二人静

幻夜

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二十二、

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 (わざわざ人通りの無いところへ行くかな)
 旅籠の前を通り過ぎ、雑踏から逸れて。道端の木々の闇に入ってゆく土方の背を見て、斎藤は数十歩後ろから尾行しながら溜息をついた。
 (危険すぎる)
 もし伊東一派が土方暗殺の機会を狙っているとすれば。
 いつどこで襲われるかも分からないというのに。なにをわざわざ人目の無いところへ行くことがあるのだろう。

 ”今、伊東には事を起こす必要があるとは思えない”
 胸に去来する不安と同時に、沖田が言った言葉もまた思い起こされる。
 ・・・本当に沖田の言ったように、土方はべつに伊東一派に狙われてはおらず。全く心配は無いのだとしても。
 (いや、どちらにしても危険だ)
 関所を抜けた先で。人の賑わう歓楽街から外れた場所が。
 (そんな宿場外れの界隈が、どんな場所か副長はご存知ないのか)
 「副長・・!」
 茂みの中へと入るなり斎藤は、見失わぬように土方を呼び止めた。
 振り返った土方は、だが立ち止まらずどんどん闇の向こうへと進んでゆく。
   (っ・・一体なにを考えて・・・)
 膝の高さまでは優にある雑草の中を斎藤はもがくようにして、前へと進んだ。
 土方の脚力に追いつくのが精一杯で、距離は全く縮まらず。むしろ奥へ奥へと入ってゆく土方の後ろ姿が、深い闇に溶け込んでゆく。
 ついには斎藤の視界から消えてしまった。 
 (副長・・っ)
 脚に絡みつく草から懸命に逃れ、漸う進んで暫く、
 (え?)
 突然、
 斎藤の目の前で視界が開けた。

 月の無い闇、
 織りなす幽かな影をまとうように、土方が佇んでいた。
 サンッ・・
 (・・?)
 ほんの、僅かに耳に届いた音に。
 斎藤は愕然と、足下の闇を見つめた。
 潮の匂いも起きない無風の空間で。空との境界、海の果てがどこまでなのか知ることができない闇が広がり。
 (まさか、こんなところに入り江があったとは・・)
 遠くからは闇一色で全く分からなかった。
 今ここにきて微かに聞こえだす波音が、だが確かに此処に海があることを教え。

 土方は斎藤が隣に来ても振り返ることなく、松に凭れかかっていた。
 松を挟んだ隣へと斎藤は移動した。
 「・・・」
 ぞっとするほど静かな海が、手を置いた松の木のせり出す崖下にそびえ。
 吸い込まれてゆきそうな感に、斎藤は思わず身を引いて数歩下がった。

 「ここに総司と来たことがある」

 「・・・」
 不意に囁くように吐かれた言葉が。
 一瞬を置いて。斎藤の奥へと落ちていった。
 (沖田と・・)
 「・・そうですか」
 「何も無かった。あのころは、っこんな・・」
 (え?)
 土方の声が。突然小さく震えて、
 驚いて斎藤は松の向こう側の土方を闇に凝視した。そこに影でしか見えない姿が、
 「そうじ・・」
 静かに、
 崩れるように。啜り上げたのを聞いた。
 「・・何・・で、」

 (・・・副長?)
 震える声の帯びる擦れが、
 「何で・・なっちま・・」
 弱く毀れて。小さく、確かな嗚咽を含んだ。
 (泣いて、いる・・・?)
 がさっと、影が落ち。
 「・・・」
 しゃがみこんだきり黙した土方を、戸惑って松の向こうに見下ろした斎藤へ、
 「いつかの、」
 喉から搾り出すようなか細い声が。暫くして、届いた。
 「いつかの夜は・・すまなかった」
 息を呑んだ斎藤の、
 見守る先で。土方がふらりと再び立ち上がり。
 「帰ろう」
 と小さく呟いた時には、土方はもう歩き出していた。

 脚に纏わりつく草の間を二人黙々とぬってゆく。
 土方が沖田の名を呼びながら泣いたことに、斎藤は戸惑っていた。
 ますます分からなくなってゆくばかり。
 (いったい、どうなってる)
 旅先で沖田が恋しいから、昔ともに来た場所で感慨にふけたのか、だが、
 (とてもそんな感じでは・・)
 恋しくて泣いたとしても今京への帰路をゆく以上、あんなに痛みを曝け出すように泣くだろうか。
 それに、僅かに漏れ聞いた言葉、
 『何で・・なっちま・・』
 ”何で、なっちまったんだ”
 (と、言ったに違いない)
 打ちひしがれるような悲痛な声で。
 (あれはどういう意味なんだ)
 何に、なったというのか。
 
 「・・・そういえば、」
 不意に土方が、振り返った。
 「俺が日野に帰っていた間、伊東についていてくれたことの礼を・・言ってなかったな」
 振り返った声が、まだ少し擦れていた。
 「おまえのことを非常に有能な男だと伊東が褒めていた。・・正直驚いた。あの短時期によく伊東の信頼を得たもんだ」
 「私はべつに・・ただついてまわっていただけです」
 「・・・」
 闇一色で見えないはずの土方の表情が、ふと微笑ったような気がした。
 「よくやってくれた、ご苦労だった」
 無言でぺこりと頭を下げた斎藤に、土方は再び背を向けて歩き出し。
 あとは始終、会話の無いまま二人は闇をあとにした。

 (副長・・)
 貴方は何故あんなに愛されているのに。
 (あれほどに、想い詰めるのか)

 目の前に旅籠の明かりが見えてくる。
 人々の喧騒を再び耳にし始めながら。
 斎藤の胸裏でその疑問は、出口を得ずに、
 再び彷徨いはじめていた。
      
  




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