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見つけた(佳澄視点)

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『マイ・バレンタイン』と副題のついた女性誌の表紙撮影。「はい……はい……いいよ、いいですよ~、こっち目線下さい、恋人に向けるような甘い視線で!」佳澄は前を開けた白のニットカーディガンにボクサーパンツ一枚でベッドから視線を投げた。
「わ、いいよ。色っぽい。……衣装チェンジで。部屋、移動しまーす」
 カメラマンの一声で佳澄の傍に集まってくるヘアメイク。少し喉が渇いた。佳澄は入口近くで待機しているマネージャーに視線を送ったが、彼はスマートフォン片手に誰かと話し込んでいるようだった。
「ごめんごめん。はい、お水」
「スケジュールの変更ですか?」
「ううん。ひまりが前に受けてたオーデ、合格だって。早く報告してあげないと……」
 ひまり……。佳澄が首をひねる前に「紹介したじゃない。『アクトレス・ナイト』の主役に決まった大型新人だって。川中ひまりだよ。佳澄は本当に他人に興味ないなあ」と茶々が入る。佳澄は真っ赤なハイネックのニットに袖を通しながら「興味ないっすね、基本」と素っ気なく返した。
 とはいえ、『アクトレス・ナイト』自体は知っている。新進気鋭の演出家・窪塚司が絡んでいる舞台だ。
「次も舞台?」
「そう。窪塚さんに気に入られたんじゃないかな。オーデも直々にお誘いの電話くださったし。次も窪塚作品だよ。ひまりやるなあ~」
「そうなの?なんて舞台?」
「『エイト、アタマのナカのファイブ』」
 エレベーターに乗って撮影現場を移動。十二階のコンクリートむき出しの部屋。その中央に一つだけ椅子が置かれている。巻いた髪を無造作にほぐされ、赤いニットにデニム姿で椅子に腰掛ける佳澄。
 他人のことなど構っていられない。毎日『エリザベート』の舞台稽古のことで頭がいっぱいだ。間宮と犬飼、それぞれのトートと探り合いながらたった二十分程の出番に神経をごっそりと持っていかれる……。次の舞台稽古は一週間後。佳澄の中ではすでにカウントダウンが始まっている。
 奔放な母であるエリザベートからの愛を十分に受けられず、孤独な日々を送るルドルフ。佳澄にも似たような覚えがある。感情移入は簡単だったが、二人のトートとのかけ合いがこんなにも難しいとは……。絢爛豪華な衣装を纏っただけでは、感情を乗せるだけでは、二人のトートに見合うルドルフにはなれない……。
「お疲れ、佳澄」
 舞台稽古の小休憩中。柱に背を預けている佳澄の傍へトートもとい犬飼がやって来る。足元まで裾の広がったジャケットを羽織り人懐こい笑みを浮かべる犬飼。佳澄は知っている。この人のよさそうな紳士もひとたび舞台に登ると豹変してしまう役者であることを……。
 このトートは一体なぜ今まで他の役を演じていたのか。そう思えるほど光る演技をする犬飼。安定した演技の間宮とは違い、その場の雰囲気や相手の反応を受けてフレキシブルに芝居が変わる。佳澄の苦手なタイプだ。
「トートはお前のトートがあったのに。ルドルフにはそういうのが無いな。……どうして?」
 いきなり直球ど真ん中の問い。佳澄は思わず笑ってしまった。
「ルドルフが俺に似すぎてるからですかね」
 母親と離され、父親とはいつしか敵対する関係になってしまったルドルフ。それは役というよりも、自分だ。佳澄は視線を泳がせた。
「似すぎてる、か。なるほどな」
 面を上げればそこには五月晴れのような笑顔。けれどその瞳は、ぎらぎらしている。
「ルドルフは生き急いでいるよな。なぜだと思う?」
「それは……父親との確執から……彼の背には常に死の影があったから……だと」
「俺のルドルフを観たことは?」
「勿論あります」
 犬飼は沈黙し、口元にだけ笑みを浮かべ直した。
「俺はね。ルドルフは最後まで皇太子として生きたと思うよ。トートの操り人形だとか、繊細で揺れやすいとか、色々言われるが。俺はね、ルドルフを焼いたのは自身の志の高さだと思ってる。……ルドルフは強い。自分で自分を崖の際まで追い詰めてその気高さ故に死を選んだ」
 佳澄は言葉を失う。犬飼はもう、笑ってはいなかった。
「お前は器用な芝居をするよな。けれど『エリザベート』でそれは通じない。周防佳澄を捨てろ。周防佳澄で舞台に登るな。全身全霊でお前のルドルフを演じろ。ルドルフは、全力で生き、全力で死んだ。……代わりならいくらでもいる。ここは本気のヤツ以外いらない場所なんだよ」
 温厚でムードメーカーの犬飼が眉間に皺を刻んで稽古場を出て行く。
「佳澄」
 肩を叩かれて振り向けば、そこには間宮がいた。
「あいつにああまで言わせる若手は佳澄くらいだよ。お前に期待してるんだ。お前のトート、素晴らしかったからね。私も嫉妬したよ。自分が佳澄くらいの頃、こんな風に演れただろうか?って。……だからこそだ。欲張りな大人ばかりですまないな」
 間宮の宥めるような声音に佳澄は眉を歪ませた。本来の間宮は稽古の途中に後輩に声をかけてくるような役者ではない。
「間宮さんが俺を気にしてくれるのは……俺が所属事務所の社長の息子だからですか?それとも、死んだ恋人に横恋慕していた男だからですか?」
 間宮の瞳が見開かれ、その口元から白い歯が薄く覗く。佳澄はすぐに後悔した。俺、間宮さんに当たってる……。
ずっと羨ましかった。俳優として父に認められている間宮が、廣田を独り占めしていた間宮が。芝居が上手くいかないのも、母が家を出たのも、俳優として生きようとする自分を父が認めてくれないのも、全部自分のせいなのに、俺は――。
「……ふ」
 間宮が微笑む気配。佳澄は面を上げるた。
「お前に随分と買い被られているようだな、私は……」
 間宮は寂しく笑っていた。佳澄だって、ずっと間宮の背中を見てきた。その背に負われた孤独を知らないわけではない。
「私は作品の為なら、芝居の為なら、何だってする男だよ」
 芝居に全てを捧げた間宮は、常に「間宮倫太郎」を演じている。そんな彼を見ていると、佳澄は時折うすら寒くなる。本当の間宮はどこにいるのだろうかと――。
「私がお前を気にするのは、ただ作品を良くしたいからだ。優秀な役者で固めた舞台で存分に役を演じたいからだよ。……私をがっかりさせないで。君こそが、ルドルフだ」
 佳澄はその言葉に俯いた。「すみません、間宮さん、俺、」言いかけたところで佳澄の額へ間宮の人差し指が押し当てられ、前を向かされてしまう。佳澄の視線の先には余裕のある笑みを浮かべたいつもの間宮倫太郎。
「まあでも、廣田君にそっくりなヒューマノイドを贈ったのには、お前の言うような下心もあったかもしれない」
 思い切り眉を顰めると、間宮は声を立てて笑った。
「どういう神経してるんですか、間宮さん……」
「あははっ。パーティーでは仲睦まじい二人が見られて嬉しかったよ。ああやって動いているとあんまりにも廣田君にそっくりなものだから、棺桶から出て来たのかって思ってしまったよね」
 佳澄はヒロを思い浮かべた。ヒロと廣田は確かに似ている、けれどそれは造形の話で……。
「全然似てないですよ」
 思わず拗ねたような声になる。突然に姿を消したヒロ。ありとあらゆる媒体に顔を出しているというのに一年経っても二年経っても何の音沙汰もない。大人らしくその事実を受け止めた気でいたが、理由の分からない三年縛りに業が煮え始める。どこでなにやってんだ、俺のヒロは!
「生意気で負けず嫌いで、言うこと聞かないし主人を振り回すし、勝手にいなくなって連絡の一つも寄こさないし……。全然似てないです、廣田さんとあいつは」
 捲し立てれば、間宮はポカンとしてしまった。けれど次の瞬間には、その表情は綻んでいた。
「いなくなっちゃったのか、あの子。……うーん。それだったら、私がもう一体同じものを贈ろうか?」
 このひとは全てを知っているのではないだろうか。佳澄は眉間に皺を寄せたが、それも長くは続かなかった。
「いや。あいつが帰って来た時にうるさく詰られたらたまんないんで。俺はあれでいいです。十分です」
 なぜか満足そうに頷く間宮。佳澄はむず痒くなって間宮に頭を下げ熱くなる頬を隠した。
「喝入れてもらって、ありがとうございます。ルドルフのこと、もっとよく考えてみます」
 間宮にも犬飼にもルドルフ役の経験がある。思いもひとしおだろう。ルドルフ役はトート役への登竜門のような存在で、「ここで上手く演じられればトートが……」という気になっていたことは否定出来ない。
 俺、中途半端だ。
 佳澄は気が付くと俯いてしまう面を上げて、ミネラルウォーターをあおった。
 舞台稽古を上がってから、事務所でまだ観ていない『エリザベート』の過去作品を漁っていたところに川中ひまりがやってくる。タブレットで検索をかけていたマネージャーは顔を上げた。
「あれ。ひまり。どうしたの?アーカイブに来るなんて珍しい」
「聞いてください!今日、エイトの顔合わせがあったんですけど……」
 エイトとは、『エイト、アタマのナカのファイブ』のことだろう。川中はマネージャーの後ろにいる佳澄に気が付いて「お疲れ様です」と頭を下げた。
「アクナイでは主役だったし……、それなりに出来たと思うんです。でも顔合わせに行ってみたら、窪塚さんは嫌悪役の俳優にべったりで……」
「嫌悪役?誰だっけ?」
「佐藤美広って役者です。確かに……演技はそこそこ上手くて……。私、お気に入り落選しちゃったんだって分からされた気分で、むしゃくしゃしてここに」
「ああ、なるほど。過去作品観て勉強ね。お気に入りに返り咲けるといいね」
「その人、廣田一成さんにそっくりで。窪塚さんって廣田さんのファンじゃないですか。さすがの私も顔で採ったのかなって一瞬疑いましたよ。……しかも、この作品の主人公の英人を演じるのが」
「ちょっと待って」
 廣田一成にそっくり?
 佳澄は思わず川中の肩を掴んだ。
「その人、口元に黒子あった?」
 川中は瞳をぱちくりさせながら「ありましたけど……、廣田さんと同じ位置に……」と答えた。
「年は?いくつくらい?」
「え……分からないです……二十前半?後半?……分からないです」
「芸名、芸名なんだっけ、さっき言ってた……」
「佐藤美広」
「事務所には入ってる?どこ、入ってるの?」
「ええと……なんだっけ……モリプロとか言ってたような……」
 佐藤美広。
 モリプロダクションならウェブからでも所属タレントの一覧が確認出来る。佳澄は棚にあった『エリザベート』のディスクを手当たり次第に取ってからアーカイブ室を飛び出した。
 車内でスマートフォンを取り出す。モリプロダクションのウェブページを開いて五十音順で検索をかける。「さ」……「さとう」……。
「ヒロ」
 二センチ四方の画像。「佐藤美広」の左側についたバストアップ画像を親指と人差し指で拡大する。ぎこちない笑みを浮かべた彼が、そこにいた。
 ヒロ。ヒロだ。
 佳澄の指が震えた。
 ヒロは役者だったんだ。
 思わず笑みがこぼれる。
 いつからか分からない。けれどヒロは自分と同じ役者だった。佳澄の胸が熱く、苦しい程に逸っていく。混乱しかける頭を慌てて整理する。ヒロは佐藤美広という芸名でこの世界に存在していて、役者をしている。冬には舞台が決まっていて、嫌悪役で出演……。
 ヒロはきっと、俺が『エリザベート』に出ることも、ルドルフを演じることも、知っている。
 それは自惚れでなく確信だった。俺の演技を、ヒロがどこかで観ている。
 少なからずしょげていた心に光が差す。ヒロに中途半端な演技を観られるなんて考えただけで……!
「マスター、カッコ悪い」「ルドルフどころかトートなんて百年早いですよ」「間宮さんはやっぱり僕の最愛です…」佳澄の頭の中ではヒロがトートの間宮に腕を絡ませてうっとりしている。
 膨らむ妄想に佳澄は青筋を立てた。そう簡単にヒロの視線を奪われてなるものか。必ず自分のルドルフを掴んで、演ってみせる。その声は聞こえないかもしれない、けれど必ず「マスターはすごい」と言わせてみせる。
 佳澄はエンジンをかけた。世界のどこかにヒロが居る。ヒロはどこかから自分を観ている。そう思うだけで背筋が伸びて視界が広がった。
「俺も頑張んないと」
 佳澄は道の先を見つめて呟いた。
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