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貧乏と引退おもちゃ
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今まで色んな子ども達に選んで貰ったきた。
みんな個性はあるものの共通して家族も優しく、心の清い子ばかりだった。
魔法屋のルールで1年間だけと決まっているけど、それでも僕を大切にしようとする気持ちが嬉しかったんだ。
長年選ばれ続けた僕の体はもうボロボロ。おじさんに頼んで新品みたいに直して貰う事も出来る。だけど、そうしないのは1つ1つの傷や直した後が今まで僕を選んで遊んでくれた子ども達との思い出だから。
あと何回も耐えられないこの体だけど、完全に直らなくなるまで子ども達と思い出を作りたいなぁ。
◇
春の陽気がお店の中でも感じられる柔らかい温かさの良い日和。こんな日はいい事がありそうな気がする。
カウンターにある椅子に座って新聞を読んでいるおじさんもウトウトして今にも眠ってしまいそうだ。
ゆっくりとした午前中。おじさんが眠気覚ましのコーヒーを飲んでいると、お店にお客さんがやってきた。
今回のお客さんは作業着みたいな服を着たお母さんと5歳くらいの前髪をチョウチンアンコウみたいに結わえたブカブカのシャツを着ている女の子。
普段ならお客さんは先におもちゃを見て回る。だけど、今回のお客さんは真っ先にカウンターにいるおじさんのところへ足を向けた。
「いらっしゃい。どうかされましたかな?」
「お店の看板を見たのですが、レンタル料っておいくらですか?」
料金に関してやお店のルールは出入口を入ったすぐ横に貼りだされているけど、先におじさんが目に入ったみたいだ。
「お金は頂いておりません。当店のルールをご説明しますのでお時間はよろしいですか?」
「え、ええ」
おじさんはいつも通り丁寧にルールを説明してから一緒に大人しく聞いていた女の子へ話しかけた。
「お嬢ちゃん。お店の中を見て回って好きなおもちゃを1つ選んでおいで」
おじさんの言葉に女の子は戸惑っているような感じでお母さんの袖を引っ張って窺う。
「……かーちゃ……」
表情には出していないけど不安そうにする女の子へお母さんは優しい笑顔を向けた。
「愛花。好きなのを選んできていいのよ。かーちゃはおじさんともう少しお話してるから行ってきなさい」
「……うん」
おもちゃを見て回る愛花ちゃん。でも、普通の子どもとは反応が違った。
見て回ってはいるもののどこか楽しそうな感じがしない。
他のおもちゃ達が話しかけているけど、どれも声が聞こえないからかな?
聞こえるか分からないけど僕も声をかけてみよう。
「愛花ちゃん。もし僕の声が聞こえたら僕を選んで欲しいな」
「……ん?」
声をかけてみると愛花ちゃんはキョロキョロとしている。どうやら僕の声が聞こえたみたいだ。
「こっちだよ。そうそう、そのまままっすぐ」
愛花ちゃんを誘導して目の前に来させる。
「やぁ。やっと僕の所へ辿り着いたね、愛花ちゃん」
「……」
誘導していた時は僕の声が聞こえていたみたいだけど、目の前に来て話しかけても愛花ちゃんは僕を見つめるだけで無反応。
「あれ? 僕の声、聞こえてる?」
「……」
「愛花ちゃん?」
「……」
何回話しかけても無反応。ただただ僕をジッと見つめるだけの愛花ちゃん。
声が聞こえたと思ったけど、僕の勘違いだったのかな? もう1度だけきいてみよう。
「僕の声、聞こえてる?」
「……お喋り」
やっぱり聞こえていたみたいだ。
「僕を手に取って欲しいな。僕と一緒に遊ぼうよ」
「……」
表情1つ変えない愛花ちゃんは一言ポツリと零しただけで、また口を閉ざしてしまった。
「あのー……愛花ちゃん? 僕の話聞いてる?」
僕が尋ねてみると愛花ちゃんはお母さんの所へ走り去ってしまった。今までの子達は僕が喋るのに興味津々だったから当たり前になっていたけど、おもちゃが話しかけてきて怖かったのかな?
お母さんの足にしがみついて顔を見上げる愛花ちゃん。
「かーちゃ」
「どうしたの?」
「お喋り」
「え? 何の事? 愛花もおじさんとお喋りしたいの?」
「んーん。……あれ」
愛花ちゃんは僕を指さしておもちゃが話しかけてきたと伝えようとしているが、
「どうしましょ……わからないわ」
全く伝わらず、お母さんは困った顔をしている。
「お嬢ちゃん」
お母さんが困り果てていると、おじさんがカウンターから少し身を乗り出して愛花ちゃんへ話しかけた。
「愛花ちゃんと言ったかな? もしかして、おもちゃの声が聞こえたんじゃないかい?」
「……お喋り……した」
「そうかいそうかい。その子はこのお店に置いてあるおもちゃで愛花ちゃんとお喋り出来るたった1つのおもちゃなんだよ」
「……う?」
「だから、その子を選んでくれたらおじさんは嬉しいな」
「……」
おじさんの話を聞いて暫くその場から僕を見つめていた愛花ちゃんは走ってこちらへきて僕を手に取り、カウンターの方へ戻ってお母さんとおじさんに見えるように掲げてた。
「これ」
おじさんとお母さんは顔を見合わせてニッコリと笑う。
「そのぬいぐるみにするの?」
「うん」
「決まったようだね。じゃあ、その子に名前を付けてあげてくれないかい?」
「……」
愛花ちゃんは僕を自分の方に向けて黙ってしまう。
僕は犬のぬいぐるみで色は柴犬みたいな薄い茶色。所々、色の違う布でツギハギ。目に使われてるボタンも右と左で大きさや色も違うから、かなり特徴があると思う。
特徴があり過ぎてどういう名前にしようか迷っているのだろうか、愛花ちゃんがずっと黙っているとお母さんがしゃがんで尋ねた。
「愛花、名前決まった?」
「……」
「このぬいぐるみ犬よね? それにしても……ボロボロね」
『そりゃあ僕はこのお店で1番の古株だからね……って、お母さんには僕の声が聞こえないんだった』
「ボロ」
愛花ちゃんがポツリと零す。
「ボロ? それが名前?」
「うん」
確かに僕はボロボロだ。だけど、それをそのまま名前にするなんてちょっと酷くないだろうか。
「もう少し可愛い名前にしてあげたら?」
さすがはお母さん。声は聞こえなくても僕の気持ちも汲んでくれた。
「ボロ……ポロ!」
「ポロ? 良いわね! 可愛い可愛い」
点々を丸に変えただけで可愛らしい名前に早変わり。言葉って不思議だ。
「ポロ! ポロ!」
名前が決まって愛花ちゃんは喜んでいるようだ。相変わらず表情は全然変わらないけど。
「ポロ……良い名前だね。そのまま持って帰って大丈夫だよ。1年間、大切にしてあげておくれ」
「ポロ!」
あまりにも嬉しいのか返事まで僕の名前になっている。こんなにも喜んでくれているなんて嬉しい限りだ。
『じゃ、行ってくるよ』
「ああ、行ってらっしゃい」
僕は愛花に掲げられたままお店を出て行った。
◇
夕方に愛花ちゃんのおウチに着いて僕は驚いた。
『ここが愛花ちゃんのおウチ?』
「うん」
愛花ちゃんのおウチは絵に描いたようなボロボロの安アパートの一室で部屋も6畳の部屋が1つあるだけ。洗濯機や冷蔵庫も古くて、動いているのが不思議なくらい。家具も小さなタンスとちゃぶ台があるだけだ。
「愛花、夕飯の支度をするから大人しく待っててね」
「待つ」
出来上がってきた夕飯は焼き鯖に味噌汁、何かのおひたしといった割と普通な感じ。こう言ってはなんだが、おウチの様子からもっと質素な物が並ぶのかと思っていた。
「今日はお誕生日だから愛花の好きな物にしたからね」
僕はお母さんの言葉に少し驚いた。だって、お誕生日って特別な日なのにその夕飯がこんなにも普通だから。そう思うと並ぶ夕飯が質素で味気のない物に見えてくる。
「お魚」
愛花ちゃんは早速、箸を握って鯖を突き刺して齧り付く。よっぽど魚が好きなようだ。
愛花ちゃんが喜んでいるならこれはこれでいいのかもしれないなぁ。
後で知った事だが、ご飯のおかずもお母さんがパート先からたまに貰ってくる物や野草等の外で採れる物が大半だった。
服もヨレヨレのブカブカで夏用と冬用を合わせても数着しかなく、雨が少しでも続けば当然パンツ一丁だから乾くまでずっとおウチの中にいる。
貧乏も相まって幼稚園や保育園にすら行っていない愛花ちゃんは今日も朝から僕を連れて外へ食べれそうな物を探しに行く。
季節は夏。暑い日差しにも構わず外へ行こうとする愛花ちゃん。
「ポロ、外」
『お外は暑いから帽子を被って行こうね』
「ぼーし、ぼーし」
愛花ちゃんが出してきた帽子は大人用の麦わら帽子。これも貰い物なのだろうか?
「ポロ、いく」
『そうだね。帽子も被ったから行こうか』
帽子を被り、取ったものを入れるビニール袋と僕を手に外へと飛び出した。
今日最初の探索場所はおウチから30分くらい歩いた所にある林。愛花ちゃんが危ない目に遭わないように気を張っておかなきゃ。
「ポロ」
『何か見つけたの?』
「かぶとむし」
愛花ちゃんが掴んで見せてきたのはカブト虫ではなかった。
『それはカブト虫じゃないよ。コガネムシだよ』
「かーちゃ、食べる」
『さすがのお母さんも虫は食べないと思うなぁ』
「……」
僕をジッと見つめる愛花ちゃんは掴んでいたコガネムシを離して、その手で僕を叩いた。
『いきなり何をするんだい!?』
「お母さん、違う! かーちゃ!」
どうやらお母さん……いや、かーちゃの呼び方で怒っているようだ。
『ごめんごめん。かーちゃ、だね』
「いい子いい子」
言い直すと愛花ちゃんのご機嫌は直り、さっき叩いた僕の頭を撫でてくれる。
撫で終わると愛花ちゃんはまた何かを見つけて走り出し、たどり着いた木の前で見つけた物を指さした。
「これ!」
そこにあったのは真っ白なキノコ。食用の物もあるけど毒キノコと見分けがつき難い。
これは採らない方がいいと思う。
『キノコはダメだよ。大丈夫って思っても毒キノコだったらかーちゃが居なくなっちゃうよ』
「ドクポロ……」
『ドクポロって……』
決して僕は毒持ちではない。ツギハギが毒っぽく見えなくはないけど。
結局、林の中を探し回って採れたのは木苺だけ。おかずというよりデザートだ。
こうやって僕は愛花ちゃんに危ない事や駄目な事はちゃんと教えてあげてたり、表情を一切変えず話す言葉も単語調な愛花の気持ちを察したり、毎日が忙しいけどとても楽しい。
だけど、楽しいと思えるからこそ時間が経つのが早く感じてしまう。
◇
愛花ちゃんは僕を大事に大事に扱ってくれる。子どもなら好きなおもちゃでも少しは乱暴に扱ったりするもんだけど、愛花ちゃんはまるで卵を抱える鳥みたいにいつもソッと両手で抱きかかえてくれいた。
野性的な行動をする愛花ちゃんからは想像もつかなかった。
僕ってそんなに壊れやすそうに見えるのかな? 自分でもボロボロだとは思うけど……。
大事に扱ってくれるのは嬉しい。だけど、それも今日でおしまいだ。
レンタルされて1年、ホントに早かった。
別れるのはツラいけど、これはお店のルールだ。愛花ちゃんにちゃんと伝えなきゃ。
部屋の真ん中にあるちゃぶ台の上に置かれている僕と向かい合わせで座って何も喋らずジーッと僕を見つめる愛花ちゃん。
言うなら今がいい。
『愛花ちゃん、今日は雨でお外へ行けないね。……でも、雨で良かった』
そう、雨で良かった。もし天気が良くて外に出かけていて、そこでお別れなんて事になったら愛花ちゃんが泣きながらおウチへ1人で帰る事になりかねない。
「ポロ、ダメ」
僕がお別れを告げる前に愛花ちゃんは「帰るのはダメだ」と言ってきた。
愛花ちゃんの気持ちや言いたい事を僕が察したり出来るようになったのに対して愛花ちゃんも僕が言いたい事を分かるようになっていたんだと気付かされた。
『愛花ちゃん。これはお店のルールだから、僕にはどうにも出来ない。ほら、もうお別れの時間がやってきたみたいだ』
「……あ」
僕の体が淡い光を放ち出す。雨のせいで昼間なのに薄暗い部屋の中、その光はより一層際立ち、僕や愛花ちゃんの気持ちを煽り立てる。
『ごめんね、愛花ちゃん。僕はもっともっと君に色々な事を教えたり、君とずっと遊んだりして過ごしたかった』
「ポロ」
愛花ちゃんがゆっくりと手を伸ばしたけど、その手は僕を掴む事は出来なかった。
光は強くなって愛花ちゃんの手をすり抜けた僕は宙へと浮く。
『君は僕が出会った中で1番不思議で1番気になる子だったよ』
「……あ……あ」
立ち上がってちゃぶ台の上に乗り、必死に僕を掴もうとする愛花ちゃん。だけど、その手は僕には届かない。届いたとしても僕には触れられない。
表情は変わらないし、言葉という言葉も発していないけど、愛花ちゃんが凄く悲しい顔をして「行かないで」と言っている気がする。
『バイバイ、愛花ちゃん。きっといつか会える日が来たら、その時はまたよろしくね』
「……うぅ……」
僕は愛花のおウチから離れ、魔法屋へと飛んで行く。
離れる時に愛花ちゃんが泣いている声が聞こえた気がしたけど、まさか……ね。
お店のカウンターへ帰ってくると、いつものようにおじさんが出迎えてくれる。
「おかえり」
『ん……ああ、ただいま』
「どうしたんだい? 何か考え事かい?」
『考え事っていうか、愛花ちゃんが泣いてた気がして……』
「いつもの事だけど、泣かれるのはツラいね」
『そうだけど、そうじゃないんだ……』
愛花ちゃんは感情を表に出さない子だ。そんな子が泣くなんてよっぽど僕との別れがツラかったのだろう。
おじさんが言うように泣かれてツラいのはいつもの事だ。だけど今回は……。
『ねぇ、おじさん。僕、決めたよ』
「決めたって何を?」
『僕は魔法屋のおもちゃを引退する』
「……そうかい」
◇
魔法屋のおもちゃを引退した僕はその日の内に、光に包まれて愛花ちゃんの所へ戻ってきた。
外が雨ならいつもお昼寝をしている時間なのに愛花ちゃんは薄暗い家で下を向いてぽつんと座っていた。やっぱり僕が居なくなって相当ショックだったみたいだ。
光に気付いて顔をあげた愛花ちゃんは僕を見て固まっている。僕が帰ってきたのが信じられないようだ。
『ただいま、愛花ちゃん』
「ポロ?」
『この体が壊れて直らなくなるまで僕は愛花ちゃんと一緒に居たくて戻ってきちゃった。今日から僕はレンタルじゃなくて愛花ちゃんのおもちゃだよ』
「ポロ、愛花の!」
戻ってきた僕を愛花ちゃんは快く受け入れてくれた。体が潰れるくらいにギュッと抱きしめて。
この日は愛花ちゃんのお誕生日。僕は愛花ちゃんの誕生日プレゼントとして今度はレンタルじゃなく愛花ちゃんの手の中にやってきた。
だけど……。
次の日。朝から愛花ちゃんは僕をちゃぶ台の上に置いて前に座ったままずっと動かない。
「ポロ」
『なんだい? 愛花ちゃん』
「……お喋り……」
『ごめんね。昨日、戻ってこれた嬉しさで言うのを忘れていたよ。僕は――』
魔法屋のおもちゃを引退した僕は愛花ちゃんとお話が出来なくなった。今までの魔法を解かれて別の魔法をかけられたんだ。
魔法屋のおもちゃを引退すればただのおもちゃ。だけど、おじさんは僕へ餞別をくれた。
それが別の魔法ってわけさ。
その魔法は愛花ちゃんのお誕生日にだけお話出来る魔法。
だから、お誕生日を過ぎた今日からまた約1年は僕が喋っていても愛花ちゃんには僕の声は聞こえないんだ。
お話出来なくなったからって捨てられないよね?
何度も話し掛けてきたけど僕の声が聞こえない愛花ちゃんはしびれを切らしたようだった。
それでも、僕から興味を無くす事はなくこれまで通りにどこへ行くのも一緒で返事も無いのに話し掛けてくれた。
お誕生日にしか話が出来ないのを翌年に伝えた時には物凄く怒られた。
怒っていたけど、ちゃんとわかってくれた愛花ちゃんは返事が出来ない僕へいっぱい話をしてくれる。
「ポロ、コガネムシ」
『またコガネムシを取ってきたのかい? かーちゃは虫を食べないよ?』
小学校に上がっても。
「ポロ、ランドセル。かーちゃが買ってくれた」
『良かったね。お友達もいっぱい出来るといいね』
中学へ通うようになった時も。
「見て! ポロ! これ、中学校の制服だよ!」
『制服を着ると大きくなったように見えるね。僕からしたら愛花ちゃんはまだまだ子どもだけど』
高校生になった時も。
「ポロ、やっと高校生になれたよ! バイトが出来るようになったから、これでかーちゃもちょっと楽になるかな?」
『その気持ちだけでもかーちゃは嬉しいと思うよ。だから、無理はしないでね』
大学へ行くようになって悩んでる時も。
「ねぇ、ポロ。私、好きな人が出来ちゃった」
『へぇ、愛花ちゃんももうそんな年頃か。君が好きになる人だから、きっといい人なんだろうね』
僕が愛花ちゃんの所に戻ってきてから17年。愛花ちゃんの結婚式にお呼ばれした時も。
『愛花ちゃん。とても綺麗だよ』
「ありがとう、ポロ。えへ……なんだか、恥ずかしいな」
はにかむ愛花ちゃんは『綺麗』というより『可愛い』かな。
◇
愛花ちゃんが結婚してから7年の月日が経ち、その間も大切に飾られていた僕にもまたおもちゃとしての役割りを果たせる時がきた。
昨年、五歳の誕生日を迎えた愛花ちゃんの娘、優花ちゃんへプレゼントされた僕はこの1年間、優花ちゃんとはお話が出来ないもののとても楽しい日々を送らせて貰った。
優花ちゃんはボロボロの僕に対して嫌な顔一つせず、毎日話し掛けて遊んでくれる。
このままずっとこんな楽しい日々が続いて欲しいと願ったけど、それは叶わないようだ。
そう。元々、ボロボロだった僕の体に限界がきたんだ。
「かーちゃん。ポロ壊れたー。直して」
「また壊れちゃったの? 仕方ないわね。直してあげるから、優花はポロが直るのを見守ってあげてね」
「うん!」
すぐに壊れてしまう僕をいつも直してくれる愛花ちゃんと直すところを見つめて待ってくれる優花ちゃん。
だけど、今回は僕の体が直る事はない。
僕を手渡されてその事に愛花ちゃんは気付いた様子だった。
「ポロ……」
愛花ちゃんの表情が曇り、手が震えている。
愛花ちゃんも優花ちゃんも僕をとても大切にしてくれた。だからこそ、今日が愛花ちゃんの誕生日で僕とお話出来る日だという奇跡を起こしてくれたのかも知れない。
『気付いたみたいだね、愛花ちゃん。僕の体はもう直せないよ』
「ま、まだ直せる!」
『もういいんだ。ボロボロだった僕を愛花ちゃんと優花ちゃんは今まで大事にしてくれた。その優しい想いを貰って最後を迎えるなんておもちゃとして本望さ』
大人になっても泣く顔は昔と変わらない。涙を流して黙ってしまう愛花ちゃんへ僕はお願いをした。
『愛花ちゃん、僕のお願いを聞いて欲しい。優花ちゃんへお別れをしたいんだ。そして、君にも』
最後まで2人の傍に居たかったけど、残念ながらそれは叶わなかった。
魔法屋で作られたおもちゃは引退しても最後の時はお店へ戻るようになっているみたいだ。
僕の体が淡く光りだしたのがその証拠。もう残された時間が少ない。
おもちゃの僕を家族として扱ってくれていた2人には感謝の気持ちしかない。
『今までボロボロの僕と遊んでくれてありがとうって優花ちゃんに伝えてくれないかな?』
「うん……。優花、ポロはもう直らないの。だからね……ポロが優花へお別れのご挨拶をしたいって……。今までボロボロの僕と遊んでくれてありがとうって……」
大抵の子どもなら大事なおもちゃがもう直らないと分かったら泣き叫んでしまうけど、優花ちゃんは違った。
きっと優花ちゃんは小さいながらも、この日が来る事に気付いていたのかも知れない。
愛花ちゃんの手にある僕へ歩み寄ってきた優花ちゃんは優しく僕の頭を撫でて涙を目じりに溜めて笑顔で静かに言葉をくれた。
「ポロ。いい子、いい子」
優花ちゃんが僕を撫でている途中でその手が僕をすり抜け、僕は愛花ちゃんの手を離れて宙へ浮く。
とうとう本当のお別れの時がきた。
「やだ……ポロ、行かないで」
最初に別れを拒否する言葉を口にしたのは愛花ちゃんの方だった。
愛花ちゃんは悲しい顔をしていて涙も止まらない。
そんな愛花ちゃんにつられたのか優花ちゃんまで悲しそうに泣き出してしまった。
「うわぁあああんっ! ポロー! ヤダ、ヤダ、もっと遊ぶー!」
本当にこの場所を最後にして良かった。こんなにも大切にそして大事に想ってくれるなんて。
僕を包む光が一層強くなる。もう時間がない。例え愛花ちゃんだけにしか聞こえなくても僕の気持ちを全部伝えなきゃ。
『愛花ちゃん、優花ちゃん、今まで本当にありがとう。君達の優しい気持ちはいつまでも忘れないよ。ねぇ、僕の最後のお願いを聞いてくれるかい?」
「……うん」
「僕が大好きな君達の笑顔に見送られたいんだ。だから、笑っておくれ」
愛花ちゃんは優花ちゃんの頬に手を添えて震える声で僕の言葉を伝えてくれた。
「優花、ポロが……笑って……って」
「……うん……」
2人とも涙は絶えない。だけど、いつも僕を嬉しい気持ちにさせてくれる笑顔を見せてくれた。
『ありがとう。僕は君達と過ごせて本当に幸せだった』
ゆっくりと僕は上昇して行き、おウチから離れると一気に魔法屋の方へと飛んで行った。
お店のカウンターへ戻ってきた僕へおじさんが寂しそうな顔で話しかけてくる。
「おかえり」
『ただいま』
「これから君を消す事になるけど、本当にいいんだね?」
『うん。僕は引退したおもちゃだしね。それに……』
「それに?」
『僕の中にある今まで出会ってきた子ども達の想いは消えない。そうだろ?』
寂しそうな顔をしていたおじさんは優しい顔になってコクリと小さく頷いた。
「そうだね。想いは新しく生まれるおもちゃに引き継がれる。君の想いも、ね」
『僕の想いも……。ねぇ、おじさん』
「なんだい?」
『僕のワガママを聞いてくれてありがとう』
「ああ」
『生みだしてくれてありがとう』
「ああ」
『さよならは寂しくなるから言わない』
「そうだね」
『またね』
「ああ、またね」
こうして僕は消えてなくなっていく。
僕はいなくなっちゃったけど、きっと優しい気持ちが僕と子ども達を引き合わせたようにこれから生まれてくる新しいおもちゃ達にも良い出会いを授けてくれるはずだ。
だって、こんなにも温かく包み込んでくれるような想いなんだから。
みんな個性はあるものの共通して家族も優しく、心の清い子ばかりだった。
魔法屋のルールで1年間だけと決まっているけど、それでも僕を大切にしようとする気持ちが嬉しかったんだ。
長年選ばれ続けた僕の体はもうボロボロ。おじさんに頼んで新品みたいに直して貰う事も出来る。だけど、そうしないのは1つ1つの傷や直した後が今まで僕を選んで遊んでくれた子ども達との思い出だから。
あと何回も耐えられないこの体だけど、完全に直らなくなるまで子ども達と思い出を作りたいなぁ。
◇
春の陽気がお店の中でも感じられる柔らかい温かさの良い日和。こんな日はいい事がありそうな気がする。
カウンターにある椅子に座って新聞を読んでいるおじさんもウトウトして今にも眠ってしまいそうだ。
ゆっくりとした午前中。おじさんが眠気覚ましのコーヒーを飲んでいると、お店にお客さんがやってきた。
今回のお客さんは作業着みたいな服を着たお母さんと5歳くらいの前髪をチョウチンアンコウみたいに結わえたブカブカのシャツを着ている女の子。
普段ならお客さんは先におもちゃを見て回る。だけど、今回のお客さんは真っ先にカウンターにいるおじさんのところへ足を向けた。
「いらっしゃい。どうかされましたかな?」
「お店の看板を見たのですが、レンタル料っておいくらですか?」
料金に関してやお店のルールは出入口を入ったすぐ横に貼りだされているけど、先におじさんが目に入ったみたいだ。
「お金は頂いておりません。当店のルールをご説明しますのでお時間はよろしいですか?」
「え、ええ」
おじさんはいつも通り丁寧にルールを説明してから一緒に大人しく聞いていた女の子へ話しかけた。
「お嬢ちゃん。お店の中を見て回って好きなおもちゃを1つ選んでおいで」
おじさんの言葉に女の子は戸惑っているような感じでお母さんの袖を引っ張って窺う。
「……かーちゃ……」
表情には出していないけど不安そうにする女の子へお母さんは優しい笑顔を向けた。
「愛花。好きなのを選んできていいのよ。かーちゃはおじさんともう少しお話してるから行ってきなさい」
「……うん」
おもちゃを見て回る愛花ちゃん。でも、普通の子どもとは反応が違った。
見て回ってはいるもののどこか楽しそうな感じがしない。
他のおもちゃ達が話しかけているけど、どれも声が聞こえないからかな?
聞こえるか分からないけど僕も声をかけてみよう。
「愛花ちゃん。もし僕の声が聞こえたら僕を選んで欲しいな」
「……ん?」
声をかけてみると愛花ちゃんはキョロキョロとしている。どうやら僕の声が聞こえたみたいだ。
「こっちだよ。そうそう、そのまままっすぐ」
愛花ちゃんを誘導して目の前に来させる。
「やぁ。やっと僕の所へ辿り着いたね、愛花ちゃん」
「……」
誘導していた時は僕の声が聞こえていたみたいだけど、目の前に来て話しかけても愛花ちゃんは僕を見つめるだけで無反応。
「あれ? 僕の声、聞こえてる?」
「……」
「愛花ちゃん?」
「……」
何回話しかけても無反応。ただただ僕をジッと見つめるだけの愛花ちゃん。
声が聞こえたと思ったけど、僕の勘違いだったのかな? もう1度だけきいてみよう。
「僕の声、聞こえてる?」
「……お喋り」
やっぱり聞こえていたみたいだ。
「僕を手に取って欲しいな。僕と一緒に遊ぼうよ」
「……」
表情1つ変えない愛花ちゃんは一言ポツリと零しただけで、また口を閉ざしてしまった。
「あのー……愛花ちゃん? 僕の話聞いてる?」
僕が尋ねてみると愛花ちゃんはお母さんの所へ走り去ってしまった。今までの子達は僕が喋るのに興味津々だったから当たり前になっていたけど、おもちゃが話しかけてきて怖かったのかな?
お母さんの足にしがみついて顔を見上げる愛花ちゃん。
「かーちゃ」
「どうしたの?」
「お喋り」
「え? 何の事? 愛花もおじさんとお喋りしたいの?」
「んーん。……あれ」
愛花ちゃんは僕を指さしておもちゃが話しかけてきたと伝えようとしているが、
「どうしましょ……わからないわ」
全く伝わらず、お母さんは困った顔をしている。
「お嬢ちゃん」
お母さんが困り果てていると、おじさんがカウンターから少し身を乗り出して愛花ちゃんへ話しかけた。
「愛花ちゃんと言ったかな? もしかして、おもちゃの声が聞こえたんじゃないかい?」
「……お喋り……した」
「そうかいそうかい。その子はこのお店に置いてあるおもちゃで愛花ちゃんとお喋り出来るたった1つのおもちゃなんだよ」
「……う?」
「だから、その子を選んでくれたらおじさんは嬉しいな」
「……」
おじさんの話を聞いて暫くその場から僕を見つめていた愛花ちゃんは走ってこちらへきて僕を手に取り、カウンターの方へ戻ってお母さんとおじさんに見えるように掲げてた。
「これ」
おじさんとお母さんは顔を見合わせてニッコリと笑う。
「そのぬいぐるみにするの?」
「うん」
「決まったようだね。じゃあ、その子に名前を付けてあげてくれないかい?」
「……」
愛花ちゃんは僕を自分の方に向けて黙ってしまう。
僕は犬のぬいぐるみで色は柴犬みたいな薄い茶色。所々、色の違う布でツギハギ。目に使われてるボタンも右と左で大きさや色も違うから、かなり特徴があると思う。
特徴があり過ぎてどういう名前にしようか迷っているのだろうか、愛花ちゃんがずっと黙っているとお母さんがしゃがんで尋ねた。
「愛花、名前決まった?」
「……」
「このぬいぐるみ犬よね? それにしても……ボロボロね」
『そりゃあ僕はこのお店で1番の古株だからね……って、お母さんには僕の声が聞こえないんだった』
「ボロ」
愛花ちゃんがポツリと零す。
「ボロ? それが名前?」
「うん」
確かに僕はボロボロだ。だけど、それをそのまま名前にするなんてちょっと酷くないだろうか。
「もう少し可愛い名前にしてあげたら?」
さすがはお母さん。声は聞こえなくても僕の気持ちも汲んでくれた。
「ボロ……ポロ!」
「ポロ? 良いわね! 可愛い可愛い」
点々を丸に変えただけで可愛らしい名前に早変わり。言葉って不思議だ。
「ポロ! ポロ!」
名前が決まって愛花ちゃんは喜んでいるようだ。相変わらず表情は全然変わらないけど。
「ポロ……良い名前だね。そのまま持って帰って大丈夫だよ。1年間、大切にしてあげておくれ」
「ポロ!」
あまりにも嬉しいのか返事まで僕の名前になっている。こんなにも喜んでくれているなんて嬉しい限りだ。
『じゃ、行ってくるよ』
「ああ、行ってらっしゃい」
僕は愛花に掲げられたままお店を出て行った。
◇
夕方に愛花ちゃんのおウチに着いて僕は驚いた。
『ここが愛花ちゃんのおウチ?』
「うん」
愛花ちゃんのおウチは絵に描いたようなボロボロの安アパートの一室で部屋も6畳の部屋が1つあるだけ。洗濯機や冷蔵庫も古くて、動いているのが不思議なくらい。家具も小さなタンスとちゃぶ台があるだけだ。
「愛花、夕飯の支度をするから大人しく待っててね」
「待つ」
出来上がってきた夕飯は焼き鯖に味噌汁、何かのおひたしといった割と普通な感じ。こう言ってはなんだが、おウチの様子からもっと質素な物が並ぶのかと思っていた。
「今日はお誕生日だから愛花の好きな物にしたからね」
僕はお母さんの言葉に少し驚いた。だって、お誕生日って特別な日なのにその夕飯がこんなにも普通だから。そう思うと並ぶ夕飯が質素で味気のない物に見えてくる。
「お魚」
愛花ちゃんは早速、箸を握って鯖を突き刺して齧り付く。よっぽど魚が好きなようだ。
愛花ちゃんが喜んでいるならこれはこれでいいのかもしれないなぁ。
後で知った事だが、ご飯のおかずもお母さんがパート先からたまに貰ってくる物や野草等の外で採れる物が大半だった。
服もヨレヨレのブカブカで夏用と冬用を合わせても数着しかなく、雨が少しでも続けば当然パンツ一丁だから乾くまでずっとおウチの中にいる。
貧乏も相まって幼稚園や保育園にすら行っていない愛花ちゃんは今日も朝から僕を連れて外へ食べれそうな物を探しに行く。
季節は夏。暑い日差しにも構わず外へ行こうとする愛花ちゃん。
「ポロ、外」
『お外は暑いから帽子を被って行こうね』
「ぼーし、ぼーし」
愛花ちゃんが出してきた帽子は大人用の麦わら帽子。これも貰い物なのだろうか?
「ポロ、いく」
『そうだね。帽子も被ったから行こうか』
帽子を被り、取ったものを入れるビニール袋と僕を手に外へと飛び出した。
今日最初の探索場所はおウチから30分くらい歩いた所にある林。愛花ちゃんが危ない目に遭わないように気を張っておかなきゃ。
「ポロ」
『何か見つけたの?』
「かぶとむし」
愛花ちゃんが掴んで見せてきたのはカブト虫ではなかった。
『それはカブト虫じゃないよ。コガネムシだよ』
「かーちゃ、食べる」
『さすがのお母さんも虫は食べないと思うなぁ』
「……」
僕をジッと見つめる愛花ちゃんは掴んでいたコガネムシを離して、その手で僕を叩いた。
『いきなり何をするんだい!?』
「お母さん、違う! かーちゃ!」
どうやらお母さん……いや、かーちゃの呼び方で怒っているようだ。
『ごめんごめん。かーちゃ、だね』
「いい子いい子」
言い直すと愛花ちゃんのご機嫌は直り、さっき叩いた僕の頭を撫でてくれる。
撫で終わると愛花ちゃんはまた何かを見つけて走り出し、たどり着いた木の前で見つけた物を指さした。
「これ!」
そこにあったのは真っ白なキノコ。食用の物もあるけど毒キノコと見分けがつき難い。
これは採らない方がいいと思う。
『キノコはダメだよ。大丈夫って思っても毒キノコだったらかーちゃが居なくなっちゃうよ』
「ドクポロ……」
『ドクポロって……』
決して僕は毒持ちではない。ツギハギが毒っぽく見えなくはないけど。
結局、林の中を探し回って採れたのは木苺だけ。おかずというよりデザートだ。
こうやって僕は愛花ちゃんに危ない事や駄目な事はちゃんと教えてあげてたり、表情を一切変えず話す言葉も単語調な愛花の気持ちを察したり、毎日が忙しいけどとても楽しい。
だけど、楽しいと思えるからこそ時間が経つのが早く感じてしまう。
◇
愛花ちゃんは僕を大事に大事に扱ってくれる。子どもなら好きなおもちゃでも少しは乱暴に扱ったりするもんだけど、愛花ちゃんはまるで卵を抱える鳥みたいにいつもソッと両手で抱きかかえてくれいた。
野性的な行動をする愛花ちゃんからは想像もつかなかった。
僕ってそんなに壊れやすそうに見えるのかな? 自分でもボロボロだとは思うけど……。
大事に扱ってくれるのは嬉しい。だけど、それも今日でおしまいだ。
レンタルされて1年、ホントに早かった。
別れるのはツラいけど、これはお店のルールだ。愛花ちゃんにちゃんと伝えなきゃ。
部屋の真ん中にあるちゃぶ台の上に置かれている僕と向かい合わせで座って何も喋らずジーッと僕を見つめる愛花ちゃん。
言うなら今がいい。
『愛花ちゃん、今日は雨でお外へ行けないね。……でも、雨で良かった』
そう、雨で良かった。もし天気が良くて外に出かけていて、そこでお別れなんて事になったら愛花ちゃんが泣きながらおウチへ1人で帰る事になりかねない。
「ポロ、ダメ」
僕がお別れを告げる前に愛花ちゃんは「帰るのはダメだ」と言ってきた。
愛花ちゃんの気持ちや言いたい事を僕が察したり出来るようになったのに対して愛花ちゃんも僕が言いたい事を分かるようになっていたんだと気付かされた。
『愛花ちゃん。これはお店のルールだから、僕にはどうにも出来ない。ほら、もうお別れの時間がやってきたみたいだ』
「……あ」
僕の体が淡い光を放ち出す。雨のせいで昼間なのに薄暗い部屋の中、その光はより一層際立ち、僕や愛花ちゃんの気持ちを煽り立てる。
『ごめんね、愛花ちゃん。僕はもっともっと君に色々な事を教えたり、君とずっと遊んだりして過ごしたかった』
「ポロ」
愛花ちゃんがゆっくりと手を伸ばしたけど、その手は僕を掴む事は出来なかった。
光は強くなって愛花ちゃんの手をすり抜けた僕は宙へと浮く。
『君は僕が出会った中で1番不思議で1番気になる子だったよ』
「……あ……あ」
立ち上がってちゃぶ台の上に乗り、必死に僕を掴もうとする愛花ちゃん。だけど、その手は僕には届かない。届いたとしても僕には触れられない。
表情は変わらないし、言葉という言葉も発していないけど、愛花ちゃんが凄く悲しい顔をして「行かないで」と言っている気がする。
『バイバイ、愛花ちゃん。きっといつか会える日が来たら、その時はまたよろしくね』
「……うぅ……」
僕は愛花のおウチから離れ、魔法屋へと飛んで行く。
離れる時に愛花ちゃんが泣いている声が聞こえた気がしたけど、まさか……ね。
お店のカウンターへ帰ってくると、いつものようにおじさんが出迎えてくれる。
「おかえり」
『ん……ああ、ただいま』
「どうしたんだい? 何か考え事かい?」
『考え事っていうか、愛花ちゃんが泣いてた気がして……』
「いつもの事だけど、泣かれるのはツラいね」
『そうだけど、そうじゃないんだ……』
愛花ちゃんは感情を表に出さない子だ。そんな子が泣くなんてよっぽど僕との別れがツラかったのだろう。
おじさんが言うように泣かれてツラいのはいつもの事だ。だけど今回は……。
『ねぇ、おじさん。僕、決めたよ』
「決めたって何を?」
『僕は魔法屋のおもちゃを引退する』
「……そうかい」
◇
魔法屋のおもちゃを引退した僕はその日の内に、光に包まれて愛花ちゃんの所へ戻ってきた。
外が雨ならいつもお昼寝をしている時間なのに愛花ちゃんは薄暗い家で下を向いてぽつんと座っていた。やっぱり僕が居なくなって相当ショックだったみたいだ。
光に気付いて顔をあげた愛花ちゃんは僕を見て固まっている。僕が帰ってきたのが信じられないようだ。
『ただいま、愛花ちゃん』
「ポロ?」
『この体が壊れて直らなくなるまで僕は愛花ちゃんと一緒に居たくて戻ってきちゃった。今日から僕はレンタルじゃなくて愛花ちゃんのおもちゃだよ』
「ポロ、愛花の!」
戻ってきた僕を愛花ちゃんは快く受け入れてくれた。体が潰れるくらいにギュッと抱きしめて。
この日は愛花ちゃんのお誕生日。僕は愛花ちゃんの誕生日プレゼントとして今度はレンタルじゃなく愛花ちゃんの手の中にやってきた。
だけど……。
次の日。朝から愛花ちゃんは僕をちゃぶ台の上に置いて前に座ったままずっと動かない。
「ポロ」
『なんだい? 愛花ちゃん』
「……お喋り……」
『ごめんね。昨日、戻ってこれた嬉しさで言うのを忘れていたよ。僕は――』
魔法屋のおもちゃを引退した僕は愛花ちゃんとお話が出来なくなった。今までの魔法を解かれて別の魔法をかけられたんだ。
魔法屋のおもちゃを引退すればただのおもちゃ。だけど、おじさんは僕へ餞別をくれた。
それが別の魔法ってわけさ。
その魔法は愛花ちゃんのお誕生日にだけお話出来る魔法。
だから、お誕生日を過ぎた今日からまた約1年は僕が喋っていても愛花ちゃんには僕の声は聞こえないんだ。
お話出来なくなったからって捨てられないよね?
何度も話し掛けてきたけど僕の声が聞こえない愛花ちゃんはしびれを切らしたようだった。
それでも、僕から興味を無くす事はなくこれまで通りにどこへ行くのも一緒で返事も無いのに話し掛けてくれた。
お誕生日にしか話が出来ないのを翌年に伝えた時には物凄く怒られた。
怒っていたけど、ちゃんとわかってくれた愛花ちゃんは返事が出来ない僕へいっぱい話をしてくれる。
「ポロ、コガネムシ」
『またコガネムシを取ってきたのかい? かーちゃは虫を食べないよ?』
小学校に上がっても。
「ポロ、ランドセル。かーちゃが買ってくれた」
『良かったね。お友達もいっぱい出来るといいね』
中学へ通うようになった時も。
「見て! ポロ! これ、中学校の制服だよ!」
『制服を着ると大きくなったように見えるね。僕からしたら愛花ちゃんはまだまだ子どもだけど』
高校生になった時も。
「ポロ、やっと高校生になれたよ! バイトが出来るようになったから、これでかーちゃもちょっと楽になるかな?」
『その気持ちだけでもかーちゃは嬉しいと思うよ。だから、無理はしないでね』
大学へ行くようになって悩んでる時も。
「ねぇ、ポロ。私、好きな人が出来ちゃった」
『へぇ、愛花ちゃんももうそんな年頃か。君が好きになる人だから、きっといい人なんだろうね』
僕が愛花ちゃんの所に戻ってきてから17年。愛花ちゃんの結婚式にお呼ばれした時も。
『愛花ちゃん。とても綺麗だよ』
「ありがとう、ポロ。えへ……なんだか、恥ずかしいな」
はにかむ愛花ちゃんは『綺麗』というより『可愛い』かな。
◇
愛花ちゃんが結婚してから7年の月日が経ち、その間も大切に飾られていた僕にもまたおもちゃとしての役割りを果たせる時がきた。
昨年、五歳の誕生日を迎えた愛花ちゃんの娘、優花ちゃんへプレゼントされた僕はこの1年間、優花ちゃんとはお話が出来ないもののとても楽しい日々を送らせて貰った。
優花ちゃんはボロボロの僕に対して嫌な顔一つせず、毎日話し掛けて遊んでくれる。
このままずっとこんな楽しい日々が続いて欲しいと願ったけど、それは叶わないようだ。
そう。元々、ボロボロだった僕の体に限界がきたんだ。
「かーちゃん。ポロ壊れたー。直して」
「また壊れちゃったの? 仕方ないわね。直してあげるから、優花はポロが直るのを見守ってあげてね」
「うん!」
すぐに壊れてしまう僕をいつも直してくれる愛花ちゃんと直すところを見つめて待ってくれる優花ちゃん。
だけど、今回は僕の体が直る事はない。
僕を手渡されてその事に愛花ちゃんは気付いた様子だった。
「ポロ……」
愛花ちゃんの表情が曇り、手が震えている。
愛花ちゃんも優花ちゃんも僕をとても大切にしてくれた。だからこそ、今日が愛花ちゃんの誕生日で僕とお話出来る日だという奇跡を起こしてくれたのかも知れない。
『気付いたみたいだね、愛花ちゃん。僕の体はもう直せないよ』
「ま、まだ直せる!」
『もういいんだ。ボロボロだった僕を愛花ちゃんと優花ちゃんは今まで大事にしてくれた。その優しい想いを貰って最後を迎えるなんておもちゃとして本望さ』
大人になっても泣く顔は昔と変わらない。涙を流して黙ってしまう愛花ちゃんへ僕はお願いをした。
『愛花ちゃん、僕のお願いを聞いて欲しい。優花ちゃんへお別れをしたいんだ。そして、君にも』
最後まで2人の傍に居たかったけど、残念ながらそれは叶わなかった。
魔法屋で作られたおもちゃは引退しても最後の時はお店へ戻るようになっているみたいだ。
僕の体が淡く光りだしたのがその証拠。もう残された時間が少ない。
おもちゃの僕を家族として扱ってくれていた2人には感謝の気持ちしかない。
『今までボロボロの僕と遊んでくれてありがとうって優花ちゃんに伝えてくれないかな?』
「うん……。優花、ポロはもう直らないの。だからね……ポロが優花へお別れのご挨拶をしたいって……。今までボロボロの僕と遊んでくれてありがとうって……」
大抵の子どもなら大事なおもちゃがもう直らないと分かったら泣き叫んでしまうけど、優花ちゃんは違った。
きっと優花ちゃんは小さいながらも、この日が来る事に気付いていたのかも知れない。
愛花ちゃんの手にある僕へ歩み寄ってきた優花ちゃんは優しく僕の頭を撫でて涙を目じりに溜めて笑顔で静かに言葉をくれた。
「ポロ。いい子、いい子」
優花ちゃんが僕を撫でている途中でその手が僕をすり抜け、僕は愛花ちゃんの手を離れて宙へ浮く。
とうとう本当のお別れの時がきた。
「やだ……ポロ、行かないで」
最初に別れを拒否する言葉を口にしたのは愛花ちゃんの方だった。
愛花ちゃんは悲しい顔をしていて涙も止まらない。
そんな愛花ちゃんにつられたのか優花ちゃんまで悲しそうに泣き出してしまった。
「うわぁあああんっ! ポロー! ヤダ、ヤダ、もっと遊ぶー!」
本当にこの場所を最後にして良かった。こんなにも大切にそして大事に想ってくれるなんて。
僕を包む光が一層強くなる。もう時間がない。例え愛花ちゃんだけにしか聞こえなくても僕の気持ちを全部伝えなきゃ。
『愛花ちゃん、優花ちゃん、今まで本当にありがとう。君達の優しい気持ちはいつまでも忘れないよ。ねぇ、僕の最後のお願いを聞いてくれるかい?」
「……うん」
「僕が大好きな君達の笑顔に見送られたいんだ。だから、笑っておくれ」
愛花ちゃんは優花ちゃんの頬に手を添えて震える声で僕の言葉を伝えてくれた。
「優花、ポロが……笑って……って」
「……うん……」
2人とも涙は絶えない。だけど、いつも僕を嬉しい気持ちにさせてくれる笑顔を見せてくれた。
『ありがとう。僕は君達と過ごせて本当に幸せだった』
ゆっくりと僕は上昇して行き、おウチから離れると一気に魔法屋の方へと飛んで行った。
お店のカウンターへ戻ってきた僕へおじさんが寂しそうな顔で話しかけてくる。
「おかえり」
『ただいま』
「これから君を消す事になるけど、本当にいいんだね?」
『うん。僕は引退したおもちゃだしね。それに……』
「それに?」
『僕の中にある今まで出会ってきた子ども達の想いは消えない。そうだろ?』
寂しそうな顔をしていたおじさんは優しい顔になってコクリと小さく頷いた。
「そうだね。想いは新しく生まれるおもちゃに引き継がれる。君の想いも、ね」
『僕の想いも……。ねぇ、おじさん』
「なんだい?」
『僕のワガママを聞いてくれてありがとう』
「ああ」
『生みだしてくれてありがとう』
「ああ」
『さよならは寂しくなるから言わない』
「そうだね」
『またね』
「ああ、またね」
こうして僕は消えてなくなっていく。
僕はいなくなっちゃったけど、きっと優しい気持ちが僕と子ども達を引き合わせたようにこれから生まれてくる新しいおもちゃ達にも良い出会いを授けてくれるはずだ。
だって、こんなにも温かく包み込んでくれるような想いなんだから。
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