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蜂蜜色の山羊
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一度肌を重ねることを許されると、俺は毎日のように彼を求めるようになった。奏多は俺の誘いを断らない代わりに表情を曇らせる。その表情を熱のあるものにしたくて、俺はもっと深くもっと長くと彼を求めた。
「先生、光子さんのところに行きたいです」
「……昨日も行ったろう」
「昨日は行ってません、だから今日は光子さんの顔が見たいです、着替えだって持って行かなきゃ」
「一昨日に持って行ったばかりじゃないか」
「花の水だって変えなきゃ、涎をこぼしていたらどうするんです、髪だって絡まっていたらかわいそうだ、光子さんに外の空気を吸わせてあげたい」
俺と裸で繋がっているというのに、彼は頭を振り立てて涙をこぼした。ああ、光子はずるい。けれど光子もこんな俺と彼を見たら「ずるいのはリョウ君の方だよ」と俺を睨むだろう。
「分かった、分かったよ。この後に二人で行こう。それでいい?」
「先生、本当ですか?この前も、そう言って、ずっと……」
「あの時はすまなかった。約束は守るよ。だからほら、俺の背に腕を回して……」
俺は嘘を吐いた。抱き潰してどこにも行けなくしてやろうと考えていた。……けれどそんなことをしたら嫌われてしまうかもしれない。この家に来なくなって、一人であの病室に通うようになってしまうかもしれない。なぜなら、ペンを置いた俺はこの子の憧れる吾妻リョウではないからだ。
「光子さん!」
二日離れていただけなのに、奏多は光子の傍に走り寄った。織姫と彦星のような二人を酸素マスクが隔てる。
「あ、瞼が、瞼が動きましたよ。僕と先生が来たって分かるのかな。ねえ、先生……」
さっきまで俺に抱かれていたくせに、よくそんなことが言えるな。
俺はむかむかしながら彼と光子の傍に寄り、「早く目が覚めるといいのにね」と微笑んで返した。ほんの一瞬、奏多の瞳が陰る。その一瞬を、俺は眼差しで貪り尽くす。
「光子さんが目覚めたら、三人であの珈琲を飲みたいです」
「光子は怒るかもしれないな。こんなの珈琲への冒涜だって」
「ふふ。でも僕、あの珈琲がいいんです」
俺たちは光子の前で互いに本音を覆って、けれど嘘は吐かない。光子の病室に訪れた後にはいつも、深く長い交わりが待っている。俺も奏多も無心に互いを求める。もしかしたら俺たちは不安なのかもしれなかった。愛する女の不在に耐えられず傷を舐め合っているだけなのかもしれなかった。
自室の机にはあの日のままペンが転がっている。再来月どころではない。その次の月も休載しなければならなくなるだろう。
俺はベッドの上でこと切れたようになった奏多を抱き寄せた。行為を重ねるごとに、行為自体でなく、寝息を立てている彼が俺の腕の中に居る時間の方を愛しく思うようになった。
この子も光子のようになってしまえばいいのに。何気なく恐ろしいことを思いついては身震いする日々。こんなの正気じゃない。俺だって分かっている。
ずっとこのままではいられないだろう、何かの力が働いて俺を阻んでくれるだろうとそう思っていた。でも、俺を止めるものはこの家の中に何もない。漫画さえも、彼の肌に触れようとする俺の手を止められない。
『先生、進捗状況だけでもご一報頂けると助かるのですが……』
「うん、そうだね、一頁も進んでない」
『一頁も……下書きもですか?』
担当の声音がひらりと表裏を変える。
『編集長からは吾妻先生が描けなくなるなんてよほどのことだからきっちり休ませるようにと言われてるんです、が……。休載は二か月というのを前提で僕たちの間では話していて……』
「ああ、山崎さん?編集長になっても気を遣わせちゃってるね、申し訳ない」
コミックエフの編集長である山崎はブレイブ時代からの付き合いだ。物腰が柔らかく仕事の出来る男だが漫画家の扱いは手荒い。原稿第一主義の男だからこそ、こんな俺と馬が合ったのだ。編集長の山崎と看板作家の俺との間で板挟みになるなんて、この担当はどれだけ不幸なのだろうか。
『先生、お忙しいとは思うのですが、下書きが出来たら一度取りにお伺いしてもよろしいですか?』
「スキャンして送るよ」
『一度、先生の顔を見てお話し出来ればと思うんです、奥様のお見舞いにも行けずじまいですし……』
「いいよ。来なくて。来てくれても彼女は眠っているだけだから」
『先生』
「君は俺の小間使いじゃなく編集者だ。他にも抱えている漫画家がいるだろう。俺は構わないからそちらに気を遣ってあげて」
拒絶に次ぐ拒絶に担当の声はどんどん固くなった。『ではまた、折を見て連絡させて頂きます。下書きは……こちらに送らなくても構いませんので』最後はこちらが拒絶された形で通話が途切れた。
「せんせい……」
自室のドアを開けるとすぐそこに箒を抱いた奏多が佇んでいた。
担当との会話を聞かれたか。皺の寄っていく眉間を隠したくて額に手を当てる。固定電話で話していればどれだけよかっただろう。
「……いいんだよ。十八から仕事で漫画を描き続けてきて、たったそれだけの人生だったんだ。いま少し休みたいだけだ、誰が俺を責められる?」
開いたままのドアから真っ白の原稿用紙を見られたことに気が付き、頭がかっと熱くなる。こんなとき光子だったらどう俺を叱咤するだろう。「これだけ恵まれた漫画家がどこにいるの。我儘を言ってないで描きなさい」とでも言って俺の頭をぴしゃんと叩くのだろうか。
「俺はもう読者の為には描いてないんだよ。俺自身の為に、傍に居てくれる光子の為に描いていたんだ。漫画を描く理由の半分がなくなった。ここで止めたって俺の変わりはいくらでもいる。……あのショッピングモールの本屋の平台も、すぐ他の作品に変わるさ」
捨て鉢に言えば、彼はまんまるの瞳を瞬かせた。そして俺を真っ直ぐに見据え、頭を横に振る。静かな動作だったのに、はっきりとした拒絶がそこに現れていた。
「光子さんは、眠っているだけじゃない」
俺は勘違いをしていた。光子が迎え入れた奏多を俺が愛したように、彼もまた光子の夫としての篠田航大を愛した。奏多は光子を愛している。心から、根っから。
彼がしていたのは、光子の居場所を整える為の作業の一つだったのかもしれない。そう思うと、俺は崖の切っ先に立たされたような心地になった。
「先生、光子さんのことを忘れないで。光子さんは先生を愛してるんです」
奏多は俺の胸に両手をつき、胸の内を確かめるようにドンと叩いた。俺は彼の両手を取り上げて「忘れられるわけがないだろう」と声を荒げた。ただ丸いばかりだった彼の瞳が苦しげに歪む。
「先生、僕にはもう、分かりません」
堰を切ったように涙を流し、奏多は俺に手首を掴まれたまま頭を振り立てた。
「僕は光子さんのことを愛してる。光子さんが愛したあなたの居る場所を守りたくてこうしていたはずなのに、今はもう……!」
奏多が何を言いたいのか、俺には分かった。「奏多、もういい」俺から逃れようとする身体を引き寄せ抱きすくめる。
「いや!……こんなのいや!僕、あなたに……先生に出会う前の自分に戻りたい。漫画を読んで、光子さんの話を聞いて、あなたに憧れているだけだった自分に戻りたい。あの頃の僕は、光子さんのこともあなたのことも、ちゃんと正しく愛せていたのに!」
俺たちは仕事部屋になだれ込み、何も引いていない床にもつれ合うようにして転がった。
「あの頃の僕だったら、漫画を描かなくなったあなたを、違う気持ちで見つめられたかもしれない。……でも今は。もう、僕は……」
揉み合い、奏多は俺の腹の上に乗り上げて襟元を揺すった。ぱたぱたと大粒の涙が俺の胸に散る。
「あなたに光子さんを忘れて欲しくない。光子さんを愛していてほしい。なのに、僕は、それと同じくらい、あなたに光子さんを、忘れて欲しい……」
「……奏多」
「僕は光子さんを愛しているのに!光子さんに愛されたこの身体であなたに抱かれると、違う自分になっていくようで怖い。光子さんは最初から僕をあなたに捧げるつもりだったんでしょうか?……こんな今でさえ、僕はあなたに抱かれたいと思ってる。あなたは、光子さんは、どうして僕をこんなにも浅ましくするの?」
夫婦の間で供物のように扱われる自分に耐えられず、奏多は声を上げて泣いた。俺は彼に両腕を伸ばし、抱き寄せる。
「漫画を描いていても、いなくても、僕は、あなたを、」
言葉は途中で途切れた。光子のことが頭を過ったのだろう、奏多は口を噤み、俺はその唇に口づけた。
俺たちは、光子の不在には耐えられない。なのに、互いを愛してしまった。
ありのままの今の自分を誰かに愛される喜び。奏多は、ペンを置いた俺を前と同じように、もしかしたらそれ以上に愛した。
吾妻リョウが俺を離れると、俺は一気に心細くなる。母体を離れ一人浮遊しているような気分になる。奏多はそんな俺を両手で包み込んだ。観音様のような、あの柔らかく白い両手で。
「君が浅ましければ、人間なんて、一人残らず浅ましいよ」
フローリングの床の上に彼の全てを暴き、白い胸の上に俺は吐き捨てた。「君が浅ましいなんて、そんなことは絶対にない」律動の最中に囁けば、奏多は俺から顔を背け悲しげに瞼を下ろした。その瞬間に、俺は彼が求めているものに思い至った。彼も俺と同じものを欲している。
「君がたとえ浅ましくても、そんな君を、俺は突き放さない。浅ましい君を、受け入れるよ。そのままの君を、今までのように、俺の傍に置くよ」
奏多の瞳に立ち込めていた霧が音も立てずに晴れていく。彼の瞳は次第に潤み、先ほどまでの感情とは別の感情を漲らせた。
「こうだいさん、もっと……」
心と共に身体が開かれる。奏多は足を開き俺を迎え最奥まで飲み込んだ。
「本当ですか、本当に、浅ましい僕でも、汚い僕でも、あなたの傍に、居られますか」
「君は汚くなんかない。……でも君がそう思うのなら、汚い君も、綺麗な君も、同じように抱きしめるよ」
「航大さん、僕、汚いんです。本当は、あなたに一日中こうしてほしいと思ってる。身体も心も全てあなたに汚して欲しいと思ってる。光子さんの前では、綺麗な僕でいたいのに。僕は光子さんを愛しているのに。……あなただって、光子さんを、愛しているのに。あなたは決して僕のものにはならないのに!」
最奥を突いて、思いのままに迸りを注ぐ。奏多の額に浮かんだ光の玉が、つるりと板間に落ちた。汗とも涙とも分からないそれを、俺は心から愛おしく思った。自身を浅ましいと思える君が、誰よりも綺麗だ。俺以外には決して、汚させない。
俺たちは仮眠用の薄い敷布団に身を寄せ合い、深い眠りについた。腕の中にある温もりが胸にちょうどきっかりと収まって、二つが一塊になる。もうこの子を泣かせるようなことはしない。俺は心から、そう誓った。
「先生、光子さんのところに行きたいです」
「……昨日も行ったろう」
「昨日は行ってません、だから今日は光子さんの顔が見たいです、着替えだって持って行かなきゃ」
「一昨日に持って行ったばかりじゃないか」
「花の水だって変えなきゃ、涎をこぼしていたらどうするんです、髪だって絡まっていたらかわいそうだ、光子さんに外の空気を吸わせてあげたい」
俺と裸で繋がっているというのに、彼は頭を振り立てて涙をこぼした。ああ、光子はずるい。けれど光子もこんな俺と彼を見たら「ずるいのはリョウ君の方だよ」と俺を睨むだろう。
「分かった、分かったよ。この後に二人で行こう。それでいい?」
「先生、本当ですか?この前も、そう言って、ずっと……」
「あの時はすまなかった。約束は守るよ。だからほら、俺の背に腕を回して……」
俺は嘘を吐いた。抱き潰してどこにも行けなくしてやろうと考えていた。……けれどそんなことをしたら嫌われてしまうかもしれない。この家に来なくなって、一人であの病室に通うようになってしまうかもしれない。なぜなら、ペンを置いた俺はこの子の憧れる吾妻リョウではないからだ。
「光子さん!」
二日離れていただけなのに、奏多は光子の傍に走り寄った。織姫と彦星のような二人を酸素マスクが隔てる。
「あ、瞼が、瞼が動きましたよ。僕と先生が来たって分かるのかな。ねえ、先生……」
さっきまで俺に抱かれていたくせに、よくそんなことが言えるな。
俺はむかむかしながら彼と光子の傍に寄り、「早く目が覚めるといいのにね」と微笑んで返した。ほんの一瞬、奏多の瞳が陰る。その一瞬を、俺は眼差しで貪り尽くす。
「光子さんが目覚めたら、三人であの珈琲を飲みたいです」
「光子は怒るかもしれないな。こんなの珈琲への冒涜だって」
「ふふ。でも僕、あの珈琲がいいんです」
俺たちは光子の前で互いに本音を覆って、けれど嘘は吐かない。光子の病室に訪れた後にはいつも、深く長い交わりが待っている。俺も奏多も無心に互いを求める。もしかしたら俺たちは不安なのかもしれなかった。愛する女の不在に耐えられず傷を舐め合っているだけなのかもしれなかった。
自室の机にはあの日のままペンが転がっている。再来月どころではない。その次の月も休載しなければならなくなるだろう。
俺はベッドの上でこと切れたようになった奏多を抱き寄せた。行為を重ねるごとに、行為自体でなく、寝息を立てている彼が俺の腕の中に居る時間の方を愛しく思うようになった。
この子も光子のようになってしまえばいいのに。何気なく恐ろしいことを思いついては身震いする日々。こんなの正気じゃない。俺だって分かっている。
ずっとこのままではいられないだろう、何かの力が働いて俺を阻んでくれるだろうとそう思っていた。でも、俺を止めるものはこの家の中に何もない。漫画さえも、彼の肌に触れようとする俺の手を止められない。
『先生、進捗状況だけでもご一報頂けると助かるのですが……』
「うん、そうだね、一頁も進んでない」
『一頁も……下書きもですか?』
担当の声音がひらりと表裏を変える。
『編集長からは吾妻先生が描けなくなるなんてよほどのことだからきっちり休ませるようにと言われてるんです、が……。休載は二か月というのを前提で僕たちの間では話していて……』
「ああ、山崎さん?編集長になっても気を遣わせちゃってるね、申し訳ない」
コミックエフの編集長である山崎はブレイブ時代からの付き合いだ。物腰が柔らかく仕事の出来る男だが漫画家の扱いは手荒い。原稿第一主義の男だからこそ、こんな俺と馬が合ったのだ。編集長の山崎と看板作家の俺との間で板挟みになるなんて、この担当はどれだけ不幸なのだろうか。
『先生、お忙しいとは思うのですが、下書きが出来たら一度取りにお伺いしてもよろしいですか?』
「スキャンして送るよ」
『一度、先生の顔を見てお話し出来ればと思うんです、奥様のお見舞いにも行けずじまいですし……』
「いいよ。来なくて。来てくれても彼女は眠っているだけだから」
『先生』
「君は俺の小間使いじゃなく編集者だ。他にも抱えている漫画家がいるだろう。俺は構わないからそちらに気を遣ってあげて」
拒絶に次ぐ拒絶に担当の声はどんどん固くなった。『ではまた、折を見て連絡させて頂きます。下書きは……こちらに送らなくても構いませんので』最後はこちらが拒絶された形で通話が途切れた。
「せんせい……」
自室のドアを開けるとすぐそこに箒を抱いた奏多が佇んでいた。
担当との会話を聞かれたか。皺の寄っていく眉間を隠したくて額に手を当てる。固定電話で話していればどれだけよかっただろう。
「……いいんだよ。十八から仕事で漫画を描き続けてきて、たったそれだけの人生だったんだ。いま少し休みたいだけだ、誰が俺を責められる?」
開いたままのドアから真っ白の原稿用紙を見られたことに気が付き、頭がかっと熱くなる。こんなとき光子だったらどう俺を叱咤するだろう。「これだけ恵まれた漫画家がどこにいるの。我儘を言ってないで描きなさい」とでも言って俺の頭をぴしゃんと叩くのだろうか。
「俺はもう読者の為には描いてないんだよ。俺自身の為に、傍に居てくれる光子の為に描いていたんだ。漫画を描く理由の半分がなくなった。ここで止めたって俺の変わりはいくらでもいる。……あのショッピングモールの本屋の平台も、すぐ他の作品に変わるさ」
捨て鉢に言えば、彼はまんまるの瞳を瞬かせた。そして俺を真っ直ぐに見据え、頭を横に振る。静かな動作だったのに、はっきりとした拒絶がそこに現れていた。
「光子さんは、眠っているだけじゃない」
俺は勘違いをしていた。光子が迎え入れた奏多を俺が愛したように、彼もまた光子の夫としての篠田航大を愛した。奏多は光子を愛している。心から、根っから。
彼がしていたのは、光子の居場所を整える為の作業の一つだったのかもしれない。そう思うと、俺は崖の切っ先に立たされたような心地になった。
「先生、光子さんのことを忘れないで。光子さんは先生を愛してるんです」
奏多は俺の胸に両手をつき、胸の内を確かめるようにドンと叩いた。俺は彼の両手を取り上げて「忘れられるわけがないだろう」と声を荒げた。ただ丸いばかりだった彼の瞳が苦しげに歪む。
「先生、僕にはもう、分かりません」
堰を切ったように涙を流し、奏多は俺に手首を掴まれたまま頭を振り立てた。
「僕は光子さんのことを愛してる。光子さんが愛したあなたの居る場所を守りたくてこうしていたはずなのに、今はもう……!」
奏多が何を言いたいのか、俺には分かった。「奏多、もういい」俺から逃れようとする身体を引き寄せ抱きすくめる。
「いや!……こんなのいや!僕、あなたに……先生に出会う前の自分に戻りたい。漫画を読んで、光子さんの話を聞いて、あなたに憧れているだけだった自分に戻りたい。あの頃の僕は、光子さんのこともあなたのことも、ちゃんと正しく愛せていたのに!」
俺たちは仕事部屋になだれ込み、何も引いていない床にもつれ合うようにして転がった。
「あの頃の僕だったら、漫画を描かなくなったあなたを、違う気持ちで見つめられたかもしれない。……でも今は。もう、僕は……」
揉み合い、奏多は俺の腹の上に乗り上げて襟元を揺すった。ぱたぱたと大粒の涙が俺の胸に散る。
「あなたに光子さんを忘れて欲しくない。光子さんを愛していてほしい。なのに、僕は、それと同じくらい、あなたに光子さんを、忘れて欲しい……」
「……奏多」
「僕は光子さんを愛しているのに!光子さんに愛されたこの身体であなたに抱かれると、違う自分になっていくようで怖い。光子さんは最初から僕をあなたに捧げるつもりだったんでしょうか?……こんな今でさえ、僕はあなたに抱かれたいと思ってる。あなたは、光子さんは、どうして僕をこんなにも浅ましくするの?」
夫婦の間で供物のように扱われる自分に耐えられず、奏多は声を上げて泣いた。俺は彼に両腕を伸ばし、抱き寄せる。
「漫画を描いていても、いなくても、僕は、あなたを、」
言葉は途中で途切れた。光子のことが頭を過ったのだろう、奏多は口を噤み、俺はその唇に口づけた。
俺たちは、光子の不在には耐えられない。なのに、互いを愛してしまった。
ありのままの今の自分を誰かに愛される喜び。奏多は、ペンを置いた俺を前と同じように、もしかしたらそれ以上に愛した。
吾妻リョウが俺を離れると、俺は一気に心細くなる。母体を離れ一人浮遊しているような気分になる。奏多はそんな俺を両手で包み込んだ。観音様のような、あの柔らかく白い両手で。
「君が浅ましければ、人間なんて、一人残らず浅ましいよ」
フローリングの床の上に彼の全てを暴き、白い胸の上に俺は吐き捨てた。「君が浅ましいなんて、そんなことは絶対にない」律動の最中に囁けば、奏多は俺から顔を背け悲しげに瞼を下ろした。その瞬間に、俺は彼が求めているものに思い至った。彼も俺と同じものを欲している。
「君がたとえ浅ましくても、そんな君を、俺は突き放さない。浅ましい君を、受け入れるよ。そのままの君を、今までのように、俺の傍に置くよ」
奏多の瞳に立ち込めていた霧が音も立てずに晴れていく。彼の瞳は次第に潤み、先ほどまでの感情とは別の感情を漲らせた。
「こうだいさん、もっと……」
心と共に身体が開かれる。奏多は足を開き俺を迎え最奥まで飲み込んだ。
「本当ですか、本当に、浅ましい僕でも、汚い僕でも、あなたの傍に、居られますか」
「君は汚くなんかない。……でも君がそう思うのなら、汚い君も、綺麗な君も、同じように抱きしめるよ」
「航大さん、僕、汚いんです。本当は、あなたに一日中こうしてほしいと思ってる。身体も心も全てあなたに汚して欲しいと思ってる。光子さんの前では、綺麗な僕でいたいのに。僕は光子さんを愛しているのに。……あなただって、光子さんを、愛しているのに。あなたは決して僕のものにはならないのに!」
最奥を突いて、思いのままに迸りを注ぐ。奏多の額に浮かんだ光の玉が、つるりと板間に落ちた。汗とも涙とも分からないそれを、俺は心から愛おしく思った。自身を浅ましいと思える君が、誰よりも綺麗だ。俺以外には決して、汚させない。
俺たちは仮眠用の薄い敷布団に身を寄せ合い、深い眠りについた。腕の中にある温もりが胸にちょうどきっかりと収まって、二つが一塊になる。もうこの子を泣かせるようなことはしない。俺は心から、そう誓った。
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