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※御一門・親族衆……「国主の血統から分かれたり、婚姻によって結びついた」家の者が、これに当たります。戦国大名の家臣団の中では最上位の階級です。武田氏の御一門衆には、穴山氏・一条氏・海野氏・葛山氏・木曾氏などが居ます。
※信玄と義信の対立……甲斐の武田家と駿河の今川家はもともと同盟関係にあり、義信の妻は今川義元の娘でした。しかし永禄3(1560)年の桶狭間の戦いによって今川義元が討ち死にすると、信玄は弱体化した今川家を滅ぼして駿河を併呑することを狙います。あくまで今川との同盟維持を主張する義信は、信玄の方針に反発。両者の対立は深まり、ついに破局を迎えました。
※信勝の出生と信玄の遺言……武田信勝の父は勝頼、その母は織田信長の養女(実の姪)です。信勝の出生時、武田家と織田家は友好関係にありました。信玄が遺言で『武田の家督は信勝へ譲る。信勝が16歳になるまでは勝頼が陣代(主君の代理)を務めよ』と述べたのは、本来は諏訪家の人間と目されていた勝頼が武田家の家督を直接相続することに対して御一門衆や譜代の家臣たちから抵抗があり、それに配慮せざるを得なかった結果なのではないかと考えられています。
※武田家のその後……梅雪死後、彼の嫡男である勝千代が武田信治となり、跡を継ぎます。けれど、信治も天正15(1587)年に16歳の若さで病没。武田の名跡が途絶えるのを惜しんだ家康は自身の五男である万千代を武田信吉として家を継承させますが、信吉も慶長8(1603)年に21歳で死去。ここに、戦国武田家は断絶しました。但し、信玄の次男である信親の子の系統などが、江戸幕府の高家・旗本となって家を存続させています。
※穴山信君の妻……信君(梅雪)の妻は、信玄の次女です。『見性院』という名が伝わっており、彼女の母は信玄の正室である三条夫人でした。嫡男の勝千代(武田信治)を生み、信治の亡き後は武田信吉(家康の五男)の養母となりました。更に後年、徳川幕府2代将軍秀忠の四男である幸松の養育をも行います。幸松は成長し、名君として知られる会津藩主保科正之になりました。
※信玄と義信の対立……甲斐の武田家と駿河の今川家はもともと同盟関係にあり、義信の妻は今川義元の娘でした。しかし永禄3(1560)年の桶狭間の戦いによって今川義元が討ち死にすると、信玄は弱体化した今川家を滅ぼして駿河を併呑することを狙います。あくまで今川との同盟維持を主張する義信は、信玄の方針に反発。両者の対立は深まり、ついに破局を迎えました。
※信勝の出生と信玄の遺言……武田信勝の父は勝頼、その母は織田信長の養女(実の姪)です。信勝の出生時、武田家と織田家は友好関係にありました。信玄が遺言で『武田の家督は信勝へ譲る。信勝が16歳になるまでは勝頼が陣代(主君の代理)を務めよ』と述べたのは、本来は諏訪家の人間と目されていた勝頼が武田家の家督を直接相続することに対して御一門衆や譜代の家臣たちから抵抗があり、それに配慮せざるを得なかった結果なのではないかと考えられています。
※武田家のその後……梅雪死後、彼の嫡男である勝千代が武田信治となり、跡を継ぎます。けれど、信治も天正15(1587)年に16歳の若さで病没。武田の名跡が途絶えるのを惜しんだ家康は自身の五男である万千代を武田信吉として家を継承させますが、信吉も慶長8(1603)年に21歳で死去。ここに、戦国武田家は断絶しました。但し、信玄の次男である信親の子の系統などが、江戸幕府の高家・旗本となって家を存続させています。
※穴山信君の妻……信君(梅雪)の妻は、信玄の次女です。『見性院』という名が伝わっており、彼女の母は信玄の正室である三条夫人でした。嫡男の勝千代(武田信治)を生み、信治の亡き後は武田信吉(家康の五男)の養母となりました。更に後年、徳川幕府2代将軍秀忠の四男である幸松の養育をも行います。幸松は成長し、名君として知られる会津藩主保科正之になりました。
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大林和正様
感想をありがとうございます!
穴山梅雪(信君)については……どうしても武田滅亡時の振る舞いと、その最期で、後世の評価が決定してしまったような印象があります。でも彼にも、彼なりの行動理由があって、複雑な心情を抱えていたに違いありませんよね。
個人的には、穴山梅雪のような〝歴史的にそこそこ知名度はあるが、超メジャーな人物(武田信玄や徳川家康など)では無い〟タイプが、好きだったりします(笑)。
「面白かった」と仰ってもらえて、嬉しいです!
本作をご覧くださり、心より御礼申し上げます。