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愚王
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アリエットは、馬鹿な女だ。俺が生涯に出会った人間の中で、アイツは極めつけの馬鹿だった。
アイツに初めて会ったのは、俺が6歳のときだ。たくさん居る侍女の中の1人で、目立つ存在では無かった。しかし、ほとんどの者が王太子である俺に取り入ろうとしてくるのに、アイツは特にそんな様子を見せなかった。ただ、自分の仕事を生真面目にコツコツとやっていた。
それが珍しくて声をかけると、アイツは嬉しそうに笑った。
――笑った。
どいつもこいつも、自分の利得のみを考えて生きている王宮にあって、あれほど邪気の無い笑顔を浮かべることが出来るのは、己の本心を完璧に隠せる者か、単なる馬鹿か、そのどちらかだけだろう。
そしてアイツは、単なる馬鹿だった。
父が、北方民族の捕虜になった。俺の周りにむらがり、しきりにおべっかを使っていた連中は、あっという間に姿を消してしまった。当然だ。俺は今でも王太子の地位にあるが、それは北方民族が、捕らえている父を生かしているからに他ならない。
北方民族が父のケンダルを殺したら、俺も王太子の地位から下ろされ、それだけで無く、命も危うい状況になるのは確実だ。その際は、周辺に居る者たちも巻き添えを食ってしまう。叔父上の手によって、俺と一緒に殺されるかもしれない。
いや。父の現在の事情とは関係なく、その気になれば、いつでも叔父上は俺の命を容易に奪える。賢い者なら、俺のもとから去る。それが正しい選択だ。
現に祖母も母も、俺から離れた。2人は俺の肉親である前に、政治家なのだ。
たった1人、俺のところに留まっているヤツが居る。
アリエットだ。アリエットは俺を抱きしめながら「いつまでも、お側に居ます」と言った。本当に馬鹿な女だ。
父が、北方民族のもとから帰ってきた。奸臣どもは父を担ぎ上げ、叔父上を殺した。父が不在の間、叔父上は必死になって王国を支えていたのに。
愚かな父とは違い、叔父上は、よこしまな臣下の言葉に惑わされはしなかった。父のように操れない叔父上に、悪臣どもは不満を募らせていたのだろう。そこに都合よく、父が北方民族の捕虜の立場から解放され、戻ってきた。
叔父上は甘い。真剣に王国を建て直す気があるのなら、悪臣を1人残らず、皆殺しにするべきだったのだ。
まぁ、その叔父上の甘さのおかげで、俺は生き延びることが出来たといえるわけだが。
俺が16歳になった、その年。
父が死んだ。長々と生きられては王国が腐敗するばかりなので、手遅れにならないうちに、上手いこと暗殺しようと思っていたのだが……呆気なく病死してくれた。余計な手間が省けて、得をした。
俺は王に即位して、アリエットを王妃にした。
アリエットを王妃にするのに、母も祖母も王族も貴族たち臣下も大反対したが、知ったことか。俺が不遇なときに、側から離れなかったのはアリエットのみだろう? ――この事実を突きつけると皆、黙り込む。おもしろい。
どうやら、俺がアリエットだけを信頼し、愛していると……そんな風に考えているようだ。
違う。
別に俺はアリエットを愛していない。けれど、あの馬鹿な女――アリエットを、存分に利用させてもらう。
アリエットは下級貴族の出で、罪人の娘だ。孤独な身だ。
これまでの王国では、王妃となった者の親族が権勢を振るい、害毒を流してきた。外戚の災いを未然に防ぐには、アリエットを王妃にするのが最適なのだ。
なにせ、アイツには家族も親族も居ないからな。
俺は、アリエットを王妃とすることを随分と前から考えていた。なので、アイツに求婚する男が現れないように、綿密に手配してきた。
アリエットは一応、美人だ。外面的には、俺の信頼も得ている。あれだけの年月、1人の求婚者も登場しないことを、アイツは不思議に思わなかったのか? 鈍すぎる。
アリエット、お前はもう28歳だ。ここで、俺と結婚しなかったら……分かるな? だから、王妃になれ。
年齢の差など、関係ない。
身分の違いなど、関係ない。
今までの境遇など、関係ない。
言いたいヤツには、言わせておけ。
お前が鬱陶しく感じるのなら、ソイツらの口を物理的に閉じさせる。俺は、王様だぞ?
アリエットが、王妃になった。
これで正真正銘、アリエットは俺のものだ。
アリエットが王妃になって、3ヶ月後。
絶対に許せぬことが起こった。
エレーヌという小娘……といっても俺と同じ歳だが、その女がアリエットを侮辱した。それのみか、エレーヌの実家のスリチフ家は、アリエットの暗殺を企てた。
アリエットが死んだあとに、エレーヌを俺の王妃にする計画だったらしい。
ふざけるな!
アリエット以外の王妃など、俺には必要ない。
ふん。ちょうど、良い。王の権威を示すために、ここらで大貴族をひとつ、潰したいと思っていたところだ。
スリチフ家を、叩きつぶした。エレーヌも死刑にするつもりだったが、アリエットが助命を嘆願してきたため、修道院行きで済ましてやった。一生を、そこで過ごすと良い。
アリエットのお人好しぶりは、困ったものだが……それが、アリエットだからな。仕方ない。
3人の男を見つけた。いずれも非常に有能な男で、家臣として重用したい。ところが、3人ともに身分が低い。そこで、この3人は〝アリエットの縁戚である〟ということにした。
まるっきりの嘘だ。
しかし。
高位の貴族でない者を重臣にしようとすると、王宮の全ての者が反対するのに「この者たちは、王妃の親族だ」と言えば、皆が納得する。
くだらない因習だ。遠からず改革する。けれど今は、利用させてもらう。
アリエットは、自分の遠縁の者が現れたことに喜んでいた。思考が単純すぎるような気もするが……アイツが喜んでいると、俺も嬉しい。
取り立てた3人の男のうち――
1人は将軍に任じて、北方民族を討たせた。国内の反乱も平定させた。
1人は財務担当の大臣に任じて、内政を整備させ、財政を再建させた。
1人は秘密警察の長官に任じて、汚職官吏の粛清を遂行させた。相手が王族であろうと貴族であろうと、容赦しないように命じた。
3人はそれぞれ、申し分のない仕事ぶりを見せた。加えて3人には「王妃に献身するように。お前らの地位があるのは、王妃のおかげであることを忘れるな」と言っておいた。
王妃であるとはいえ、アリエットの立場は必ずしも堅固ではない。この3人が味方につけば、アリエットの将来は安泰だ。
あと、アリエット。
お前は、もう少し身を飾れ。王妃になって、なんで昔の貧乏性が直っていないんだ。「妃が贅沢するのは良くありません。質素倹約こそ、正しい道です」って、お前は馬鹿か。ああ、馬鹿だった。
王室の威光を曇らせないために、ある程度の贅沢はするべきなのだ。下手に貴族どもに侮られては、それが反逆の芽になりかねない。
王国各地の工芸品や特産物を人々に紹介して、中央と地方を結びつけるのも、王妃の大切な役目だ。
……美しく着飾ったアリエットを見たいという気持ちも、嘘では無いが。
俺が王になって、4年後。
アリエットが、男児を生んだ。母子ともに健康であることに、安堵した。アリエットが出産によって身体を悪くするような事態になるくらいなら、子供は居なくても良いと思っていた。いざとなれば、王族の1人を養子にするつもりであったが……俺とアリエットの子供が王国を継ぐのなら、それはそれで満足いく未来ではある。
出産のあと、アリエットは俺の顔を眺めて「フレデリック……私は、貴方を愛しています」と言った。
馬鹿な女だ。そんなこと、今更に気付いたのか。俺は当然、知っていたぞ。
20年、経って――
アリエットが、俺を裏切った。
俺より、先に死んだ。お前は、52歳だろう? まだまだ長生きしなくて、どうする? 昔、この王宮で俺とお前が2人きりだったときに「いつまでも、お側に居ます。決して離れません」と告げたくせに。あの言葉を、俺は一瞬たりとも忘れたことは無かった。なのに俺より先に死ぬとは。ひどい裏切りだ。
それに、最期になんだ? 「すぐには再婚しないで」だと?
本当に……本当に、馬鹿な女だ。俺が、お前以外の女を妻に……ましてや、王妃にするはずなど無いだろう? 今になって、まだ、そんな事も分からないのか?
お前は、本当に……本当に……。
…………疲れた。とても、疲れた。
王になって24年。懸命に『国王』をやって来た。
父が崩壊させかけた王国を、建て直すために……国の外の敵を討ち、内の反乱を鎮め、貴族の横暴を取り締まり、父の代の奸臣どもを次々に処罰した。民の税を軽減し、地方の産業を振興し、外国との交易にも力を入れ……どうして、俺はこれほど励んでいたのだろう?
もしかして俺は、アリエットに良いところを見せたかったのか? それだけのために?
アイツは、俺より12歳上だった。ときどき〝姉気取り〟な風を吹かせて、それに腹が立った。アイツが褒めてくれると、自分がこの世で最も偉大な男になった気がした。アイツに喜んで欲しかった。楽しい暮らしをさせたかった。
アイツが王妃である以上、この国を滅ぼすわけにはいかなかった。
…………ここらで、休むとするか。もう、この国から俺が居なくなっても良いよな?
俺は、充分に働いた。幸いローガンは、賢いヤツだ。やや厳格さが足りない点は気になるが……王国の統治に必要な荒事は、だいたい俺が片づけておいたからな。
次代の王には、むしろアイツの穏健さのほうが、資質として相応しいだろう。俺が死んでも大丈夫だ。
アリエット。俺は再婚はしない。そんな時間はない。もとより、そんなことをする気もない。
すぐに、俺はお前を追いかけるぞ。あの世の入り口で、待っていてくれ。
待っていなくても、構わない。必ず捕まえるから。
「決して離れません」と、お前は俺に約束したよな?
♢
ナテン王国の歴史において『愚劣な国王と悪辣な王妃』として知られるフレデリックとアリエットであるが、2人の評価は、現在では変わってきている。
フレデリックは過酷な政治を行ったが、その対象となった者は主に大貴族たちであり、貴族から没収した土地や財産を庶民に分け与えるなど、民衆にとっては善政といえる側面も少なくなかった。
外征の成功や反乱の鎮圧など、軍事面でも優れた業績を上げている
フレデリックの生涯を総合的に見れば、前王ケンダルの暴政によって傾きかけた王国を再建した『名君』とさえ言える。
では、何故フレデリックの後世における評判がこれほど悪いのか?
1つはフレデリックが軍を差し向けて討伐した北方民族が、フレデリックが没してから約150年後、ナテン王国に代わる新王国を中原の地に建てたことにある。
新王国はナテン王国の事跡を集め、記録を整理して、歴史書『正統ナテン王国史』を編纂した。しかし、その歴史書において、新王国の先祖である北方民族を苦しめたフレデリックは、ことさらに悪く書かれることになってしまった。
またフレデリックは、庶民には寛容で、貴族には厳しい政治を行った。当時の知識人の多くは貴族階級の出身であったため、彼らの間でのフレデリックの評価はどうしても低くなり、それも「フレデリックは愚王である」という結論が出るのに影響したと思われる。
そして愚王が寵愛した王妃は、当然「悪女」で無くてはならない。
フレデリックが12歳も年上のアリエット以外の女性を側に寄せなかったのは「アリエットが、嫉妬深かったためである。低い身分の出身である彼女は、品性も劣っていたのだ」と特に根拠もなく主張され、それが信じられてきた。
実際のところ「フレデリックは異性について、アリエットにしか関心がなかった」というのが、もっとも可能性が高い推論である。
歴史の真実とは、ときに呆れるほど簡単なものなのだ。
おそらく……アリエットはフレデリックにとって良き妻であり、ローガンにとって良き母であった。
ただ「アリエットは賢妃である。とても優れた女性だった」との意見に対しては「それは、逆に過大評価である。アリエットはごく普通の、平凡な女性だった」との反論もなされている。
ナテン王国7代目の王ケンダル。
ケンダルの子で、8代目の王フレデリック。
フレデリックの子で、9代目の王ローガン。
ケンダルとフレデリックという2人の愚王によって衰えかけたナテン王国を、ローガンという1人の名君が復興させたのか。
ケンダルという1人の愚王によって衰えかけたナテン王国を、フレデリックとローガンという2人の名君が復興させたのか。
歴史の議論は、いまだ続いている。
しかしながらフレデリックとアリエットについては「愚王と悪妃である」という従来の説においても、「名君と賢妃である」という新しい説においても、「2人の夫婦仲は終生、良好であった」という論に、まったく変わりは無い。
「フレデリックとアリエットが深く愛し合っていたことは、間違いの無い事実である」――それは、古今の学者の一致した見解となっている。
ー了ー
アイツに初めて会ったのは、俺が6歳のときだ。たくさん居る侍女の中の1人で、目立つ存在では無かった。しかし、ほとんどの者が王太子である俺に取り入ろうとしてくるのに、アイツは特にそんな様子を見せなかった。ただ、自分の仕事を生真面目にコツコツとやっていた。
それが珍しくて声をかけると、アイツは嬉しそうに笑った。
――笑った。
どいつもこいつも、自分の利得のみを考えて生きている王宮にあって、あれほど邪気の無い笑顔を浮かべることが出来るのは、己の本心を完璧に隠せる者か、単なる馬鹿か、そのどちらかだけだろう。
そしてアイツは、単なる馬鹿だった。
父が、北方民族の捕虜になった。俺の周りにむらがり、しきりにおべっかを使っていた連中は、あっという間に姿を消してしまった。当然だ。俺は今でも王太子の地位にあるが、それは北方民族が、捕らえている父を生かしているからに他ならない。
北方民族が父のケンダルを殺したら、俺も王太子の地位から下ろされ、それだけで無く、命も危うい状況になるのは確実だ。その際は、周辺に居る者たちも巻き添えを食ってしまう。叔父上の手によって、俺と一緒に殺されるかもしれない。
いや。父の現在の事情とは関係なく、その気になれば、いつでも叔父上は俺の命を容易に奪える。賢い者なら、俺のもとから去る。それが正しい選択だ。
現に祖母も母も、俺から離れた。2人は俺の肉親である前に、政治家なのだ。
たった1人、俺のところに留まっているヤツが居る。
アリエットだ。アリエットは俺を抱きしめながら「いつまでも、お側に居ます」と言った。本当に馬鹿な女だ。
父が、北方民族のもとから帰ってきた。奸臣どもは父を担ぎ上げ、叔父上を殺した。父が不在の間、叔父上は必死になって王国を支えていたのに。
愚かな父とは違い、叔父上は、よこしまな臣下の言葉に惑わされはしなかった。父のように操れない叔父上に、悪臣どもは不満を募らせていたのだろう。そこに都合よく、父が北方民族の捕虜の立場から解放され、戻ってきた。
叔父上は甘い。真剣に王国を建て直す気があるのなら、悪臣を1人残らず、皆殺しにするべきだったのだ。
まぁ、その叔父上の甘さのおかげで、俺は生き延びることが出来たといえるわけだが。
俺が16歳になった、その年。
父が死んだ。長々と生きられては王国が腐敗するばかりなので、手遅れにならないうちに、上手いこと暗殺しようと思っていたのだが……呆気なく病死してくれた。余計な手間が省けて、得をした。
俺は王に即位して、アリエットを王妃にした。
アリエットを王妃にするのに、母も祖母も王族も貴族たち臣下も大反対したが、知ったことか。俺が不遇なときに、側から離れなかったのはアリエットのみだろう? ――この事実を突きつけると皆、黙り込む。おもしろい。
どうやら、俺がアリエットだけを信頼し、愛していると……そんな風に考えているようだ。
違う。
別に俺はアリエットを愛していない。けれど、あの馬鹿な女――アリエットを、存分に利用させてもらう。
アリエットは下級貴族の出で、罪人の娘だ。孤独な身だ。
これまでの王国では、王妃となった者の親族が権勢を振るい、害毒を流してきた。外戚の災いを未然に防ぐには、アリエットを王妃にするのが最適なのだ。
なにせ、アイツには家族も親族も居ないからな。
俺は、アリエットを王妃とすることを随分と前から考えていた。なので、アイツに求婚する男が現れないように、綿密に手配してきた。
アリエットは一応、美人だ。外面的には、俺の信頼も得ている。あれだけの年月、1人の求婚者も登場しないことを、アイツは不思議に思わなかったのか? 鈍すぎる。
アリエット、お前はもう28歳だ。ここで、俺と結婚しなかったら……分かるな? だから、王妃になれ。
年齢の差など、関係ない。
身分の違いなど、関係ない。
今までの境遇など、関係ない。
言いたいヤツには、言わせておけ。
お前が鬱陶しく感じるのなら、ソイツらの口を物理的に閉じさせる。俺は、王様だぞ?
アリエットが、王妃になった。
これで正真正銘、アリエットは俺のものだ。
アリエットが王妃になって、3ヶ月後。
絶対に許せぬことが起こった。
エレーヌという小娘……といっても俺と同じ歳だが、その女がアリエットを侮辱した。それのみか、エレーヌの実家のスリチフ家は、アリエットの暗殺を企てた。
アリエットが死んだあとに、エレーヌを俺の王妃にする計画だったらしい。
ふざけるな!
アリエット以外の王妃など、俺には必要ない。
ふん。ちょうど、良い。王の権威を示すために、ここらで大貴族をひとつ、潰したいと思っていたところだ。
スリチフ家を、叩きつぶした。エレーヌも死刑にするつもりだったが、アリエットが助命を嘆願してきたため、修道院行きで済ましてやった。一生を、そこで過ごすと良い。
アリエットのお人好しぶりは、困ったものだが……それが、アリエットだからな。仕方ない。
3人の男を見つけた。いずれも非常に有能な男で、家臣として重用したい。ところが、3人ともに身分が低い。そこで、この3人は〝アリエットの縁戚である〟ということにした。
まるっきりの嘘だ。
しかし。
高位の貴族でない者を重臣にしようとすると、王宮の全ての者が反対するのに「この者たちは、王妃の親族だ」と言えば、皆が納得する。
くだらない因習だ。遠からず改革する。けれど今は、利用させてもらう。
アリエットは、自分の遠縁の者が現れたことに喜んでいた。思考が単純すぎるような気もするが……アイツが喜んでいると、俺も嬉しい。
取り立てた3人の男のうち――
1人は将軍に任じて、北方民族を討たせた。国内の反乱も平定させた。
1人は財務担当の大臣に任じて、内政を整備させ、財政を再建させた。
1人は秘密警察の長官に任じて、汚職官吏の粛清を遂行させた。相手が王族であろうと貴族であろうと、容赦しないように命じた。
3人はそれぞれ、申し分のない仕事ぶりを見せた。加えて3人には「王妃に献身するように。お前らの地位があるのは、王妃のおかげであることを忘れるな」と言っておいた。
王妃であるとはいえ、アリエットの立場は必ずしも堅固ではない。この3人が味方につけば、アリエットの将来は安泰だ。
あと、アリエット。
お前は、もう少し身を飾れ。王妃になって、なんで昔の貧乏性が直っていないんだ。「妃が贅沢するのは良くありません。質素倹約こそ、正しい道です」って、お前は馬鹿か。ああ、馬鹿だった。
王室の威光を曇らせないために、ある程度の贅沢はするべきなのだ。下手に貴族どもに侮られては、それが反逆の芽になりかねない。
王国各地の工芸品や特産物を人々に紹介して、中央と地方を結びつけるのも、王妃の大切な役目だ。
……美しく着飾ったアリエットを見たいという気持ちも、嘘では無いが。
俺が王になって、4年後。
アリエットが、男児を生んだ。母子ともに健康であることに、安堵した。アリエットが出産によって身体を悪くするような事態になるくらいなら、子供は居なくても良いと思っていた。いざとなれば、王族の1人を養子にするつもりであったが……俺とアリエットの子供が王国を継ぐのなら、それはそれで満足いく未来ではある。
出産のあと、アリエットは俺の顔を眺めて「フレデリック……私は、貴方を愛しています」と言った。
馬鹿な女だ。そんなこと、今更に気付いたのか。俺は当然、知っていたぞ。
20年、経って――
アリエットが、俺を裏切った。
俺より、先に死んだ。お前は、52歳だろう? まだまだ長生きしなくて、どうする? 昔、この王宮で俺とお前が2人きりだったときに「いつまでも、お側に居ます。決して離れません」と告げたくせに。あの言葉を、俺は一瞬たりとも忘れたことは無かった。なのに俺より先に死ぬとは。ひどい裏切りだ。
それに、最期になんだ? 「すぐには再婚しないで」だと?
本当に……本当に、馬鹿な女だ。俺が、お前以外の女を妻に……ましてや、王妃にするはずなど無いだろう? 今になって、まだ、そんな事も分からないのか?
お前は、本当に……本当に……。
…………疲れた。とても、疲れた。
王になって24年。懸命に『国王』をやって来た。
父が崩壊させかけた王国を、建て直すために……国の外の敵を討ち、内の反乱を鎮め、貴族の横暴を取り締まり、父の代の奸臣どもを次々に処罰した。民の税を軽減し、地方の産業を振興し、外国との交易にも力を入れ……どうして、俺はこれほど励んでいたのだろう?
もしかして俺は、アリエットに良いところを見せたかったのか? それだけのために?
アイツは、俺より12歳上だった。ときどき〝姉気取り〟な風を吹かせて、それに腹が立った。アイツが褒めてくれると、自分がこの世で最も偉大な男になった気がした。アイツに喜んで欲しかった。楽しい暮らしをさせたかった。
アイツが王妃である以上、この国を滅ぼすわけにはいかなかった。
…………ここらで、休むとするか。もう、この国から俺が居なくなっても良いよな?
俺は、充分に働いた。幸いローガンは、賢いヤツだ。やや厳格さが足りない点は気になるが……王国の統治に必要な荒事は、だいたい俺が片づけておいたからな。
次代の王には、むしろアイツの穏健さのほうが、資質として相応しいだろう。俺が死んでも大丈夫だ。
アリエット。俺は再婚はしない。そんな時間はない。もとより、そんなことをする気もない。
すぐに、俺はお前を追いかけるぞ。あの世の入り口で、待っていてくれ。
待っていなくても、構わない。必ず捕まえるから。
「決して離れません」と、お前は俺に約束したよな?
♢
ナテン王国の歴史において『愚劣な国王と悪辣な王妃』として知られるフレデリックとアリエットであるが、2人の評価は、現在では変わってきている。
フレデリックは過酷な政治を行ったが、その対象となった者は主に大貴族たちであり、貴族から没収した土地や財産を庶民に分け与えるなど、民衆にとっては善政といえる側面も少なくなかった。
外征の成功や反乱の鎮圧など、軍事面でも優れた業績を上げている
フレデリックの生涯を総合的に見れば、前王ケンダルの暴政によって傾きかけた王国を再建した『名君』とさえ言える。
では、何故フレデリックの後世における評判がこれほど悪いのか?
1つはフレデリックが軍を差し向けて討伐した北方民族が、フレデリックが没してから約150年後、ナテン王国に代わる新王国を中原の地に建てたことにある。
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またフレデリックは、庶民には寛容で、貴族には厳しい政治を行った。当時の知識人の多くは貴族階級の出身であったため、彼らの間でのフレデリックの評価はどうしても低くなり、それも「フレデリックは愚王である」という結論が出るのに影響したと思われる。
そして愚王が寵愛した王妃は、当然「悪女」で無くてはならない。
フレデリックが12歳も年上のアリエット以外の女性を側に寄せなかったのは「アリエットが、嫉妬深かったためである。低い身分の出身である彼女は、品性も劣っていたのだ」と特に根拠もなく主張され、それが信じられてきた。
実際のところ「フレデリックは異性について、アリエットにしか関心がなかった」というのが、もっとも可能性が高い推論である。
歴史の真実とは、ときに呆れるほど簡単なものなのだ。
おそらく……アリエットはフレデリックにとって良き妻であり、ローガンにとって良き母であった。
ただ「アリエットは賢妃である。とても優れた女性だった」との意見に対しては「それは、逆に過大評価である。アリエットはごく普通の、平凡な女性だった」との反論もなされている。
ナテン王国7代目の王ケンダル。
ケンダルの子で、8代目の王フレデリック。
フレデリックの子で、9代目の王ローガン。
ケンダルとフレデリックという2人の愚王によって衰えかけたナテン王国を、ローガンという1人の名君が復興させたのか。
ケンダルという1人の愚王によって衰えかけたナテン王国を、フレデリックとローガンという2人の名君が復興させたのか。
歴史の議論は、いまだ続いている。
しかしながらフレデリックとアリエットについては「愚王と悪妃である」という従来の説においても、「名君と賢妃である」という新しい説においても、「2人の夫婦仲は終生、良好であった」という論に、まったく変わりは無い。
「フレデリックとアリエットが深く愛し合っていたことは、間違いの無い事実である」――それは、古今の学者の一致した見解となっている。
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