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本妻の事情

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「ラグはどの色がいいだろう。あの部屋、ナイトライトはあったかな。それとも間接照明の方がいい?クローゼットは備え付けのものがあるけどチェストは必要だね。棚は大きなものを一つ買うとして、他に何か欲しいものはある?」
 インテリアショップに入るなりそんなことを言い始めた都に、理人は表情を固くした。小雪はすかさず「ゲストルームが快適になればお客さんを呼びやすいから。数日間過ごした感想をくれると嬉しいな」とフォローを入れた。
 都が間接照明を品定めしている一方で、理人はナイトライトの前に立ち止まっていた。小雪は理人に近づき彼の視線の先を確かめた。
「あ、かわいい。動物のナイトライト?」
 理人はカッと瞳を見開き、「見ていただけです」と固い声を出した。クジラ、シロクマ、ヒツジのナイトライトを見比べ、小雪はシロクマを抱き上げた。
「かわいいね。抱いて寝ちゃいそう。おれ、シロクマが好きなんだ」
「……そうですか」
 ちらちらとシロクマを気にしながら、他のコーナーへ行ってしまう理人。小雪は理人の後ろ姿が見えなくなってから都を手招きした。
 ブルーグレーのラグに、水色のシーツ、群青色のカーテン。ウォールナットで揃えた、チェスト、本棚、机。それらを手配し、都は鼻歌交じりに店を出た。理人は手伝うことなどないじゃないかと不満を露わにしていたけれど、文句は一つも言わなかった。
「お腹が減った。何か食べよう。こゆ、美味しいお店知ってる?」
「ええと、この辺だったら……」
 理人ははたとして立ち並ぶカフェに視線を巡らせた。都はそんな理人の肩を抱き、「こゆに任せよう。こゆは食いしん坊だから美味しいお店をたくさん知ってるんだ」と得意げに言った。
「そうだ。近くに美味しいパン屋さんがあるよ。ドイツパンのお店で、アプフェルシュトゥルーデルが絶品なんだ」
「アプフェル……?」
 小雪は理人を振り返り、彼の隣に並んだ。「アプフェルシュトゥルーデル。ドイツ風アップルパイのことだよ。昼には売り切れちゃうから急ごう!」小雪は理人の手を取り駆け出した。
 ブロートヒェンのオープンサンド、プレッツェル、クラプフェン、そしてアプフェルシュトゥルーデルを買い込み、三人はミストの注ぐテラス席でアイスコーヒーにありついた。
「理人君、お手拭きどうぞ。ゴミはこの袋に入れてね。都君は?手、拭いた?」
 席に着いてもなお動き回る小雪を、理人はそのつど目で追った。「こゆは働き者だろう。ずっとこうやって動いてる。そのせいか、時々電池が切れたみたいにこうやって伸びてるけど」床に這いつくばっているさまをテーブルで再現され、小雪は都の背をペシンと叩いた。
「ふー、こう暑いと喉が渇いちゃう」
 アイスコーヒーを飲み干しレモネードを注文した小雪の横顔を都が覗き込む。
「こゆ、もしかしてヒート中?抑制剤飲んでる?」
 小雪は手うちわで面を扇ぎながら曖昧に笑った。
「季節の変わり目は周期が乱れちゃうから、念のため」
 理人がハッと表情を変えた。通常であれば、Ωがヒート中に外出することなどありえない。固い眼差しに射抜かれて、小雪は「抑制剤飲むと喉が乾きやすくなるのはΩあるあるだよね」と所在なさげにグラスを揉んだ。
「どうしてヒートが?お二人は……、」
 理人の言葉の続きが、小雪には分かった。
 通常、Ωのヒートはαの番を得ることで解消される。が、都と小雪にはその法則が適用されなかった。小雪の項には都と番である証が刻まれているが、ヒートは変わらずやって来る。
「おれ、落ちこぼれのΩなんだよね」
 レモネードを店員から受け取り、小雪は弾ける泡の向こうを見つめた。
「Ωとしての能力に凸凹があるんだ。フェロモンは希薄で、αのフェロモンも感じられなくて、ヒートは不定期な上に短くて。そんなだからか、番の契りを結んでもヒートが残っちゃって……」
 都の手が小雪の手をそっと包み込む。小雪は都に微笑んで見せ、理人に視線を戻した。
「でもね、今、抑制剤とピルで調整して、周期も整って来たんだ。ヒート自体が軽いから薬もごく軽いもので済むし、副作用も喉の渇きくらいしかない。視点を変えれば結構便利な身体だよ」
 ヒートの重いΩや抑制剤との相性が悪いΩは職を選べない。小雪はΩとして欠けていることで、自分の選んだ場所で、自分の望んだ形で、働くことができている。
「だから、理人君にヒートが来ても、おれがあてられることはないと思う。同じΩだし、ヒート時にサポートすることだってできる」
 Ωは近しいΩのヒートにあてられて連鎖的にヒートを起こすことがある。
 理人にヒートが来れば、都はそれに呑まれるだろう。食事もままならなくなる二人をサポートする誰かが必要になる。……それがきっと、自分の役割になる。小雪はそう予感して理人をひたと見つめた。
 ヒートの軽い小雪が今回に限って早めに抑制剤を飲んだのは、理人のヒートを誘発させない為でもある。この先について話し合ってもいないのに、αと同じ屋根の下でヒートを迎えさせるわけにはいかない。互いにとって、あまりに酷だ。
「都さん」
 理人は都を睨んだ。何か言いたげに唇を歪めた理人に、小雪は「見て!」と袋からプレッツェルを取り出した。
「こんがりしておいしそうだよ。本場はラードで練るらしいけど、ここはバターを使ってるんだって。ほら、いい匂いでしょう」
 理人の鼻先にプレッツェルを持って行けば、素直にクンと嗅ぐ。ツンとしたところはあるけれど、それは盾のようなもので、理人の根っこは素直だ。
「食べてみて」
 理人はプレッツェルを受け取り、パクンと食べた。それに続き、都もアプフェルシュトルーデルを頬張った。
「こゆ!このリンゴのパイ、すごく美味しい。なんで今まで教えてくれなかったんだ!」
「だって都君はお米派じゃない。朝から遠出するのも、ものすごぉーく久しぶりのことだったし?」
 頬杖を突いて詰れば、都は「それは、論文とフォーラムが重なって……」としどろもどろになった。小雪はポーカーフェイスを崩し、噴き出した。
「昼からも少しだけブラブラしようよ。夏服が欲しいな」
「服?こゆにしては珍しいな」
「それから、新しいパジャマとスリッパも欲しい」
 小雪の意図に気が付き、都は「よし、どうせならショッピングモールにも寄ろう」と言って口端を上げた。


 ショッピングモールで理人の身の回りの物を揃えると、帰宅する頃には日が暮れていた。
「出前でも取ろうか?近くにこゆの気に入ってる中華料理店があっただろ」
「あそこ、出前は電話でしか注文できないんだよね。メニュー表を残してたはずなんだけど、どこに置いたっけ……」
「……あの」
 振り返ると、ソファーの影から顔を出した理人がメニュー表を差し出してくれた。都も小雪もワッと声を上げて理人の手元を覗き込む。
「ソファーの後ろにあったの、なんでだろうね?」
「理人、よく見つけたね。食べたいものはありそう?こゆのおすすめは?」
「水餃子とレバニラ!小松菜と干し海老の炒め物もおすすめ!理人君は何食べたい?」
「僕は……なんでも」
 三人でメニュー表を囲み注文して、小雪は玄関に置いたままにしていた購入品を整理する為に重い腰を上げた。
 紙袋からシロクマのナイトライトを取り出す。都と理人がリビングでおしゃべりしているのを確認して、小雪は理人の部屋に入った。シロクマをヘッドボードに置き、スイッチを押せば、温かな橙色が枕元を照らした。
「理人君と仲良くね」
 小雪はシロクマの頭を撫で、明るいリビングへ踵を返した。
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