星の降る日は

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6. 雨が地面を濡らす日は

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 その日、エルバルトは騎士団についてすぐに、騎士団長室に向かっていた。
 朝から強い雨が地面を打ち付け、いつもは騎士たちの声でにぎやかな訓練場も、今日は雨音が聞こえるのみだ。
 エルバルトは騎士団の建物の中で最も堅強な扉を叩いて中に入ると、そこには黒髪紺眼の若い騎士と、同じ色合いで顎にひげを蓄えた壮年の騎士がいた。
 エルバルトの兄であるラナルドと、父であり、騎士団長であるセドリックだ。
「お呼びでしょうか」
 エルバルトはセドリックが構える執務机の前に立った。
「まずは討伐遠征ご苦労だった。大きな成果を上げたと聞いている。昨日まで休んでいたそうだが、疲れは取れたか」
「ありがとうございます。問題ありません」
「ならいい。だが、帰還パーティに参加しなかったのはよくなかった」
 遠征からの帰還後、エルベルトはすぐに塔に戻った。もちろんアレクシスが心配であったからだ。
 だが、それを咎められる謂れがわからず、エルバルトは思わず眉を顰める。
「帰還パーティへの参加が必須なのは役職付きのみです。私が参加しなくても問題ないはずです」
「わかっている。だが、遠征の功労者が参加しなのは騎士団としての体面もよくない。陛下も、他の参加者も残念がっておられた。そのせいで、お前を役職付きにという声がまた上がっている」
「その件は以前にもお断りしたはずです。俺まで役職付きになると、ウェイン家に騎士団の権力が集まりすぎると父上もおっしゃっていたではありませんか」
 エルバルトにとってはどうでもよいしがらみに深くため息を吐いた。

 エクドラル王国には二つの騎士団がある。
 その二つの騎士団を束ねるのが騎士団長であるセドリックであり、その事務的なサポートはエルバルトの長兄であるラナルドが行っている。
 演習や訓練などの実務面は、それぞれの騎士団に置かれた副騎士団長が指揮を執っており、王国騎士団の副騎士団長には、エルバルトの次兄が就いていた。
「あぁそうだ。だからその話はもちろん断った。……だが、わかっているだろう? 第一王女殿下はそう簡単には諦めないぞ。お前が護衛騎士になるのを拒むから、何としてでも王宮に上げようとあの手この手を使ってきている。今日もその件で呼び出しを受けているぞ」
 護衛騎士とは、王国の要人が傍につける専属の騎士であり、王族の護衛騎士には選ばれることは騎士として最も名誉なことの一つであった。
 だが、エルバルトはそれを躊躇なく断り続けている。
 それはもちろんアレクシスがいるからだ。
「俺はすでに魔塔の主様に忠誠を誓っています。だから何を言われようと王女殿下の護衛騎士になるつもりはありません」
「わかっている。すでに私からも断りを入れている。だが、それがご理解いただけていないのだ。このまま無碍にし続けていると、下手したら今度は婚約者候補として名が挙がりかねないぞ」
「……そんなことになったら俺はアレクシス様を連れてこの国を出ます」
「お前…そんなことしたらそれこそ国家反逆罪だぞ…」
 エルバルトの危うい発言にセドリックは思わず肩を落とし、額にこぶしを当てた。
 アレクシスはこの国を守る結界を維持する者、つまり王都守護の要である。
 それを国外に連れ出すことは、国の滅亡を企んでいると言われても過言ではない。
「はぁ……まぁ息子を国に追われる身にするわけにはいかないからな。私からも再度陛下に進言しておくが、とにかく今日は王宮に行け。これは騎士団長としての命令だ」
 騎士団長室を出てしぶしぶと王宮に向かうエルバルトの後姿を見送るセドリックとラナルドからは深いため息しかでない。
「王女殿下は諦めてくださるでしょうか…」
「どうかな…厄介なことにならないことを祈るよ」


 ちょうど同じころ、リシュカとアーロンはアレクシスの様子を診に塔へ訪れていた。
「うん、体調も魔力も問題ありません」
「そうか…」
「何か気になることがありますか?」
「大したことではないんだが、今朝から少し違和感がある。なんというか…ぞわぞわするというか、チクチクするというか…」
「……それは魔力の話ですか?」
「いや、もう一つの方だ。結界に問題はないが、何か気になる。こんなのは初めてだ…」
 その時、アレクシスの頭の中にパンッと何かが弾けたような音が鳴り響いた。
 今まで味わったことのない衝撃に思わず膝をつく。
「アレクシス様!」
「大丈夫だ……今何か聞こえたか?」
 急に膝をついたアレクシスに駆け寄ってきたリシュカとアーロンは、首を横に振る。ということは先ほどの音はアレクシスにしか聞こえていない。
 アレクシスは目を閉じ、結界に意識を遣る。
 結界には問題はないが、アレクシスは確かな違和感を感じ取った。
「アーロン、急いで騎士団に行ってエルバルトを連れてきてくれ。エルバルトが戻ったら神殿に向かう」
「アレクシス様、どうしたんですか?」
 不安そうにアレクシスの顔を覗き込むリシュカに返ってきたのは、さらなる不安をあおる言葉だった。
「詳しくはわからないが…結界内に何かが侵入した」



 王宮に訪れたエルバルトは、通された応接室で立ったまま、自分を呼び出した相手を待っていた。
 しばらくすると、応接室のドアが開き、艶やかなグリーンのドレスに身を包んだ女性が何人もの使用人を引き連れて入ってきた。
「エルバルト! ようやく来たわね!」
 その人の名はアメリア・ローゼ・バルテン。
 エクドラル王国の第一王女であるこの女性は、光り輝く金の髪に、新緑を思わせる美しい翠の瞳を持つ絶世の美女である。
 その名と華やかな見た目から、『バラの王女』とも呼ばれていた。
 自分でもその名にふさわしい自覚があり、この国のただ一人の王女として王からも、仕える貴族たちからも多いに甘やかされて育った、まさに『王女様』である。
 アメリアはカツカツと軽やかな足取りで部屋に入ると、部屋の中央にあるソファに座った。
「第一王女殿下にお目にかかります」
 エルバルトは一礼するが、アメリアからは視線をそらし、不愛想な顔のままでいる。
「挨拶はいいからそこに座って。今日はあなたのためにいいお茶を用意したのよ」
「いえ、すぐに失礼しますので結構です」
「ウェイン卿、無礼ですよ!王女殿下のご厚意を無碍にするおつもりですか?!」
 アメリアの後ろに控えていた侍女がエルバルトの態度に声を荒げるが、それをエルバルトは一睨みで黙らせる。
 そもそもエルバルトはここに望んで来ているわけではないし、厚意を受けたいとも思っていない。
 それどころか一刻も早く帰りたいのだ。
 その考えが不愛想なエルバルトの表情をさらに険しいものにしていく。
「フフッ、お前はは本当につれないわね。まぁそんなところもいいのだけれど」
 こちらの様子などまったく気にしない様子のアメリアにエルバルトは心底げんなりするが、話を終わらせてさっさと帰るために、本題を急かした。
「ご用は何でしょうか」
「そんなに急かさないで」
 アメリアが優雅にお茶を口に運ぶその所作は『バラの王女』と呼ばれるにふさわしく、見るもののほとんどがその美しさにため息をこぼすのだろう。
 だが、ここから一刻も早く立ち去りたいエルバルトにとっては嫌悪感しかない。
「まぁいいわ。早速だけど、わたくしはあなたをどうしても護衛騎士にしたいの。騎士団長に何度もお願いしているのに、断ってくるんですもの。きっと息子を手放すのが惜しいのね。だから今日はあなた直接話をしようと思って、こうして呼んだのよ」
 エルバルトは一応不敬にならないよう、心の中で大きなため息をついた。
 以前からたびたび騎士団長経由でこの話を聞かされており、そのたびにエルバルトは自分の意思でしっかりと断りを入れていた。
 忠臣と名高い騎士団長が、私情で王族の要望を断るはずがないことなどわかりきったことなのに、何が『息子を手放すのが惜しい』だ。そんなことあるはずがない。
 そうとは言っても、表立って王族にたてつくわけにはいかない。エルバルトは努めて冷静に答えた。
「殿下、大変ありがたいお申し出ではありますが、お断りいたします。騎士団長からもお伝えしていると思いますが、私にはすでに忠誠を誓った方がいます。その方以外に仕えるつもりはありません」
「えぇ聞いているわ。でもそれが誰だかは聞いていない」
「殿下のお耳に入れるほどの話ではありません」
 つまり、お前には関係ない、と丁寧にいうが、アメリアはまだエルバルトを開放するつもりはないようだ。
「わたくしより仕える価値がある者だということ?」
「私にとってはそうなります」
 何とか感情的にならないように抑えてはいるが、一刻も早くこの場を立ち去りたい気持ちが勝り、不敬などどうでもよくなってきたエルバルトの答えに、部屋の中はざわめく。
 さすがのアメリアもティーカップを置く音に動揺が混ざるが、冷静さを装うことは忘れないところはさすがと言ったところだ。だからと言って仕えたいなどと思うことは一生ないが。
「そう。では諦めるわ」
「ご理解いただきありがとうございます」
 いやにあっさり引き下がった……と思ったが、やはり簡単に行く相手ではなかった。
 アメリアはもう一度ゆっくりとお茶を飲むと、エルバルトを鋭く見据えた。
「ただし、条件があるわ。その相手に会わせなさい」
 アメリアの言葉にエルバルトがにわかに殺気立つ。
 剣で黙らすことのできる相手であればどれほど楽であったか……エルバルトは唇を噛んで殺気立つ心を何とか抑え、きっぱりと答えた。
「お断りします」
「はっ。わたくしがここまで譲歩しているって言うのに。あなたは不敬罪で死にたいのかしら」
 アメリアとエルバルトの静かな睨み合い――アメリアを睨むことはできないので、実際にはエルバルトは無表情でいるのだが――で、凍てつく部屋の空気を変えるように、ドアを叩く音が響いた。
 部屋に入ってきた使用人は、殺伐とした雰囲気に怯えながらも、エルバルトに向かって話しかける。
「お話し中に申し訳ありません。ウェイン卿に急使が来ているのですが、いかがいたしましょうか」
「急使だと? 誰だ」
「あっアーロン・ドット卿です」
 エルバルトはその名を聞いて一気に背筋が凍る。アーロンが護衛対象であるリシュカのものと離れてエルバルトのところに来たということは、アレクシスに何かあった可能性が高い。
「殿下、この件はこれ以上お話しすることはありません。急用ができましたのでこれで失礼いたします」
「待ちなさい、エルバルト!」
 アメリアの制止を振り切り、急いで応接室を出ると、廊下にいた神官服を着た男にぶつかりそうになった。
「失礼」
「いえ、こちらこそ」
 恭しく礼をする神官を尻目に、エルバルトはアーロンの下へ急いだ。


 エルバルトがぶつかりそうになった神官服を着た男は、しばらくエルバルトの姿を追っていたが、刹那に部屋の中からパリンッと食器が割れる音が響いたため、応接室の中にいる人に目的を変更することとししたらしく、エルバルトが開け放したままにしたドアの外から、応接室の中にいるアメリアに一礼をした。
「これはこれは、第一王女殿下。ご挨拶申し上げます」
「あら、オズワルド卿…いらしていたの」

 オズワルドと呼ばれたその男は、見た目は四十代中ごろで、茶色の短い髪を後ろになでつけた、人当たりの良さそうな細身の男だ。
 アメリアとも顔見知りのようで、気さくに話しかけている。
「先ほどの騎士殿は、殿下のお客様ですかな。ずいぶん急いでいるようでしたが」
「えぇ急使が来たそうよ」
 アメリアは怒りで赤くなった顔を取り繕い、オズワルドを応接室に招き入れ、お茶を勧めた。
 先ほどアメリアが怒りに任せて薙ぎ払ったティーカップは有能な侍女たちによりすでに片付けられている。
 オズワルドも遠慮せず、アメリアの正面に座り、出されたお茶をすすり始めた。
「そうですか。だとしても殿下の制止を無視するとは、なんとも不敬な騎士ですな」
「聞こえていたのね。でも思い通りにならないところが彼の魅力でもあるから…。仕方がないわ」
「随分と買っておられるのですな。もしかして、彼が評判の黒の騎士殿ですか?」
「ご存じなのです?」
「もちろんです。黒の騎士殿の活躍は神殿でも有名ですよ。それに、魔塔の主様の世話をしているとか」
「魔塔の主様の世話……?」
 アメリアは驚いた様子で、これまで横に向けていた目線をオズワルドのほうに向ける。
「えぇ。なんでも塔で一緒に暮らしながら、魔塔の主様の身の回りのお世話をしているとか。随分と親しい間柄だと聞きましたよ」
「そう………」
 考え込むアメリアを眺めながら、オズワルドは周囲には気が付かれないほど小さく、唇の端を上げた。



「アレクシス様!!」
 馬を走らせ、急いで塔に戻ったエルバルトはすぐさまアレクシスの下に駆け寄った。見た目からは異変は感じられないが、緊迫した様子からただ事ではないことが伺える。
「遅かったな」
「すみません。王宮に呼ばれてて…。それより、何かあったんですか?どこか悪いところが…!」
「違う、落ち着け。俺は大丈夫だ。だが緊急事態だ。すぐに神殿に向かう」
「えっどういうことですか?」
「説明は後だ」
 朝から降っていた雨は、いつの間に上がり、ぬかるんだ道に馬を走らせ神殿へと急いだ。


『神殿』
 王都フィーレンの北東部にあり、エクドラル王国の国民の大半が信仰する、ヒュペリヌス神を祭った信仰の場であり、魔法を扱う魔導士を統括するところでもある。
 アレクシスは孤児であり、魔導士としての才能を持っていたことから、幼少期を神殿で過ごしたが、特に思い入れのある場所ではなく、魔塔主となって神殿に訪れたのは初めてだ。
「騒がしいな。やはり何かあったか」
「アレクシス様、私は話を聞いてきますので、部屋で待っていてください」
 リシュカとアーロンはアレクシスの案内を神殿の者に任せ、内部へと急ぎ去っていった。
 残されたアレクシスとエルバルトは神殿内の応接室に通され、そこでリシュカたちが戻るのを待つことになった。
 部屋は応接室だというだけあり細かいところまで気を使った造りではあるが、ところどころ神殿という清貧さ感じさせる。
 部屋の中央にテーブルをはさんでおかれた二台のソファも、上等なものではあるが、飾り気のないシンプルなものであった。
「アレクシス様、何があったのですか」
 ソファの端に腰を下ろしたアレクシスの前に膝をついたエルバルトはアレクシスの顔を不安げに見上げている。
 結局まだ何があったのか聞けていなかった。
「おそらくだが、何かが結界を通り抜けて、王都に侵入した」
「えっ結界を通り抜けてってどういうことですか?」
 結界は王都に侵入しようとする魔獣を防ぐだけでなく、砲弾や魔法での攻撃など、王都フィーレンに害をなすもの全てをはじき返す。
 だが、通常の人の往来では結界は反応することはない。いわば悪意を感じ取ってその機能を果たしているのだ。
「まぁ結界が弾かなかったから国に害をなすものではないだろうが、こんなこと初めてだったから気になってな」
 だから神殿に来た、ということだろう。
『結界を通り抜けたもの』も気になるが、それによってアレクシスに影響があったのではないかのほうがエルバルトには重要だ。そう問うとアレクシスは問題ないと言わんばかりに右手をパタパタと振った。
「さっきも言ったが俺には問題ない。それが通った時に少し衝撃が来ただけだ」
「問題あるじゃないですか!!!」
 あたふたとしながらアレクシスの額に手を添えたり、ケガはないかと服を捲ろうとしたりするエルバルトに、二人をこの部屋に案内し、そのまま部屋に留まっていた神官が、明らかに引いている。
 巷で評判の『黒の騎士』は、他者に興味を示さず、常に冷静沈着だと有名だ。
 そのギャップを目の当たりにしては、戸惑うのも当然だろう。
 アレクシスとしても人前、しかも古巣でこんな扱いはやめてもらいたい。
「エル、落ち着け」
 珍しく名を呼ばれれば、エルバルトはピタッと嘘のように大人しくなった。
 その様子も神官は怪訝な顔で伺っているが、まぁさっきよりはましだろう。

 そうこうしているうちに、部屋のドアを叩く音がし、リシュカたちが戻ってきた。明らかに神殿の上層部の者と思われる老年男性も一緒だ。
 その男性を見て、アレクシスはすっと立ち上がり、胸に手を当てて礼をした。
「フランクス大神官、ご無沙汰しています」
「あぁアレクシス、よく来てくれた。息災そうで何よりだ」
 フランクスは神殿に何人かいる大神官の中の一人であり、優れた魔導士でもある。アレクシスが神殿にいた頃には師と仰いでいた人で旧知の仲ともいえる。
「こちらは?」
 フランクスがエルバルトにちらりと視線を送る。
「彼は、私の護衛をしてくれているウェイン卿です」
 エルバルトは姿勢を正し、フランクスに礼をした。
「初めてお目にかかります。王都騎士団に所属する、エルバルト・ウェインと申します」
「あぁ君が…。私はここで大神官をしておるフランクスだ」
 フランクスはアレクシスとエルバルトを交互に見やり、ふむふむと何か観察するような様子で頷いている。
 アレクシスはその様子を不思議に思ったが、とりあえず今はそれどころではない。
「それで、何があったんですか」
「あぁ、それがな……まぁ座りなさい」
 アレクシスと向かい合ってソファに座ったフランクスは、ことの顛末を語った。


 今から一刻ほど前、空を覆っていた分厚い雲の中から、矢が放たれたかの如く、眩い光が聖なる泉を貫いた。
 そして、その光の先に、黒髪の少女が現れたという。
 聖なる泉とは、神殿の奥にあり、エクドラル王国建国時にヒュペリヌス神が降臨したと伝えられる神聖な泉である。
 上空から降りてきたということは、必ず結界に干渉したはずだ。時間的にも結界が衝撃を受けた時間と一致する。
 その泉に現れた少女が、アレクシスの言っていた『結界を通り抜けたもの』で間違いないだろう。
「もしかして、聖女……」
「おそらくそうだろう。だが、その少女はまだ一度も目を覚ましておらんくてな。何も話が聞けていないのだ。だからお前が来てくれてちょうどよかった」
「わかりました。それがいるところに案内してください」

 突然泉に現れたというその少女は、来客用だという部屋のベッドに寝かされていた。
 その部屋は、先ほどアレクシスたちが通された応接室に似た雰囲気の清貧さを残したシンプルな造りだ。
 見慣れぬ服を着た少女は、長い睫毛に縁どられた目を閉じたまま、動かない。年のころは十七、八といったところ見える。
 アレクシスはその少女の額に手をかざし、呪文を唱え始めるが、その手をエルバルトがすぐに掴んだ。
「エル、これは俺にしかできないことだ。大丈夫だから下がっていろ」
 エルバルトは何か言いかけたが、そっと手を放し、顔に悔しさをにじませたまま後ろに下がった。
 再びアレクシスが呪文を唱えると、あたりに淡い金色の光が灯り、眠る少女に吸い込まれ、消えた。
「やはり聖女で間違いなさそうだ。神力を持っている。結界が反応したから、おそらく異世界人だろう」
『聖女』という言葉に、部屋の中がざわめき立つ。
「今は体が弱った状態だったから、俺の力を少し送った。おそらく明日には目を覚ます」
 この先は神殿が対処するから、とアレクシスは明日また様子を見に来ることをフランクスたちに伝え、エルバルト共に塔へと戻った。


「アレクシス様、お疲れですよね。すぐ風呂入れます」
「あぁ…」
 夕食を終え、ソファに寝転がるアレクシスを見て不安になるが、エルバルトにはどうすることもできない。無力な自分が歯がゆくて仕方がなかった。
「お前も入れ」
 うろうろと周りを行き来するエルバルトにしびれを切らしたアレクシスは、有無を言わさずエルバルトを風呂に引っ張り込んだ。
 エルバルトは狭い湯船の中で、アレクシスを前に座らせ、後ろからぎゅっと抱きしめた。
「アレクシス様、本当に大丈夫なんですか…」
 アレクシスは結界を維持するために常に膨大な魔力を消費している。そのため、さらに魔力を使えば、ただでさえ限りのあるその命をさらに縮めかねない。
「はぁ…問題ない。それに今日使ったのはほとんど俺の魔力じゃなくて、もう一つの方だ」
 アレクシスが言うには、あの異世界からきた少女は神力を持っており、普通の魔力は通じないという。

『神力』と『魔力』は似て非なるもので、『神力』その名の通り、神が与えた力であり、『魔力』は自分自身に宿っている力であった。
 アレクシスが持つもう一つの力は、『建国の魔導士』――正確にはそれを受け継いできた魔塔の主たち――から受け継いだもので、その性質は魔力よりも神力に近い。
 そのせいもあり、力を受け継いだ魔塔の主以外は扱えないものであった。
「つまり、あの異世界の少女は神によってこの国に遣わされた『聖女』ということだ」
「その『聖女』って何ですか?」
「あぁそうか、神殿の者以外にはなじみがないんだな」
 建国神話と呼ばれる、この国に伝わる建国時の伝承の中には、神力を使って建国に貢献し、女性が出てくる。それが『聖女』だという。
 その聖女は神から授かった神力を持ち、後の王と共に、国を興すために力を尽くしたが、その後の足取りは途絶え、記録に残っていない。
 だが、神殿にはヒュペリヌス神からの神託という形で聖女の存在が語り継がれていた。

『国が危機に見舞われたとき、聖女が降臨し、この国を守るだろう』

 ありがちな神託だが、それでも神の言葉ということで、神殿では大切に伝わってきた。
 だが、『国が危機に見舞われる』という言葉は民にいらぬ不安を与えるだけだ。
 そのため、知っているのは神殿の上層部と、王族くらいだという。
「まだ聖女に何ができるのか、本当に危機に見舞われるのか、わからないことだらけだ。今考えても仕方がないから、とりあえず風呂から出る。のぼせる」
 エルバルトは慌ててアレクシスを風呂から抱き上げた。

「おやすみなさい、アレクシス様」
 一緒にベッドに入ったエルバルトは、アレクシスの額にキスをし、優しく髪をなでる。本当ならこのまま唇を重ね、アレクシスの華奢な腰に手を伸ばすところだが、今日は大人しくしていようと心に決め、アレクシスから離れて目を瞑った。
 ところが、珍しくアレクシスのほうがエルバルトの背に手を回してくるではないか。
「……今日はしないのか?」
「えっ!あの、えっと…、お疲れですよね…」
「そうだな、疲れた。だから一回だけな」
 エルバルトを見上げるその美しい金の眼に、いつにない欲が灯る。

 ――あぁ…無理だ…。

 エルバルトの決断はもろくも一瞬で崩れ去り、むしろいつもより濃厚な『一回』となった。
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