二人静

幻夜

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十六、

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 ざわついた人ごみの中を大の男が三人、旅装姿で歩むさまは人目を引いた。
 三人は時折言葉を交わすだけであとは黙々と歩む。
 其々が胸中に抱えているものの重みが、只こうして歩むだけでも空気となって、三人の周囲を漂っているようだった。
 自然、道行く人も怯えた目でそっと見やっては、触らぬ祟りなしと避けてゆく。
 大津を抜けるまでは、当分この人ごみのなかをこんな調子で避けられ避けられしつつ、つき進むことになるだろうと斎藤は嘆息した。


 ここをあと少しも行けば大津だ。
 山南がそれ以上越さなかった、その地。

 (・・・山南さん)
 山南は自らその地に留まり、追っ手として駆けつけた沖田を出迎えたという。

 「・・・」
 斎藤は前をゆく伊東を見やった。

 山南を嵌め、陥れた張本人。

 (どんな面で大津を渡るのか)

 「そろそろ大津ですな」
 斎藤の心の声をまるで聞いたかのように、不意に振り返った伊東はそんな言葉を口にした。


 ・・・斎藤は眉をひそめていた。
 (何を考えてる?)
 「今の時期、大津はじつに爽やかで心地いいでしょう」
 機嫌よく土方に話し始めた伊東に、斎藤は異質なものを見るような心地がした。

 (こんな気味の悪さは、どっかの誰かと似てる)
 斎藤は、ふっと息をついた。
 こんなことをその誰かである沖田本人に言ったら、怒るだろうか。
 ・・いや、哂うだろう。
 斎藤はぼんやりと沖田の影を脳裏に映して、再び溜息をついた。
 (第一、沖田が稽古以外で声を荒げたところなど、見たことも無い)
 酷い短気を見せるのは常に稽古の時だけだ。
 あとはいつも掴み所の無い笑みを浮かべて。
 たまに心の底から笑った笑顔が陽だまりのようだから、かろうじて釣り合いがとれるだけで。
 (そう考えてみると本当に気味が悪い男だ)
 斎藤は何度目かの嘆息をついた。

 「これだけ天気が良いと、大津では素晴らしい景色が拝めるでしょうな」
 斎藤の前では、伊東が口先で言葉を並べて土方へ話を振っている。
 「・・・」
 斎藤の斜め前をゆく土方の表情はこちらからは見えない。
 だが、いい表情をしていないことは確かだろう。

 (確かに、沖田は来なくて正解だったな)
 斎藤はぽつり思った。
 これだけ無神経な台詞を並べられては、沖田でなくても堪ったものではない。
 (・・いや、)
 逆だ。
 と、斎藤は考えかけたものを、つと裏返した。
 (この状況で平気を装えるのは、むしろ奴しか居ないじゃないか)
 殺気さえ、隠しおおす。
 浅く笑みをはりつけ、そのくせその眼はちっとも笑っておらず。
 何をその眼の奥に想うのか、少しも気取らせぬ男。

 あの眼の闇に、吸いこまれてゆく。
 もう何度も、そんな錯覚に呑まれた。


 「気持ちのいい風が吹きますな。これは間違えなく、ここまで流れてきた大津の風でしょうな」

 伊東のごたくを耳に流しながら。

 まだ山南が生きていた頃の。
 記憶の底から抜けることのない、あの夜をふと思い起こした。
 思い起こすだけで背筋が凍るような。
 
 あの夜。
 沖田とふたり、襲撃した店から逃げ出した残党を路地に追っていった。

 残党は民家に逃げ込み、その家の人間を人質にとった。
 『おまえたちに所詮逃げ場は無い。諦めておとなしく縄にかかれ』
 刀の切っ先を敵へ据えたまま、斎藤は告げ。
 一歩あゆみ出した時、敵は牽制に、人質の喉元へと刀を突きつけた。
 『あと少しでも近づいてみろ・・!こいつの命は無い!』
 刀を突きつけられた者は悲鳴をあげ。
 構わず斎藤はなおも歩み寄った。
 『もう一度言う。おまえたちに逃げ場は無い。こっちが生かして捕らえてやると言っているうちに聞いておけ』

 『その者の命、奪いたければ奪え』
 背後で不意に、沖田の声がした。

 (・・・何だって?)
 唖然として斎藤が振り返った時、
 沖田が横へ、音もなく歩み寄った。
 『そのかわり、代償におまえたちの命をもらう。・・ただでは死なせてやらぬ。 数刻かけて爪先からゆっくり苦しんで死ぬようにしむけてやろう』


 『・・・・』
 淵の底から這い上がるような、悪寒をおぼえた。

 おもわず沖田を横に見上げて凝視した斎藤を、沖田のほうは一瞬ちらりと見て返した。

 その眼に。
 斎藤は刹那、言葉を忘れ。
 (・・・沖・・)
 『どちらを選ぶ。その者を解放して縄につくか、その者を殺して苦痛の内に死ぬか・・』
 抑揚をもたぬ声が、低く闇に落ち。
 『お、脅しになど乗らぬ!!近寄るなと言っているだろう!!』
 『・・・・』
 影のような沖田の姿が、ゆっくりと歩んでゆく。
 戸惑いと恐怖に歪められた男たちの顔が、薄闇に揺れ。
 静かに微笑を浮かべ、すうと眼を細めた沖田の。
 その横顔を見とめた時、斎藤は咄嗟に叫んでいた。

 『脅しでないのが分からぬのか、愚か者どもがっ!早く刀を捨てろ、死にたいのか?!』

 迷いの内を彷徨っていた男たちは斎藤のその一喝に、次々と押されるように刀を落とした。



 もしも、
 あの時。斎藤が彼らを促していなければ。
(沖田はあのまま、遂行しただろうか・・・)

 ”数刻かけて、爪先から、ゆっくり苦しんで死ぬようにしむけてやろう”

 ・・あの男の内に淀むものを知りたい。
 あれは狂気が言わせた言葉か。
 (分からぬ。それとも単に、俺はあの男を誤解しただけかもしれぬ)
 本当に、ただの脅しであった、だけなのかもしれない。
 (だが・・)
 あの時、沖田が一瞬見せた眼は。
 今なお思い起こすだけで、斎藤の体の芯を凍りつかせる。


・・・・

 斎藤は今一度、目の前の伊東を見やった。
 適当な相槌しか返さない土方に諦めたのか、伊東は前へ向き直って歩んでいる。

 生暖かい風が、一陣、
 三人を忌み嫌うようにして流れ去っていった。
  




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