラップ要員の偽令嬢である。
「そ、そんなこと……!」
「嗚呼、なんてふしだらな女だ。 そうやってさも無垢であるかに見せ掛けて、夜な夜な男を咥えこもうとは……」
(クソッ! このど腐れ〇〇〇野郎がァァッ!!)
おもわず拳を握り締める。
衆人監視の中での婚約破棄に飽き足らず、どこまでクレア嬢を貶めれば気が済むんだ!
できることなら駆けつけ顔の形が変わるくらいの勢いでぶん殴ってやりたいというのに……今俺にできるのは、こうして心の中で奴の悪口を言うくらい。
「うふふ、殿下。 彼女のおかげでこうして一緒にいられるんですもの♡ それよりそろそろ……夜会を楽しみましょう?」
「ふっ、そうか。 そうだな」
もう充分に時間は稼ぎ、証拠も充分。だからか、ハニトラ偽令嬢がそう言って殿下の腕を引く。
あまりにクレア嬢が気の毒で、上手く気を利かせたのだろう。俺より彼女の方が、余程クレア嬢の役に立っている。
「さあ、曲を! 今日は私と新しい婚約者であるベルベットとの婚約パーティーだ!!」
王子の言葉を皮切りに、戸惑いの感じられる音で楽団員はそれぞれの楽器を鳴らし始める。哀れにも階段下で失意のまましゃがみこむクレア嬢。その横を王子が鼻で嗤いながら通り過ぎる。
俺はそんな様を、拳を握りながら悲痛な気持ちで見ている。ただ見ているだけだ。
──ああ、なんて俺は無力なんだ!
(クソクソクソクソッ……!! 何故彼女がこんな辛い目に遭わねばならんのだ!!)
近くで見守ってきた俺はクレア嬢の清らかさを知っている。皆もそれを知ってはいるだろうが、同時に王子がふしだらで傲慢でクレア嬢を疎んでいることも、皆が知っていること。彼女は何度か襲われかけ、しかもそれは王子からだけではなかった。
誰かしらが、彼女に悪意を持っている。
めでたく婚約破棄しても、彼女に向けられた悪意は下卑た好奇心から醜聞となって今後も付き纏うに違いない。そして、王子の言うような乱痴騒ぎは兎も角、彼女の処女性を証明することは最早不可能だろう。
(俺にッ! 俺に力があれば──)
強く。強くそう思った瞬間だった。
『その願い、叶えてしんぜよう……』
高いとも低いとも思える謎の声が脳内に響くと共に、俺の全身は虹色のモヤに包まれ、発光した。
俺の身に、一体なにが──?!
「──ああっ?!」
扉を開け、クレア嬢の元へ向かう俺に気付いたひとりが、驚愕に満ちた目を向けながらこちらを指差し叫んだ。
「何故こんなところにユニコーンが?!」
そ れ な 。
ええええまったくもってその通り!
返す言葉もござんせんよ!!(白目)
当人っていうか当獣である俺が一番ビックリしているが、なんと俺はユニコーンになっていたのだ。ビックリしないワケがない。
清らかな乙女にのみ懐き、清らかな乙女しか乗せないという、謎の性癖を持つ美しき一角獣・ユニコーン。これならば確かにクレア嬢の不名誉な噂を払拭できるだろう。
神様グッジョブ!
いやまあぶっちゃけると「そんな力をくれんなら、もっと前になんか違う力をくれるとかなかったんかい!」とか思わないでもないですけどね?!神様、唐突すぎない?!
でもまあグッジョブ!
兎にも角にも俺は、クレア嬢の元へ突き進んだ。優雅に虹色の光を零しながら。
「ブルル……」
唖然としている彼女に近付く。今はユニコーンなので言語でのやり取りができないのが辛い。ユニコーンったって、馬だ。それなりにデカい上に、しかも角が生えている。
(どうか怖がらないでください……俺は貴女にかけられた汚名を濯ぎたいだけなんです)
祈るような気持ちで鼻先をゆっくりと近付けると、おそるおそる彼女の小さな手が触れた。
「──……慰めてくれているの?」
ザワつく周囲。
勿論、なんで夜会にユニコーンが突如現れるんだ!超展開すぎるわ!!っていうのもあるが、当然それだけに非ず。
「え、じゃあやっぱり殿下のアレって……」
目論見通り、周囲の囁きからそんな声が漏れ聞こえている。
「くっ……クレア貴様ァ!」
それに焦った様子で、憤りながらこちらに走ってくる王子。血筋以外で誇れる唯一のイケてる面を醜く歪ませながら。
「それは幻術かなにかか?! 私の夜会をまやかしで騒がすとはなんたる不敬ッ!! そんなモノ叩き斬って……ぶべらっ!!」
ウザいので、後脚で蹴り上げた。
なにしろ今の俺はユニコーン。ユニコーンには不敬など関係ないので、遠慮は要らない。
(おやおや殿下? 『幻術』だの『まやかし』だの吐かしておられましたが、見事に吹っ飛びましたね~)
そう言う代わりにふんす、と鼻を鳴らす。
う~ん超爽快。
「でっ殿下! ……あっ?」
あんな目に合わされたのに、奴の心配をする優しいクレア嬢に、再び鼻を寄せる。
(大丈夫です、手加減はしました)
奴を蹴り殺してやりたい気持ちはあるけれど、そんなことできるならとっくに彼女を連れ去っている。俺はユニコーンにでもなれなければ、なにもできない腰抜けなのだ。
(皆の為に貴女一人に辛い思いをさせて、すみません……)
殿下の捕縛は近衛部隊第一隊隊長が指揮を執り、その後は上層部。俺の任務はあくまでも『クレア嬢の護衛』──これから彼女も事情を聞かれるだろうが、これだけ沢山の人間が王子の冤罪現場を見ているのだ。言い逃れなどできない。
もう充分だ。護衛として、今までできなかった貴女の心を守りたい。
(こんなクソみたいな夜会、逃げてしまいましょう)
彼女のふんわり膨らんだドレスの袖を軽く食み、身体を伏せ、鼻先で背中を示す。
「……乗れってことかしら?」
その言葉に頷く。
「なっなにをやっている!? 捕まえろ!!」
しかし『第一王子には従うな』と言っておいたのが功を奏し、皆動こうとしない。
背中に彼女の体温をしっかりと感じながら、俺は皆に見せ付けるように中庭へと歩く。
そして──
「きゃっ?!」
飛んだ。
自分でもビックリ。
だが本能なのか身体は使い方をきちんとわかっているようで、不思議な力が全身を衣のように包んでいるのがわかる。飛翔するのもそうだが、この力のおかげでクレア嬢が落ちることはない。
星の見えない夜の暗闇に虹色の光をキラキラと零しながら、王都の上を駆けた。
「綺麗……!」
背中から聞こえる声に満足しながら、伯爵領へと向かう。先程まで王宮にいた彼女が王都から離れることで、『ユニコーン出現』という有り得ない事態にも納得するよりないだろう。
──かくして無事に、この長期ミッションはコンプリート。
俺には現場放棄の処罰の為上司である近衛部隊総長に呼び出されていた。
まあ……幸い朝起きたら人間に戻ってたし?ユニコーンになったのに比べりゃ、そんなの些細な問題である。
「申し訳ございません……」
「まあ、お前の任務は実質終わっていたしな。 今回は減給で許してやろう……それに、気持ちもわからないではない」
「え?」
「お前、クレア嬢が好きなんだろう」
「ッ!!」
狼狽する俺に総長はくっくと笑って「お前を知る者は皆気付いている」と言う。
なんでも公私混同を避けようとして、仏頂面になるんだとか。自分では気付かんかった。
「──それだけに、我慢ならないことも多かったろう。 よく頑張ったな」
総長は羞恥に固まる俺を暫く笑っていたが、急に穏やかにそう言って、肩を叩いて労う。
「いえ……この任務につけて良かったです。 令嬢のお身体だけでも近くでお護りすることができましたから」
「そうだな……今、複雑な気持ちだろう」
彼女の気持ちを思うと辛いことは多かったが、護れて本当に良かった。今思うと役得的なこともあったが、それ以上の怒りと無力感でそれどころではなかった。
その中で優しく残っているのは彼女からの温かい労いの言葉と、ほんの僅かな間だけ交わした、いくつかの他愛ない会話。
そしてユニコーン時の、背中のぬくもり。
「──だが、全裸で走り回るという奇行はどうかと思うぞ?」
ユニコーンに変化した際、当然服は脱げたので、なんかそういうことになったらしかった。
後悔はしていないが、なにしろ『恋愛を拗らせて奇行に走る奴』である。しかも『全裸で走り回る』とか。ちょっと……いや、かなり恥ずかしい。
「しかし見つからなくて良かったなー。 まあ皆、ユニコーンに気ぃ取られてたしな。 誰かに見つかってたらお前、減給じゃ済まなかったぞ」
「…………はい、すみませんでした」
それからは少し宮廷がゴタゴタしたようだが、元々予定していたこと。
第一王子殿下とクレア・フライデイ伯爵令嬢の婚約は破棄でも解消でもなく、第一王子殿下が病に倒れたことにより無効となった。いずれ、病死扱いになることを意味するのだろう。
任務を任された当初、俺が聞いていたのは『断種の上廃嫡』だった。どのタイミングで変わったのかは知らない。
ポジションに適当な駒として任務を任されていただけの俺がそのあたりの諸々を詳しく知らされることもなく、日々は概ね淡々と過ぎていった。
「──隊長は求婚しないんですか?」
「は?」
「だからクレア嬢にですよ。 元々才女ですし、伯爵家。しかも最近は清楚に見えて影で遊んでいる子も多いって聞く中、間違いなく処女と証明されましたからね。 縁談の申し込みがひっきりなしだそうですよ」
「そうか……」
クレア嬢が傷つくようなことがなくなったなら、ユニコーンになったかいがあった。そう思う反面、そんなことに彼女の本当の価値はないのにと思う気持ちもある。
「あの方なら当然のことだ。 ……俺じゃ釣り合わんよ」
そしてほんの僅かに、彼女に疵瑕がついたなら……自分にも可能性があったのでは、という気持ちも。
(愚かだな)
ちょっと状況がよくなると余計なことを考える……人間とは実に愚かだ。
奇跡的にも神に願いが届き、なにかの気紛れにせよ、叶えてくれた。だがそれがユニコーンに変化させただけだというのも、おそらくそういうところなのだろう。
「隊長だって、その歳で栄えある近衛部隊長に抜擢されたエリートじゃないですか」
「あの方は名家フライデイ家の、王妃教育まで受けた才媛だ。 話にならんさ。 さあ仕事仕事!」
そう言って俺は、その話を打ち切った。
幸せになってくれればそれでいい。
──そう思っていたのだが。
「トリスタン、いいかね?」
「総長。 何か御用でしょうか」
わざわざこちらに来るとは珍しいなと思いつつ席から立ち上がると、総長はニヤリと笑って言う。
「その才媛が、お前に会いにきている」
「ええ?! どっどどどうし……うわ?!」
あまりの動揺に踏み出そうとした足は縺れ、そのまま転げてしまった。
「ははっ落ち着け、第三応接室だ」
「はっはい……!」
走って着いた、第三応接室。扉を開けると緊張した面持ちで座る彼女がいた。
「トリスタン様……!」
会うなり安堵したように顔を綻ばせたクレア嬢を見て、『釣り合わない』だとか現実的な懸念は俺の思考から追い出されていた。ただ気持ちが溢れ出しそうになるのを、ぐっと堪える。
──俺はこの時のことを、今でも後悔している。
領地にいた彼女がわざわざ王都の俺のところに来た理由は、今までの礼と……告白のためだったのだ。なんと、『護ってもらっているうちに恋心が生まれていた』のだとか。
俺に勇気がないあまりに、ただでさえ控え目な彼女に言わせてしまったことは、一生の汚点である。(※惚気)
「辛い役回りをさせた娘にはせめて、好きな相手を選ぶ自由を」という伯爵夫妻の意向もあって、俺とクレア嬢の婚約はあっさり決まった。
そして皆から祝福された結婚式を経て、幸せな夜を越え、迎えた眩しい朝──
ベッドの中でまだ恥ずかしそうにしている初々しい妻が、突如俺の後ろへと移動し、背中を撫でた。
「ク、クレアッ?!」
「……ねぇ、トリスタン様。 あの時のユニコーン、貴方だったのでしょう?」
「!」
護衛をしていた時。暴漢に襲われ逃げる際に彼女の靴のヒールが折れてしまい、俺に背負われたことがあったのだと言う。
物陰に避難させ、輩を倒したあとで彼女を背負ったことは俺も覚えている。まだ潜伏している可能性を考慮すると、横抱きよりも背負った方がいい……ぐらいの判断だったと思うが。
「あの時の背中とユニコーンの背中に同じモノを感じたのです──コレを見て、やはりそうだったんだと」
ツツツと背中から首筋を伝う、クレアの細い指の感触。
俺には首の下あたりに蝶のような痣がある。
ユニコーンの背に乗ったときに、似たような痣があったことで確信を抱いたらしい。
「よく……わかったね? 俺だって今も信じられないというのに」
「ふふ、この背中に護られ恋に落ちたのですもの」
そう言って痣に唇を落とし「そのお話を聞かせてくださらない?」とせがむ新妻。
あの時俺の身に起きた不思議な体験を彼女に話して聞かせるのが、諸事情により数時間後になってしまったのは言うまでもない。
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