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6.「よみじや」
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しおりを挟む「やっ、こんばんは」
呆けていたところ、突然聞こえた声に千代は面食らったように顔を上げた。
そこには千代と同年代の長い金髪の細身の女が立って千代に向かって小さく手を振っていた。見覚えのない人物に千代は思わず不審げに身を竦めながら彼女を見上げた。
「最近河川敷に屋台を引いて歩いてる人がいるって噂になってたけど、本当にいるとは思わなかった。来てみるもんだね」
屋台なんて初めて見た、と金髪の女は興味深そうに屋台の中を見回しながら何食わぬ顔でカウンターを挟み千代の向かいに腰を下ろした。
「あれ? もしもーし……大丈夫?」
彼女は人懐っこい笑顔を浮かべながら、自身を見上げたまま固まっている千代の目の前で小さく手を振った。
「……すみません。お店を営業しているわけではないんです」
ぽかりと小さく口を開けていたが、はっと我に帰り申し訳なさそうに肩を縮こめながら言葉を返した。 まさか屋台で呆けている自身に声を掛けてくる人物がいるとは夢にも思わないだろう。千代は困惑気味に視線を右往左往彷徨わせた。
こんな大層な屋台を構えている癖に戯言を述べてと思われるかもしれないが、紛れもない事実なのだから仕方がない。
「この屋台って死んだ人に会わせてくれるんでしょ?」
しかし女は千代の言葉を一切気にすることなく、立ち去るどころかカウンターに両手で頬杖ついて対する千代をじっと見つめていた。
彼女の言葉を受けて、千代は小さく息をついた。
“よみじや”の都市伝説は近所でも広まっていたようだ。第一、こんな目立つ屋台を引いていれば例え人気のない道を選んでいるにしろ遅かれ早かれ目撃者は現れるのだ。
千代が現在働いている叔母が営む居酒屋でも、叔母が時折この屋台のことを客に漏らしていた。
『あの子ったら死んだ人に会えるって変な噂がある屋台を引いてるのよ……』
普段は何も言わないが、叔母は酔うと時々千代が屋台を引くことを止めていた。
恐らく母――妹のように姿を消してしまうことを恐れているのだろう。母が死んでから叔母は千代を実の娘のように可愛がってくれた。そして千代自身も彼女がそのことを不安視していることは知っていたが、それでも屋台を引くことだけはやめなかった。
母との記憶は殆どない。こうして時折彼女が消えた場所まで屋台を引いてくるのは、少しでも母のことを思い出すため。
屋台がなくなってしまったら唯一の母との繋がりをも絶ってしまうような気がして。本当に家族を失ってしまような気がしてどうにも恐ろしかったのだ。
「……今は、やっていません」
この半年の間に出会った依頼人達によって、完全に自身喪失していた。
あくまでも今は母親に会うため、私的な目的のためにしか動いていない。今更誰かの為に動く気にもなれず、俯きがちに首を横に振った。
「否定はしないってことは、死んだ人に会えるって噂は本当なんだ」
ところが女は幾ら冷たく振り払っても立ち去る気配は全くなかった。なるべく彼女を視界に入れないように視線を逸らした。
「そんな怖い顔してるとお客さん逃げちゃうぞ」
「別に儲けのためにやっているわけじゃありません。一体なんの用ですか!」
元から押しが強い相手が苦手だった。迷惑そうに溜息ひとつ零すと、揶揄うように放たれた言葉に思わずむっときて顔を上げた。
「……決まってるでしょ。死んだ人に会いたいの」
早く出て行ってくれとの意を込めて睨む千代に全く臆すことなく、女は微笑みを浮かべていた。
こうして少し自分を怒らせて無理矢理にでも目を合わせ、会話を続ける。彼女の方が一枚上手で千代はやられたと再び息をついた。川辺に吹き付ける少し冷たい風が熱くなった千代の頭を冷ました。
屋台の噂を聞きつけて、態々探しに来たのだ。聞かずとも導かれる答えは一つだけ。冷静にならずとも分かることだった。
「ごめんなさい。折角来てくれたのに、申し訳ないんですけど……今は」
「なんで。態々屋台まで出してるのに?」
頑なに断り続ける千代に、女は不思議そうに眉間に皺を寄せた。
どうしても、対客として屋台を使うことが怖かった。
もしまた目の前で望まない再会が起きたら、取り返しのつかない喧嘩が起きたら、そうして全ての苛立ちが自分自身に向けられたら。自分自身でさえよく分かりきっていない物だというのに責められるという苦行に耐えらる自信はない。
しかし明確な理由も口から出てこずに、唯俯いて拳を握ることしかできなかった。
「……何方に会いたいんですか?」
それでも客を目の前にしてしまうとついつい口が動いてしまう。なんでも首を突っ込んでしまいそうになる所は叔母に似て来たのかもしれない。
「お母さん」
迷わず帰ってきた言葉に思わず千代は目を丸くした。脳裏に自身の母の姿が浮かんだ。
「貴方が会いたいと思っていても、お母さんが貴方に会いたいと思っているとは限りません」
例え生きている人間が会いたいと思っても、死んだ人間も同じ気持ちだとは限らない。
しかしこう諭しても依頼人は皆、そんなことはないから会わせてほしい、と縋る。しかしその先にある結末は、あまりにも悲しすぎるものだった。
一度三途の川に繋がってしまえば、屋台は本人の意思とは関係なく死者をこの場に導く。再会を喜ぶ生者を一瞥して辛辣な言葉を吐き捨てて直ぐに帰っていった死者もいた。
もし今回もそうなったら、彼女が傷つく前に諦めさせるのも一つの道だろう。
「……かもしれないね」
否定の言葉が返ってくるかと思えば、彼女は弱気な声で悲しそうに微笑んだ。
「あたしが酷いこといっちゃったし、もう顔を会わせたくないって思われてるかもしれない……」
悲しみを堪えたように無理矢理に笑うその儚げな表情を見て、千代の胸はずきりと痛んだ。
「……すみません」
自身の過去に囚われ思わず口をついてしまった言葉を後悔し謝罪の言葉を述べた。
「あ、へーきへーき。気にしないで。酷いこといっちゃったけど、でも、本当に許せなかったんだ」
「何があったか聞いてもいいですか?」
「あたし、ついこの間まで東京で働いてたんだ。それで久々に帰って来たら母さん入院してたんだよ。病気だっていうのも、余命が短いっていうのも全部全部隠して。気付いた時にはもう親孝行すらできなかった」
彼女は悔しそうに前髪をかきあげた。
「骨と皮みたいなほっそい腕に点滴打たれててさ、それで悲しくて、悔しくて怒っちゃったんだ。『なんでもっと早くいってくれないんだ』って、そしたらあの人なぁんにも言わないで黙って笑ったんだ。それで、ついカッとなって……それならさっさと死んじまえって、病室飛び出して……それきり」
頭を抱えるように髪を握りしめる彼女の体は小刻みに震えていた。
突然家族を失う動揺、悲しみは千代もよく理解できた。
「それでこの屋台のことを知ってさ、せめて一言でも謝りたくて手紙出したんだ。でも近所にあるって聞いて、直接行った方が早いと思ってさ……でも、迷惑なら仕方ない。諦めるよ」
事情を話し終えた女は、涙を堪えるように大きく息を吐くと立ち上がった。
先ほどまで散々引き下がっていたことが嘘のように、切り替え早く謝罪の言葉を一つ述べ踵を返した。
金髪の彼女の背中が徐々に遠ざかっていく。その悲しげな背中を見て、このままで良いものかと千代は悩んだ。
「あの……っ」
そうして気付けば呼び止めていた。驚いたように女が振り返ると、風に金色がきらりと靡いた。
「お名前は」
「え……浜田美奈だけど」
「……お母様の、お名前は」
「あ、ああ……浜田里香」
突然名を聞かれた女――美奈は困惑気味に名を名乗った。
「出したお手紙、手元に戻って来てはいませんか」
「……出して一ヶ月くらい経つけど、確か戻って来てなかったよ」
ということは屋台に依頼の手紙は届いている。
確証はないが、手紙が屋台に届き、故人に会いたいと思っている依頼人がいれば三途の川への道は開く。橋の向こうに見える空を見上げれば、日は徐々に傾いて来ていた。やるなら急ぐしかない。
「ちょっと何してるの……」
千代が大慌てで暖簾と提灯を取り出せば、帰りかけていた美奈が驚いたように屋台へと戻って来た。
「本人に伝えてください。私は駄目だけど……貴女なら、きっと」
「店は開かないんじゃなかったの?」
「……今回だけ、特別です」
そうして千代は提灯の灯りを灯し、美奈を屋台の中へと導いた。
「食事も用意できませんけど……ただお話しするだけなら大丈夫だと思います」
「十分だよ……本当にいいの?」
「……家族に会いたい気持ちは、私も痛いほどわかりますから」
ほんの気まぐれだった。
しかし先ほどの顔を見ると、つい妻と会えずに泣きくれていた寺田の顔が頭に過ぎった。会えずに後悔するなら、会った方がいいのだろうか。何が正しいのかもわからない。
しかし、あんな悲しげに笑う人を放っておけるほど千代は冷酷にはなりきれなかった。
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